肥薩山脈の乱闘②
これで二五体目。紅音は残るハンドガン弾数と〈ハツキ〉を巡る血液残量に目をやった。〈刃血〉を織り交ぜた特殊弾頭は予備の弾倉を含め十発を下回ったのに対して、血液の消費量はごく僅かに押さえられている。
「残るターゲットはたった五体か」
ほんの一瞬だけ、気が緩んだ。
いけない。戦うことに集中しなければ。今の私は〈ケロベロス小隊〉の隊長なのだから。
「……しっかりしろ、天璋院紅音。……こんなんじゃ、隊長みたいになれないぞ」
彼女が操縦桿を掴み直すと同時に、コックピット内をアラートが包んだ。
眼前へ現れたのは、その全身を異様に肥大化させた吸血鬼だ。
「でっかいなぁ」
並の吸血鬼が八メートル前後なのに対して、その個体は二十メートルを悠に超えていた。耳が殊更に肥大化しており、それが両腕の翼と合わせて四枚羽のようにも見える。
人であったはずの蝙蝠の怪物は、ついに蝙蝠という形からも外れてしまったのか。
紅音はこのモニター上で、この〈四枚羽〉が飛び出してきた方角を見やった。そこに表示されるのは複数の×マークだ。
「……味方の数も減ってる。……それにコイツの大き過ぎる体は」
その口元からは赤い鮮血がてらてらと滴っている。それだけでも大まかに事のあらましを察することができた。
吸血鬼は人間の生き血を啜ることで成長する。なかでも〈刃血〉を啜った吸血鬼は、その身体を二倍近くまで巨大化させた例が報告されていた。
「流石にアレに弾は通らないな」
ここまで成長してしまった吸血鬼には、仮にゼロ距離でトリガーを引いたとしても、分厚い筋骨に弾を阻まれる。それどころか仄かに香る〈刃血〉の匂いが、この〈四枚羽〉をより興奮させてしまうリスクさえあった。
「さて、どうしよっかな」
キックペダルを蹴って加速。スラスターの噴射を一点に絞り、〈ハツキ〉は〈四枚羽〉の頭上にまで跳躍した。
「っと!」
肘を構えて、後方へ向けたハンドガンの引き金を引く。マズルフラッシュが爆ぜると共に、その利用した裏拳が〈四枚羽〉の顔面を捉えた。
頭蓋を押し潰す感触が操縦桿越しにも伝わる。カメラアイに付着した返り血が、モニター上には無駄に大きく表示された。
「チッ……画質修正」
吸血鬼の持つ再生能力は筋繊維の修復に長けている一方で、砕けた骨を繋ぎ合わせるのには時間が掛かる。砕かれた骨の隙間同士に、膨張した筋繊維が食い込み、上手く結合がなされないのだ。
四枚羽の顔は半分が陥没した。しかし、それだけでは仕留めるに至らない。
顔を潰されながらも〈ハツキ〉目掛けて、両腕を振り回し始めた。
「……!」
装甲の薄い〈ハツキ〉では受けきれない。紅音は機体を旋回。小刻みにスラスターを吹かせながらもスリッピングアウェーの要領で、迫る衝撃を彼方へと逃した。
軽やかな着地と同時に、彼女は頭の中で幾つかのシュミレーションを思い浮かべる。
「残弾……八。残る下級吸血鬼に一発ずつ弾を使うとして」
戦況や互いの状態を直感で思考へと当て嵌め、全てのリソースをただ目の前の敵を屠ることだけに集中する。
「スラスターの噴射角を再調整。……設置圧をマイナス二〇。照準修正……うん。余裕♪」
それはまるで、狂犬が牙を剥くかのようだった。操縦桿のスイッチに指を掛け、ハンドガンのトリガーを引き絞ろうとした途端、
『────退いてろよ、狂犬ッ!』
割り込んだのは、ブレードを八相に構えた〈フミツキ〉だ。そのカメラアイは目の前の〈四枚羽〉を冷然と睨む。
◇◇◇
迫る牙を〈フミツキ〉のブレードが受け止めた。
「このッ!」
脆い山中の足場では充分にロクに踏ん張りも聞かなかった。肥大化した吸血鬼の重量を押し付けられて、機体はジリジリと後退を余儀なくされる。
「こんな化け物に喰われるくらいならッ!」
リミッターの一部を解除。機体を巡る〈刃血〉の流れを両腕部アクチュエータへと集中。
「〈フミツキ〉(お前)に俺の血をくれてやるッ!」
動脈深くに突き刺さったチューブが鋼太郎の鮮血を啜った。機体が低い唸り声を上げて、〈四枚羽〉を力任せに押し返す。
