幻想の向こうに
・ 八月九日 午後二三時
・ 水俣市・中尾山公園跡地
帯刀小夏・陸士長。並びに島津鋼太郎・二等陸士が汐見町跡地に建設中だったシェルター内部で、最上級吸血鬼〈グラトニー〉を目撃。
その報告を受けた西郷隆月陸将補は上級吸血鬼の捜索を一時中断。部隊を撤退させ、充分な装備を整えた後に〈グラトニー〉を殲滅することを決定した。
◇◇◇
〈グラトニー〉は十年前、兵庫県で観測されたのを最後にその行方が分からなくなっていた。
二十年前に東京都へと飛来し、日本全土に〈吸血鬼症〉を撒き散らした厄災の権化は、冠された名の通り、数多の血肉を喰らないがらに西日本へと侵攻を始める。
吸血鬼はより多くの血肉を喰えば喰うほどに、身体は大きく肥大化し、強靭な化物へと進化させて行くのが通例だ。〈グラトニー〉もその例に漏れず、最後に観測された時の全長は、初めて東京で観測された時の倍近くまで進化を進めていた。
だが、鋼太郎たちがシェルターで目撃した肉塊にその面影は見られない。恐らくは肥大化した自重を、遂に骨格が支えきれなくなってしまったのだろう。〈グラトニー〉は人知れず熊本まで侵攻するも、全てを喰らい尽くしてしまったせいで、これ以上自力で動くことが出来なくなってしまったのだ。
閉ざされたシェルターを寝ぐらに、ただ息をすることしかできない様はある種の皮肉めいた結末を辿ったとも言えよう。
「……けど、あの野郎の絶対的な畏怖は、醜く肥え太り、動けなくなろうと、そのまんまだった」
鋼太郎はコックピットに腰掛けたまま、青白く発光するモニター画面を睨んでいた。
きっと自分が〈グラトニー〉と遭遇したのなら、迷わず罵声を吐き捨て、切り掛かるであろうと思っていた。或いは怒りの余り、何も口にしないまま、その心臓に刃先を突き立てるかもしれないと。
シェルターの〈グラトニー〉はろくに身動きを取ることも出来ない。
殺すなら絶好のチャンスでもあったはずだ。
では、実際はどうだろうか? 自分の居場所を奪った怨敵を前に、鋼太郎は撤退することしか出来なかった。
有効な武装がないなんて言うのは、ただの言い訳だ。その言い知れぬプレッシャーに推し負け、仲間たちに情報を持ち帰るのが精一杯であった。
「……クソ…………クソッ!!」
握った拳が小さく震えている。それは不甲斐ない自分への怒りか、それとも〈グラトニー〉への恐怖なのかは自分でも分からなかった。
「────ちょっと、いいかしら?」
コン、コン、と誰かが外側から〈フミツキ〉のコックピットを叩いた。駐機状態で片膝をついた〈FG〉をよじ登るのも、〈サツマハヤト〉の隊員であればそう難しくはない。
「とりあえず、上への報告は私がしておいたから。それで、遠征部隊は一度撤退することも決まったわ。今の機体や兵装で最上級吸血鬼とやり合うのは流石に厳しいだろうからってね」
声の主はきっと小夏であろう。
「他の区域に捜索に出ていたチームも続々と戻ってきてる。あとは紅音隊長が戻ってくれば、すぐにでも鹿児島に引き返すことになるでしょうね」
「……そうですか」
「それにしても、らしくないわね。あれからずっと機体の中に閉じこもって。いつもだったらクソ生意気に皮肉の一つでも言ってる頃でしょ?」
クソ生意気なのはアンタもだろ、とは敢えて口に出さなかった。
今はそんなことを口にする気分にもなれない。
「まぁ……私としてはそれで別に構わないけど。可愛くない後輩が黙っててくれれば、隊長とイチャイチャランデブーと洒落込めるわけだしね。……だから、今から私が言うことはただの戯言だと思って聞き流しなさい」
そう前提したうえで、彼女は続ける。
「体調からあんたの大まかな事情は聴いてるの。んでもって、〈グラトニー〉はあんたの居場所を奪った仇なんでしょ? それなのにウジウジしてどうすんのよ」
「……小夏センパイ……もしかしてアンタなりに俺を励まそうと、」
「なに言ってるの? これは、ただの戯言っていったでしょ」
小夏はあくまでもつっけんどんな態度を貫いた。
「俺の仇……か、」
鋼太郎は震える拳に目をやった。
