23/438
動じたくないのに動じる
感情に流されたくないのに勝手に苛立ってしまうのは自分が悪いのか
私はどこかの誰かの気に飲まれているときが在ると考える
要は気が立ってる
とはいえ、そのまま感情的を道路に吐き捨てる様な行為は、どこ過去誰かの気に飲まれている、の首謀者に変わりないから、変えていかなくてはならないのだろう
大抵人は苛立ちの後のストレスをどう上手く逃がすかを考える
しかし一度受け取ったストレス自体が不愉快だ
俺はストレスを抱える前に対策を打ちたい
とはいえまた、ストレスが絶対無いか、と言われれば難しい為、ストレスを逃がす方法も重要であるだろう
話は戻るが、誰かの気と言うのは誰かが吐いた苛立ちの気
こちらを不愉快、不安、にさせるもの、いるだけで影響を与えている
自分が与えた影響が誰かに伝染し次第に自分に影響を与える
自分で自分の首を絞めている
だからこそ、自分はストレスを抱える前が重要だと考える
自分を律するのは、そういった自業自得を防ぐため
気をばら撒かないのは自分が、犯罪者にならない為だ




