(4)
雲宮の一室で商人が広げる装飾品や衣装を物色していた有明のもとに、霞がやって来た。
「まあ、どれもすばらしい品々ですね」
「当然だ。陽界でも一、二を争う店のものだからな」
気になったものを手に取る有明は、霞のほうをふり返りもしない。
「有明様、私はこれが気に入りましたわ」
赤と金の宝石が散りばめられた豪奢な髪飾りを指さす霞に、「そうだな」と答える有明の態度はそっけない。黙って有明の選択を待っていた商人たちも、不思議そうな顔をした。
「これは……よい形だが似合わぬな。こちらのほうがよいか」
独り言をつぶやきながら商品を選ぶ有明のいつになく真剣な面差しに、霞の眉間のしわが深くなっていく。
そして有明は指定した品物を包むよう命じた。華美にならぬよう注文をつける有明に、贈る相手が明らかに霞でないことに気づいた商人たちは、面白がるような視線を霞に投げてから去っていった。
無礼な商人たちに霞は憤慨しつつ、あせった。商人だけでなく使用人や衛兵ですら心から自分を敬ってはいないことを、これまでずっと肌で感じてきた。理由は明解だ。側女の任を正妃の子である朧に押し付けたからだ。それでも次期雲帝の唯一の妃という立場が自分を守ってきた。しかし有明の庇護がなくなりつつあることを、今日商人たちは知ってしまったに違いない。
「有明様、私、身ごもったようです」
近頃体調がすぐれなかったが、妊娠の兆しだと薬師に言われたと霞は報告した。危うい状況をひっくり返すとてもいい話だと霞は安堵した。これで有明をつなぎとめることができる――そう思ったのに。
「そうか、ようやくできたか。女なら側女にできるな」
あっさりした有明の反応に、霞はむきになった。
「きっと男の子です。有明様によく似た男の子ができるに決まっています」
「男は困る。跡継ぎは正妃が産んだほうがもめなくてすむ」
「でしたら、私を正妃にあげてくださいませ」
「灼熱竜から逃がしてやったというのに、これ以上を望むのは過分ではないのか」
その日初めて霞を見やった有明のまなざしは、かつてないほど冷えていた。
「……このところ、冷妃のもとに通っておられると聞いています」
「だから何だ。冷妃は陽界を救う、何にも代えがたい貴人だぞ。機嫌うかがいに行くのは当たり前のことだろう」
有明が椅子にかけていた外衣をつかむ。これから月暈宮に向かうのだと霞は察した。やはり先ほどの品々は冷妃への贈り物なのだ。
「あんな……まだ子供ではありませんか」
「会いに行ったのか。確かに若いが、男を迎えることはできる年だ。それに冷妃は灼熱竜と交わらずとも鎮められる。すばらしいではないか」
「まさか、あの小娘を正妃にお考えですか? 冷妃を灼熱竜から取り上げてしまったら、民が暴動を起こしてしまいますっ」
「もし冷妃が人の妻となって力を発揮できなくなったとしても、まだ朧がいる。それにお前は子を宿しているのだろう。お前が女を産めば何の問題もない」
お前の務めはそれだけだったはずだと、有明は吐き捨てた。
「私がお前を本気で求めたとでも思っていたのか。少しばかり容姿をほめられていたからと調子に乗るな」
「私は陽界一の――」
「美女、か? 確かにそのようなことを言う者もいたな。だが、それも冷妃を見れば間違いなく意見を変えるだろう」
お前はあの姫にはかなわないと有明は嘲笑した。そのとき、扉がたたかれた。入ってきた有明の腹心は一度霞を見てから、有明に耳打ちした。
「……わかった。今日は馬で行く。準備をしておけ」
苦々しげに命じて、有明は腹心と一緒に出ていった。愛想笑いすら得られず放置された霞はしばし立ちつくし、それから近くにあった花瓶を払い落した。
耳障りな音が響いても、誰も部屋に入ってこない。女官ですら心配してのぞきに来ないことに己の立場を思い知らされ、霞は手で顔を覆い、泣き崩れた。
自分の黒馬で駆けて月暈宮に到着すると、まだ衛士の茶馬がいた。
天鵝が見張り役を追い出して衛士と話をしていると連絡が届いてから今まで、けっこうな時間が経っている。ずいぶん長話をしているようだ。
