94 戦闘の一部始終(1)
クローゼットの底の穴は、四つん這いになって進むのがやっとの高さしかなかった。
ほぼ真っ暗に近い中に入って耳を澄ませると、前方で物音がする。私はダガーをホルダーに戻し、全力で進んだ。音が次第に近づいてくる。
メアリーはボリュームたっぷりの夜着を着ていた。この狭い空間では、さぞかし動きにくいことだろう。私は音を立てないように気をつけながら、メアリーが立てる音のする方へと進んだ。
前方で突然暖色の光が四角く広がった。メアリーが天井板を持ち上げ、脱出口を開いたのだ。白い夜着を着ているメアリーの姿がはっきりと浮かび上がる。私の姿もメアリーから丸見えになっているはず。
光と同時に重い戦闘音が屋根裏の空間に伝わってくる。
荒い呼吸音。剣がぶつかる金属音。
何かを斬るザシュッと湿った重い音。
男の悲鳴、怒声、うめき声。
メアリーが動きを止めた。脱出先でこんな戦闘が起きていることを想定していなかったのかもしれない。
私はホルダーからダガーを抜いた。この距離と狭さでは、横からのスイングで投げるしかない。正確さに欠けるが逃げられるよりはまし、と腕を後ろに振りかぶったところでメアリーが私を振り返った。
彼女の顔は動物じみていた。興奮状態の犬みたいに上唇がめくれ上がり、目は吊り上がっている。
ナイフを投げた。
だが一瞬早くメアリーは、四角い穴から戦闘が繰り広げられている闇賭博場へと飛び下りた。ナイフは外れ、穴のずっと先に落ちた。
急いでナイフが落ちた場所まで進んでナイフを回収し、私も穴から下へ飛び降りようとして踏みとどまった。
下で大ぶりなナイフを手に、私を待ち構えている男がいる。
ジェフがその男を除く三人を相手に剣で戦っている。
護衛は八人残っていたはずだから、すでに四人を倒し、残り四人ということだ。
私は屋根裏からダガーを投げた。私の愛用のナイフは、私を殺そうと待ち構えている男の鎖骨に近い肩に深々と刺さった。
男が呻き声も出さずにうずくまったのを確認して、穴から飛び降りた。着地すると同時に別の護衛の首を狙って回し蹴りを入れる。男は仰向けに倒れ、動かなくなった。
(メアリーはどこ?)
だが、ジェフが二人の男を相手にしているから、メアリーより助太刀が先だ。ナイフを男の身体から抜く時間がもったいなくて、私は手近な椅子を振り上げて、一番近い男に向かって殴りかかった。
相手の男は余裕の表情で椅子を手で受け止め、「馬鹿がっ!」と叫びながら私にナイフを振りかざそうとした。その動きを想定していた私は、男の足元に滑り込み、靴の踵で男の向こう脛を強く蹴った。
「がああっ!」
多分男の脛の骨にはヒビくらいは入ったはず。男は転がって呻いている。私は素早く立ち上がり、椅子を振りかぶって男の頭に全力で振り下ろした。
男が動かなくなったのを確認して(メアリーは?)と探したが、いない。ドアから逃げたらしい。
ドアに飛びついて追いかけようとしたが、ドアノブが全く回らない。外から鍵をかけられている。そして気がついた。
「火よっ! 外から火をつけられた!」
ドアの下から油が広がってくる。ドアの隙間からは黒い煙も入り込んでくる。広がってくる油に火がつくのも時間の問題だ。
メアリーは護衛ともども私とジェフを焼き殺すつもりらしい。
早く逃げ出さないと焼け死んでしまう。私は自分のナイフを回収し、背中を向けてジェフと戦っている男の腰を狙ってナイフを投げた。
「うあぁっ!」
男が倒れた。もう素早く動くのは無理だ。ナイフが刺さったまま転げ回っている男に、ジェフが剣を振り下ろす。
それから私のナイフを抜いて差し出してくれた。
「アンナ、脱出しよう」
「待って。外でメアリーや護衛が待ち伏せているかもしれない。私が先に出て、辺りを調べる。それから下りてきて」
「了解」
私は窓から身を乗り出し、二階の廂の上に飛び降りた。そこから建物の脇に生えている糸杉の枝に飛び移り、辺りを見回したが、人の気配なし。メアリーに逃げられたか?
「いいか?」
「ええ、いいわ」
ジェフリーが三階の窓から私が使った二階の廂へと飛び降りた。その庇にジェフが両手でぶら下がり、手を離す。スタッと着地して、糸杉から飛び降りた私へと駆け寄ってきた。
「メアリーは?」
「逃げられたわ。でも、まだこの近くにいるはずよ。この建物の周辺を探すわ」
「二手に分かれよう。俺は北側から」
時間が惜しい。うなずくだけで私は南側へと走った。
「いたぞ!」
ジェフの声を聞いて、今来た道を全力で戻った。メアリーが夜着姿の裸足で前方を走っている。高い塀に飛びつき、一瞬もたついてから塀に上った。私の位置からでは遠すぎてナイフを投げても無理だ。
メアリーは塀の上に乗り、隣家の敷地に飛び降りようとしたところでジェフが投げた剣が飛んだ。
重い剣は飛び降りる途中のメアリーの右腕の付け根あたりをかすり、メアリーは声もなく塀の向こう側に落ちた。
私は全力で走り、壁に飛びついて向こう側を見透かす。
メアリーは暗い庭の中を逃げてゆく。今夜は月明かりがほとんど期待できないが、今やごうごうと音を立てて燃えている家の炎が明るい。
暗い庭の中をメアリーは右肩を左手で押さえながら走っていく。真っ白な夜着は右肩を中心にどす黒く染まっている。
そのメアリーを追いかけ始めたところで……。
「おーっと、そこまでにしてもらおうか」
庭木の陰から男が出てきた。燃え上がる炎に照らされた顔を見ると、男は酒場のバーテンダーだ。私がナイフを構えると、バーテンダーは顔の前で手を振った。
「あんたと戦う気はない。あの女は俺の獲物なんだ。後から来たあんたが横取りしなきゃ、それでいいんだ」
「しゃべっている暇はないの。じゃ」
「待てって!」
私のあとをバーテンダーが追いかけてくる。
メアリーの後ろ姿がだんだん近くなってきた。






