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銀色の北十字 肆  作者: たき
1/13

(1)

三巻の続きとしてまとめて投稿する予定でしたが、思ったより話が長くなり、執筆中の小説数の枠に入らなくなりそうなので、四巻としてアップしていくことにしました(汗)。

 ――我が妃よ。

 数日ぶりに聞く枯れた声に、天鵝は薄く目を開けた。

 ――ようやく我がもとに……。

 荒れ狂う炎を全身から立ち昇らせながら、男がゆっくりと歩いてくる。

 長い白髪はざんばらな感じだ。双子よりも背が高く、獅子よりもがっちりとした体躯の男が、横たわっていた天鵝のそばで足をとめる。膝をつき、男は赤黒い双眸で天鵝を見据えた。

 老年の男の圧倒的な存在感と熱気に、身がすくんだ。

 ――もう耐えられぬ。我を鎮めよ、冷妃。

 男の手がのびてきたとき、天鵝は思わず悲鳴をあげてその手を払いのけた。



 はっとなる。じっとりと汗ばんでいる全身に夢だったとわかり、ほっと息をつきかけた天鵝は、「目覚めたか」と問われてこわばった。

 枕辺に知らない男が立っていた。襟足だけが長い黒色の髪に浅黒い肌の男は、赤い瞳を細めて笑った。

 天鵝は跳ね起きた。周囲を見回し、まぶしさに目をすがめる。寝かされていた豪奢な寝台は天蓋付きで、初めて見るような細工が柱に施されている。

 服もいつの間にか着替えさせられていた。裾の長い白い衣装は薄くて軽い。胸のあたりと腰回りだけは生地が厚めになっているが、それ以外は透けそうなほどだ。

「眠っている間に確認させてもらった。左足に痣があるのか」

 天鵝は掛布を胸元まで引き寄せた。意識がないうちに、男に体中を見られていたのかと動揺する。

 男が寝台に腰を下ろす。少しでも離れようと尻を滑らせて逃げようとした天鵝は、両肩をつかまれた。

「月界の女は本当に肌が白い。白くて、柔らかで……灼熱竜でなくてもそそられる」

 どこか東雲と顔立ちが似ている男が天鵝の首筋に顔を寄せたとき、扉がたたかれた。

有明(ありあけ)兄様、何をなさっているの」

 入ってきた幼い少女が、いぶかるような視線を向けてくる。ふわふわと波打つ赤銅色の髪を背中までのばした少女は、やはり肌の色が濃かった。

 有明と呼ばれた男が舌打ちし、立ち上がる。薄青色の長い髪を後頭部で一つに結んだ水使らしい女性を連れ、少女が近づいてきた。

「お気づきになられましたか、冷妃様」

 にこりと愛らしい笑みをたたえて、少女は名乗った。

「私は薄明帝の皇女で朧と申します」

 天鵝は目をみはった。

「……朧? 東雲皇子の妹姫か?」

「まあ、東雲兄様にお会いになったのですね」

 朧が手を打って喜ぶ。しかし天鵝は愕然とした。

 霧雨とともに黒点竜を封じ込め、星座ケフェウスに急ぎ戻った。馬を下りて走りかけたところから記憶がない。

「……まさか、ここは……陽界か」

 自分は連れてこられたのか。誰に? 霧雨に?

(どうして……)

 なぜこんなことに。

 驚きと悲しみと怒りのあまり、天鵝はうつむいて両手で顔を覆った。泣きそうになるのを必死にこらえる。

「冷妃様」

 朧が心配そうな声音で呼びかけてくる。天鵝は唇をかんだ。涙を我慢するせいで頬が震える。

「――出ていってくれ」

「冷……」

「皆、出ていってくれ!」

 三人に背を向けてうつ伏せになり、枕に顔をうずめる。

 沈黙の後、朧が男を促す気配がした。三人が部屋を出ていく。扉の閉まる音がしてから、天鵝は腕輪に触れた。四色の五芒星を順番になでていく。しかし誰も来ない。もう一度、黄色い五芒星を強く押す。それでも扉がたたかれることはない。

 陽界にたった一人でいることを否が応でも思い知らされ、天鵝はついに泣き声を漏らした。最後には抑えきれなくなり、なかば叫ぶように泣きじゃくる。腕輪をにぎりしめ、いつもそばにあった色違いの瞳を想う。

 有明を早々に追い返してから戻ってきた朧が部屋の前でその慟哭を耳にし、悲痛な面持ちでいたことも知らず、目が腫れるまでただひたすらに天鵝は泣き続けた。



 窓辺に腰かけ、天鵝は暮れた空をぼんやり眺めていた。優しい光を放つ月とは異なり、太陽は直視できないほどにまぶしく世界を照らしている。それでも日が陰っていることを考えると、おそらく今はもうこの世界では夜と言える時間帯なのだろう。

