63 北塔を訪れる
侍女服を返却するため、お城に来た。
本当に昨日あんなことがあったのかと思うほど、お城は一見するといつもどおりだ。
注意して細かいところに目を向ければ、私が影を務めていたときより衛兵が多い。けれど、二ヶ月もここに住み込んでいた私だから気がつく程度だ。目立って多いというほどではない。
ブライズ様が知り合いに聞いても『お城でなにか大変なことがあった』ということしか情報が洩れていないのは、厳重な情報統制が敷かれているからだろう。いずれジワジワと情報は漏れ出るにしても、大部分の貴族や軍人が情報統制に従っているというところか。
お城の平民用出入口は厳しく身元のチェックがなされているが、私のような女性には比較的調べが甘い。私は侍女服を持っていたこともあって「退職したので制服を返しに来ました」と言ったら簡単な身体検査だけで中に入れてもらえた。
抱えている布包みから侍女服を取り出し、これ見よがしに制服を包みの上にして歩く。お城の北棟の三階に到着し、『諸制度維持管理部』のドアをノックしようとして後ろから声をかけられた。
「おや、どうしたんだい? 私に用事かな?」
「エドワード様。ちょうどよかったです。ブライズ様がとてもご心配なさっていましたよ。私はお着替えを頼まれて持って参りました」
「ああ、それは手間をかけさせたね。ちょっとごたついていたものだから、ブライズに使いを出すこともできなかった」
「そうでしたか。ではこれをお渡しします。ブライズ様にはエドワード様がお元気だったとお伝えしますね」
「頼むよ。あと数日もすれば帰ると伝えてほしい」
「かしこまりました。では失礼いたします」
お辞儀をして上って来た階段を下りる。
アッシャー様はかなり疲れたご様子。目の下にくっきりとクマができていたけれど、怪我もないようだった。お元気と伝えても間違いではないだろう。
三階と二階の間にある踊り場まで来て、足を止めた。下から階段を上がって来る人の声に聞き覚えがあったからだ。
どうする? あの声は第三騎士団のリーダーの声だ。なんでここに? 北塔に第三騎士団の詰所があるの?
もしそうなら、その場所を知っていても損はない。第三騎士団の長は私の正体を知っているのだ。私が彼らの拠点くらい知ってもお互い様だろう。
私は階段を駆けあがり、近くの部屋に飛び込んだ。ドアの脇には『資料管理部』の札。
ドアを開けて部屋に入ると、机に向かっている人たちが一斉にこちらを見た。
「申し訳ありません、迷子に……」と言いかけて声が尻すぼみになる。
室内にいた全員が屈強そうな男たちだった。年配者がいない。
どういうことだろうか。強い違和感を感じて、私はとっさに作り笑顔を浮かべる。若い男が席を立って近づいて来た。
「なにかご用でしょうか」
「申し訳ございません。迷子になりました」
「お城にはどんな用件で?」
「制服を返しに参りました。ですが……」
「ではお預かりします。私から衣装部に返却しましょう」
若い男が私に歩み寄り、私の腕から侍女服を預かろうとする。そこで背後のドアが開き、「ただいま戻りました!」の声。素早く振り返り、顔を確認してから再び前を向いた。
「お願いいたします。では必ず侍女服を返却してくださいませ。よろしくお願いいたします」
頭を下げ、視線を床に向けたまま、入って来た若者の隣をすり抜けて通路に出る。ドアはすぐに閉められた。ドアを眺め、階段を下りて外に出た。
さっき入ってきた若者は私をベール越しにしか見ていないが、私の方は彼に見覚えがある。ノンナと一緒に屋根裏に上っていった子だ。
資料管理部なのに鍛えられた身体の男性ばかり。
階段を上がって来る第三騎士団のリーダー。
資料管理部に「ただいま戻りました」と帰って来た若い第三騎士団員。
「へえ」
つまり北棟の資料管理部に第三騎士団の拠点があるということだ。
ならば、エドワード様は? 義兄は身体の動きが文官だ。身体も鍛えられていない。諸制度維持管理部は第三騎士団ではないのだろうか。
