雨が止む前に
「あぁ……やはり、この身体の特性は厄介だな」
利恵はボロボロの身体を引き摺る。〈FG〉に蹴り飛ばされたのだから、この程度で済んでいる方が幸いなのだろうが……。
人間の姿と理性を保ち続ける分、上級吸血鬼には下級吸血鬼のような身体の頑強さがない。その代わり再生能力に秀でているのだが、今はその傷を治せるだけの体力も残されていなかった。
再生範囲を脳と心臓、並びにその周辺の筋骨や血管を優先。破れた翼や、折れた手足は後回しだ。
「…………」
血を拭って、彼女は大破した〈ハツキ〉に目をやった。
無様なものだ。もともと装甲を纏わない分、ひしゃげたフレームが目立ってしまう。頭部のカメラアイを両方とも潰したのだから、あの内部は暗い棺桶とそう変わらない。
そして、関節からは〈刃血〉が滲んでいた。
「あの娘の血は、特別濃かったからな」
鋭い牙の先からは、涎が滴った。
いけない。優先順位を履き違えては。
頭を振って、理性を保つ。変形したフレームの凹凸に手足を掛けながら、這い上がった。
「……待たせて、ごめんね。……私が死んで寂しかったろ、紅音。けど、もう大丈夫だ」
彼女はずっと強くなったのだから。
もう、生き血を啜るような機械に身を包む必要もない。また二人で戦場を駆けることだって簡単だ。
「確かに私は、あの最上級吸血鬼の端末に過ぎない。けどね、この身体に残る記憶も、気持ちも、全部嘘じゃないんだ。────その証拠に私はいつも君を案じていたんだよ。どこの馬の骨かも知れぬ下級吸血鬼に、喰われてしまうのではないか、とね」
仮に〈グラトニー〉の謀が上手くいかなかったとしても、鹿児島にはそう遠くない未来、別の最上級吸血鬼が飛来していただろう。
〈サツマハヤト〉の組織力にしたって、将来的な〈FG〉の性能にしたって、必ずどこかで限界が来る。吸血鬼の殲滅も、奪われた生存権の奪還も、そのどれもが現実的な話ではない。
いつかは防壁が崩され、彼女の居場所は失われてしまうのだ。
ならばいっそ。
「紅音。いつか君が殺されてしまうくらいなら、私が君を化物に変えてやる。そして、君にまた新しい居場所を与えよう」
利恵は〈ハツキ〉のコックピットまで登り詰めた。折れた腕ではハッチを剥ぎ取れないと、右腕を再生する。
紅音には少し痛い思いをさせてしまうかも知れない。残りの〈ケロベロス〉小隊のメンバーを分断してしまったことに関しても、本当に申し訳なく思っている。
「紅音の隊員なんだ。あの二人もきっと良い、上級吸血鬼になれると思ったんだが……そうだ! 君が生まれ変わったなら、二人を探しに行こう。賑やかな方がきっと楽しいだろうから」
利恵はコックピットの装甲板を荒々しく引き剥がした。
そこにあるのは額から血を流す紅音の姿と。────そしてボロボロになった自動小銃の銃口であった。
「それは私の……⁉」
降りしきる雨の中、一発の銃声が空気を震わせた。
利恵の額を焼けるような痛みが突き抜ける。身体全身が気だるく、めまいもした。あの銃に装填されるのは、恐らく〈聖塵〉の弾丸だ。
「偶然とは言え、鋼太郎くんはまたも、こんな私にチャンスをくれたみたいだ」
木々の影には〈カンナツキ〉のドローンビットが浮遊する。恐らくは隊を分断された際に、この一機だけがコントロールを離れ、ここに取り残されたのであろう。
ドローンによって観測された情報は小隊内で共有される。お陰で、頭を潰された〈ハツキ〉も外の状況を伺うことができた。
利恵の警戒心が最も解かれるであろうタイミング。そこを撃ち抜くため、紅音はずっと息を殺していたのだ。
エンジンを貫かれ、〈ハツキ〉が戦闘力を失った瞬間。モニターの傍に鋼太郎のドローンの反応を捉えた、その瞬間から今に至るまで。
「待っていたよ。化物」
彼女は容赦なく引き金を引き続けた。その瞳には涙を溜めて、指先を震わせながら。
それでも狙い定めた照準に一切のブレはない。
「ッッ……どうしてッ、どうしてなのッ⁉ 紅音ッ⁉」