 月界とは何もかも違う。明るさも、窓から見える景色も。

 控えめに扉がたたかれた。間を置いて、そっと顔をのぞかせたのは朧だった。

「冷妃様、あの……お体の具合はいかがですか?」

 夕食も手をつけず一人部屋に籠っていたので、心配して来たらしい。遠慮がちに尋ねてくる朧から、天鵝は目をそらした。

「……いいわけがないだろう。人を騙して、知らないうちに勝手に連れてきて……これが陽界のやり方か」

 私は断ったはずだと吐き捨てるように言った天鵝に、朧が声を震わせた。

「やはり、そうなのですね……兄が……東雲兄様があなたを無理やり……」

 申し訳ありませんと、朧がその場に平伏する。天狼と同い年の小さな姫の謝罪に、すべてを遮断していた天鵝の心が動いた。

「お前が悪いわけではない。お前も……命を落とす定めだったと聞いた」

「私は陽界の生まれですから、その覚悟はもっています。ですが冷妃様は――」

「すまないが、私は灼熱竜と添い遂げるつもりはない」

 不意に、どこからか大咆哮が響いた。

「何だ……?」

 窓がビリビリと鳴り、建物がぐらつく。足元が突き上げるような縦揺れを起こしたとき、とっさに天鵝は朧に駆け寄ってかばうように抱きしめた。

「灼熱竜が――」

 腕の中で天鵝を見上げた朧が、緋色の瞳におびえを浮かべている。竜はもう限界なのです、と言う朧に、天鵝は眉間にしわを寄せた。

 揺れはまだおさまらない。まるで天鵝を呼んでいるかのようだ。

「――灼熱竜のもとへ案内してくれ」

 朧が目をみはった。

「竜の妻になる気はないが、抑えらえるかどうか試してみよう」

 朧と一緒に部屋を出てきた天鵝に、外で待機していた水使の女性がはっとした顔つきになる。他にも衛士は複数人いたが、全員が女性で水使だった。

「ここはどこだ?」

月暈宮(つきがさのみや)と呼ばれています。別名『冷妃の館』とも。ここを守る衛士は女性しかおりません」

 またその任にあたるのは水使第二小隊で、『月暈隊』という呼称が使われていると朧は説明した。

「こちらはその月暈隊の隊長で露玉(つゆだま)と申します。水使だけは副団長が二人いて、その一人が露玉です」

 冷妃は陽界において別格のため、月暈隊の隊長は必ず副団長の位を与えられるのだという。

 朧の紹介を受けて、薄青色の長い髪を後頭部で一つに結んだ露玉がその場に膝を折る。

「灼熱竜もこの館にいるのか」

「いいえ。灼熱竜は太陽に棲んでいて、こちらへ渡ってくるのです。私がこの館に入ってから、灼熱竜が訪れたことは今まで一度もなかったのですが、おそらく冷妃様がいらっしゃるのを感じ取ったのではないかと……冷妃様、本当によろしいのですか?」

「わからない。だが、何度も私に会いに来ていた竜をちゃんとこの目で見てみたい」

「すでに冷妃様のもとに通っていたのですか?」

 驚く朧たちに、「交わってはいないぞ」と天鵝は答えた。

 竜は今まで触れてくることはあっても、いつも途中でとまっていたのだ。自分が夢から覚めていたせいかもしれないが。

「灼熱竜は婚儀の日を迎えるまで月暈宮に入れないのです。冷妃様は陽界でお育ちではなかったので、お顔を見に行くことはできていたということでしょうか」

 この館には婚儀の間があり、冷妃と側女の寝所がつながっているのだという。自分が寝かされていた部屋が冷妃の寝所ではなかったことに、天鵝はほっとした。婚儀の日までは、冷妃も仮の寝所で休むらしい。

