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銀色の北十字 肆  作者: たき
5/13

(5)

 翌日の午後、約束通り有明は月暈宮に迎えに来た。本当に、こんなに自分のもとへ通っていて宰相府は大丈夫なのかと、他人事ながら心配になる。

 天鵝は有明の指示を受け、ベールをかぶっていた。日差しが強いので肌を傷めないようにというのが一つ、もう一つの理由は天鵝の顔をあまり衛士に見せたくないからだと。

 別に減るものではないのにと思ったが、変に逆らって有明の気が変わっても困るので、素直に従うことにした。

 馬車の前で有明が手を差し出してくる。その手を借りて天鵝が乗り込むと、すぐに有明も隣に座った。そして朧たちに見送られ、馬車は静かに車輪を回した。

「初めての景色はどうだ?」

「鮮やかですね。明るくて、開放的に見えます」

 陽界は上下三層に分かれているという。日暈宮や月暈宮、帝室の者の雲宮があるのは一番上層のシーロストラタスで、中層のアルトキュムラスには宰相府や衛府がある。そして民は下層のストラトキュムラスで暮らしているらしい。

「暑くはないか?」

「多少は……ですが少し慣れてきました」

「あなたはなじむのが早いな」

「朧たちのおかげです。よくしてくれるので」

「ずいぶん仲がよいようだ」

「朧はかわいいので。今では妹だと思っています」 

 だから朧を助けたいんですと語る天鵝に、有明は目を細めた。

「優しいな」

 その慈悲深さを私にも向けてほしいものだと言って手をにぎってきた有明に、天鵝はびくりとした。

「……先にお話ししておきます。月界において帝室の者は、婚前に異性と情を交わすことや接吻は禁じられています。輝力が失われてしまうので」

「そうなのか」

「灼熱竜にもそのように伝えています。ですから宰相も」

「つまり、輝力を使う必要がなくなれば、婚前でも触れ合っていいということだな」

 そっと有明の手を外そうとした天鵝の手にさらに手を重ね、有明は口角を上げた。

 灼熱竜は自分の嘘を信じて口づけを我慢してくれているのに、この男は抜け道を探そうとしている。それが不快で、怖いと思った。足をすくわれないよう、細心の注意を払わなければならない。

 摩羯のために、何としても貞操は守る。絶対に他の男の好きにはさせない。

 嫌悪にこわばる天鵝を、男に慣れていないせいだと勘違いしているらしい有明に、衛府に着くまで、天鵝は窓外に意識を向けることで耐えた。



 衛府の大門を目にしたとき、天鵝は胸が熱くなった。形は違うが、堅固な外壁は間違いなく衛府の証だ。中に入ると、詰め所らしき建物が道の両脇に並んでいる。さらに整列している衛士たちの前を過ぎた馬車は、中央棟の石畳でようやく停車した。

 馬車の周りは茶色い外衣の男たちがしっかり囲っている。手にしている武器は月界のものだった。

 脅しだと天鵝は内心でため息をついた。これ見よがしに武器をちらつかせておいて、衛士たちの忠誠を得られるわけがない。

「さあ、冷妃、足元に気をつけろ」

 先に馬車を下りた有明が天鵝の手を取る。ゆっくりと馬車から出た天鵝は、突き刺さるたくさんの視線を肌に感じた。好奇心とわずかな猜疑、そして――期待にあふれた衛士たちの想いを一身に受ける。まもなく覚えのある声がした。

