98 コンラッド陛下とデルフィーヌ王妃
「イルが行ってしまったわね」
「特になにも連絡が来ないな」
「エドワード様が第三騎士団のことを教えるとはとても考えられないけど」
ジェフは顎をさすりながら考えている。
「エドワード様がどう対応なさるのか、楽しみなような」
「兄上はエンローカム家の意向も聞かずに勝手なことはしないと思うよ。そういうことは抜かりない人だからね」
「そうよね。ねえジェフ、イルの話に矛盾があったのに気づいた?」
「ああ。兄上の雰囲気がっていう部分だろ?」
「やっぱり気がついたのね」
イルは「我が家は千年前から時の権力者のために暗殺をする一家」だと言っていた。だが「今は暗殺なんて割に合わないからやっていない」とも言っていた。
なのにエドワード様がイルの父や祖父の「人の生き死にに深くかかわっている人の雰囲気に似ている」と言ったのは矛盾している。
「推測だが、割に合う仕事なら今でも暗殺を引き受けている……ってことなのかもしれないな」
「だとしたら私、五年も同じ敷地で暮らしていたのに、そんな気配を感じ取れなかったことになるわ」
「シェン武術の達人という目で見ていたから、そんな気配があっても見落としていたのかもしれないな。俺も気づかなかった」
エンローカム家の当主も、先代も、とても温厚そうな穏やかな人だった。彼らも、若いころは暗殺役をこなしていたのだろうか。
「私、裏の仕事をしている人を見分けることには自信があったのに。自信喪失だわ」
「彼らのほうが一枚上手だった、ということだろう」
「今後の教訓にします。人は見かけじゃないなんて、基本中の基本なのに」
「世の中には驚くべき能力を隠し持っている人がいるからね」
「確かにねぇ」
「いや、そのうちの一人は君だけれど」
「あら……」
「君の中には、俺がまだ知らない能力もあるんだろうなあ」
そう言ってジェフが私を真顔で見たが、私は『上品であいまいな微笑み』を浮かべるにとどめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
登城した私たちは謁見の間に通された。国王夫妻が入室するとすぐに人払いがなされ、今、広い室内には国王夫妻と私たちの四人だけだ。
「まずは君たちが無事帰国したことに安心したよ。ジェフ、エドワードの役職については、君たち夫婦はもう知っているそうだね」
「はい、陛下」
「私も聞かされたときは驚いた。それまで私は『エドワードはとても有能そうなのに、なぜ要職に就かないのだろう』と思っていたんだ。それがまさか山ほどの仕事の他にあの仕事までやっていたとはね」
私とジェフは無言。
私はその件について陛下に話しかけられたら、なんと返事をしようかと昨夜から考えていた。たぶんそれはジェフも同じはず。
「今回、エドワードは期待以上の仕事をしてくれた。ハロウズ侯爵に直談判しただけじゃなかったらしくてね。あちらの王家に人を介してなにか伝えたようだ。エドワード伯爵は『知り合いの高位貴族にご挨拶をさせていただいただけ』と言っていたが」
コンラッド陛下は端正なお顔にうっすら笑みを浮かべていて、何を考えているかは読み取れない。
「つい先日、ランダルの国王から城で使ってくれと、大量の水晶が贈られてきた。『戴冠式で拝見したホールのシャンデリアに飾ってもらえたら嬉しい』というメッセージを添えてね。おそらく詫びのつもりなんだろう。ホールどころか公式行事で使う部屋のシャンデリア全てに使えそうなほどの量だった。アッシャー家の分もある。あとで届けさせよう」
陛下はそうおっしゃって天井を見上げた。私も陛下の視線の先を追うと、全てのシャンデリアにキラキラした透明な飾りがぶら下がっている。あれがみんな本物の水晶? どれだけたくさん送ってきたのかしら。
「私が大切にしている臣下の妻をランダルの侯爵が『人違い』で殺そうとするなんてね。ふっ。戦争になってもいいくらいの理由だよ。あちらの国王はさぞかし慌てただろう。メッセージにはまだ他にも贈り物をする用意があるとかなんとか書いてあったな」
コンラッド国王が少々黒い笑みを浮かべ、デルフィーヌ様は私たちのほうを向いたまま苦笑なさっている。ジェフと私は無表情のまま。
