彼女が忠犬たるは
・ 八月九日 午後二三時
・ 水俣市・中尾山公園『跡地』
十二の正規小隊と〈ケロべロス小隊〉からなる遠征部隊は、防壁に開けられた大穴を潜って、熊本県へと踏み込んだ。部隊はそのまま、残された九州新幹線の線路を辿るように歩みを進め、仮設拠点を置くこととなる。
トレーラーで運んできた機材を広げ、テントを設置し終わる頃には、すっかり辺りは夜の闇に包まれていた。
吸血鬼は夜目が効く。個体差こそあれど、他の五感だって人間よりも優れている。だから下手に暗闇の中で動くのではなく、本格的な上級吸血鬼の捜索は明日の早朝から行うことが決まっていた。
既にほとんどの隊員は明日に備えて、早々と寝袋の中に包まっている。
鋼太郎も捜索範囲の地図を頭に叩き込んで、眠りにつこうとしていた。
「……」
瞳を伏せて、微睡へと身を委ねる。
寝袋に多少の狭苦しさを覚えるも、電子機器を所狭しと詰め込んだ〈FG〉のコックピットよりは数段マシだ。辺りは静けさに包まれて、いつ睡魔に呑まれたとしても、おかしくはない。
それなのに、なかなか寝むれないのはどうしてだろうか?
寝返りを打ちながらに考える。────熊本もまた、自分の居場所ではないと。
防壁を乗り越え、鹿児島の外に出れば何かが変わるかもと思っていた。しかし、実際はそんなこともないらしい。強いて言うのなら、桜島の火山灰やその日の風向きを気にしなくてもいい程度だ。
「はぁ……エノン先生に貰った資料にでも目を通すか」
このまま寝袋に包まっていても、眠れないことを悟った鋼太郎は上体を起こした。
すると、テントの向こうに人影があることに気付く。ほんの一瞬、警戒心が研ぎ澄まされるも、鋼太郎はその小さな背丈に見覚えがあった。
「まさか……」
他の隊員たちを起こさないよう、足音を潜めてテントから顔を出す。
そして、案の定と言うべきか。淡い月明かりに照らし出された、その小さな人影は帯刀小夏のものだった。
「起きていたのね、島津鋼クロウ」
「鋼クロウじゃなくて、鋼太郎な。……それで、こんな時間に何のようだよ? 女性隊員用テントはあっちの方だろ?」
彼女の瞳はまたも、鋼太郎をキツく睨みつけている。
会話らしい会話をしたのも、昼間のあれっきり。以降の彼女はずっと紅音にべっとりだった。トレーラーの荷台では紅音の隣を陣取って、そこから離れようともしない。
そんな小夏がどうして、このタイミングに自分の元を訪ねてきたのだろうか?
彼女はおもむろに背を向けた、自らの背を指さした。
「あんたには見せておきたいものがあるの。だから、私に着いてきなさい」
◇◇◇
中尾山公園はコスモスの華によって彩られる自然公園だった。しかし、それも人の手によって管理を成された状態でのこと。幾つかに区画化されたエリアは、無秩序に植物や木々が繁茂し、鬱蒼とした密林を作り出していた。
そんな植物の群れを掻き分けながらに、小夏は小さな体でズカズカと進んでいく。鋼太郎も置いていかないよう、彼女の背中を追いかけた。
「というか……アンタ。昼間は随分と古臭い鹿児島弁で喋ってたクセに、さっきは普通の標準語を使ってたよな」
「紅音隊長の前じゃないからね。それとも何? 文句でもあるの?」
「いや、文句って程でもねぇけど……まさか、あの女の気を引くためだけに鹿児島弁で喋ってたのか?」
「そうだけど。ほら、コレ」
毅然と言い放って彼女は隊服のポケットから何かを取り出した。
「鹿児島観光ガイド・方言マスター編」とあるそれは、〈吸血鬼症〉が蔓延する以前の駅や空港に置いてあるような小冊子だった。
鹿児島弁というのは酷く難解であり、県民であっても田舎のお年寄り世代の方言が分からないという話はよく耳にする。太平洋戦争の最中には敵国からの盗聴を防ぐため、鹿児島弁を暗号代わりにしていたなんて逸話も残っているくらいだ。
「……マジかよ、このチビ女」
彼女はそんな鹿児島弁をわざわざ覚えたのか。
旧世代の〈ミナツキ〉を愛機に選んだ理由といい、彼女が紅音へと向けるこだわりには、やはり異様なものがある。
「何よ? それじゃあ、私も言わせてもらうけどさ。あんたの方こそ、その口の利き方はなんとかならないの? 私は一応この隊の先輩なのよ」
階級が九つも離れている紅音も、兵器工学の権威であるエノンも、基本的には鋼太郎の不遜な態度を容認している。だから、いまさら口の利き方について咎められるのは少しの違和感があった。
いや、この点に関しては、あの二人が適当過ぎるだけかもしれない。〈サツマハヤト〉もまた〈FG〉を用いて吸血鬼を殲滅する一つの軍隊なのだから、小夏の様に上下関係を重視するほうが自然なのだ。
もっとも彼女の紅音に対する接し方が、問題があるように思えたのだが。
「……じゃあ、改めまして小夏センパイ。……これでよろしいのでしょうか?」
「なんか、絶妙に舐められてるような気がしなくもないけど。まぁ、今はそれでいいわよ」
紅音はそこで歩みを止めた。平坦な声のまま、彼女はこちらへと振り返る。
「それで。やっぱり貴方も聞きたいんでしょ? 私がどうして、ここまで紅音隊長に拘るのかを」
それが気にならないと言えば嘘になる。ただ、鋼太郎なりに大まかな察しを付けることも出来た。
