61 鎮圧
屋根裏に逃れたデルフィーヌ王太子妃は、暗い屋根裏を両手両膝で進んでいる。自分の隣にはケイトの娘という少女。前後に三人ずつ第三騎士団の男たちが護衛についている。
影のケイトは「その子は役に立ちます。ご安心ください」と言っていたが、デルフィーヌの目にはとてもそうは見えない。華奢で愛らしい少女は、こんな場面でも泣き言を言わずに黙って付いてくる。
デルフィーヌは(自分を狙って軍の一部が反乱を起こした以上、私と一緒に行動させれば我が子が巻き添えで殺されるかもしれないのに)とケイトの考えが理解できない。同じ母親として腹立たしささえ覚える。
しばらく四つん這いで移動した先で、先頭の第三騎士団員が天井の一画をナイフでこじ開けた。
床まで結構な高さがあるが、男性は音もたてずに床に飛び降りた。すぐさまテーブルを移動させて穴の下に運び、「妃殿下、ここに飛び降りてください」と言う。
「この高さを……ですか」
この手のことに全く経験がないデルフィーヌは、テーブルまでの距離が恐ろしくて行動に移せない。
すると少女が「私が先に下り方をお見せします」と言って腹ばいになり、足先から下りて行く。一度両手で天井からぶら下がり、手を離した。少女も音を立てずにスタッとテーブルに立つ。
「妃殿下、私と同じ要領で下りてください」
「でも」
「大丈夫です。もし失敗しても、この人が受け止めてくれます。床に落ちることも怪我をすることもありません。ですよね?」
「そうです。この子の言うとおりです。さあ、妃殿下」
こんな切迫している事態なのに、少女は無邪気そうに微笑んでいる。
(ここで怖がってる場合じゃないわ。私が死んだら、オスカーとルーカスもこれ幸いと殺されるかもしれない。しっかりしなければ)
デルフィーヌは二人の息子のために覚悟を決めて、うつ伏せの状態から脚を下ろした。
両手で天井にぶら下がってから手を離す。テーブルにドシャッと落ちてバランスを崩し、倒れそうになる。が、すかさず先に下りた男性が受け止めてくれた。
「感謝します」
「さあ、すぐに移動しましょう」
案内されながら、部屋から部屋へと移動し、「ここから外に逃げられます」と言いながらドアを開けたのだが。
中には抜剣した男たちが五人いた。その男たちが血走った顔で、声も出さずに斬りかかってきた。
第三騎士団の男たちも無言で剣を受け止め、反撃に出る。敵と味方は五対六。
デルフィーヌは死を覚悟して足がすくんだ。
次の瞬間、隣にいた少女がナイフを持って、乱闘の中に飛び込んだ。
「危ない!」
叫んだが声が届いたかどうか。
少女はタタッと駆け寄ると、軍服を着た男の右肩にナイフを突き立てた。悲鳴をあげて男が剣を取り落とし、他の軍人が少女に剣を振り下ろす。
しかし少女は振り下ろされた剣の下をひらりとかいくぐって再び別の相手の右肩にナイフを突き立てる。
(なんと素早く動くのか)
デルフィーヌが驚いて見守る中、少女は怯えてもいなければ慌ててもいない。淡々と軍服の男たちの利き腕側の首と肩の間を狙ってナイフを突き立て、男たちを無力化していく。それも、剣を振り回して戦っている中に割り込んで仕留めているのだ。
少女は息も乱れていない。まだ抵抗しようとする軍人たちを見て、少女が相手の足元に滑り込む。ザッと床に滑り込んだ少女が立ち上がると、足首の腱を切られて一歩も歩けなくなった軍人たちがドン!と倒れる。デルフィーヌは驚きのあまりに目を丸くして見ているばかり。
少女に襲われた軍人たちは、全員が利き腕を持ち上げられなくなっていた。立てなくなっている者もいる。反対側の腕で戦おうとする者もいるが、戦闘能力はガタ落ちだ。軍人たちは、たちまち第三騎士団の男たちに制圧された。手早く縛り上げられ、声を出せないように口を塞がれて、男たちは床に転がされた。
「お嬢さん、すごいな」
「あの場所の筋肉を切ると、人間は腕を持ち上げられないから。殺すのは最後の手段て、師匠に言われてるの」
「師匠って……」
