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言葉や行動責任は将来の結果
言葉や行動に責任を持つのは未来の結果に対してだと思う
そして、結果というのは巻き込み影響を与えた全ての人や物事の事
自分は知らない、私は思った事を言ったまで
相手が勝手に感じ取った事
それはそう
けれどだからといって自分が与えた影響には変わりない
起こった物事に対して自分がやったことだと自覚は必要だ
咎めているわけでもなければ、罪を償えと言っているわけではない
言葉を浴びせた結果、それ相応の結果(例えば死ねと言ったら死ぬ様な)になったとしたらそれ相応の態度はとって欲しいものだということ
例に挙げたように死んで欲しいと願い、相手が死亡したのだとしたら願った奴は全員死を喜ぶべきだと思うのだ
それが結果と責任、言葉に対しての行動だろう
それなのにこんなつもりではなかった等と宣うのは責任逃れだ
そして、それにより恨まれたとしても自分の行動の結果が伴っただけ
つまり、責任とは将来の結果に対する約束
別段やる事は悪いことではない
しかしこの先自分に降りかかった火の粉は今までの自分がしてきた行い故のものでもある
やったことに対した結果を受け入れ満足するのが本来は順当だと思う