天璋院紅音は掴み所のない人物だ。その大胆な態度にはどこか芝居がかっていて、それでいて内側には確かな狂気を秘めている。そんな彼女に誰かをここまで引き付ける要素があるとするならば、その紛いのない強さを置いて、他ならない。
「アンタも〝狂犬〟に魅せられたんですよね。あの人には危うくも人を惹きつける、刃物のような魅力があるから」
「あら、言うまでもなく分かってるじゃないの」
小夏がくす、と笑った。
「私はね。ちょっと前まで、〈FG〉の操縦なら誰にも負けないと思ってたの。この小さな身体も、狭いコックピットで動くのにはちょうど良かったし。何より私の〈刃血〉は他の人よりも濃かったから」
〈FG〉を稼働させる要素でもある〈刃血〉には差異がある。同じ一滴であっても、その濃度によっては機体の動きの雲泥の差が生じた。
血液が〈聖塵〉の発する磁場の影響を受け続けた結果として〈刃血〉は生まれる。ならば鹿児島人の血を引く人間同士でも、より長い期間を〈聖塵〉の蓄積した地域で過ごした人間の方が、より高濃度な〈刃血〉を内包するのだった。
「桜島で生まれ育った私は〈ケロベロス小隊〉に派遣されるまで、そのまま行動予備隊の一員として桜島にある〈サツマハヤト〉の基地を守ってたの」
彼女は〈刃血〉の濃さにだけでなく、類い稀なる〈FG〉の操縦のセンスを携えていた。特に重量のある武器を用いた戦闘のセンスは、群を抜いていたと言う。
「私にとっての強さとは、ある種の誇りだった。私たちが鹿児島を護ってるっていうプライドが、あの頃の私を支えてくれたから」
「……別にアンタの自慢話は聞いてないんですが」
「そういうつもりじゃないんだから黙って先輩の話を聞きなさい。ぶっ叩くわよ」
「…………はい」
〈ケロベロス小隊〉に派遣されて、小夏はすぐに本物の〝狂犬〟というものを知ることとなった。実験部隊という異質な環境の中、殆ど装甲を纏わないような機体と二丁のハンドガンだけで戦場を駆け抜ける、その存在を────
「正直、私と同じくらいの歳の女の子がアレに乗っているだなんて思えなかった。多分、私が同じ機体に乗ったとしても、あんな戦い方は出来ないと思う。」
その意見には鋼太郎も黙って同意した。〈FG〉を駆る紅音の躍動を初めて見たとき、ほとんど同じ感想抱いたのだから。
「だから、ここまで隊長のことを慕うようになったんですか?」
「いいえ、それも違うわね……始めは嫉妬の方が強かったから。それでまた、実力の差を見せられて、自己嫌悪になったくらいよ」
小夏は自嘲気味に吐き捨てる。あの〝狂犬〟の強さは数日やそこらで追いつけるようなものではない。それを彼女は嫌というほど判らされた。
「私が隊長を慕う一番の理由はね────」
彼女は人差し指を指して、そのまま息を潜めるようにジェスチャーを送った。木陰へと身を潜めて、草木を掻き分けながらに向こう側を見るよう視線で促す。
そこにはある程度の開けた空間があった。その真ん中で一人の〝狂犬〟が軽やかに舞い踊る。
夜の闇と冷たさに身を溶かすよう、消音器付きの二丁拳銃を構えて、トリガーを引き絞った。撃ち放たれたゴム弾は、吸血鬼に見立てた簡易的な的を弾いて、地に落ちる。
「……ハァ、ハァ。……まだ余裕なんだからッ」
呼吸の荒さで、それが彼女の強がりであることはすぐに分かった。それでも彼女は素早く次弾を装填し、次の的に狙いを定めた。
〈FG〉の操縦は、本人のセンスによって著しく左右される。それは二丁拳銃の扱いにしたって例外ではない。
彼女は密かに牙を研いでいたのだ。
「私の隊長はいまでも凄く強いのに、まだ強くなろうとしてる。そんな姿に私は焦がれて、彼女の隣で戦いたいと思ったの」
小夏は誇らしげにそう語った。────きっと、彼女の居場所は天璋院紅音の隣なのだろう。それが吸血鬼の跋扈する戦場であろうとも、奪われ廃墟と化した生存権であろうとも。〈ケロベロス小隊〉の〝忠犬〟たる彼女は主人にどこまでだって付き従う。
「つまり私が何を言いたかったっていうとね」
背丈では負けてしまう鋼太郎を見下そうと、何とかつ爪先を伸ばして、小夏がにんまりと勝ち誇った表情を浮かべた。
「そんなカッコいい一面を知る私の方が、隊長の隣にいるのにふさわしいの! 大体、私の方が隊長と過ごした時間だって長いんだから。数日ちょっと隊長に構ってもらった後輩風情が調子に乗らないことね!」
「……もしかして。……わざわざアンタが俺をここまで連れて来た理由ってのは」
「ん? 当然、紅音隊長に関する知識と、その想いで貴方にマウントを取るためだけど?」
鋼太郎は呆れて、言葉を失った。
そんなブレない〝忠犬〟の襟首を誰かがガッチリと掴む。
「おやおや小夏ちゃん、それに鋼太郎くんも。けど人の特訓の盗み見とは感心できないなぁ」
二人が恐る恐るに振り返れば、そこには悪戯っぽい笑顔ではにかむ紅音の姿があった。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。〈サツマハヤト〉一同、喜ばしい限りです。
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