雨に打たれて
外は雨が降っているのだろうか? 冷たい雨粒が窓を殴りつけては、滴り落ちてゆく。
「…………ここは?」
鋼太郎が目を覚したのはベットの上だ。清潔感のある白い病室で、身体からは何本もの管が医療機器に向かっては血管のように伸ばされていた。
「確か、俺は大久保を名乗る吸血鬼に殺されかけて……うぐっ!」
混濁していた意識も徐々に明朗になってゆく。それと同時に焼けるような腹部の痛みを自覚した。
まだ傷が塞がっていないのだろう。巻かれた包帯には赤黒い血が滲み出す。
「あの野郎ッ……やってくれたじゃねぇか」
思い出すのは、あの女の憎らしい薄ら笑いだった。そう吐き捨てた鋼太郎が次に目をやったのは、ベットの脇に置かれたデジタル時計だ。
・ 八月十二日 午後十時四五分
・ 鹿児島市 鹿児島大学病院
「俺は三日も意識を失ってたのか……」
額からは嫌な汗が伝ってゆく。あの戦闘で意識を失ってから何がどうなったのか? 紅音や小夏は無事なのか? 湧いて出る疑問が尽きることはない。
「厳密には二日だよ。君がここに運ばれてきた時には、ちょうど日付を跨いでいたから」
病室の扉側にはエノンが立っていた。小脇には下の売店で購入したであろうジュースと菓子の類が握られている。
「ん……これかい? これは私のだ。病み上がりの君には上げられないぞ」
「……酒は買ってこなくても、良いのかよ」
「私にもお酒を飲みたい気分のときと、そうじゃない気分の時があるってことさ」
そう笑う彼女の顔にも、色濃い疲労感が滲んでいた。
「まさか……ずっと俺に付き添ってくれたのか?」
「少し違うな。私と紅音隊長と小夏ちゃんの三人で代わる代わる君の見舞いに来ていたわけだが、ちょうど私の番で君が目を覚しただけのことさ。……本当なら皆で君の安否を見守りたかったんだが、生憎とそれどころではなくなってしまってね」
何か意味を含んだような言い方だ。口調は重く、彼女は雨の降りしきる夜の方へと、視線を逃した。
「……何かあったのか?」
「順を追って話そう。ただ覚悟をしたまえ」
彼女は鋼太郎が大学病院に運び込まれるまでの経緯を簡単に語った。
紅音の〈ハツキ〉が単機で、利恵の撃退に成功したのだ。その後に鋼太郎も含めた重傷者たちは病院へと担ぎ込まれた。
「危うくドクターヘリや救急車両の数が足りなるところだったよ。まぁ、あれだけの数の重傷者を出しながら、誰一人として〈吸血鬼症〉に罹患しなかったのは不幸中の幸いだったが……」
どうにも先程からエノンの歯切れが悪い。普段のマイペースな彼女の人柄を知っているからこそ、違和感も次第に大きくなっていった。
「さて。それじゃあ、ここからが本題だ」
「驚くな」そう前置きした上で、彼女は衝撃的な事実を口にした。
「────間も無く、鹿児島は最上級吸血鬼〈グラトニー〉によって跡形を残らず食い尽くされるだろう」
「これを見たまえ」と差し出されたタブレット画面を、鋼太郎は食い入る様に覗き込む。
その映像は報道ヘリによって上空から撮られているのだろう。カメラのレンズには絶えず雨滴が叩きつけられ、リポーターの声には絶えずローターの轟音が混ざる。だが、そんな要素が気にならなくなるほどに、向こう側に映り込んだ存在は絶対的だった。
県境に聳え立つ防壁。その先で四十メートルを超えるであろう、肉の塊が蠢いた。まるで山一つが侵攻するように、堅牢な外殻に覆われたソレは口元に鋭利な牙を備えながら歩みを進める。
往々しい翼を振りかざし、大地を踏み砕きながら進む様は四脚の巨龍を思わせた。
かつては東京に飛来し、熊本の地下深くでずっと息を潜めていた災禍の化身。最上級吸血鬼の姿がそこにある。
「なんで、コイツが……あのシェルターでの中で動けなくなっていた筈じゃ⁉」
「驚くなと前置きしたろ。……残念ながら私たちはずっと、この化物の掌で踊らされていたんだよ。肥薩山脈での一件から、上級吸血鬼・大久保利恵との邂逅、そして今に至るまでな」
回収された戦闘記録からは利恵に纏わる多くの情報を得ることが出来た。だが初めにエノンが違和感も抱いたの
も、そこで得られた情報からだ。
利恵は〈ハツキ〉と会敵してすぐに、残っていた下級吸血鬼を引き攣れて、闇夜に姿を消したのだ。
紅音の戦闘力を脅威に感じたからこそ、退いたという可能性もある。ただ、そうだとしても逃げるまでの判断がいささか早過ぎるように思えらしい。
それはまるで、既に目的を達成したと言わんばかりに。
「まず上級吸血鬼とは何なのか? そして、理恵があのタイミングで君たちの前に現れた理由を紐解こう。話はそれからだ」
