90 仕草とセリフが嚙み合わない
旅を続け、私たち三人はランダル王国の王都に入った。
ついこの前にマグレイ伯爵親子と一緒に訪問したときは、のんびりした旅だった。ランコムと再会はしたけれど、血は流れずに済んだ。
だが、今回は命がけだ。
「夜になったらマチルダの闇賭博場の様子を観察しましょう」
「そうだな。では俺は酒場に入る。用心棒を中心に警備を下見しよう」
するとミルズが口を挟む。
「えー、僕は何もしなくていいと言われていますが、本当に何もしないのも気が引けますので、特殊任務の人間がいないかどうかを中心に酒場に出入りする客を観察します」
「了解。まずは昼間の様子を見に行きましょう」
レッド・ロビンの情報によると、マチルダが経営している闇賭博場は二階にあり、一階の酒場を入り口としていた。階段を上るときに客を選別しつつ、逃げるときに飛び降りられるから二階なのだろう。
残念ながら酒場はまだ開いていない。
「あなたたち、おなかが空いているわよね。ええと……あのお店に入りましょう」
私が目で示したのは一階から三階まで客席がある気さくな雰囲気のレストランだ。「お好きな席をどうぞ」と給仕の男性に言われて、私たちは迷うことなく三階の窓際の席を選んだ。
「二人とも一度に注文しないで。食べ終わってから次を注文して。なるべく長居をしたいから」
「ああ、わかった」
「了解です。それにしてもご夫妻と一緒に食事をしたりして、僕……」
「心配は無用だ。陛下が何かおっしゃったら、俺が助け船を出してやる」
「そうね。ジェフが助け舟を出せば、どんな無茶な言い訳でも通りそう」
「うわぁ、ありがたいような恐ろしいような」
ミルズはジェフが陛下を全く怖がらないことに苦笑した。
私たちは一人一品ずつ注文し、果実水を飲みながら向かいの三階の窓を見た。
向かいの窓にはカーテンがかかっていたが、そんなことは想定内だ。すぐにマチルダの顔が見られるなんて幸運は期待していない。締め切りがない用事なのだから根気よく待てばいい。
ジェフとミルズはひと皿ずつ注文し、食べ終わると次を注文する。「何度も階段を往復させて悪いね」と言いつつジェフが給仕の男性にチップを毎回渡している。おかげで給仕の男性はすっかり愛想が良くなった。
ダラダラ食べ、ダラダラと追加注文をし、私たちは二時間半居座っている。その努力が実り、こちらに面している窓のカーテンが開いた。
「視線に力を込めないで」
カーテンが動き始めた瞬間に言わずもがなのことを注意してしまったが、そこは専門家の二人。ジェフもミルズも小さくうなずいただけで、わかってくれた。
カーテンを開けたのは中年の男。以前私が恋人役を務めたサイラスとは別人だ。
「あの男はサイラスではないわ」
「そうか」
「てことは用心棒ですかね」
「おそらくね。あ……いた」
私の言葉を聞いて男性二人が実にさりげなく窓を見る。私は確認済みなので料理に視線を移してしゃべった。
「女を確認した」
「男の奥にいた茶色の髪の女は予想通り、メアリーだわ。私の元同僚よ。室長のランコムと結婚したはずだけど、よほどの失敗をして始末されるのを避けて組織を抜けたか、または……あの結婚話自体、無しになったのかもね」
確認が済んだので、私も本気で料理を食べ始める。肉を中心にしっかり食べた。
「アンナ、夜は酒場に行くだろう?」
「ええ。私は顔を知られているから変装をして行くつもり。顔が知られていないジェフとミルズが別行動で入って。行けるなら闇賭博場まで。私は酒場でそこにいる人の様子を観察します。初日から焦らないでね」
「わかった。そうしよう」
「了解です」
「ごめんなさいね、私がリーダーみたいになってしまって」
私が苦笑しながらそう言うと、男性二人がキョトンとした顔をする。
「それが当然だろう?」
「そうですね。エースだった方がリーダーになるのは当然です。勉強させていただきます」
私がハグルのエース工作員だったことをミルズが知っている。私のことはどこまで第三騎士団に情報共有されているのやら。
そのままレストランを出て、ホテルに帰った。ミルズは相変わらず私たちの隣の部屋だ。私は紙に建物の位置関係と周辺地図を描きこみ、仕事を終えて逃走する場合の動線を三人で確認した。
万が一戦闘になった場合の動きについてはジェフが中心になって話し合った。わかっている人間との打ち合わせは無駄がなく、一を言えば十を理解してくれるので打ち合わせは短時間で済んだ。