「早く移動しようよ」
少女に催促されて六人の男たちがデルフィーヌを囲んで移動を再開する。
「こちらです」と案内するのは部屋の隅。床板の隙間にナイフを突き立てて床板を外すと、人一人がやっと入れる穴が開いている。
「ここから外に出ます」
「こんな通路があったのですね」
「外壁と部屋の間に作られた避難路です」
再び前後を男たちに挟まれて穴に入るデルフィーヌとノンナは、ゆるい傾斜の階段を進み続けた。灯りは先頭の男が持つ短いロウソクのみ。
下りの傾斜が続いた通路はやがて平坦になった。
突き当たりのレンガの壁をガッ! ガッ! と男たちが足蹴りすると、レンガの壁はあっけなく崩れた。崩れた壁の向こう側には小部屋。木箱が山と積んであったが、どれも空らしい。軽々と持ち上げられ、動かされる。
「ここの壁だけは泥を使って積んであります。王家の皆様のための通路です」
崩れたレンガの壁の外は、城の使用人たちが使う部屋だ。
いきなり収納用の小部屋からぞろぞろと人が現れたのを見て、使用人たちは怯えた顔をしている。その使用人たちに、リーダーの男が声をかけた。
「反乱側の軍人はここに来たか」
「い、いえっ。誰も来ていません」
「そうか。では我々がここから出て来たことは他言無用だ。いいな?」
「はいっ」
使用人たちは城内で反乱が起きるという非常事態に、ここで息を潜めて様子をうかがっていたらしい。
デルフィーヌを含めた八人が出てきた穴をふさぐように言われて慌てて動いている。
使用人たちの部屋から場外へ出た一行の目に、千人近い数の軍隊が映った、
「デルフィーヌ様、間に合いました」
「あれは?」
「西の森へ向かった後発隊です。もうそろそろ戻って来るという連絡がありましたので」
「そうでしたか。ここまでの護衛と案内、助かりました。礼を言います」
「いえ。我々は王家に忠誠を誓っているのですから、当然のことです」
こうしてデルフィーヌは無事に王国軍に保護され、第三騎士団の六人とノンナはデルフィーヌ保護の役目から離脱することになった。
ノンナがリーダーの男の服の裾をツンツンと引っ張った。
「お母さんのところに行きたい。お母さんはどこ?」
「君のお母さんは任務中だ。邪魔をするわけにはいかないんだよ」
「私が役に立つことはわかったでしょ? 場所を教えてよ。一人で行くから」
「だめだ。計画が台無しになる」
「えええ。デルフィーヌ様はもう安全なのに」
六人の中で十七歳、最年少の工作員ミルズは、リーダーに「お前が責任を持ってこの子を最終の集合地点まで連れて行け」と言われてしまった。
反乱軍との戦闘のつもりでいたミルズにとって、そんな役目は本望ではないが、リーダーの命令は絶対だ。ミルズは仕方なく辺りをうかがいながらノンナを連れて王城の西塔を目指した。
「君はなんでこんなときにお城に来たんだい?」
「聖フローレン祭りに来たんだけど、お母さんが危なかったから助けようと思って」
「ああ、祭りを見に来たのか」
「うん」
少女と二人で城の敷地を進む。歩き出して数分後。
外通路の曲がり角から三人の軍人が飛びかかってきた。ミルズはとっさに大型ナイフで剣を受けたものの、三対一の事態に焦る。
すると背後にいた少女が、目にもとまらぬ速さで縦横無尽に動き、跳ねる。
戦いを終えた少女がスタッと通路に立ったときには、三人の軍人が動けなくなっていた。今回も殺さず無力化しているのが恐ろしい。少女の側に余裕がなければこんなことはできないということぐらい、最年少のミルズにもわかる。
そのミルズに少女が話しかけてきた。
「ねえ、こいつの剣、記念に一本もらってもいいかな」
「いや、だめだろう、普通」
「なんで?」
「軍人の持ち物は全て国の財産だからだよ」
「その国の財産で王妃を狙うようなヤツの持ち物だもん、一本くらいなら許されないかな?」
「やめてくれよ。俺が怒られるわ!」
「ふうん。残念」
少女はあっさり諦めて「早く行こうよ」と急かす。
