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8 クラーク様とザハーロさん

『失われた王冠』の暗号に従って、王冠という何かを探しに出かけることが決まった。


「お出かけ~お出かけ~」


 さっさと荷造りを終えたノンナは大変にご機嫌だ。私はそれを眺めながらバーサの話を聞いている。


「奥様、シェン国からお戻りになられたばかりですのに。お疲れが残っているのではと心配でございますよ」

「バーサ、私たちは三人ともシェン国にいる間、五年も休みらしい休みを取っていなかったの。だから今回、結婚して初めての息抜きに行くのよ」

「まあ、さようでございましたか。五年も。では奥様、ゆっくり楽しんできてくださいませ。留守中はお任せください」

「ありがとう。休まなかったのは自分の勝手だったのだけれどね。仕事が面白かったものだから。あ、そうだわ」


 私は自作のハンドクリーム、火傷用の塗り薬、腹下し用飲み薬、風邪のひき初め用の薬を詰めた箱を手渡した。中身は結構な量だった。


「私がシェン国で作り方を学んだ薬よ。使い方はぜんぶ細かく書いてあるわ。よかったらみんなで自由に使って」

「まあ、貴重なものを。ありがとうございます」

 という会話をしていたら、クラーク様が門から入ってくるのが見えた。


「ジェフ、クラーク様がいらっしゃったわ」

 ジェフリーが窓から確認している間にノンナが飛び出して行った。そしてクラーク様に話しかけながら家に戻って来る。


「ジェフおじさん、おはようございます」

「クラーク、今日は仕事じゃないのかい?」

「仕事で参りました。エドワードおじさまが、もしジェフおじさんたちが出かけることがあったら、許可を得てから資料管理部の仕事として同行しなさいって。昨夜記録係を仰せつかりました」


 一瞬ジェフリーがいぶかしげな顔になった。


「兄が?ああ、そうか。伯父上に聞いたのかな。歴史的史実が解明されるかもしれないからか」

「そういうことらしいですけど、あの、もう荷造りしてるんですか?」

「そうだよ。明日の早朝に出発しようと思ってる」

「明日? 早朝ですか? おじさん、僕、記録係として同行してもいいですか?」

「クラーク、同行するなら約束してほしいことがある」


 ジェフリーの顔がとても真剣だからか、クラーク様がきょとんとしている。


「俺たちが発見したことを記録するのはいい。だが、俺たち家族のことを報告するのはやめてくれるか? これは五年間も国のために働き続けた自分たちへの褒美の旅行なんだから」

「おじさんたちのことをしゃべったり報告したりするわけがないじゃないですか。もちろん私生活は報告しません。お約束します」

「よし。なら同行していいぞ」


 クラーク様は走って帰って行かれた。


「ジェフ、エドワード様は諸制度維持管理部じゃなかった?」

「ああ、兄は宰相様に暇な部署だから兼任できるだろうって言われたらしいよ。兄は諸制度維持管理部と資料管理部とあと修繕部かな。三つの部署の兼任になったそうだ」

「そう。お忙しそうなのはそういうことなのね」


 ノンナはクラーク様が同行するのがよほど嬉しいのだろう。その場で脚を少し開き、軽く腰を落として正拳突きの型をした。ヒュッヒュッという音がして猛烈な速さで拳が突き出され、戻された。居合わせたバーサが「え?」という顔になった。


「ン、ンッ!」

 私が咳払いをするとノンナがハッとしてバーサと私の顔を見る。

「バーサ、ノンナはシェン国で護衛の鍛錬を見て覚えたらしいのよ。お転婆さんなの」

「ああ、そういうことでございますか。ずいぶんさまになってらっしゃいましたよ」


 バーサが笑顔で退室してからノンナに向かい合った。


「わかってる。ごめんなさい。バーサの前ではやりません」

「ノンナ、私は怒っているのではないの。自分の手札はやたらに人に見せるものではないのよ。見せる時は使う時だけにしなさい」

「はい、お母さん」

「とは言え、お母さんもついうっかり人に見せちゃうことはあるんだけどね。二人で気をつけましょう」

 そう言って二人で笑った。


 ◇ ◇ ◇


 夜、食事を終えてから私はジェフにお願い事をした。


「以前お世話になった人に、帰国の挨拶をしてきていいかしら。私が作った薬も渡したいし。一時間もあれば戻ってきます。昔の行きつけの酒場よ。私ひとりで行ってもいいかしら」

「もちろんだよ。もう夜だから馬車を使いなさい」

「ありがとう、ジェフ。なるべく早く帰って来る」

「いいんだ。ゆっくりしておいで」

 私はジェフの胸にトン、とおでこをくっつけた。ありがとう、の意味のつもりだ。


 

 酒場『黒ツグミ』の酒場のドアを開け、中に視線を送ると、ザハーロさんがこちらを見て動きを止めていた。磨いていたグラスを置いて大股で私に向かって歩いてくる。店内は時間が止まっていたかのように五年前と変わっていなかった。