「大丈夫だよ、ジェフ。アシュベリーは戦争をしない。少なくともこちらからは仕掛けない。だから欲しくもない水晶だったけれど、謝罪を受け入れる印として受け取ったよ。あちらさんだって水晶くらいで我が国との全面戦争を避けられるのなら、安いものさ」
「陛下?」
デルフィーヌ様が穏やかでありながら諫めるような調子で陛下に声をかけた。実に絶妙な声色だ。陛下は彫像のような美しいお顔をデルフィーヌ様に向けて「わかっている」と返した。
「そういうことだから、ジェフ、君に一身上の都合という辞職理由はもうない。明日から登城するように」
ジェフはジッと陛下を見ていたが、諦めたらしい。「かしこまりました」と頭を下げた。ホッとしていたら、今度はデルフィーヌ様が私に声をかけてくださる。
「よかったわ。アッシャー子爵が爵位まで返上するつもりと聞いて、もう二度とアッシャー夫人の授業を受けられないのかと、がっかりしていたの。あなたは私の大切な先生であり友人ですもの」
「光栄でございます」
そこで陛下がデルフィーヌ様に目配せをした。
「陛下、私とアッシャー夫人は中庭でお茶をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいとも。行っておいで。私はジェフリーともう少し話をしたい」
デルフィーヌ様がチリンと金の鈴を鳴らすとドアが開かれた。デルフィーヌ様と私は侍女さんたちと護衛の騎士たちに導かれて中庭へと進んだ。
美しい池のある中庭は、夏には木陰、冬には陽だまりができるよう、落葉樹が計算されて植えられている。夏の今、涼し気な木陰に小ぶりのテーブルと椅子が用意されていた。
デルフィーヌ様と私が着席するとお茶と小さなお菓子が並べられ、すぐに周囲から人がいなくなった。
「ここなら盗み聞きされないわ。あなた以外に聞かれては困る話があるの」
「では陛下、お話しになるときは唇を読まれないよう、ハンカチを当ててくださいませ」
「唇……ああ、私はまだまだ甘いわね。なるほどね。唇を読まれる可能性があるのね」
「遠眼鏡を使えば、思いがけない場所からでも会話を読み取れますので」
デルフィーヌ様は絹張りの華奢な扇を口の前に広げた。
「アッシャー夫人、あなたは本当に得難い人だわ」
「恐縮でございます」
「あなたともっと早く出会いたかったわ。それがとても残念なの」
私は一番上品に見える笑顔を浮かべた。
(もっと前だと、私は王家主催の夜会で襲撃者に回し蹴りをしたり、その襲撃者を脱獄させたりしておりました)と思ったが、もちろん口には出さない。
「ローレンス・アシュベリー大公のことはご存じね?」
「はい」
ローレンス・アシュベリー大公は前国王陛下の弟君だ。
今は実務を息子に任せていて、趣味は乗馬と読書という話は聞いている。金鉱脈発見後に招かれたお貴族家の茶会で仕入れた話だ。
「大変な読書家で、博識な方。以前は十人ほどを集めた読書会を主催していらっしゃたのだけれど、お年を召されてからは毎回一人だけを招かれているわ。でも、そろそろ招く人が底をついたらしくて。私も何度か参加したけれど、今は公務が忙しくてなかなか……」
読書会。それも大公閣下と一対一。それはよほどの読書家でないとむずかしいだろう。互いの知識と考察力に差があると会話は弾むまい。まさか……私に参加してほしいという話ですか?
「アッシャー夫人、読書は好きかしら」
「好き、ではございますが」
「大公は私があなたを気に入っているという噂を耳にしたようなの。大公からぜひあなたを招待したいと頼まれました。あなたは貴族社会の新星でありながら私のお気に入りだから、興味を持たれたのだと思う。悪いわね」
デルフィーヌ様が実に申し訳なさそうなお顔をなさっている。王妃という立場であっても、相手は大公閣下。簡単には断れませんよね。
「デルフィーヌ様、大変名誉なお話でございますが、元平民の私にそのような大役が務まりますかどうか」
「気が重い話でごめんなさい。でもね、大公は気難しい人ではあるけれど、間違いなく読書好きよ」
デルフィーヌが気の毒になった。私が病気などを理由に断ったら、デルフィーヌ様はなにかと困りますよね。そもそも子爵夫人の私が断れる話ではないか……。
「承知いたしました。読書会に参加させていただきます」
「ありがとう、アッシャー夫人。助かります」
うん? 私が読書会にお招きいただいた話、なんで他人に知られるとまずいのかしら。