「冷妃様、お待ちしておりました」

 近づいてきたのは疾風だ。左足を包帯でぐるぐる巻きにし、杖をついている。

「……足をどうした」

「冷妃様がいらっしゃるというので衛府内を整えておりました際、梯子から落ちまして……お恥ずかしい話です」

「薬師の資格をもつ者はいないのか?」

「残念ながら今は……」

 天鵝の問いかけに疾風が返事をにごして頭を下げる。跪けないので少し離れた場所で立ちどまり、疾風は脇にいる水使団員を見た。

「こちらは水使第四小隊長の時雨と申します。本日は時雨が冷妃様をご案内いたします」

 紹介された時雨がその場で膝をつく。

「わかった。お前は動き回らず、療養に励め」

「ありがたいお言葉にございます」

「では時雨、水使副団長のもとへ案内してくれ」

「承知いたしました」

 焦げ茶色の短髪の時雨が腰を上げる。しかし有明と護衛の者がいるせいか、天鵝とかなり距離をあけて「こちらです」と歩きだした。

 水使副団長の村雨は、中央棟二階の仮眠室にいるという。中央棟の内部の構造が月界の衛府とよく似ていることに感激しながら、天鵝は階段をのぼった。

 まず時雨が部屋に入る。異常がないか護衛が室内を確認してから、ようやく天鵝は入室できた。

 部屋の隅に置かれた一人用の寝台に、村雨は横たわっていた。そばにいる衛士三名はいずれも薬師の資格を持つ者だと時雨が言う。

 天鵝の歩みに合わせて衛士たちが後ろに下がる。それをさらに護衛が追い払い、時雨と三人は壁際に立った。

 天鵝は寝台脇の小椅子に腰かけた。上半身裸の村雨は複数の傷を負っていて、どれもぱっくりと裂けた状態で凍りついていた。

 凍結を鎮めるというのはおかしな感じだが、融かすことを想像すればいけるだろうか。氷解すれば血が吹き出す可能性もあるので、そのときには薬師の止血の技を使おう。

 一気に解放しないよう、ゆっくりと輝力を高めていく。キラキラと輝きだした天鵝に、有明たちの間ではっと空気が揺らぐ気配がした。

 体全体に向けてそっと輝力を放ち広げる。慎重に、負担をかけないように。

 やがて傷口で凍っていた血がどろりと流れはじめた。勢いづいて飛び散ることを警戒したが、天鵝の鎮める輝力はそれにすら作用して、村雨の体内を血液がゆるやかにめぐっていく。

 肌が浅黒いのでわかりにくいが、心なしか顔に赤みがさしてきた。年は双子と同じくらいだろうか。霧雨よりは幾分年上らしい顔立ちに生気が戻るのを見て、天鵝はほっとした。

 まぶたが動く。村雨が薄く目を開けた。

「副団長!」

 壁を背に立っていた時雨が歓喜の声を上げる。他の衛士たちも涙ぐんでいた。

 ずっと寝ていたせいで体が痛いのか、一瞬顔をしかめた村雨が天鵝を見やった。

「――あなたは……?」

 明らかに陽界の者でないのがわかる肌色の天鵝に、村雨は困惑しているらしい。それから天鵝のそばに有明がいるのに気づき、村雨が気色ばんだ。

 村雨が起き上がりかけたのを天鵝はとめた。

「動くな。急に起きるとまた倒れるぞ」

 天鵝に忠告されるまでもなくすでにめまいがしているようで、村雨はつらそうに歯噛みしている。有明に対する憤怒がまだ濃いことに、天鵝は同情した。だから有明が衛府に行くのは時期尚早だと言ったのだ。

 天鵝は時雨を呼んだ。時雨が護衛を警戒しながらそばに寄ってくる。

「副団長はもう大丈夫だ。だが、しばらくは安静にさせておけ」

「冷妃様、ありがとうございます」

 時雨がぼろぼろと涙をこぼしながら、手の甲で鼻をこする。村雨は泣いている時雨と天鵝を交互に見て、「冷妃様……?」とつぶやいた。

「本当は私が直接様子を見に来たいところだが、そうそう許可が下りそうにないからな。お前が月暈宮に報告に来るように」

 天鵝が時雨にそう命じると、時雨が「承知いたしました」と即答する。有明が嫌そうな容相をしていたが、天鵝は気づかないふりをした。

「水使副団長、お前も大酒飲みか?」

 天鵝の問いかけに、村雨と時雨が目をみはる。

「月界の水使も酒豪揃いだ。もし飲み比べをしたら、衛府の金が底をつくな」と天鵝は笑って立ち上がった。

「月暈宮に戻ります」

 有明に声をかけると、渋面していた有明がようやく表情をやわらげた。ついてくるとは言ったものの、やはり居心地が悪かったようだ。

「冷妃様」

 時雨の手を借りて上体を起こした村雨が、まだかすれた声で呼びかける。

「これからの陽界を支えるために尽力してもらう。今はよく休め」

 天鵝と視線を交えた村雨が時雨とともに深々と頭を下げる中、天鵝は有明と一緒に部屋を出た。

「見事だな」

 階段を下りながら、有明が話しかけてきた。 

「生き残った副団長は大事にすべきです。当面は彼を中心に衛府を復興させましょう」

「それもあるが、あなたの放つ光は――」

 有明が熱を含んだまなざしで天鵝をとらえる。続く言葉を有明が口にする前に、咆哮が聞こえた。かすかに床が揺れている。まさかと思っていると、中央棟の外にいた衛士が走ってきた。