上級吸血鬼とは人の姿と理性を保ちながらも、人の血肉を喰らう怪物。
その認識で間違えはない。ただ、彼女らにはもう一つの側面があるのだ。
「上級吸血鬼が理性を持って、下級吸血鬼を思うがままに扇動できように。最上級吸血鬼もまた理性を持って、上級吸血鬼を手足のように操ることができるんだ」
以前に利恵は自らを「端末」と称した。
彼女も所詮、〈吸血鬼症〉に罹患した化物なのだ。一見すれば人の姿をして、意思疎通が取れるように思える。
しかし、その実態は最上級吸血鬼の端末として、脳に残存する情報を頼りに人柄や話し方を再現されているに過ぎなかった。
「きっと〈吸血鬼症〉に罹患した彼女を見つけた〈グラトニー〉は歓喜したことだろうね。肥え太り動けなくなった身体の代わりとして、最強の〈サツマハヤト〉を手に入れたんだから」
座礁した鯨が自重で身動きが取れず、死に絶えるように。大量の血肉を喰らった挙句に身動きがとれなくなってしまった〈グラトニー〉は、間違えなく進化の過程に失敗したと言えよう。
「きっと奴の目的は進化をやり直すことなんだ。再び大量の鮮血を啜り、より強靭で、強大な存在へと自らを昇華させようと、ずっとチャンスを窺っていたのさ」
「その為に大久保の身体を利用して、俺たちの仮説拠点を襲ったのか……けど、それがどうして進化をやり直すって目的に繋がるんだよ?」
〈グラトニー〉があれだけの巨大に膨れ上がったのは、それだけの血肉を喰らったからだ。
そうやって膨れ上がった身体を再び起き上がらせるのには、自重を支えられるだけの骨格と筋力が、ひいては自身の肉体に更なる進化を齎せるだけの血肉が不可欠であった。
「……よく思い返して見たまえ。君たちのマシーンがどういう理屈で動いているかを」
〈FG〉は〈刃血〉に内包された膨大なエネルギーによって稼働する。そして〈刃血〉を喰らった吸血鬼もまた、その存在をさらなる脅威へと進化させるのだ。
仮説拠点へと運び込まれた資材の中には、電子機器や食料の類に加え、巨大な燃料タンクがあった。長期間の捜索を想定し、〈FG〉の動力を補う為に用意された中身は、色鮮やかな〈刃血〉である。
「まさか……大久保が俺たちを襲って、あっさりと逃げた理由は⁉」
「混乱に乗じて、君たちから〈刃血〉の詰まったタンクを奪うためだろうな。上手く、君たちの注意を惹き付ければ、タンクの強奪はコントロール下に置いた下級吸血鬼にだって出来る」
エノンの推察は十中八九、当たっているのだろう。その証拠に、大量の〈刃血〉を飲み干した〈グラトニー〉が再び、立ち上がったのだから。
恐らくは、利恵をコントロール下に置いたのも最近のことなのだろう。ここまでの情報を整理すれば、その企みの意図を読み解くことだってそう難しくはない。
まず彼女の能力を利用し、聳え立つ防壁に大穴を開ける。
次に調査に訪れた遠征部隊から、大量の〈刃血〉を奪い取る。
エノンの言ったように、自分たちは本当にまんまと踊らされていた訳だ。
「〈グラトニー〉は利恵の脳に残された情報を読み解いたんだろうね。お陰で私たちはまんまと奴のデリバリーをやらされたって訳だよ」
表面ではケラケラと笑うエノンだが、その目は少しも笑っていなかった。
当然だった。利恵はかつての〈ケロベロス小隊〉の隊長なのだから、エノンとも面識があったのだろう。
「はぁ……本当に笑えるね」
かつての友人をこんな風に利用されたエノンの内心が、穏やかであるわけがないのだ。
「……エノン先生。……俺の〈フミツキ〉は動かせるか」
「派手にぶっ壊してきたのは、どこの誰だったかな? そもそも、そんなことを聞いて、どうするんだい?」
「んなの決まってんだろッ! あの化物どもをぶっ殺す為だよッ!」
鋼太郎はベットから身体を起こした。うざったい管を引き剥がして、痛む傷を抑えながらも立ち上がる。無茶をしている自覚ならあった。きっとエノンが自分を止めようとすることも。
だが、彼女が次に口にしたのは全く別なことだった。
「外を見たまえ」
「雨が降ってるみたいだが……それがどうしたんだよ……」
降りしきる雨は止みそうにない。
止めどなく雨滴が弾ける音が煩いくらいだった。
「君も鹿児島が〈吸血鬼症〉の脅威から、今日まで生き延びた理由を忘れた訳じゃないだろう? 〈刃血〉と〈聖塵〉。そのどちらが欠けてしまえば、ここも東京の二の舞を辿ることになる」
〈聖塵〉は桜島の噴出物に含まれる特殊鉱物だ。その磁場は吸血鬼の運動能力を抑制し、殲滅を容易にした。磁場の影響は恐らく最上級吸血鬼にも有効であろう、という学説だってある。
だが、それが雨によって流されてしまっていたら?
