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銀色の北十字 肆  作者: たき
7/13

(7)

 夕刻、大咆哮とともに私室の床が小刻みに揺れる。ようやく来たかと、天鵝は内心で喜んだ。

「灼熱竜が露台に到着しました」

 女性衛士の報告に、天鵝は長椅子に座る目の前の有明を見た。

「時間です。今日はこれで」

「いつもより早くないか」

「それは灼熱竜に言ってください」

 不満丸出しの有明をうながし、天鵝は腰を浮かした。

「会う時間をずらせないだろうか。灼熱竜との対面後……夜にでも」

 そうすればもっとゆっくり語り合えると、座ったまま天鵝を見上げる有明に、天鵝は首を横に振った。

「婚儀をすませることなく灼熱竜を鎮めるのは、かなり負担がかかる行為なので、夜はゆっくり休みたいんです。それに、月暈宮を男性が夜に訪ねてくるのは非常識では?」

 さすがに有明も返す言葉がなかったようで、むすっとした顔で立ち上がった。しかしすんなり帰ることはせず、先に歩きだした天鵝を背後から抱きしめた。

「もうしばらく灼熱竜の求婚をかわしておいてくれ。あなたを迎える準備を進めているから」

「……私はあなたの妃になることを承諾した覚えはありませんが」

 天鵝は入り口に立つ露玉を見た。意図を汲んで露玉が寄ってくる。

「あなたをこんなところに一生涯閉じ込めておくのはもったいない。私のもとでのびのびと過ごすほうがはるかに幸せだ。いや、必ず幸せにする」

「宰相、お放しください。冷妃様に無礼なまねは慎んでいただきたい」

 剣の柄に手をかける露玉を、有明が鬱陶しそうにねめつける。その間にも雄叫びと地震は大きくなっていく。灼熱竜が催促しているのだ。

「他の男性の匂いがつくと、灼熱竜が機嫌を損ねます」

 天鵝は有明の手を払いのけた。

「私よりあの老いぼれを優先すると言うのか。あれは人ではないのだぞ」

 暗くよどんだ目で天鵝をとらえる有明に、天鵝は片方の眉をはね上げた。

「そのために私はここへ連れてこられたのでしょう?」

「だから、その役目から解放してやろうと言っているんだ」

「私は朧を守りたいんです。私を助ける代わりに朧を犠牲にするつもりなら――もう二度とここへは来ないでください」

「姫!」

 追いすがる有明を無視して、天鵝は露玉を連れて部屋を出た。

 露台へ通じる廊下を歩きながら大きく嘆息した天鵝に、露玉が「大丈夫ですか」と声をかける。

「正直、灼熱竜より宰相のほうが厄介だな」

「私も気になっておりました。天鵝様を見る目が日ごとに危険な感じに変わってきているので」

 疾風に耳飾りを渡して以降、朧は天鵝と有明の面会に同席していない。代わりに露玉がついてくれているので今までは距離を保って会話できていたのだが、今日は露玉がいるにもかかわらず触れてきた。

 衛府での一件から、どうも有明の様子がおかしい。それまで冷妃だったのを姫と呼び、あせったさまで天鵝に迫るようになったのだ。

 有明との長話を避けるため、わざと面会時間を灼熱竜の来る前にしているのだが、それがかえって有明の神経を逆なでしているのだろうか。話題も艶のあるものはかわし、もっぱら政についてばかりだというのに。

 その立場もあり、きっと今まで有明を無下にするような女性はいなかったに違いない。だから対等であろうとする自分に変に執着するのかもしれない。しかしそれを緩和するために有明に媚びる気にはなれなかった。なびいたと思った瞬間から横柄な態度をとりそうな相手に接するのは、非常に疲れる。

 摩羯となら、どんな話も楽しめたのに。自分の意見が未熟でも馬鹿にしてくることはなかったし、過保護なとき以外は強引に自分を絡めとるようなまねはしなかった。

「……茶が飲みたいな」

 ついこぼしてしまった独り言を拾い上げた露玉が「では、灼熱竜との対面からお戻りの際にご用意いたします」と気遣ってくれる。それに微笑で返してから、天鵝は目を伏せた。

 飲みたいのは、恋しい相手の淹れてくれる茶だとは言えなかった。露玉が運んでくる茶もおいしいし、そんなことを考えるのは贅沢でわがままだとわかっている。

 それでも、摩羯なら今の自分にどんな茶を選んでくれるだろうと考えてしまう。茶を味わう自分を優しく見守る色違いの瞳がなつかしい。

 疾風は無事に月界にたどり着けただろうか。東雲は生きているのか。そして摩羯は――自分の言伝を受け取っただろうか。

 露台へつながる扉の前に立つ。向こう側から灼熱竜の熱気が早くも伝わってくる。一度深く息を吸い込んでから、天鵝は勝手に開かれる扉の先へと進んだ。



 いらつきながら自分の雲宮に戻った有明は、食事の間に今宵の女について腹心から話を聞いた。

 できれば子沢山の女がいいと希望を告げていた。確実に子を宿しそうな女を。

 娘を産めば死ぬまで生活を保障すると触れ回らせたところ、予想以上に申し込みがあった。会ってみれば、あわよくば妃にと醜い期待を寄せる者も少なくなかったが、あさましさを嘲笑う余裕はなかった。とにかく一日でも早く、帝室の血を引く女児が欲しい。

