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銀色の北十字 肆  作者: たき
2/13

(2)

 灼熱竜は約束を守り、明け方まで夢を通して訪れることはしなかった。その代わり会いたい相手が出てきて、目覚めた天鵝は自分が枕を濡らしているのに気づいた。

 左腕の星杖をそっとなでる。四つの五芒星を一通り押してから、もう一度黄色いものにだけ触れる。

 むだだとわかっていてもさわってしまう。陽界(ここ)に摩羯はいないのに。

 声を聞くことができない。顔を見ることができない。毎日当たり前のようにできていたことがかなわないのが、たまらなくつらかった。

 そのとき、扉がたたかれた。手の甲で乱暴に目元をぬぐって天鵝が起き上がると、朧が衣装を持って入ってきた。

「おはようございます、冷妃様。お食事の用意ができていますが」

 近寄ってきた朧は涙の跡に気づいたらしく表情をくもらせたが、追及を避ける天鵝の態度を感じ取ったようで何も尋ねなかった。

 八歳とは思えない、とても聡い子だと天鵝は感心した。天狼と同い年というのが信じられないほどに。

「こちらにお持ちしますか?」

「ああ、いや……朧はもう済ませたのか?」

「いえ、私もこれからです」

「……ならば、一緒に食べるか?」

 天鵝の誘いに朧がぱっと笑顔になった。

「よろしいのですか?」

 ではさっそく準備をさせます、と朧がうきうきした様子で部屋の外にいる露玉に声をかける。あまりにも嬉しそうな朧に、天鵝もつられて微苦笑を漏らした。妹がいればこんな感じなのだろうかとぼんやり思う。

「先にお着替えをなさいますか? 窓の幕はもう開けても大丈夫でしょうか」

 朧から服を受け取った天鵝は、少し迷ってから聞いた。

「その……私の体を確かめたのは」

 言いよどむ天鵝の考えを読んだのか、朧が「私と露玉です」と即答した。

「痣の確認とお召し物を替える間、有明兄様は部屋の外に追い出しておきましたので、どうぞご安心ください」 

 朧の返事に天鵝はほっとした。あの皇子にすみずみまで見られたのかと心配だったのだ。

 天鵝は手早く着替えると全身を見回した。今日は白地に薄青色を重ねた衣装だが、やはり生地はとても薄い。

「よくお似合いです」

 朧がうっとりとしたまなざしを向けてくる。

「……薄すぎて落ち着かないな」

「熱さで倒れてしまわれては大変ですので。それから冷妃様の剣はこちらでお預かりしています」

 当面の間はお渡しするのを兄から禁止されているのだと、朧が申し訳なさそうに伝えた。

 連れ立って部屋を出ると、露玉が一礼した。股の分かれた服に慣れていたので、やはり下半身が涼しすぎるとぼやいた天鵝に、隣を歩きながら朧が問うた。

「冷妃様は、衛士に関わるお方だったのですか?」

 その腕輪とよく似たものを東雲が持っていると朧が言う。

「衛士統帥だ」

「まあ」と朧が目をみはる。

「月界では女性も要職に就けるのですね。陽界では皇女は何の勤めもなくてつまらないです」

「朧は働きたいのか」

「それはもちろんです。女性衛士として活躍する露玉を見ているとうらやましくて」

 灼熱竜の側女としての任しかないのは悲しいです、と朧はつぶやいた。

「そういえば、朧の前に側女がいたと聞いたが」

 とたん、朧と露玉の顔色が変わった。

「その者は死んだかどうかしたのか?」

「……いいえ、生きています」

 彼女の名は霞と言って、自分たちとは腹違いなのだと朧は話した。

「灼熱竜の側女は帝室の血を引く者しかなれないのです。ですから、雲帝は必ず正妃以外の女性に子を産ませ、それが女の子であれば側女として育てます。お父様……薄明帝には娘が私と霞殿しかおりませんので」