たしか月暈隊の隊長の弟だったか。せっかく接触しないよう制限をかけていたのに、どうやって連絡を取ったのやら。
もしよけいなことを吹き込んでいたなら、早々に始末せねばなるまい。取り次ぎの女性衛士が戻ってくるまでの間、有明はいらいらした。
月暈宮は基本的に男子禁制のため、たとえ雲帝でも勝手にずかずかと入ることができない。面会を求めて館の主――今は冷妃が主人だ――の許可が下りるまで待たなければならないのだ。
まもなく、「冷妃様がお会いになるそうです」との返事を女性衛士が携えてきた。ひとまずほっとして、有明は月暈宮へ踏み込んだ。
天鵝は朧の部屋にいるという。朧が倒れてしまったので付き添っているらしい。自分の訪問が伝わっていたせいか、朧の部屋の扉をたたくより先に天鵝が出てきた。
「今ようやく落ち着いて寝入ったところです」
唇に人差し指を立ててから、天鵝は朧が寝ている寝台をかえりみた。露玉はまだ朧のそばについている。
「場所を変えます。私もあなたに話があるので」
天鵝が歩きだす。さらさらと揺れる銀の髪の美しさに有明は見とれた。触れれば指の間を滑り抜けていきそうだと思いながら肩を並べた有明を、天鵝は横目に見た。
「先ほど訪れた衛士に聞きました。東雲皇子が月界で亡くなられたとか」
それを聞いた朧が衝撃のあまり倒れ伏してしまったのだと、天鵝は言った。
「東雲はずいぶん強引にあなたを連れてこようとしたようだからな。実際、あなたは気を失った状態で箱に押し込まれて陽界に運ばれてきた。あれでは、月界側と激しい戦闘になっても不思議ではない」
もっと穏便に交渉してくれると期待していたんだが、と有明は大げさにため息をついた。
「ですがあなたは、関係修復のために私を月界に帰すつもりはないのでしょう?」
「今あなたを月界に帰せば、灼熱竜が追いかけていってしまうぞ。黒点竜ならまだしも、灼熱竜が行けば月界は焼きつくされて終わりだ」
あなたも故郷を滅ぼされるのは嫌だろうとの有明の言葉に、天鵝は黙り込んだ。
まつげが長い。憂い顔も美しいと有明はつくづく感心した。色白であることを差し引いても、目を奪われる。
これで十六か。本当に、この先の成長が楽しみでならない。できればそばで愛でたいものだと視線で堪能していた有明は、天鵝が自身の私室へ向かっていることに気づいた。いつもは謁見の間で会うというのに、どういう心境の変化だろう。
そして天鵝は私室の前で足をとめた。
「もうじき灼熱竜が来る時間ですので、あまり長くは話せませんが」
「……入ってよいのか」
「元々、謁見の間を使うのは仰々しくて好きではないのです。それに、月暈宮であなたが私をどうこうするとは思えないので」
「信用してもらえて何よりだ」
冷静な態度の天鵝に、有明は微笑した。
「あの衛士はあなたに何を話した?」
部屋に通された有明は、窓辺に移動する天鵝を目で追った。
「あなたが衛府を襲撃し、大勢の衛士が殺されたと」
「それで?」
「あの者はもうあなたに逆らうつもりはないそうです。あなたが雲帝として立つなら、自分はそれに従うと……ただ、瀕死の水使副団長を助けてほしいと懇願してきました」
彼が訪ねてきたのはそれが目的だったようだと天鵝は説明した。
「私は誰が雲帝になろうとここから出られないのだから、あなたに雲帝の資格があろうがなかろうが、どうでもよいのです。でも、これでも月界では衛士統帥だったので、死にかけている衛士を見捨てることはできません」
だから水使副団長の治療のために衛府ヘ行きたいと口にした天鵝に、有明は眉間にしわを寄せた。
「承服しかねるな」
「灼熱竜が追ってくるなら、私にはもう陽界にとどまるしか選択肢がありません。逃げることはできないのにですか? それとも、私が衛士を味方につけて謀反を起こすのが心配ですか?」
「あなたにはそれだけの力がある」
「ならば、監視をつけてください。あなたが安心できるだけの数を」
そもそも東雲がいなくなった状況で有明を討てば、帝位に就く者がいなくなる。朧が夫をもてばよいがずっと先の話だろうと天鵝は言った。
