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持論は持論でしか無いぞ
持論を教えと説くのは中々に暴れている
普遍的なものや、地球全体の知識、決められたルールならまだ分かるが
誰かが考えただけの一個人の見解がさも正解のように闊歩するのはある種、思春期男児と何ら変わり無いのかも
一意見を持つのは大変良いことだとは思う
自分の考察、推測
ただそれの何が正解なのか
自分にとっての正解、でも、周りから丸が貰えるわけではない
スタイルは否定しない、しかし結果周りがどう思おうが当事者に対して同行動を起こそうが文句は言えない
その誰かに乗っかる誰かは逆に自分を客観視して見て欲しいものだが