スライドが跳ね上がり、銃口からは硝煙が仄かに揺れる。
「私はこんなに、君のことを想っていたのにッ! どうして、君は私は拒絶するんだッッ!!」
「……そんなの決まってるじゃない」
時代遅れ自動小銃の威力はたかが知れている。利恵を怯ませることは出来ても、全弾を撃ち切った程度では殺すまでに至らない。
だから、彼女はすぐに次弾を装填した。
「貴女にはわからないんでしょ。どうして利恵隊長が私に狂犬としての在り方を教えてくれたのか?」
「それは……」
「自分の全てをただ戦うことに集約させるなんて、本当にイカれた在り方よね。……だけどね、隊長は何度も私に「そう在れ」と言い聞かせてくれたの────最後の一瞬まで、私が生き残れるようになのッ!」
◇◇◇
「あぁ……そうだった」
それは元〈サツマハヤト〉の隊員・大久保利恵が〈吸血鬼症〉に罹患してからの記憶。
上級吸血鬼として化け物に生まれ変わった彼女は、人の姿と理性を残したまま吸血衝動に際呑まれた。鋭くなった牙を突き立て、生き物の血を啜りたくて堪らないのだ。
そんな自分が、もう元の居場所に戻れないことは明白だった。
大破した〈フミツキ〉のコックピットに〈ケロベロス小隊〉のワッペンと愛用した拳銃を残し、彼女は歩き出す。
操れる異能と異常なまでの再生能力は、遭遇した下級吸血鬼を屠るために使った。死場所を見つけ、息を引き取るその瞬間まで、一匹でも多くの化物供を道連れにしようとしたのだ。
彼女は赤黒い血肉に塗れ、孤独に戦場を舞う。
時には同じ上級吸血鬼に巡り合うこともあった。再生能力が高すぎるあまり、自分では死にきれない少女の個体だ。
「私を殺してほしい」そんな願いも心良く了承して。
体力と精神を擦り減らしながらに、彼女は化物に成り果てようと〈サツマハヤト〉としての矜持を守り続けたといえよう。
だが、彼女は力尽きる寸前にあのシェルターへと辿り着いてしまったのだ。
上級吸血鬼も所詮は、最上級吸血鬼の端末に過ぎない。その端末がどれだけ崇高な信念を抱いていようとも。歪曲させるのは簡単だ。
────シェルターの最奥に潜む本当の化物に精神を犯され、都合の良い操り人形にされるまでにそう時間は掛からなかった
◇◇◇
「ねぇ、化物……確かに貴女が私を想ってくれる気持ちに嘘はなかったと思う。けどね、本当の隊長ならきっと私に『生きろ』って言ってくれるの。人として私が、私の居場所に居られるよう」
だから、彼女の演技は似ていなかった。
いくら脳に残った記憶を辿ろうと、秘められた心情を模倣することは出来ない。表面だけを小綺麗に取り繕ったメッキと同じなのだ。
理恵がここで紅音を殺すのは簡単なことだった。その動体視力で銃弾を避わし、その白い首筋に牙を突き立てるだけでいい。そうすれば傷を治すことも、まだ雨を降らせることだって出来る。
現に自分の中の、もう一人の自分は「そうしろッ!」と喚いていた。
けれど、彼女は指先を鋭利に変形させ、それを自らの首元に添える。
「どうやら面倒を掛けてしまったみたいだな、紅音。それに、随分と強くなったんだな〈ケロベロス小隊〉の隊長」
目の前の少女の照準がズレることはない。研磨された〝狂犬〟の牙は必ず、忌むべき化物の喉元を食い破ってくれるのだろう。
彼女は自らの説いた在り方に全力で従ってくれた。虚勢を張ることもあっただろう。無理をしたのだって一度や二度じゃないはずだ。
それでも天璋院紅音は生きていた。
「……ならば自ずと、答えも決まっているな」
◇◇◇
間も無く雨は止むことであろう。二人の〈サツマハヤト〉の奮闘と、上級吸血鬼の自害を持って。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。〈サツマハヤト〉一同、喜ばしい限りです。
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