57 デルフィーヌの苦悩
「デルフィーヌ様、少々お尋ねしたいことがございます」
「なあに?」
本来なら私の方から妃殿下に話しかけることは許されないが、今回の件は影として仕事をする上で避けられないことだからお許し願おう。
私はデルフィーヌ様の髪をとかしながら、鏡の中で青い瞳と視線を合わせた。
「ニーナさんを使ってエリーさんに毒を摂取させたのは、デルフィーヌ様……でございますね?」
デルフィーヌ様は全く動じることなく「はて?」という表情になり、それからほんのり微笑んで私に問い返した。
「私が? あんなに忠実な侍女に私が毒を食べさせるわけがないでしょう。ケイトったら、ずいぶんおかしなことを言うのね」
「庭のゴミ捨て場に、妃殿下ご愛用の化粧水の瓶が隠すように捨ててあったのですが、蓋には間違いなくデルフィーヌ様がお使いの品の香りが残っていました。瓶の本体は匂いが消えるまで洗ったのでしょうけれど、蓋のコルク部分に匂いが染み込んでいました。恐れ多くも妃殿下と同じ香りを使う者は城内におりませんし、デルフィーヌ様がお使いの品を、たとえ空瓶であっても処分できるのはエリーさんだけです」
デルフィーヌ様の美しい顔から表情が消えた。
「それで?」
「私は、デルフィーヌ様の化粧水の空き瓶に毒が詰められて持ち込まれたのでは、と推測いたしました。妃殿下の化粧品を管理するのはエリーさんだけです。毒が入っていた化粧水の瓶は、エリーさんが事後に捨てたのでしょう。エリーさんは中の毒薬を小さな容器に移して、袖などに隠して料理を運ぶ途中で料理に注いだのでしょう。なのになぜ毒見した自分が死なないのか、エリーさんは驚き慌てたはずです」
「エリーが自分で毒を飲んだのなら、なぜ私のせいだと言うのかしら?」
「エリーさんが飲んだ毒は、弱い毒でした。エリーさんを死なせたくなくて、デルフィーヌ様が指示して弱い毒にすり替えさせたのではありませんか?」
鏡の中のデルフィーヌ様は、毅然とした表情で私を睨んだ。
「無礼にもほどがあるわ。あなたは大人しく影を務めていればいいの」
「私は国の組織から依頼を受けて影を務めておりますので、知り得たことは国に報告する義務がございます。毒殺未遂事件に妃殿下が関係していたことも。徹底した調査が行われるでしょうし、国王陛下とコンラッド殿下にも報告がなされ、妃殿下がなさったことには貴族議会が口を出すでしょう」
デルフィーヌ様の表情が少しだけ歪んだ。
毒を用いたとなれば、エリーさんはもちろんのこと、王太子妃であっても罪に問われる。陛下や王太子がいる王城に毒を持ち込み、使ったことは重罪だ。
今回の真相が公になれば今の地位を失うだけではない。将来の国王であるお子様たちとも引き離される。他国出身のデルフィーヌ様のお立場はそれほど強くはない。
しばしの沈黙。
私は鏡の中の青い瞳を見つめ続けた。無礼だろうが不敬だろうが、ここで気力負けするわけにはいかないのだ。
突然、デルフィーヌ様は「ふぅぅぅ」とため息をついた。その整ったお顔に浮かんでいたのは、気迫でも王族の威圧感でもない。一人の苦悩する女性の表情だ。
「素人の私が考えることなんて、あなたのような専門家が調べたらこうしてすぐに見破られてしまうものなのね。上手くいくかと思ったのに」
デルフィーヌ様はドレッサーに置いてある愛用の化粧水の瓶を手に取った。ゴミ捨て場に捨てられていたのと同じ形の、美しいガラス瓶だ。
「私が使っている化粧水の香りはどれも、イーガル王国北部に咲く白い野の花の香りなの。祖母も母も愛用している思い入れのある香りよ。それを毎月使者が届けに来るのです。化粧品と一緒に、私の身を案じている祖父や父からの伝言も口頭で一緒に届けられるわ」
