83 思い当たる相手が多すぎる
イルは「今日からこの家に住まわせてほしい。ビクトリアさんとノンナを守る」と言うが、さすがに私の一存で返事はできない。
「ちょっと待って。まずはエドワード様とジェフに確認を取るから」
「わかりました」
「私も話し合いに参加させてほしい」と言うノンナも加えてイルと三人で話し合うことにした。
「イル、私とノンナが鍛錬を欠かさないのは知っているわよね? 私の素性も薄々気づいているのでしょう?」
「ビクトリアさんがただの貴族夫人じゃないことは、実家にいるときから知っていました。ビクトリアさんが鍛錬しているのを見た祖父が、わりと早い時期に『ビクトリアさんはご同業だな』と言ってました」
「そう、同業っておっしゃってたの……。『兄が軍人なので』という言い訳は最初から見破られていたのね」
「祖父は『戦闘の型がこっちの筋』だと言ってました」
「ふふ。千年続く暗殺者の家系の目は、さすがにごまかせないわね」
「そういうことです」
黙って話を聞いていたノンナが可愛い眉間にシワを作って質問してきた。
「お母さん、クラーク様には連絡しないの?」
「イルが我が家で暮らすと決まったら、クラーク様にもご報告しないとね」
ノンナはクラーク様を大切に思っている。心配をかけたくないのだろう。
イルが片方の眉を上げてノンナに話しかけた。
「あいつ、俺がこの家に移ったらノンナにつらく当たるのか? 嫉妬深いのか? ノンナが困るようなら俺が直接説明しに行くよ。俺とノンナにそんな心配は無用ですって話をしてくるぞ?」
「それはいい。説明するときは自分で説明する。あと、クラーク様は私につらく当たったりしないし、嫉妬深くもないよ。そういう人じゃないから」
「ほぉぉん。ノンナにはそう見えるんだな」
イルが含みのある表情で苦笑した。
クラーク様はノンナを好きすぎて独占したがっている。私は気づいているけれど、イルはクラーク様と会話したことがないはず。なぜクラーク様が嫉妬深いと思ったのだろう。今度じっくり聞いてみよう。
「イル、私が狙われたことは、私かジェフがクラーク様に話すわ。それよりも、イルはエドワード様に預かってもらっているんだもの、イルが住む場所を移せるかどうかはエドワード様のお返事次第ね。エドワード様とクラーク様には、すぐに手紙を届けさせるわ」
「わかりました」
その後、私たちはイルも連れてマグレイ伯爵家を訪れた。
国境を越えたところで引き離されて以来の再会だったが、マグレイ伯爵は見るからに体調が悪そうだった。第三騎士団でどのような尋問をされたのやら。
マグレイ伯爵は通訳が大罪を犯していたことは何も知らなかった。むしろ伯爵は被害者と言えるが、尋問は仕方なかったのだろう。
「マグレイ伯爵、お加減がお悪いのでは? どうぞ横になってくださいませ。私たちは帰ります」
「いや、寝てなどいられません。アッシャー夫人、どうか私をお許しください。私がうっかりあのような者と関わったために、アッシャー夫人にまでとんでもないご迷惑をおかけしてしまった。本当になんとお詫びしたらいいのか……」
「その件はもう解決したと伝え聞きました。マグレイ伯爵はなにも悪くありませんわ。どうかお気になさらずに」
「そうおっしゃってくださり、ありがとうございます!」
「それで、エリザベス嬢はお元気ですか?」
そう尋ねると、マグレイ伯爵ははっきりと苦し気な顔をした。
「エリザベスは寝込んでおります。国に疑われ、尋問されたのが堪えたようです。可哀想なことをしました」
「そうでしたか……」
エリザベス嬢は第三騎士団に拘束され、あれこれ質問されただけでも大変な経験だったろう。一見強気に見えるエリザベス嬢は、箱入りな上にまだ子供といっていい年齢だ。気の毒に。
「伯爵様、エリザベスは私の親友です。私だけでもエリザベスに会わせてもらえませんか?」
「そうですね、ノンナさんに会えば少しは元気が出るかもしれません。一緒にあの子の寝室に行ってみますか?」
「はい!」
ノンナと伯爵がエリザベス嬢の部屋に向かい、私とイルは遠慮して客間で待つことにした。なかなか戻ってこないところを見ると、エリザベス嬢と会って話をしているのだろう。待っている間にイルが話しかけてきた。
