59 反乱
屋台の主に扮していた男が、弓矢を放った。
ナイフで矢を払おうと思ったが、その矢は私を狙っていなかった。しかもその矢には火が燃えている。
同時にあちこちの屋台から火矢が放たれた。だが、「どこを狙っている?」と戸惑うほど火矢が狙っている場所はまちまちだ。
「どういうこと?」
広場の北側、私が立っている壇の近くに集まっていた数千の人々が、悲鳴をあげながら蜘の子を散らすように逃げだした。
たくさんの火矢は壇の近くにあった屋台や、広場を飾る布や紙の飾りを燃え上がらせている。火を放った男たちはどこへ? と探したが、既に姿はない。群衆に紛れ込んだか。
おかしい。ここは二の矢、三の矢を放ち、騒ぎに乗じて一気に攻撃してくるべき場面なのに。
「マイクさん、これは陽動作戦なのでは?」
「今はとにかくこちらへ!」
マイクさんに背中を押されて壇を下り、城に引き返そうとした。走りながら背後から私を狙う者がいないかと、素早く後ろを振り返った。
一斉に動いている人の波の中、逃げる人たちとは逆に、こちらに向かう金色の髪の小柄な姿を一瞬だけ見たような気がした。(まさかノンナ?)と思ったがマイクさんに背中を押される。
「早く!」
「でも」
もう一度背中を強く押され、城に向かって走り始めた。私に付き添おうとする騎士たちはいない。
なるほど。マイクさんが割り込んだ時点で、私が影であることは騎士たちに知られていたわけだ。
私とマイクさんは、もうすぐ城の入り口に着く。
大きな鉄格子の門が、人一人分を残して閉められ、槍を持った兵士が「早く!」と叫んでいる。私はこれを最後と振り返った。
第一騎士団と第二騎士団の騎士たちが、剣を抜いて火矢を放った男たちを探している。
王城前広場の出入り口は四か所ある。だが三方向で火の手が上がっているせいで、避難する人々は南側の出入口に集中している。その中にノンナらしき姿は見えない。
(見間違いか)
そう思って前を向いたとき、群衆の叫び声を貫いて聞き慣れた声がはっきりと聞こえた。
「お母さんっ!」
マイクさんと二人で同時に振り返った。
ノンナは広場を走って来るのではなく、燃えていない屋台の屋根や、広場を囲む大木の枝を飛び移りながらこちらに向かって進んでくる。
なんでノンナがここに? エドワード様の家じゃなかったの?
思わず唇を噛んだ。
今更来るなと言ってもノンナは来る。私は足を止めてノンナが追いつくのを待った。ノンナは一番手前の屋台の上からひらりと飛び下り、金色の三つ編みをなびかせながら猛烈な速さで駆け寄ってきた。
「よかった! お母さん、無事だった!」
「話は後よ。一緒に来なさい」
なぜここにいるのか問い質したいのは山々だが、それは後だ。私、ノンナ、マイクさんの順に門をすり抜け、城の奥へ向かって走った。背後でガシャン!と大きな音を立てて門が閉まった。
お城の中の人影は少ない。たまに見るのは、抜剣して殺気立った軍人たち。マイクさんはなぜか彼らに見つからないよう、私を隠しながら移動している。今も無人の部屋に押し込められた。
「いたかっ?」
「こちらにはいないっ!」
「おい! そっちはどうだ?」
呼びかけられたマイクさんが「この部屋にもいない!」と叫び返した。
彼らは叫びながら次々とドアを開け、中を確かめている様子。誰を探しているのか。状況がわからず腹立たしい。私とノンナはマイクさんに導かれ、城の北棟方向へと進んでいる。いや、それは違うだろうとマイクさんを引き留めた。
「待って。どこへ行くんです? 私とノンナなら自分の身は自分で守れます。私たちを隠したり守ったりしてくれなくて結構。今はデルフィーヌ様を守らなければ!」
思わず声を荒げてマイクさんに詰め寄った。だがマイクさんは唇に人差し指を当てて「しっ」と言い、『ついて来い』と手で合図するのみ。苛立ちながらマイクさんにつき従って北塔へと進む。やがて三階の一室に着いた。入り口には『資料管理部』の表示。
私とノンナはマイクさんに中に入れと動作で促される。私たちは中に入り、そして絶句した。