「勿論、全部の〈聖塵〉が雨によって流れたわけじゃない。一部はそのまま、地層になるんだから最低限度の効果もあると思う。けど────」
その影響は快晴時の四割にまで減少する。防壁に備え付けられた砲台の照準システムだって、レーザーが雨滴に反射することで狙いが狂わされるだろう。
今日まで鹿児島を守っている全てが、逆手に取られてしまったような絶望感が鋼太郎を襲う。
何から何までもが最悪な状況であった。
「言ったろ? 今に至るまで、私たちはあの化物の手の上で踊らされているって」
鋼太郎は、利恵の固有能力が熱の操作だったことを思い出す。
彼女の能力が大気を熱し、天候にまで影響を及ぼすのなら、これから先、〈グラトニー〉が鹿児島の〈刃血〉を飲み干す時まで、この雨が止むこともないのだろう。
「私は思うんだ、こんな雨空の下で、泥に塗れて死ぬのはあまりに惨めだとね。それに君は十分に頑張ったじゃないか。だから」
「だからって、呑気にベットで寝てるわけにもいかねぇだろ」
それは鋼太郎をこの場に留める理由になり得なかった。
結ばれた決意は固いまま、曇天の空を睨む。
「まぁ、君はそういう選択をするタイプだよな。どうせ私が止めたって聞きやしないんだから……」
エノンの言葉にはありったけの不満が込められていた。扉の前から退くも、その態度は決して納得した様子ではない。
「あー、もう面倒くさいッ! せいぜい君の思うようにやればいいさッ!」
「……悪いな、先生」
「フン! どうせ謝るくらいなら、もう少し私の話に付き合え。外に車も用意してやるから」
そう吐き捨てて、彼女はその蒼い瞳を伏せた。
「君と私は似た者同士だと思うんだ。だって私らは大切な居場所を失った者同士だろ?」
彼女の祖国は「憤怒」のコードネームを冠した最上級吸血鬼〈ラース〉によって焼き尽くされた。
大好きだった家族も、愛おしい恋人も、その全てを────
「どうして私だけが生き残ったのかを何度だって自問した。それでも答えを見い出せずに、死んでやろうと思ったことだって一度や二度じゃない……君だって似たようなことを考えたんじゃないか?」
鋼太郎は言葉に詰まらせる。
以前の自分が、そして今の自分でさえも、そんな考えを抱いていることをエノンには見透かされていたらしい。
「けど、生憎と私の居場所は一つだけじゃなかったらしい。結局は辿り着いた場所で、やり甲斐のある職務や、騒がしい仲間たちにも囲まれてしまったからな」
だから、と彼女は青い瞳を大きく見開く。
「鋼太郎くん。君が死ねば、私の居場所は少し寂しくなる。せっかくのお酒も不味くなるんだ────だから、生きて帰ってきてはくれないか」
「……」
鋼太郎は答えなかった。伸ばされた手も振り払い、病室を立つ。
「……なぁ、エノン先生」
だが去り際に少し、彼女の方を振り返って
「アンタの書いた『転生したら美少女技術者だった件! ロボットを作って無双しなきゃいけないのに、お酒が美味しすぎて仕事ができません!』ってヤツ、今度は俺にも読ませろよな」
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。〈サツマハヤト〉一同、喜ばしい限りです。
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