「ビクトリアさん、俺、ずっと考えていたんですが、敵がアシュベリーの国内に入ってから襲おうとした理由はなんでしょうか」
「お城で聞いた話では、傭兵はランダル王国で集められたらしいわ」
「では、雇い主はランダルの人間ということでしょうか」
「まだ情報が少なくて断言はできないけれど、事件がアシュベリーで起きた場合、アシュベリーの人間がランダルまで行って調査をする可能性は低いはず。私がもっと高位の貴族ならともかく、子爵夫人では、国同士のもめ事にしてまで捜査をするとは思えないの。私が殺されたとしても、体面を重んじて私は事故で死んだということにするのが、普通でしょうね」
「だとすると、やはりビクトリアさんを狙ったのはランダルの人間ではないでしょうか」
「どうかしら。わからないわ」
ランダルの人間か、ハグルの人間か。アシュベリーの人間ではないように思うが、思い当たる相手が多すぎてわからない。
それよりも、果たして傭兵たちは我が家まで襲いに来るだろうか。それが問題だ。
何があってもノンナのことは守ってみせる。私は今、それだけをずっと考えている。
やがてノンナが戻ってきた。
「エリザベスはまあまあ元気だった。お城で尋問されたのが恐ろしくて眠れなくなっちゃったんだって。だから、もうエリザベスの家は疑われていないと思うよって、言っておいた」
「そう。少し時間を置いてからまたお見舞いに来ましょうか」
「うん。二人で刺繍をしようって約束してきた」
「そう。先のことを考える気力があるなら大丈夫そうね」
私たちは伯爵に挨拶をして家に帰った。夜になり、エドワード様からお返事が来た。
『我が家は問題ない。イルを頼みます』とあっさり了承してくれた。
ジェフもお城から戻るなり、許可をくれた。
「腕の立つイルが我が家にいてくれるのは心強い。助かるよ」
「相手の数が多いなら、こちらも人手は多い方がいいでしょう。俺とノンナを警護してくれた人たちの話では、ビクトリアさんを狙った連中は、数十人規模だったようです」
「ああ、俺も宰相からそう聞いている。よろしく頼む、イル」
問題はクラーク様だった。
クラーク様を乗せたアンダーソン家の馬車が来た。馬車を降りたクラーク様が玄関まで走ってくる。窓から見ていたジェフと私が玄関で出迎えた。
おそらくクラーク様は帰宅して私からの手紙を読み、そのまま我が家に駆け付けたのだろう。文官の襟章をつけ、髪もきっちり撫でつけたままだ。
クラーク様は挨拶もそこそこにジェフに質問をぶつけた。
「ジェフおじさん、詳しいことを教えてください。安全のためにイルが同居するって、どういうことですか? ノンナが狙われているんですか? それとも先生が狙われているんですか? 狙われているのが先生だとしたら、相手は以前と同じ人間ですか?」
「クラーク、落ち着け」
「落ち着いています。本当のことを教えてください。なにがあったんですか?」
ここは私が上手く説明しなければ。
「クラーク様、狙われているのは私だと思います。傭兵を雇って私を襲わせようとした相手のことは、まだわかっていません。第三騎士団が調べてくれるそうです」
「先生は他国の偉い人に執着されたからシェン国に行ったと聞きました。先生たちが出国した時、我が家にお城から人が来てそう説明されたんです。執着している相手が、今度は先生を殺そうとしたってことですか? なんだか話がかみ合わない気がします」
鋭い。
前回はハグルの組織から逃げたが、今回は傭兵を雇っている以上、組織ではないだろうと思う。
「クラーク様。誰が私を狙っているのか、今はまだわからないのです。思いがけない人から恨まれることもあるでしょう。私は、ノンナが巻き添えにならないよう、イルに同居してもらうことにしました。クラーク様にもご心配をおかけすること、本当に申し訳なく思っています」
クラーク様は唇を噛んで考え込んでいる。同じ屋根の下に同年代のイルが住むことは、きっと不愉快だろうに、それに関してはなにも言わなかった。