部屋の中には、王族用の隠し部屋に向かったはずのデルフィーヌ様がいた。
デルフィーヌ様の周囲には、目つきの鋭い私服の男たちが十人ほど。全員が黒いニット帽を目深に被っている。彼らの雰囲気ですぐにわかった。彼らは軍人でも近衛騎士でもない。第三騎士団だ。
デルフィーヌ様は侍女服を着ているだけでなく、茶色のカツラをつけている。青い瞳はそのままだが、前髪を目にかかる位置まで下ろしているから、目の青は一見しただけではわからない。
マイクさんは私とノンナを中に入れると、私の耳元で「影を全うしてください」と言い、『その子はなんだ?』という顏の男たちに向かって無表情に告げる。
「この子は有能だ。私より強い。妃殿下と共に行動させるように」
マイクさんはそれだけを言って騎士服姿で出て行ってしまった。
諸々、説明が全く足りていないけれど、工作員の現場はそういうものだったことを思い出す。
『察して動け』、そのひと言に尽きる。
それまで黙っていたノンナが小声で話しかけてきた。
「お母さん、私も参加していい? いいよね?」
「いいも悪いも。ここまで来ちゃったじゃない。ノンナ、今の私はあなたを最優先にはできない。自分の身は自分で守って。いいわね?」
「うん。任せて。……ふっ」
ノンナは必死に無表情になろうとしているけれど、これ以上ないぐらいに楽しんでいるのがだだ漏れだ。きっと全力で戦えると胸を躍らせているのだろう。
私は心のなかで(はあぁぁっ!!)と苛立ちを込めて盛大にため息をついた。
まさかノンナがここに来るなんて! 想定外にも程があるわ!
「では、ここから再び私がデルフィーヌ様役を務めます」
そう言うと、男たちが無言でうなずいた。私が男たちの真ん中に入り、デルフィーヌ様は集団の後ろへ。壁の前まで移動し、一人の男性に導かれて椅子、机、書棚とよじ登り、書棚の上から天井裏へと引き上げられて行く。
「ノンナ、あなたも行きなさい」
「お母さんと一緒にいるのはダメなの?」
「絶対にだめ」
「わかった」
「ノンナ、敵を倒すことより自分が生き残ることを最優先に」
「わかった」
「あなたは誰にも守られない。覚悟して」
「わかってる」
「デルフィーヌ様をお守りして。武器は?」
「持ってる」
「ノンナ」
「なに?」
「愛してるわ」
「私もだよ、お母さん」
ノンナは天井裏に向かい、差し出された手につかまり、軽々と姿を消した。
椅子と机は素早く元の位置に戻された。
天井裏からデルフィーヌ様の落ち着いた声がした。
「ケイト、頼みました」
「お任せください。その子は役に立ちます。ご安心ください」
天井の板が元の位置に戻された。
「現在の状況は?」
そう問いかけて周囲の男たちを見ると、リーダーらしい人が説明してくれた。
「軍の一部が、『王太子妃に国王陛下毒殺計画の疑いあり』と言いだし、議会の許可なくデルフィーヌ様の身柄を押さえようと動いたのです。かなり統制のとれた動きを取っているので、入念に準備された計画だと思います」
「なるほど」
「現在、軍は二分しているようです。どちらも同じ軍服なので見分けがつかず、我々は様子見しつつ妃殿下をお守りしています」
デルフィーヌ様を殺害しようとしたのに上手くいかず、エリーさんも消えた。
自分の身が危なくなったことに焦った誰かがデルフィーヌ様に罪をなすり付けるために悪あがきを始めたというところか。
おそらく首謀者は軍務副大臣のブライアン・ウィルクス。
「軍の中でどれだけの数が寝返ったのか。それ次第ですね。陛下と王太子殿下は?」
「我々の仲間が別の場所でお守りしています」
遠くから騒がしい声と足音が近づいてきた。私服の男たちの緊張感が強まる。今の私の役目はただひとつ。デルフィーヌ様の影を全うすることだ。
私は男たちの真ん中でベールを下ろした。前に立つ男性の背中に隠れるようにして少し腰をかがめる。
ドアがバンッ!と乱暴に開かれ、剣を持った軍人たちがなだれ込んできた。






