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だからどうという話ではない
これはこう
だからどうした、どうするのか、が抜けている場合が多い
何かを知ったとして、それを有効活用できる人は極稀だ
ただただ知って、扱えないものや、どうすることも出来ない事に近づくのはとても危険だ
それをしたあとのリスク管理も、水いっぱいのバケツを手で運ぶのも、必ず溢れるエネルギーと水
性格は特質ではなくそうしなければ生きれなかった結果と話す人はいるが、
そう、これこそそれならどうすべきか、がわからないのである
それは、だから仕方ないことなんだよねって話なのだろうか
確かに自身で選んできた部分は大きくある、しかし身体自身の本能と心の理性の乖離を感じる事は多々ある
これは、つまり、身体の性格と理性という自信が育んだ性格2つあるのではないかと思う
あくまで思うだけ
自分で選んだ道だ、どれだけ険しかろうと、似た環境にいようと全く別の性格の方だっている
そうしなければ生きられなかったと言うのなら同じ環境で育った人は同じ性格であるべきなのだろうが、
不思議な話に思う
自身の道が自身の性格
生きれなかったなんて事は別段ないのだろう
した結果、こうなった、だけなのだろう