ルームサービスでお茶を頼んだとき、ジェフがお茶を三人分と甘いパン二個を注文し、パンとお茶を持って部屋に戻ったミルズに差し入れに行った。
「もしかしてミルズを可愛がっているの?」
「可愛いじゃないか。それにあのぐらいの年頃は、どれだけ食べてもすぐに腹が減るものさ」
「あなたが部下に敬愛されるのって、そういうところなんでしょうね」
「こんなことは、誰でもやるだろう」
「ううん。そんなことない。あなたは男に愛される男よね。ああ、違ったわ。女性にも大人気だった。あなたと出かけた最初の夜会で、私はどれだけのご令嬢に睨まれたことか」
「また古い話を持ち出したね」
私とジェフが昔話をするのは珍しい。
今までは「明日なにをするか」「今後なにをするか」という話題が多かった。将来の計画を立てることができる幸せを感じる日々だった。
今、過去の話題に終始してしまうのは、もしかしたらこれが最後の会話になるかもしれないからだ。
お茶を飲み終わり、私たちはお湯を使った。二人でホカホカした状態でくつろいでいる。
「ねえ、ジェフ。ミルズはあんな外見だけど、かなり腕が立つはずよ」
「ああ、俺も一緒に行動して気がついた。あのチャラチャラした外見を武器に使っているんじゃないか? いつ俺が動いても俺の邪魔にならないよう、自然に動いていた」
「私に対してもそうよ。あんなに懐いているように見えて、私がダガーを使っても届かない位置を常に保っているわ」
ジェフは頭の下で両手を組んで天井を見ていたが、私の方へと顔を向けた。
「騎士団や軍は常に集団で動くことが基本で、戦闘中でも協力するのが当たり前だ。だが君たちは一人が基本なんだな。君とミルズを見ていて改めて実感したよ」
「そう? 八歳のときからだから、意識していないのだけど」
「そうか、無意識なのか」
「初仕事は十五歳だったけれど、私、十歳のときに工作員の手伝いをさせられたことがあったわ」
「ほう。君の子供時代の話を聞かせてもらえるのかい?」
ジェフがやたら嬉しそうだ。
気分を変えようと、私は養成所時代の話をした。こんなにおしゃべりすることが最後かもしれないので、私は懐かしい昔話をした。
「私が十歳のとき、先輩の女性工作員がランダル王国の武器商人と接触する任務に就いていたの。彼女は男が通う食堂で働いて、男と親しくなる必要があったの。その男が田舎に置いてきた娘が十歳だった。彼女は一人で私を育てている、という同情をひく設定ね」
「ほう。十歳の君はどんなだったのだろうか」
「地味で目立たない、口数の少ない子供だったと思うわ。表情を作るのは得意だったけど」
「なるほど」
「私は男がその食堂に入ってしばらくしたら『お母ちゃん! おなかが痛いの』って言いながら店に入る役」
はるか昔のことだけれど、今も鮮明に覚えている。
与えられたセリフ、指示された表情を作って演技する私を、その男は本気で心配してくれた。
「おなかが痛くて歩けない」と言う私を男が背負って、工作員が借りている部屋まで運んでくれた。背中で揺られながら、私は父を懐かしく思い出した。
「その先、その先輩工作員の仕事がどうなったかを私は聞かされていないけれど、子供ながらに罪深いことをしているという恐れと、上手くやったと指導教官に褒められた嬉しさで、とても複雑な気持ちになったの」
ジェフは無言で私を見ている。
「いつか罰が当たる。ずっとそう思って生きてきた。今こうして大切なあなたを巻き込んでいる状況が、私への罰なのかもしれないわね」
そう言って苦笑した私を、ジェフは腕を伸ばして頭を撫でてくれた。
わしゃわしゃと頭を撫でられ、どんどん髪がくしゃくしゃになっていく。
「大丈夫よ。私、とても精神が図太いの。組織の医者に太鼓判を押されるくらいにね」
「そうか」
ジェフは私の前に来ると、私をヒョイと持ち上げた。そのままジェフがソファーに座り、私を膝の上に乗せて背後から私を抱きしめてきた。
「俺の奥さんは世界で一番純粋で愛らしい人だよ」
「それは惚れた欲目です」
笑う私をジェフは抱きしめたまま首のあたりでつぶやいた。
「可愛い奥さんを殺そうとする人間なんて、サクッと始末して、さっさと家に帰ろう」
「仕草とセリフが見事に噛み合っていないわ」
「噛み合っていなくてもいい。それが俺の本音だ」
「ノンナが待っているものね。さっさと終わらせて帰りましょう」
「そうだな」
私たちはくっつけて置かれているベッドに横になり、手をつないで眠った。
ノンナが金色の髪をなびかせながら猛烈な速さで走っている夢を見た。