 朧が天鵝を奥へ続く通路へと導き、後を露玉がついてくる。途中で遭遇する衛士は確かにいずれも女性の水使ばかりだった。

「こちらです。この先の露台で灼熱竜と対面することができます」

 地鳴りが続く中、朧がてのひらで示した扉の前で天鵝は立ちどまり、一度生唾をのんだ。足がすくみかけたが、唇を引き結び、扉をねめつける。

 天鵝が一歩踏み出すのにあわせ、両開きの扉が勝手にゆっくりと開いた。

 熱気などという生易しいものではなかった。髪をこがすほどの熱さに息ができない。それでも天鵝は前へ進んだ。

 上空を泳いでいた巨大な赤黒い竜がぐんぐん近づいてくる。雄叫びが揺れを誘発し、さらに風圧もかかった。

 扉を吹き飛ばす勢いでやってきた赤黒い竜が露台に立つ天鵝を凝視する。やがて灼熱竜の体が変化しはじめた。少しずつ人の形をとっていく。

 目の前に現れたのは、老齢の男だった。大柄な体格に長い白髪。まさに夢で見た男だ。

『我が妃よ』

 くぐもった声は太く枯れている。灼熱竜は炎にまみれた手を天鵝へとのばした。

 触れられた頬はかすかに熱をもったが、不思議とやけどすることはなかった。 

『ようやくそなたを我が腕に抱ける』

 老いているとは思えない力強い抱擁に天鵝はとまどった。夢では寒気がするほどの嫌悪感しかなかったが、実際に会ってみると、印象が違った。

 本当に自分を待っていたのがよくわかる。長い間、冷妃の誕生を心から望んでいたのがひしひしと伝わってきて、胸が痛んだ。

「灼熱竜、あなたの願いを叶えることは私にはできない」

 不審げに眉をひそめる灼熱竜の腕の中で、天鵝は輝力を高めた。

「だが、あなたを鎮める努力はしてみよう」

 溜めた輝力を一気に解き放つ。温かな光が灼熱竜を包み込み、燃え盛る炎をなだめていく。

『おおっ……』

 灼熱竜が歓喜の吐息を漏らす。まるでずっと苦しめられてきた痛みが消えたかのように、その表情がやわらいでいく。

 しかし天鵝は逆だった。どれだけ力を尽くしても終わりの見えない感覚に、あせりと恐怖に襲われる。

 黒点竜のときとはまるで異なる。幼竜に対してはまだ余裕があったが、灼熱竜は輝力を送っても送っても何も変わらないように思えた。

 これ以上は危ないというところで、天鵝は輝力の放出をとめた。ふらりとよろめいた天鵝を支えた灼熱竜の熱い息が首筋にかかる。

『これだ……ああ、冷妃』

 気のせいか、しわがれていた声の質が少し変わったような気がして、天鵝は灼熱竜をあおいだ。

 若返っている。白髪だったのに赤黒い髪が増え、顔に刻まれていたしわも減っている。七十は過ぎていた見た目が今は五十歳あたりになっていた。

『もっと……もっとだ』

「ま、待て。今日はもう無理だ」

 催促する灼熱竜を押しのけて、天鵝は腕から逃れた。灼熱竜が不満をあらわにするが、欲張るならもう相手をしないと脅すと、おとなしくなった。

 夜はゆっくり休みたいから夢に出てくるのも禁じると、竜はますますがっかりした様子を見せたが、今日のところはここまでだと天鵝は灼熱竜に背を向けた。灼熱竜の熱いまなざしが追いかけてきたが、それも扉が閉まると同時に遮断された。

 扉にもたれ、天鵝はふうと大きく息をついた。予想以上の重労働に、自分の見通しの甘さを痛感する。

 これは調整をあやまると体力がもたない。月界に戻る前に倒れてしまわないよう、健康管理に気をつけなければ。

 そう、戻るのだ。皆がいる月界へ――それまでは何としても生き抜いてみせる。絶望などしない。悲しむだけで一生を終えたりしない。左腕にはめている星杖に視線を落とし、天鵝は決意をあらたにした。

 ふとたくさんの人の気配を感じて顔を上げる。朧や露玉をはじめ、大勢の女性衛士たちが驚嘆と崇敬の目を天鵝に向けていた。

「冷妃様」

 まず朧が進み出て、天鵝にひざまずいた。それにならい、場にいた全員が次々に膝を折っていく。

 冷妃様、冷妃様、と天鵝を称える声はその日、月暈宮に満ちあふれた。 

 


「皇子、太陽が……」

 宰相府で窓辺に立ち外を眺めていた有明皇子は、傍らで息をのむ腹心の呼びかけにうなずいた。

「一段階縮まったな。冷妃が鎮めたようだ」

 婚儀はまだおこなっていないというのに、交わらなくても灼熱竜の炎を抑えることができるのか、と有明は感じ入った。

 まだ年若い、子供からようやく抜けつつある瑞々しい娘だった。ほのかに見え隠れする控えめな色香と、人に安らぎを与えるような柔らかい雰囲気が混ざり合い、そばにいると不思議な高揚感をいだかせる皇女。

 陽光とはまた違うまぶしさを放つ色白の肌も、落ち着きと涼やかさを奏でる青紫色の双眸も好ましい。この先成長するにつれてますます麗しく魅力的になることだろう。何より、目覚めてすぐのときは嘆いて拒絶していたのに、すぐに行動を起こせる芯の強さがすばらしい。

「老いぼれには似つかわしくないな。あまりにも惜しい」

 奪うか、と有明は唇をなめた。そっと己の胸に手を当てる。

 痣は現れないが、東雲はもういない。衛士最強とうたわれた水使団長もいない。たとえ生きていたとしても、皇女をさらわれた月界があの二人を自由にさせておくはずがない。もしかしたら人質交換を求めてくるかもしれないが、応じる気はさらさらなかった。

 衛府を制圧した今、次の雲帝として立つ自分の隣には、皆からほめそやされ、敬われるような美しい妃が必要だ。

 灼熱竜に身を捧げずとも炎を鎮められるなら、無理に契らせることはない。どうしても供物がいるというなら、朧を放り込めばよいだけの話だ。あるいは(かすみ)を。

「明日から冷妃の機嫌うかがいに行く。贈り物を見繕ってくれ――ああ、待て、やはり私が選ぶ。雲宮に商人を呼んでおけ」

 いくら気丈でも、知らない世界に来ているのだから、きっと心細く一人寝をしているはずだ。騙されやすそうな皇女の心をどうとらえてやろうかと、有明は思いをめぐらせた。


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