「灼熱竜がこちらへ降りてきます!」

「何だと?」

 眉をひそめる有明の隣で、天鵝は額に手を当てた。普段から陽界を自由に飛び回っているのか。太陽と月暈宮を往復しているだけだと勘違いしていた。

 小走りに建物から出る。ちょうど頭上に現れた灼熱竜は天鵝を見つけるなり、姿を変えながら着地した。その風圧でベールが飛ぶ。衛士たちの前で素顔をさらした天鵝に、灼熱竜は大股で近づいた。

「ちょっ……待て、なぜここに」

『それは我が言いたい。そなたの匂いを感じて来てみれば……こんなところで何をしていた?』

 皆の面前で抱き寄せられる。周囲でどよめきが大きく広がった。

「水使副団長の治療に来ただけだ。放してくれ」

『我以外に力を注いだのか』

 くぐもった声に不機嫌な色がにじむ。

「私の力をどう使おうと、私の勝手だ」

『ならぬ。そなたは我がものだ』

「だから、まだあなたのものではないと言っている」

『いつまで待たせるつもりだ。我はもう我慢できぬ』

 灼熱竜の声がどんどん大きくなっていく。人目を憚らず感情をあらわにする竜に、天鵝は困って眉尻を下げた。

「十分若返っているのだから、急ぐ必要はないだろう」

『そなたと契りたい。そなたが欲しいのだ』

「そういうことを大勢の前で言うのはやめてくれっ」

 腕から逃れようともがく天鵝を、灼熱竜はさらにぎゅうぎゅう抱きしめる。

「私を圧死させるつもりか!」

 恥ずかしさと息苦しさに怒鳴った天鵝に、灼熱竜はようやく力をゆるめた。しかしまだ解放する気はないらしく、天鵝の肩に手を置いて顔をのぞき込んでくる。

「はあ……勘弁してくれ。私はこれから月暈宮に帰る。夜にまた会おう」

 いつもよりは少しだけ多めに輝力を放つからと天鵝がなだめると、むっつりしていた灼熱竜もまだ渋りながらではあるが手を離した。

「衛府を破壊しないように帰ってくれ」

 灼熱竜がその気になれば衛府など楽に潰されてしまう。名残惜しそうに何度もふり返りながら上空へ去っていった灼熱竜に、天鵝はため息を吐き出した。体は大きいし長生きをしているはずなのに、精神は天狼といい勝負なのではなかろうか。 

 ふと見回すと、衛士たちが口を開けて天鵝を凝視していた。灼熱竜とのやり取りにあきれているのかと思いあせった天鵝は、有明に肩を抱かれて驚いた。

 なかば強引に馬車に押し込まれる。たくさんの衛士の目が追ってくる中、有明はすぐ馬車を出発させた。

 せめて挨拶と弁解くらいさせてくれと訴えようとして、天鵝は黙った。有明の顔つきが怖い。

「あなたの顔を衛士に見られたな」

 衛府が遠ざかってから、やっと有明が喋った。

「それは別に問題があるとは思えませんが」

 冷妃は民と会ってはいけないという決まりがあるとも聞いていない。

「気づいていないのか。皆、あなたに見とれていた」

「月界の者は容姿が異なるので、珍しいだけでは?」

「副団長の治療中だけでも顔を隠していてよかった。皆の前であの輝きは……非常にまずい」

 灼熱竜が夢中になるのもうなずけると一人納得した様子で、有明はぼやいた。

「それにしても、あの老いぼれがあそこまで若くなるとは……あれでは妙齢の男女にしか見えない」

 あなたも灼熱竜の見目の良さに惹かれているのではないか、と尋ねる有明の目つきがいささか剣呑であることに、天鵝は危機感を覚えた。何かおかしな方向に進んでいっている気がしてならない。 