 だから霞が側女の役を降りた今、朧しか側女になる者はいないのだという。

「その霞という者は何をしているんだ」

「霞殿は……有明兄様の妾妃となっています」

 天鵝は驚惑した。

 なぜ二人しかいない女性の一人を、正妃ではないにしても迎え入れるのかといぶかる天鵝に、「あの方は逃げたのです」と露玉が憤りのこもった声をあげた。

「側女は灼熱竜との婚儀が終われば死にます。それを厭うて、有明様に助けを求めてその身を捧げたんです」

「露玉」

 とめる朧に、しかし露玉は続けた。

「冷妃も側女も、灼熱竜との婚儀の前に男性と通じてはいけないという決まりがあるんです。それを知りながら――」

 あの方が逃げなければ朧様が犠牲になることはなかったのに、と悔しさをにじませる露玉の腰に朧がそっと手を置いた。

「露玉、もういいのよ。誰だって死ぬのは怖いわ」

 まして、灼熱竜と交わって死ぬために生まれてきたなんて聞かされたら、逃げ出したくなっても無理はないと語る朧は、どこか達観したような目をしていた。その大人びた顔が不意にはっとこわばった。

「こんな公の場で朝から人の悪口ですか」

 脇から現れた女は、朱色の双眸を細めて天鵝たちを見た。

 錆色の髪はまとめ上げ、きらびやかな飾りを挿している。浅黒い肌は何か塗っているのかつやつやと光り、豊満な肢体をさらに蠱惑的に見せている。とても美しい女性だった。

 露玉が苦々しげに黙り込む。彼女が霞なのだと天鵝は察した。

「あなたはもうこの館には用がないはずではありませんか、霞殿」

 朧の口調も少しそっけない。

「冷妃が月暈宮に入ったと聞いたので、お顔を拝見しにまいりました」

 そう言って霞は上から下までぶしつけなほど天鵝を眺め回し、鼻を鳴らした。

「思ったよりずっと若いのですね。まだ子供の域ではありませんか」

「冷妃様は灼熱竜を鎮められたのです。灼熱竜がどれほど冷妃様を求めていたか、あの場にいなかったあなたにはわからないでしょうけど」

 光り輝いていたお姿は直視するのが憚られるほどに美しかったのですよと、朧が反論する。

「あなたや私では、到底かなわないお方です。無礼な発言はお控えください」

「ずいぶんへりくだっているのですね。まあ、ご自身もこれで生きながらえると思えば当然ですか」

 霞の嘲笑に、露玉が前へ出た。

「霞殿、これ以上お二方を侮辱するつもりなら、切りますよ」

「たかが衛士ふぜいが何を偉そうに。帝室の血を引きもしないお前が私に意見するのですか」

「自分より高位のお方に役目を押し付けて逃げた卑怯者を敬う気持ちは、あいにく持ち合わせておりませんので」

 青緑色の切れ長の瞳に剣呑な色を浮かべ、露玉が剣の柄に手をかける。

「我々月暈隊は冷妃と側女を守るのが務め。私があなたを手にかけても罪には問われません」

 本気で害そうという意志が伝わったのか霞はひるんだが、すぐに露玉をにらみつけた。

「身代わりにすらなれない立場の者に何がわかる」

 痛いところをつかれたかのように露玉が唇をかむ。霞は勝ち誇った顔で去っていった。

「申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」

 露玉が天鵝と朧に頭を下げる。それにかぶりを振って、朧は天鵝に微笑した。

「露玉は私が生まれて間もない頃に月暈宮に入ってから、ずっとそばにいるんです」

 それなら朧を特別大切に思っていても不思議はないと天鵝も納得した。

「露玉の気持ちは何となくわかる。朧はしっかりしているから、よけいに心配だな」

 ここにいる間はできるかぎり力を貸そうと言う天鵝に、朧は一瞬喜んでから寂しそうな表情になった。

「やはり、ずっとこちらにいらっしゃるわけにはいきませんか?」

「それは……すまない。私も月界に大事な者がたくさんいるんだ」

 そう答えて、天鵝は左腕の星杖を右手で包んだ。

「月界から時折来て灼熱竜を鎮めることが許されるなら、その形をとるのが一番いいと思うんだが」

 冷妃や側女は灼熱竜との婚儀まで誰とも通じてはいけないと先ほど露玉が言っていた。このまま婚儀をせずに灼熱竜を抑えるだけでも他の男との付き合いがだめだとなれば――自分がずっと冷妃でいるのは無理だ。

 そのとき、遠方から咆哮が聞こえてきた。足元が小刻みに震える。

「まさか、もう来たのか。まだ朝だぞ」

 天鵝はあきれた。やがて灼熱竜が月暈宮に到着したと、露台のほうから衛士が報告にやって来た。

「待たせておけ。食事が先だ。私は腹が減っている」

 天鵝の返答に、女性衛士が目を丸くする。

「えっ、あの、冷妃様……!」

 呼びかけを無視してすたすたと歩きだす天鵝に、並んだ朧が吹き出した。付き従う露玉も笑いをかみ殺している。まさか陽界で恐れ崇められている灼熱竜より食事を優先する冷妃がいるとは、誰も想像していなかったらしい。  