「わかりました。僕は僕で先生を守る方法がないか、考えてみます。僕に剣の腕がないことが悔しくてなりませんが、今それを言ったところで仕方がないことです。イル、どうかノンナと先生をよろしく頼みます」
そう言ってクラーク様は深々と頭を下げた。
「ああ、任せてくれ。それと、俺はノンナのことは妹分であり武術の仲間だと思っている。だから君が心配するようなことはない。母の名にかけて誓うよ」
「そうか。僕は君の言葉を信じる。それで、ノンナ、君は事が落ち着くまで僕の家に来る気はない?」
「ごめんなさい、クラーク様。私は自分が思っているほど役に立たないかもしれないけれど、それでもお母さんのそばにいたい。お母さんになにかあったときは、お母さんを守りたいの」
「はぁ……。そうか。わかった」
クラーク様は残念そうな表情をしたが、ノンナの頬をそっと撫で、その手をゆっくりと離した。
「せっかく心配してくれているのに、ごめんなさい、クラーク様」
「いいんだ。僕は僕でノンナを守れることがないか、考えてみるよ」
クラーク様は挨拶をして帰って行ったが、表情が硬かった。あまり思い詰めないでくれるといいのだが。
我が家は遅い時間の夕食となり、その後は各自が部屋に入った。
私はジェフと寝室に入り、思わずため息をついた。
「君を狙った傭兵団がその後どうなったのか宰相に尋ねたのだが、第三騎士団は確認できなかったそうだ」
「仕方ないわ。第三騎士団は私たちを無事に逃がすことを最優先にしてくれたんだもの。ジェフ、本当に申し訳なく思っています」
「言わないでくれ。それ以上、何も言ってはいけないよ。君は申し訳なく思う必要はない。そうするしか生きる道がなかったんだ。それは君の罪ではないんだよ」
私はジェフの不安を思いやる。
婚約者に死なれ、私と結婚したらこの有様だ。
私の人生は私にはどうすることもできなかったけれど、全力で相手の期待に応えようと努力した結果がジェフを苦しめている。それを思うと、心が折れそうになる。
エドワード様になにか情報が入っていないか聞いてみよう。
わずかな情報でも、私が思い当たる記憶と照らし合わせれば、なにかわかるかもしれない。
そう思っていたら、翌朝にデルフィーヌ様から連絡が入った。『話したいことがあります』という短い手紙を見て、ジェフも「城なら安心だ。行っておいで」と送り出してくれた。
お城のデルフィーヌ様のお部屋には、エドワード様がいた。なるほど。ジェフを通さず話をするにはこれが一番安全かもしれない。
「アッシャー夫人、今回は無事でなによりでした」
「ご心配をおかけして、申し訳ございません」
「アッシャー伯爵からお話があるそうです。私も同席していいかしら。あなたを守るために、私も真実を知っておきたいの」
「はい。ご配慮ありがとうございます」
「ではさっそく話を始めます。ビクトリア、君は女性に狙われる覚えはあるか?」
女性? 私が仕事で関わった対象者は全員男性だ。ピンクのドレスが大好きだった女性はいたが、彼女の場合は私が彼女を保護した。恨まれる覚えはない。
だがそこで一人の女性の顔が浮かんだ。ハグルの特務隊員のメアリーだ。彼女はとにかく私を嫌っていた。だが、彼女は今、工作員ではないのか。
工作員ならそんな大々的な事件を起こすわけがない。そんなことをしたと知られたら、即、処分されるだろう。
「いえ。思い当たる人物はいません」
「そうか。長い黒髪の、貴族らしい女性が傭兵の雇い主かもしれないと言う情報が入ったんだが」
「エドワード様、黒髪の女性に覚えがありませんし、その女性がもし特殊任務の人間だった場合、髪の色は全く参考にはなりません。年齢も十歳ぐらいならいくらでもごまかせます」
「ああ、そうだったな。年齢は三十代後半から四十くらいの女性だそうだが、それも当てにはならないか」
「ええ。その女性は頼まれただけかもしれませんし。申し訳ありません、思い当たる人物が多すぎて、全く見当がつきません」
「だろうなぁ」
エドワード様は何げなく「だろうなあ」とおっしゃったのだろうが、本当に申し訳なく思った。
しかしそれから十日後、クラーク様が思いがけない情報を手に入れてきた。
 