いや、待て。
エドワード様は三つの部の長だ。
もし諸制度維持管理部も第三騎士団の拠点だと仮定するなら、エドワード様は文官出身の長、ということになる。文官出身者が特殊任務部隊の長を務めることも、ないことではない。
「ふうん……なるほど」
エドワード様が第三騎士団長と考えれば、全てのつじつまが合う。
他国の脱走工作員だった私が、王子のお気に入りであるジェフと結婚できたこと。
あっという間にシェン国行きが決まり、薬を輸出する商会の設立という大任をジェフが任されたこと。
私がハグルの暗殺部隊に殺されたことにして新しい人間に変わることができたこと。
どれも特殊任務の長ならできる。
だとしたら、あれだけジェフを大切にしているエドワード様が、なぜ私に影役を命じたのだろうか。
軍部と第三騎士団はうまく連携が取れていなかった。
しかも軍部の一部がデルフィーヌ様を殺そうとしていた。そんな大変な事態に際してデルフィーヌ様の影を私に頼まなくてはならなかった。
「よほど第三騎士団は冷遇されているのかしら。他国の脱走工作員を王太子妃の影に使わざるを得ないくらいに?」
私を使った理由を詮索するには材料が少なすぎる。今日のところはここまでだ。
上から私に向けられる視線を感じたが、敢えて私が『視線に気づきましたよ』と知らせる必要はないだろう。こちらから手札を見せる必要はない。
私は視線を送って来る窓を見上げることなく、アッシャー伯爵家によってから家へと帰った。
「お母さん、エドワード伯父様はお元気だった?」
「ええ。お元気だったわ。なにも心配はいりませんよとブライズ様にお伝えして来たところ」
「そう。クラーク様、大丈夫だったかなあ。文官の下っ端だから、あんな騒ぎには巻き込まれていないよね?」
「下っ端って言うのは失礼よ。心配ならクラーク様のおうちにお手紙を出して聞いてみる?」
「うん!」
馬係のリードがすぐにアンダーソン家に向かい、返事を貰ってきた。
差し出された手紙を読んで、私はとても驚いた。
「ノンナ、クラーク様もスバルツ王国との使節団に参加しているらしいわ」
「えっ。なんで? クラーク様は自分で下っ端、じゃない、一番下の文官だって言ってたのに。なんで使節団に参加させられたの?」
「クラーク様はスバルツ語に堪能だから、立候補なさったそうよ」
ノンナが黙り込んだ。そして無言のまま居間を出て行く。ショックだったのだろう。可哀想に。ジェフだけでなくクラーク様もスバルツ王国に向かっていたのか。
私がエルマーの暗号を解き、金鉱脈を見つけたことが次々に波紋を広げている。
私は窓辺に立ち、西の空を見ながら声に出して祈った。
「ジェフ。どうか無事でいて。生きて帰ってきてくれたらそれでいい。クラーク様と一緒に帰ってきて」
ジェフに会いたい。
◇ ◇ ◇
「部長、気づかれましたかね」
「おそらくね。ミルズの顔を見て、彼女が気づかないわけがない」
「申し訳ありませんでした!」
「気にしなくていい。彼女がここに来ることを予期しておかなかった私の手落ちだよ。マイク、この件に関して、彼女に何を聞かれても『知らぬ存ぜぬ』で通しておくように。彼女のほうからなにか言われた場合は、その場で判断せずに連絡をくれるかい?」
「了解です」
ミルズとマイクが離れてから、エドワード・アッシャーは考え込む。
ビクトリアが自分の役職に気づいたら気づいたときのこと、と覚悟はしていた。彼女のことだから、大騒ぎをすることはないだろう。
「問題はジェフだな」
自分たちがシェン国に五年間送り込まれたことも、ビクトリアに影を命じたのも、全て兄である自分の判断だと知ったら、間違いなく激怒するだろう。弟である自分を裏切った、ビクトリアを利用した、と腹を立てるだろう。
それでも、今までの自分の判断は間違っていたとは思わない。最上の案だったと確信している。
彼女ならきっと、そうせざるを得なかったとジェフを納得させてくれるだろう。いや、ジェフに何も言わない可能性もある。