 その後、天鵝は朧とともに朝食の席に着いたが、灼熱竜の催促の雄叫びがあまりにもうるさかったので、朧との話もそこそこに仕方なく露台へ向かった。  



 それからも灼熱竜は毎朝、いや朝昼晩と一日三回かかさずやって来るようになった。天鵝は輝力を初日のように大放出することはやめ、一日一回少しだけと制限したので、灼熱竜の若返りは非常に緩やかになったが、今にも大爆発を起こしそうだった太陽は目に見えて落ち着いていき、冷妃の出現は民の知るところとなった。

 昼食後、訪ねてきた灼熱竜と会話して部屋へ戻ってきた天鵝を、お茶の支度をして待っていた朧が迎えた。

「何とか承知してもらった。これで明日から昼は来ないはずだ」

 鎮めるのは一日一回だと告げたにもかかわらず、会いにきては早く自分を受け入れろと迫る灼熱竜にうんざりして、対面はせめて朝と晩だけにしてくれと先ほど説得してきたのだ。

 ああ疲れたと肩に手を当てて首を回しながら天鵝がぼやくと、朧が笑った。

「灼熱竜は本当に天鵝姉様のことがお好きなんですね」

「あれは冷妃が好きなだけで、私個人を好きなわけではないぞ」

 椅子に座った天鵝の前に、露玉が茶を運ぶ。

「そうでしょうか? 冷妃というご身分だけでなく、天鵝様のお人柄にも惹かれていると思いますが」

 冷妃と呼ぶのはやめてくれないかと天鵝が頼んでから、朧と露玉は名前で呼ぶようになった。特に朧は姉が欲しかったのだと、恥じらいながら初めて「天鵝姉様」と呼んだときの様子があまりにかわいらしくて、天鵝はつい朧を抱きしめてしまったほどだ。

「それにしても、灼熱竜があれほどの美丈夫だとは意外でしたわ」

 今や三十代半ばくらいの見た目になった灼熱竜は、髪こそごわついているもののすっかり白髪はなくなり、たくましく凛々しい男の姿で、月暈宮を守る女性衛士たちの間で話題になっている。

 婚儀の日まで灼熱竜の本体は月暈宮に入れない。だから露台で会っているのだが、若返るにつれて押しも強くなってきて、天鵝は正直対応に困るようになっていた。

 灼熱竜の言い分としては、灼熱竜の炎は精の形でも出るので、天鵝が今のように自発的に力を放たなくても交接するだけで鎮められるのだという。側女もそうしてきたのだと。

 側女は灼熱竜の放出する炎を受けとめきれず、一度で死んでしまうが、冷妃である天鵝は死なない。だから一日一回と制限しなくても、天鵝が消耗することはないのだ。

 それを聞いて天鵝はますます断固拒否の姿勢を貫いている。もしずっと早くに出会っていれば、もしかしたらほだされたかもしれないが、今の天鵝はどれだけ愛しげに頬をなでられても、抱きしめられても、心躍ることはなかった。灼熱竜から伝わってくる恋慕の情に、申し訳なさしか浮かばない。

 自分の気持ちはもう、ただ一人にしか向いていない。他からどれほど求められても、愛されても。しかし以前夢で好きな人がいると告げたとき灼熱竜が激怒したことを思うと、はぐらかすよりなかった。正直に打ち明けて手がつけられなくなると、これまでの努力がむだになってしまう。

 できることなら自分も朧も助かる道を探したいと、天鵝は日を追うごとに考えるようになった。東雲に聞いたときも胸が痛んだが、朧の境遇と性格を知ってしまうと、犠牲にするのはあまりにもかわいそうだ。

「どこまで引き延ばせるかわからないが、いい案を思いつくまではこのまま粘りたい」

「それならば可能かと思います」

 雲帝の雲宮かつ政の場である日暈宮(ひがさのみや)にある献花台に『太陽の花』を乗せることが婚儀をおこなう合図なので、花を置かないかぎり話は進まないのだと朧が説明した。しかし一度供えてしまったら途中でとめることはできないのだと。