「私が灼熱竜に心奪われることはありません」

 もちろんあなたにも、という言葉は飲み込み、天鵝は窓外へ視線をそらした。今、有明を刺激するのはよくないという勘が働いた。

 それから月暈宮に到着するまで、天鵝はずっと外を眺めていた。隣に座る有明から刺さる暗い欲情のまなざしが恐ろしく、生きた心地がしなかった。



 天鵝が村雨の治療のため中央棟に入るのを見届けてから、疾風は一度風使の詰め所に入った。扉を閉めるなり、杖と包帯、自分の胴着を放り捨てる。

「疾風、これを」

 中にいた風使団員が、あらかじめ預かっていた赤い胴着を手渡す。疾風はうなずいて胴着を身につけた。

 自分や時雨と同じ年に入団し、同じ年に小隊長に上がった男のものだった。いつも三人でつるみ、酒の勝負をするときは二人で組んで時雨と競い、負けていた。

 衛府襲撃の日も、団長と副団長を殺されたことに怒り、最期まで抵抗し……月界の武器で腹を突かれて死んだ。

 胸元で揺れる首飾りの中には、朧から受け取った耳飾りが入っている。一度服の上から首飾りに手を置いて深呼吸してから、疾風は「行ってくる」と言った。

 静かに詰め所を出ると、衛士たちは皆、いつも通りの動きをしていた。赤い胴着を着た疾風がそばを通り過ぎても反応しないようにしている。

 衛士たちの、陽界の運命は自分の手にかかっているのだ。疾風はさりげない足取りで厩舎に向かい、自分の愛馬を引き出すとまたがった。

 手ごわい有明の護衛は、有明と天鵝についていっている。今が好機だ。

 そして疾風は衛府を抜け出した。今のところ追ってくる者はいない。ここまではうまくいっている。あとは境界門を無事に突破できれば――しかしそう単純にはいかなかった。

 有明は、境界門に見張りを置いていた。数は多くないものの、全員が月界の武器を携えている。主に衛士を警戒しての配置だろう。 

 迷いはなかった。ここをくぐり抜けなければ、自分たちはこの先ずっと、己の心を偽って有明に仕えなければならない。それだけは嫌だった。

 死んでいった団長や副団長の想いを背負って生きるには、正しい道を歩まねばならない。人に誇れるおこないを貫き通すのだ。

「行くぞ、夕風(ゆうかぜ)

 愛馬に呼びかけ、疾風は岩陰から飛び出した。気を抜いていたらしい見張りたちが、突っ込んでくる疾風に慌てたさまで槍を向ける。どうやら手練の者はいないようだ。足どめしてくる兵の攻撃を剣で弾きながら、疾風は必死に境界門を目指した。

 と、不意に背中に衝撃が走った。肩越しに見やり、矢が刺さっているのを確認する。舌打ちしながら疾風は追っ手を振り切り、境界門を越えた。そこで愛馬にもたれかかり、ずるりと地に倒れ込む。

「死んだか?」

「ああ、大丈夫だ。月界の武器を食らったんだ。ここで凍りついたまま朽ち果てる」

 せめて水使ならまだ助かったかもしれないが、気の毒な奴だ、と陽界側から声が聞こえる。

 やがて人声は遠ざかり、辺りに静寂が満ちた。

 疾風はむくりと起き上がった。背に矢は刺さったままだが、自分では抜けないのでこのまま行くしかない。

 初めて目にする月界は暗すぎた。どちらに向かえばいいかわからない。それでも馬を進めていくと、まもなく門らしきものがあるところに出てきた。その先、はるか遠くまで、明かりの散らばる大地がいくつも宙に浮いている。

「……ここが……月界……」

 上下に雲の階層が分かれている陽界とはまるで異なる。この宙を馬で駆けるのか。

 恐る恐る門を越え、馬の脚を一歩出させてみる。愛馬は地面のない空間を普通に踏んでいる。どうやら大丈夫らしい。

 ほっとすると同時に、疾風は肌寒さに震えた。陽界に比べるとやはりひんやりしている。

 この世界のどこかに東雲と霧雨がいるのだ。

「――よし」

 呼吸を整え、気合を入れてから疾風は正面をきっと見据えた。背中の痛みも意識から切り離し、疾風は馬を駆けさせた。


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