「そうでしたか」
「エリーの実家のことも使者から聞きました。だからニーナにエリーを探らせたのだけど」
「エリーさんの部屋から猛毒が見つかったのですね?」
「ええ。口にすれば数時間も苦しんだ挙句に死ぬ毒だったそうよ。私程度の毒慣らしではどうしようもない強い毒だと聞きました。ニーナは毒に詳しい人なの」
そこでデルフィーヌ様の青い目にみるみる涙が盛り上がる。
まるで目の前で美しい宝石が生まれているかのようだった。
「近いうちに私に毒が使われるようだと知らされたけれど、エリーに私を殺せないことはわかっていました。どうしても私を毒殺しなければならなくなったら、エリーは自分が毒を飲んで死ぬだろうと思いました。彼女はそういう忠義者だもの」
「だからエリーさんが猛毒を飲む前に、ニーナさんにすり替えさせたのですね」
「そうよ。それならエリーは死なずに済むし、私の毒見役が二度も毒で倒れたとなれば、さすがに第三騎士団が動いてくれると思ったの。私は私の死を願っている人物を、第三騎士団に捕まえてほしかった」
そこから先が、私の一番知りたいことだ。
「第三騎士団に動いてもらうために、なぜデルフィーヌ様がそこまでしなければならなかったのでしょう。王族の安全管理の本当の責任者で、かつ第三騎士団を阻むことができる人物。さらにデルフィーヌ様がお命を落とせば得をする者。それは誰なのか、妃殿下はご存じなのでしょう?」
「今、イーガル王国は不安定なの。イーガルの不利になるようなことは、この国の重鎮たちに知られるわけには……」
そうか、デルフィーヌ様は『イーガルの人間が自分を殺そうとしてるから助けてほしい』と訴えれば、イーガルと自分の両方の立場が悪くなると考えたのか。
「デルフィーヌ様が握っていらっしゃる情報を教えてください。そうすれば、第三騎士団が対処してくれます。猛毒をエリーさんに渡した人物が、いつかオスカー様とルーカス様を手にかけるかもしれません。子供を事故死に見せかけて殺すことなど、暗殺の専門家にはたやすいことです」
我が子を愛する母親の気持ちを知っている今、使いたくはない手だ。だが、このままだと妃殿下の次にあの二人の少年は事故を装って始末される可能性が極めて大きい。
デルフィーヌ様を亡き者にしてから新たな王太子妃を送りだして得をする人間は、イーガルにたくさんいる。そいつらからの見返りが欲しくてデルフィーヌ様やお子様方を殺そうとする人間もまた、アシュベリーにはいるだろう。
「そうね。私だけで済むわけがないわよね。息子たちがいる限り、私を殺してもそれほど意味はないわ。ケイト、あなたを信じます。私と息子たちを助けてほしい」
「もちろんでございます。それで、妃殿下のお命を狙っている人物とは、誰ですか」
「イーガルの反王家派とつながっているのは、この国の軍務副大臣、ブライアン・ウィルクスよ。イーガルの特殊任務隊から父へと伝えられたそうなの。でも、その情報が本当かどうか、私には判断がつかない。誰を信じてどう動いたらいいのか、もう全くわからないのよ」
デルフィーヌ様は両手で顔を覆ってしまった。
「教えてくださり、ありがとうございます。とりあえず軍務副大臣が一枚かんでいる可能性があることと、イーガルの特殊任務隊からの情報であること。この二つを第三騎士団に伝えます。妃殿下、もうエリーさんのことは心配ご無用です。私が自殺なんかさせません」
「ああ、ケイト。エリーを助けてあげて。お願い。この通りよ」
デルフィーヌ様は私の右手を両手で包むようにして、そのままご自分の額に押し当てた。