「ミルズ」
「はいっ!」
「すまないが私の家に使いに行ってくれるか? 二、三日もしたら帰ると伝えてくれ」
「はい」
「城で何があったか聞かれても、余計なことは言わないでくれよ」
「もちろんです」
ミルズが出て行くのを見送って、エドワードは立ち上がる。これから気の重い話し合いがあるのだ。
ひとつため息をついて、陛下の執務室へと向かった。
ノックをするまでもなく衛兵がドアを開け、「陛下がお待ちです」とささやいてくる。中に入ると、すでに国王陛下、コンラッド第一王子、セドリック公爵、宰相スタンレー、軍部大臣マルティスが揃っている。
「遅くなり、申し訳ございません」
「君が忙しいことは皆がわかっている。座りたまえ」
国王の声に従って椅子に座り、参加者の顔を見る。全員の顔に濃い疲労が張り付いていた。特に宰相スタンレーの顔は土気色だ。長く体調不良が続いていて、自ら引退を覚悟していたところにこの騒ぎだ。さぞかし身体に堪えただろう。
軍部大臣マルティスも疲れ切った顔。いつもなら会議の進行役は宰相なのだが、今日は国王自らが進行役を務めている。
「君が来る前に、マルティスから軍部大臣の辞任、スタンレーからは宰相を辞職するとの申し出があった。エドワード、ここにいる者の総意だ。君に次の宰相を引き受けてほしいと思う」
「お断りいたします」
「エドワード……。そう無下に断るな。君が再々マルティスに『軍の一部に不穏な動きがある』と注意をしていたことは聞いたよ」
マルティスが立ち上がり、深々と頭を下げる。
「アッシャー伯爵の再々の助言を聞き入れないまま、このような事態を招いた。軍部の長として全ての責任は自分にある。副大臣の行動を把握できなかったのは、私の責任だ」
「そうですね。私は何度もブライアンの行動に注意するよう申し上げました。今回の騒動は間違いなくあなたの責任です」
無表情にそう言い放つエドワードの言葉に反論できるはずもなく、軍部大臣マルティスは目を閉じる。
「軍部の人員刷新に関してはこれからだが、スタンレーからは宰相の後任は君しかいないと言われている。スバルツとは一触即発。さらにイーガル王国の内情が不安定な今、舵取りができるのはエドワード、君しかいないと私も思う」
エドワードは数秒だけ考えたが、やはり首を振った。
「宰相を私がお引き受けした場合、特殊任務部隊の長は誰が務めるのでしょう?」
「現在部隊長を務めている者に任せてはどうか」
「彼なら任せても、まあ安心ですが……今まで表舞台に出なかった私がいきなり宰相となれば、反発する者も多いでしょう。今はこれ以上余計な軋轢を生み出すべきではありません。やはり宰相はお断りします」
「そうか……。ではエドワード、君は誰ならいいと思うんだね」
再び考えること数秒。
「ヘインズ総務大臣を推薦します。彼は素行に問題がなく、聡明な人物です。私との連携も上手くこなせるでしょう。さらに言えば、ヘインズ伯爵はすこぶる健康です。財務大臣は心臓に問題がありますし、外務大臣は、今の状況で代えるべきではないと考えます」
その場に居合わせた全員が考えたことは同じ。
(彼は各大臣の素行どころか、健康状態まで調べ上げているのか?)
しばしの沈黙の後、国王が決断を下した。
「ではスタンレーの後任にはヘインズ現総務大臣を選ぶことにしよう。君は今まで通り特殊任務部の長を頼む」
「かしこまりました」
「では続いて軍部大臣、軍部副大臣の人選だが、エドワード、今から挙げる人物に問題があれば意見を出してくれ」
「承知いたしました」
こうしてヨラナ様の息子であるコリン・ヘインズ伯爵が宰相に決まった。
エドワードはアシュベリー王国の政治を左右する判断を次々と下しながら、会議の行先を誘導する。
膨大な情報を頭に入れておきながら、それを悪用しない清廉な人格。強い愛国心、多くの貴族と円満な関係を築いている人柄。
エドワードの意見は、実に有用だった。