「こう言ってはなんですが、有明兄様も天鵝姉様を差し出すつもりはないようですし」

 むしろ有明の天鵝に対する態度のほうが心配だと、朧はため息をついた。

 まるで灼熱竜と張り合ってでもいるかのように、有明は頻繁に月暈宮に足を運んでは天鵝に贈り物をしている。いらないと断っているのに次から次に持ってきては話をして帰るので、陽界の宰相はそんなに暇なのかと、有明本人に尋ねてしまったくらいだ。

 天鵝が陽界に来た日に有明が天鵝に触れているのを見た朧が警戒して、二人だけにならないように張り付いてくれているおかげで、特に問題は起きていない。起きていないが、この先もないとはかぎらない。

 霞という前例があるだけに、朧は有明を信用していないらしい。

「私は、有明兄様は嫌いです」

 天鵝が月暈宮に入るまで、有明は一度もここに来たことはないという。二十以上も年の離れた妹のことなど興味がなかったのだろうと。

「でも、東雲兄様は好きです。ちょくちょく顔を見せてくれて、いろんなお話を聞かせてくれて」

 不自由はしていないかと、いつも気にかけてくれていたのだと、朧は笑顔で言った。天鵝にとっては憎い相手かもしれないが、自分にとってはとてもいい兄だったと。

 しかし天鵝が陽界に着いてから、東雲とは会っていなかった。朧が手紙を書いても返事がないらしい。

「確かに、最近静かですね……静かすぎるくらいです」

 いつもであれば東雲と霧雨が来たり、露玉の弟の疾風が来たりと比較的賑やかなのにと、露玉もいぶかしげだった。

 霧雨と露玉が恋仲で、結婚の予定があると知ったときは天鵝も驚いた。露玉は、天鵝を陽界に連れてきたのが霧雨だということに気兼ねして最初はあまり話題にしなかったのだが、それとこれとは別だと天鵝が割り切り、馴れ初めを尋ねたので、のろけ話も交えて教えてくれた。

「東雲殿も霧雨のことを衛士最強だと誇っていたな……いつか摩羯と対戦させてみたいものだ」

 茶に口をつけながら、天鵝は青紫色の双眸を細めた。その表情に朧は何か感じるところがあったらしい。

「天鵝姉様、月界に想う方がいらっしゃるのではありませんか?」

 単に灼熱竜が嫌で婚儀を避けているのではない気がするんです、という朧の言葉に、一呼吸置いて天鵝はうなずいた。

「摩羯は初恋の相手だ。今は地使団長になっていて、私の耳飾りを持っている」

「まあ、やっぱり」

 素敵、と朧が手を合わせる。

「どんな方ですの?」

「茶を淹れるのがうまい。薬や薬草、それ以外のことにも詳しいし、御前試合で優勝するほどに強い。過保護で、心配性で、少しばかり口うるさいところもあって……私が受け入れる準備ができるのを待ってくれている」

 左腕の星杖に視線を落とす。黄色い五芒星を見ているうちに涙がにじんできた。

「すまない。こんなに何日も会わないということはなかったんだ。衛士統帥になってから、いつもそばにいたから」

 茶器を置き、こぼれかけた涙を指で押さえ、天鵝は無理やり笑って摩羯とのこれまでのやりとりを二人に話した。八年も再会を待ち望み、ようやく今年叶ったこと、衛士統帥になったいきさつ、御前試合の報酬のこと、最近になって少しずつ関係が進展してきたこと……聞き終えた朧と露玉も目を潤ませていた。

「いざとなると勇気を出すのにもたもたしてしまうんだ。本当はもっと触れたいと思っているのに、本人を前にするとどうもこう……恥ずかしくて」

 いつまでも子供っぽいとそのうちあきれられてしまうのではないか、逆にあまり積極的にいきすぎると引かれるのではないかなど、いろいろ考えすぎてしまうと、天鵝は不安を漏らした。

「そういうお方なら、天鵝様が考えておられることは察してくださるはずですから、気にせず思うままにいかれてよいかと」

 ときには勢いが大事ですよと露玉が微笑む。

「その方、天鵝姉様のことが好きで好きでたまらないって感じがします」と八歳の朧にまでからかわれ、天鵝は赤面した。

 月界では、室女と白羊に時々相談に乗ってもらっていた。陽界でも同じような存在に出会えたことはまだ幸運だったと、天鵝は思った。


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