 念のため東雲と関わった女も調べたが、生まれたのはすべて男子だったという。処分した数はかなりのもので、いかに東雲が躍起になっていたかがわかる。

「それから、境界門の見張りからの報告です。火使が一人突破しようとしましたが、始末したとのことです」

「そうか」

 火使は衛士の中でも最も抵抗の激しかった団だ。東雲が死んだということがどうしても納得できなかったのだろう。

 手早く食事をすませ、さっそく寝所へと向かう。今日務めを果たす女は三人だ。

 本当に抱きたい女性は別にいるが、その女性を手に入れるためには一日も早く女児をもうけなければならない。

 急がなければ、灼熱竜に奪われてしまう。自分と会っていても、灼熱竜が来れば追い返されてしまうのが癪だった。本当に冷妃としての義務感で灼熱竜を優先しているのか。実は灼熱竜に気持ちが傾いているのではないかと思うと、気が気でなかった。

 廊下の角を曲がったところで、道をふさぐように立っている霞を見て、有明は眉をひそめた。

「お前を呼んではいない。下がれ」

「……毎夜違う女と交わっていると聞きました」

 口の端を震わせる霞のまなざしが自分への非難を多分に含んでいることに、有明はかっとなった。

「だから何だ。お前には関係のないことだ」

「噂になっています。最近の有明様は色狂いでいらっしゃると」

「やむを得ずだ。別に好き好んで招いているわけではない」

 横を通り過ぎようとした有明の腕に霞はしがみついた。

「ならばこのようなことはおやめください」

「私に意見する気か? たかが妾の分際で」

「私は有明様のためを思って――」

「何度も言わせるな。お前の仕事は女を産むことだ」

 有明は霞の手を乱暴に振り払った。

「姫は朧を差し出すことに反対している。朧の代わりに側女になる女が早急に必要なんだ」

「冷妃は時間稼ぎをしているのではありませんか? きっと何か企んでいるのです。有明様をじらして気を引こうとしているのかも」

 なおも有明にすがりつこうとした霞に、有明の怒りが頂点に達した。

「お前のようにすぐ股を開く女と姫を一緒にするなっ」

 有明は霞の頬を張った。衝撃で霞がよろめき、壁に背を打ちつける。

「私の気を引こうとしているのはお前のほうだろう。姫に嫉妬するなど、おこがましいにも程がある。己の立場をわきまえろ」

 初めて手をあげられた霞が、呆然としたさまで有明を見返す。

「お前を拾ったことを、私は今ほど後悔したことはない。お前が側女でいれば、姫を娶るのに何の障害もなかった」

 冷妃が現れると先に知っていれば。あのような姫だとわかっていれば、霞など灼熱竜にくれてやったのにと、有明は歯ぎしりした。

「もしその腹の子が男なら、子供もお前も命はないと思え」

 まだ目を見開いたままの霞をにらみ捨て、時間を無駄にしたと有明は足を速めた。



 置き去りにされた霞は、壁にもたれて一人むせび泣いた。泣いても叫んでも、誰も来ることはない廊下で泣き続ける。

 何が悪かったのか。

 自分はそんなに責められるようなことをしたのか。

 人ならざる者に、死ぬのがわかって嫁ぐことを、どれだけの人間が受け入れられるというのか。

 そのために生まれてきたのだから?

 好きでそんな立場に生まれたわけではない。

 助かりたかった。たとえ将来、我が子を犠牲にするとしても。

 生きたかったのだ。

 口では代わりの側女を産めと言っていても、いざ子供ができればきっと有明にも愛しさと労わりの情が芽生えると思っていた。東雲と違って有明は朧をかわいがってはいない。自分の子のほうを大事にするはずだと期待していたのに。

 なぜ冷妃が現れたのか。なぜ、あんな小娘が有明の心を奪ってしまったのか。

 物珍しさに惑わされただけではないのか。若くて美しい女など、すぐ飽きるに違いないのに。

「――嫌よ……認めない」

 まっすぐに自分をとらえた青紫色の双眸が、最初から気に入らなかった。自分より幼いくせに尊大だった態度が。

「妃は私よ」

 ふらりと一歩を踏み出す。

「有明様の妃は、私……」

 誰にも渡さない。雲帝の妃になるのは自分だ。

 右に左にと揺れながら、霞は歩いた。向かう先は日暈宮――どこを通っても、見とがめられることはない。皆、霞が何をしようと無視していたから。

 それでも最後はとめられた。露台へ続く扉の前を守っていた衛兵に。

「有明様のご指示です。そこをどきなさい」

 衛兵二人は顔を見合わせ、仕方なくといったさまで道を譲った。通り過ぎる霞に冷笑を投げながら。

 閑散としていた露台の中央に進み出る。かすかに足が震えていたのは、この先に起こることがわかっていたからだ。それでも、やめようとは思わなかった。

 石造りの献花台は長いこと使われていなかったせいか薄汚れ、ところどころが欠けていた。

 霞はしばし空っぽの台を見つめてから、一輪の花を静かに乗せた。

 赤い花は一瞬で燃え、まばゆい光の煙がまっすぐ上空へとのびた。あまりの熱とまぶしさに、霞は目を焼かれた。

 自分の悲鳴をかき消すほどの雄々しい咆哮が轟く。

『婚儀だ……ようやく婚儀の準備が始まる。ああ、冷妃』

 日暈宮だけでなく陽界全体を震わせる歓喜に満ちた灼熱竜の叫びに、霞は圧倒された。

 灼熱竜がどれほど冷妃を望んでいたかが伝わってきて、激しく痛む目に涙がにじんだ。

 ほんの少しだけうらやましかった。自分も誰かに強く求められたかった。愛されたかった。

 まもなく複数の足音が聞こえてきた。異変を知った有明が向かわせた兵だろう。

 彼らに取り押さえられても、霞は笑った。笑い続けた。

 太陽の照りつける輝かしい世界で、霞が見る世界は永遠に真っ暗になった。


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