自分のこの手が何のために、あるのかを思い出す。ひたすらに剣を握り、血が滲むまで操縦桿を握りしめたこの腕が何を成すためにあるかを────
「あっ!」
小夏の声がツートン上がった。可愛らしく弾んだ声を故意的に作っているのだろう。その理由も単純で、こちらにゆっくりと歩いてくるシルエットを見つけたのだ。
不要な装甲を取り払った、赤と黒の攪拌する軽装な〈FG〉。そして肩には三つ首の猛犬が鎖を噛みちぎるエンブレムも描かれている。
「紅音隊長! 戻ってきたとですね!」
それは紛れもなく紅音の〈ハツキ〉なのだろう。
けれど、鋼太郎は何か違和感を抱いた。彼女の機体が戻ってきたのであれば、何故のモニター上に〈ハツキ〉を示すアイコンが表示されないのか。
「……待ってください、小夏センパイ。……ソイツ、何かがおかしい」
肩に乗っかっていた小夏をそっと地上に下ろし、〈フミツキ〉は腰部からブレードを抜き放った。
「────何なんだ、お前ッ! 紅音隊長じゃねぇよなッ!」
『あぁ……まさかこんなにあっさりと見破られるとは……ふふっ』
それは通信の音声とは明らかに違う。まるで脳内に直接話しかけているような違和感と、音の代わりに微弱な電流が弾けるような不快感が混在していた。
〈ハツキ〉を中心にあたりの景色が歪む。その後ろには爛々と輝く幾つもの瞳があった。血に飢えた下級吸血鬼たちの瞳だ。
十、二十……いや、仮説拠点を取り囲む下級吸血鬼たちの数はそれよりもずっと多い。
「なっ……」
どの個体も口から涎を滴らし、襲いかかるタイミングを推測っているのだろう。
休息をとっていた〈サツマハヤト〉の隊員たちもすぐに、異様な気配を察知する。
互いに睨み合いが続くと思われたその状況で、口火を切ったのは小夏だった。
『……おいコラ? 私の前で紅音隊長を騙るとは良い度胸じゃないのッ!』
きっと隙を見つけ、機体に搭乗したのであろう。
怒号と共に大盾を構えた小夏の〈ミナツキ〉が突っ込む。紅音の姿を偽ったこと彼女が逆鱗に触れたのだ。
だが、振るわれたシールドは空を切った。攻撃の軌跡の上には確かに偽物の〈ハツキ〉がいた筈だ。
それなのに〈ハツキ〉の姿は闇の中へと霧散する。
『嘘っ……消えた⁉』
鋼太郎は思い出す。自分たちの探していた上級吸血鬼がどうやって、県境に聳え立つ防壁に穴を開けたのかを────
「コンクリート壁を融解させるほどの熱を操れる……それに、さっきの景色の歪み」
思えば〈ハツキ〉の偽物が現れた時から違和感もあった。あの偽物からは何の音もしなかった。〈FG〉らしいエンジン音も、関節が擦れ合う音や、足音さえも。なまじ現実感が感じられない。
あれは紅音の姿形を真似ていると言うよりも、「幻」と言った方が適切に思えた。
「まさか……蜃気楼かッ!」
空気を熱し、光の屈折率を変動させる。それならば虚構の紅音を作り出すことだって不可能ではない。
「小夏センパイッ! カメラをサーモグラフィックモードに切り替えて下さい。そうすれば、異常な熱量の変化で蜃気楼を見破ることはできる」
『おや……また、あっさりと手品の種がバレてしまったな。ちょっとしたおふざけで混乱を招こうと思ったが、どうやら五感に長けた隊員が混ざっていたようだ』
またも目の前の景色がぐにゃりと歪む。鋼太郎と小夏のちょうど間に、ボロ布を纏う女の姿が現れた。
『久しいな〈サツマハヤト〉の皆。────私が君たちの探していた上級吸血鬼だ』
〈吸血鬼症〉に罹患した場合、その多くが理性を失い、血肉だけを求める化物に成り果てる。だが、極めて低い確率で体内に〈吸血鬼症〉のウイルスを内包しながらも、人の姿と理性を保ったままの例が報告されている。
それこそが上級吸血鬼────人の姿のまま、人ならざる力を手にした、血肉を喰らう化物である。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。〈サツマハヤト〉一同、喜ばしい限りです。
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