(何者なんだろ、この子。なんであんなに強いんだ?)とミルズは好奇心を抑えきれない。
「君、名前は?」
「ノンナ」
「俺はミルズだ。ノンナの姓は?」
「姓を言っていいかどうかわからないから教えない」
「影役の人の娘なの?」
「そうだよ」
「なんでそんなに強いんだい? どこで学んだの?」
「それ言っちゃうと身元がバレるから、それも内緒」
「なんだよ。もったいつけて」
「へへん。お生憎様でした。それよりさ、あなたの短剣の動かし方、左側からの攻撃に弱いよね。弱いっていうか、遅い」
「そんなこと」
「そんなこと、ある。あの動きじゃ、そのうち左側からの攻撃で殺されちゃうよ?」
「……」
「まあ、いいけど。気をつけた方がいいと思う」
ミルズは自分が左側からの攻撃が苦手なのを自覚していたので、ノンナの的確な指摘に動揺した。この少女の強さは自分の目で見ているだけに、反論ができない。
「なあ、君にまた会いたかったらどうすればいい?」
「私? うーん。そうねえ。東区にヨラナ前伯爵夫人て人がいるから。その人に連絡をくれたら私に届くよ」
「えっ。貴族と知り合いなの?」
「うん。そこで働いている侍女のスーザンて人と仲良しなの」
「ああ、そういうことか。ヨラナ前伯爵夫人の家に連絡を取ればいいんだね?」
「うん」
「わかった。今度、鍛錬につき合ってくれるかい?」
「鍛錬ならいいよ。つき合う」
そんな会話をしながら歩き続け、西棟の一室に到着した。
ミルズが中の様子をうかがっていると、同じように耳を澄ませていたノンナが「大丈夫だよ」と言ってドアをいきなり開けた。
「おいっ」と小声で注意しているうちにノンナが部屋の中へと駆け込んだ。
「お母さん! よかった。無事だった」
「ノンナ!」
抱き合っている二人を見ながら、ミルズは(全然似てない親子だな)と思う。
ケイトという名の影役の女性がミルズを見て頭を下げた。
「この子を守ってくださり、ありがとうございました。助かりました」
「いえ。当然のことですので」
「違うよ、お母さん。私がミルズを守ったんだよ」
「え?」
驚いてこちらを見たビクトリアに、ミルズは苦笑した。
「嘘ではありません。本当にノンナさんに助けられました」
「ね?」
「ね? じゃないわよ。そもそもなぜあなたがあそこにいたの? ああ、今はそんなことより家に帰りましょう。よろしいですか?」
ビクトリアが振り返って許可を求めた副隊長は、苦笑いしながらうなずいた。
「王国軍も戻って来ましたので、いいでしょう。城門まで送らせます。のちほど、上司から連絡がいくと思います」
「承知しました。では、これにて影役から離脱します」
「はい。お疲れさまでした」
屈強な男たちに囲まれて城門に向かって去って行く二人。その二人を見ていたミルズが先輩の工作員に話しかけた。
「あの子の腕前、すごかったんですよ。一人で三人の軍人を倒しました」
「それを言ったら、影役のケイトも八人は倒したな。親子揃ってとんでもない」
「影役のあの人、いったい何者なんですか?」
「俺も知らん。マイクさんが担当なんだ」
「てことは、『部長案件』てことですか?」
「そうだ」
「ど、どうしよう。俺、あの子に今度会おうって言っちゃいました」
「あーあー。断りもなくあの子にちょっかいを出したら、部長に睨まれるぞ」
「うわあ」
特殊任務部隊の直属の長であるアッシャー伯爵は、氷のように無表情かつ頭が切れるので隊員たちに尊敬され、恐れられている。その部長の秘蔵っ子とは知らず、次に会う約束をしてしまったミルズが慌てる。
だがその一方で、またノンナに会って話をしてみたいと強く思う。
(ノンナの技、教わりたいなあ)
ミルズは、そんなことを考えていた。
その日、反乱軍は鎮圧され、王城には平和が戻った。
首謀者と反乱に加わった軍人たちは、後日裁判にかけられ、処刑されるだろう。ミルズは城内のあちこちで警備をしている王国軍の軍人たちを見ながら北棟の三階へと戻ることにした。