「生きてたのか。今までどこにいた?パッタリ来なくなったから心配してたよ」

「ごめんなさい。いろいろあって、五年間、国外で働いていたの」

「国外?ああ、とにかく座ってくれ。カウンターでいいか?」

「ええ」


 他に客は二人。仲の良さげな恋人たちが隅の席で顔を近づけて会話していた。

 ザハーロさんは五年前に私が好んでいた蒸留酒をグラスに注いで出してくれた。


「で?何があった?もしかしてヘクター絡みか?」

「いいえ。私自身のことが原因なの。私、シェン国で薬の勉強をしてたの。これを持って来たわ」


 ザハーロさんが鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「薬草っぽい匂いがするが」

「あかぎれやしもやけに効く塗り薬よ。ザハーロさんは水を使うから手が荒れるでしょう?」

「シェン国って、あんな遠くにあの子も連れて行ったのか?」

「ええ、結婚したから夫とあの子と三人で」

「結婚?」

「ええ」


 ザハーロさんは新しくグラスに蒸留酒を注ぎ、持ち上げた。


「そうか。では乾杯させてくれ」

「ありがとう」

「なんだ、結婚しちまったか。俺が狙ってたのに。大変に残念だな」

「ザハーロさん、お顔と言葉が合ってないわよ」

「ばれたか」


 笑いながらグラスとグラスをカチンと合わせて、蒸留酒を喉に流し込んだ。強い酒が喉を焼きながら伝わり落ちていく。すぐに胃の辺りでポッと灯がともる。全身の血管が緩み、背中で折り畳まれていた羽がゆっくり伸びるのを感じた。ひとりのお酒はいいものだ。


「それで、今はどこに?」

「東区に」

「結婚して東区って。あんた貴族になったのか?」

「ええ。いろいろあってね、もちろんノンナも一緒よ」

「いろいろあり過ぎだろうが」

「確かにそうね」


 もう一杯だけお代わりをして、黒ツグミを後にした。お祝いだから酒代はいらないと言ってザハーロさんは代金を受け取らなかった。

 振り返るとザハーロさんが見送ってくれていた。


「おやすみなさいザハーロさん」

「ああ、おやすみ」


 笑顔になったザハーロさんに手を振って馬車のドアを閉めた。

 馬車で帰った我が家は、全部の部屋の灯りが付いていて、「お帰り」と言われているようだった。以前はこっそり塀を乗り越えてヨラナ夫人の屋敷の離れに帰っていたことを思い出した。状況の変わりっぷりがなんとなくむず痒い。

 ジェフリーが玄関のドアを開けて出てきた。


「お帰り、アンナ」

「ただいま、ジェフ」

「挨拶はできたのかい?」

「ええ、結婚したこともお知らせしてきたわ」

「そうか」


 家に入り、湯を使ってから部屋で髪をとかしていると、ノンナが入って来た。


「ノンナ、そろそろ寝ないとね。明日は暗いうちに起きるのよ」

「あのね、お母さん。お父さんがね、すごく心配してた。だから心配いらないよ、会いに行ったのはお菓子の好きなおじさんだよって言っておいたから」

「そう。ありがとう」


 ノンナが「役に立ったでしょ」という顔をして部屋を出て行くのを見送り、また髪をとかす。ジェフリーはやはり私がひとりで出歩くのは心配なのか。いや、それが当たり前か。

 それにしても「お菓子の好きなおじさん」て。それは余計に心配させることになったのでは。


 さあ眠ろうという頃、かなり遅い時間になってからジェフリーが私の寝室に来た。

「どうしたの?ジェフ」

「君と一緒に眠りたくてね」

「そう。さあ、隣にどうぞ」

 ジェフリーが大きな猫みたいに滑らかな動きで隣に潜り込んできた。私はさっきノンナから聞いたことを補足することにした。


「あのね、今夜私が行った先は、ずっと以前に話をしたことがある酒場なの。二杯だけお酒を飲んで、結婚したことを報告して塗り薬を渡して帰って来ただけだから」

「そうか。いいんだよ、君は俺に全部報告する義務はない」

「ううん。あなたに知っておいてほしいの。あなたに心配をかけたくないし。この先ずっと一緒に暮らすんだもの、私がどんな人間で、あなたが見ていない場所でどんなことをしているのか、知ってもらっていた方が私が安心できる。あっ、でもあなたは私に報告しなくちゃならないなんて思わないでね」


 ジェフリーが腕枕をしてくれて、嬉しいけれど腕が痺れないのか毎度のことながら心配になる。


「俺は君に隠してることも隠したいと思うこともないよ」

「うん」

「だけど少しだけやきもちを焼いたかな」

「そうかな、と思いました。もう行くのはやめます」


 ジェフリーが腕枕をしている左手で私の肩を引き寄せた。

「いや、好きな時に行けばいい。俺は君を損ないたくない。あの傲慢な父が俺の半分を作っていると思うと、俺は時々自分が父のようになるんじゃないかと恐ろしくなる時があるんだ」

「ジェフ……」

「父のように家族を支配する男にはなりたくないんだよ」


 ジェフリーの心の傷はまだ血が滲んでいる。

 抵抗できなかった幼い頃の恐怖と嫌悪の情は、血の滲む傷となってまだ生きているのだ。私の中に生きている工作員時代の心の傷と同じものだろう。


「つらい記憶を楽しい記憶で上書きできたらいいのにね」

「そうだな」

「私が独りでお酒を飲みに行くのはね、誰でもない私になれるからなの。ほんの二杯か三杯飲んで座ってるだけでいいのだけど」

「うん」

「そうするとね、背中の羽がするすると伸びる気がするの。だけど、羽ばたいて遠くに行くつもりは全然ないのよ。いつだって帰って来るのは、あなたの隣だわ」

「ふふ」

「なんで笑うの?真面目に語ったのに」

「いや、ごめん。世間的にはそれ、男が言うせりふだなと思ってさ。お前の所に必ず帰って来るよって、女遊びをする男の定番の言い訳だ」

「ジェフ、私、そんなつもりは」

「わかってるさ。君は俺が結婚を申し込んだ時も『あなたとノンナは私が守る』って言ってたなと思ったら可笑しくなってしまっただけさ」

「あっ。確かにそんなことを言ったような」


 それからは二人でくすくす笑い、そのまま穏やかな気持ちで眠りに就いた。


 

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