『ウソっ⁉ 鋼太郎くん⁉』
聞こえて来たのは、紅音の素っ頓狂な声だ。まさかこのタイミングで自分が乱入してくるとは予想していなかったのだろう。
鋼太郎は少し勝ち誇ったように、ニッと犬歯を覗かせる。
「俺もアンタに学ばせて貰ったよ」
彼女の戦い方は存分に見せて貰った。本当の「狂気」とは何かを。持てる全てを戦いに費やした〝狂犬〟とは何かを────
「俺はどんな手段を使っても東京に帰るんだ。それがアンタの戦い方を真似させて貰うことでもなッ!」
〈フミツキ〉が刃を逆手に構える。それを手首の関節部へと当てて、浅く引いた。
「さぁ、餌だぞ」
ブレードには〈刃血〉が付着している。それを勢いよく振るえば、血の滴が辺りの木々に飛び散った。
鋼太郎はすぐに機体の出血箇所より、少し上の辺りをもう片方の腕で握り締める。人間で言う「止血」の要領で、フレーム内を巡る〈刃血〉の流れを止めた。
「あとは、」
そのまま〈フミツキ〉は木陰へと飛び込むと、エンジンの火を落とした。
『あぁ、なるほどね』
紅音もそれで意図を察した。同じように木陰に飛び込み、息を押し殺す。
『私の血の弾丸のパクリか。ちょっとの血でも吸血鬼の意識を割くには十分だからね。刀身に滴たらせた血を勢いで飛ばして、その隙に自分は隠れながらに体勢を立て直す。────これまでの戦い方よりも、無駄な〈刃血〉の消費も抑えられてるし……まぁ、七〇点ってとこかな?』
「偉そうに採点すんなよッ! これでも色々と考えたんだからなッ!」
『それで、次はどうするの? 確かに吸血鬼の意識は私たちから逸れたけど、ここから、あの化物をどうやって殺すの?』
鋼太郎はコックピットの天蓋を押し上げて、静かに〈四枚羽〉の様子を伺う。
木々に付着した〈刃血〉僅か数滴。人工血液が多分に混ざったバッタものだと言うのに、〈四枚羽〉はそれを啜ろうと必死に木々へしがみ付いていた。
『わぁ、なんかカブトムシみたい! ほら、昨日ハチミツを塗っておいた木に虫が集まってるみたいな!』
「……思ったけど言うなよ……緊張が解けるからさ」
『隊の緊張を解すのも、隊長の役目だからね。それに一度味を締めた吸血鬼ほど、もっと濃い〈刃血〉を求めるようになるんだよ』
より強大に。
より強靭に。
それは生物として進化を追い求める本能と言えた。
「だったら尚更にアイツはここで楽にしてやらねぇと……さっきも言ったが俺は手段を選ばない。それが例え、どれだけムカつくアンタの力を借りることでもな。だから、助けてくれ。紅音〝隊長〟」
『……隊長ね。ふふ、そうなんだ。……それじゃあ、仕方ないなぁ!』
今度は紅音の方が勝ち誇ったかのように笑った。
『いいよ。私が動きを合わせて上げるから、好きにやりなよ』
「だったら────」
◇◇◇
〈四枚羽〉を挟み込むよう、前後に分かれた二機が飛び出す。
鋼太郎の振り上げる刃が、蒼白に煌めく。まるで狂犬が牙を剥いたように。
「行くぞッ!」
向き合う〈四枚羽〉もまた鋭い牙を突き立てた。先に喉元へ喰い付いた方が鮮血を浴びる。
鋼太郎の緊張は極限まで研ぎ澄まされていただろう。────それがこれまでの鋼太郎ならば。
「ハッ……本当の〝狂犬〟は俺じゃねぇ。テメェの後ろだ」
狂犬は何度だって吠えた。
紅音のハンドガンが銃声を上げると共に、〈四枚羽〉の発達した両耳を食い千切る。
『そこなら弾も通るでしょ? それじゃあ、あとはお好きにどうぞ』
鋼太郎は落ち着いていた。ただ冷静に目の前の敵を斬ることだけに意識を紡ぐ。
「────あばよ、バケモノ」
背後から両耳を撃ち抜かれた〈四枚羽〉は大きくバランスを崩していた。
そこに叩きつけられる刃を防ぐ手段はない。弧を描いた銀閃は、目の前の吸血鬼を二つに切り伏せた。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。〈サツマハヤト〉一同、喜ばしい限りです。
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