「衛士の中にはいまだにあなたを恨んでいる者がいるようですし、このまま衛士を閉じ込めておくわけにはいかないでしょう。早急に懐柔する必要があると思いますが」
「それをあなたが担うというのか」
「二度と月界に戻れないのなら、私はここで生きる道を探します」
衛士を私に任せてくれと頼む天鵝に、有明は考え込んだ。
「あなたは想像以上に女傑だな」
「月界の衛士は優秀で、統帥が不在でもやっていけていました。彼らの上に立つことになったとき、ただ座って茶を飲む統帥にはなりたくなくて、かなり努力しましたから」
それに衛士統帥になる前は宰相府官吏だったのだと答えた天鵝に、有明は驚いた。
「その年でか? 宰相府の試験は陽界では最難関と言われているが」
「月界も同じです」
「……怖いな」
「何度も言いますが、私にはあなたの命を狙う理由がありません」
それでも衛府へ行くことを許してくれないのかと、天鵝が首を傾ける。青紫色の双眸にじっと見つめられ、有明は苦笑した。
「ああ、怖いのはそういう意味ではない。冷妃がこれほど優れた女性だとは予想していなかった」
陽界は男性優位だ。男がいる環境で女が要職につくことはほとんどないので、宰相府や衛府の試験を女性が受けることも採用されることも多くない。
「それはあなたが雲帝になったとき、改善していってもよい点ではないかと思います」
朧も何か職に就きたいと語っていましたし、今後は女性の登用を増やしていくことをお勧めしますと天鵝がにっこり笑う。ここにきて初めて天鵝の笑顔を見て、有明は完全に心をつかまれた。
「いいだろう、衛府に出向くことを許可する。ただし、厳重な警備のもとで……私も付き添う」
「あなたが行くのは、もう少し衛士たちの気持ちが鎮まってからのほうがよくないでしょうか」
「心配は無用だ。私にはしっかりした護衛がついている。それよりも」
天鵝に近づき、有明はその頬に触れた。
「あなたが灼熱竜の相手から解放されたいなら、協力してやれないことはない」
「……それは、側女の任から逃れた女性と同じことをするという意味ですか?」
やはり霞の噂は耳にしているらしい。
「あれは妾妃だ。自分の代わりに子を側女にする役割を持たせた。だがあなたは違う」
柔らかい、すべらかな頬に有明は魅了された。まだ化粧すらしていない――化粧など不要な肌の感触が心地よい。
「あなたをここから救い出したら、正妃に迎えたいと考えている」
「私は、あなたから見ればまだ子供だと思いますが……あなたの妾妃にもそう言われましたし」
「あの女はあなたに嫉妬しているだけだ。真に受けなくていい。あなたは若いが、正妃としての資質を十分に備えている」
騙しやすそうな素直な姫だと正直侮っていた。若い女は特に愚かだという認識を改めなければならない。
見目よく豊満なことを鼻にかけて己が身を捧げるだけだった妾妃より、この目の前の皇女と会話しているほうがはるかに面白い。
「私の元でなら、あなたは月界で培った力をこの陽界で存分に揮うことができる」
あなたを自由にさせてやろう、とささやいて有明が顔を寄せたとき、遠くから咆哮が響いてきた。
「灼熱竜が来たようです」
するりと有明の手から抜け出し、天鵝が扉のほうを見やる。今日は帰れということだろう。いいところで邪魔をした灼熱竜に内心で舌打ちしながら、有明は理解ある大人の姿を示すべく、おとなしく引き下がった。
「衛府の訪問はさっそく明日にでもお願いします」
「了解した。明日の午後、迎えに来よう」
「ありがとうございます」
扉を開けた天鵝がふり向いて微笑む。冷妃の警戒が薄れてきたさまに、有明は満足して笑い返した。
明日から贈り物を変えなければ。彼女は装飾品よりも、知的好奇心をくすぐるもののほうを好みそうだ。
話題も今までは当たり障りのないものにとどめていたが、衛士に対する自分の仕打ちを知られてしまったのなら、もう隠す必要はない。むしろ積極的に政について議論してみたい。月界の統治の様子を聞くのもよいだろう。
最後の最後で実によい仕事をしてくれたと、有明は初めて東雲に感謝した。ずっと目障りで仕方なかった、もう決して会うことはないだろう弟に。