52 ビクトリアの仕事とノンナの遊び
「ケイト、これが祭で着てもらうドレスよ。試着して」
「はい、エリーさん」
デルフィーヌ様用のドレスが並んでいる部屋で、私はエリーさんと二人で試着をしている。
「サイズ直ししなくても大丈夫ね。『あの人たち』が選んだだけあって、ケイトとデルフィーヌ様は体格が同じだわ」
「金髪のカツラをマイクさんが持ってきてくれますので、少し離れれば見分けがつかないかと」
「声はあなたの方が低いけれど、大丈夫なの? 祭の開催を宣言するのに続いて王太子妃殿下のお言葉があるのだけれど」
私はエリーさんを安心させるためにデルフィーヌ様の声を真似してみせた。
「心配はいらないわ、エリー。そのための影ですもの。声と口調を真似するのも仕事のうちなの」
「……まぁ」
エリーさんははっきりと『怖いものを見た』というような顔になった。
「いかがでしょう」
「驚いた。目をつぶって聞いたらデルフィーヌ様がしゃべっていると勘違いする仕上がりだわ。以前影を務めた人とは似ているレベルが違う」
「光栄です」
「ちょっと寒気がしたわ」
「ありがとうございます」
服を着替え、並んで歩くエリーさんとの距離が、来た時よりも若干離れているのは気のせいではない。
(本当に怖がられてしまった)と思いながらエリーさんに話しかけた。
「エリーさんはいつからデルフィーヌ様にお仕えしているのですか?」
「デルフィーヌ様が十歳のときからです。デルフィーヌ様はお生まれになったときからコンラッド様に嫁ぐことが決まっていたからでしょうか、十歳にして既に大人びていらっしゃいました」
「十歳で……。そうでしたか」
「なんでもできるのが当然で、少女時代から王族の振る舞いを求められて。心が休まることはなかったと思います。そのような日々に耐え抜いて今のデルフィーヌ様がおありになるのです」
「エリーさんが心の支えだったのかもしれませんね」
「さあ、どうでしょう。ですが毒入りのスープで私が倒れたとき、初めてデルフィーヌ様は取り乱して泣いていらっしゃいました」
「毒見係ではなく、エリーさんが毒見をなさっているんですか?」
「ええ、デルフィーヌ様の分だけは私が。死ななかったのは幸いでした。毒慣らしを済ませておいたおかげです。あっ、忘れないうちに伝えておきます。本日の二十一時から深夜二時までは他の者がお付きの仕事に入ります。ぐっすり眠れますよ」
「ありがとうございます」
(その時間に調べたいことがいろいろあるのよね)
二十一時になるのを待って別の侍女と交代し、私は城の中を移動した。毒殺未遂があったからか、王族の居住区域は護衛の数が驚くほど多い。
まずは厨房の前へ。
料理人が残っている時間だから中には入らない。そのまま厨房から王族の食堂まで、料理が運ばれるルートを確認した。
誰かが隠れられそうなドアは全て衛兵から見える。彼らに見とがめられずにこっそり毒を入れられそうな場所は、一ヶ所もなかった。毒入り事件の前もこうだったのだろうか。マイクさんに確認しなければ。
私の休憩時間には、マイクさんが決められた場所で待機している。マイクさんが待っているのは王族の居住区域に一番近い一般区域の家具収納部屋だ。
「お待ちしていました、ビクトリアさん」
「早速ですがマイクさんに頼みたいことがあります」
マイクさんに調べてほしいことをいくつか頼んだ。マイクさんが「え?」という顏をする依頼もあったが、必ず調べるよう念を押した。
「それと、ノンナは元気にしていますか?」
「ええ。現在はアッシャー伯爵家でブライズ様が面倒を見ています」
「ブライズ様? なぜです?」
「詳しい事情は私にはわかりません」
「そうですか。なにかしらあったんでしょうね。万が一にもあの子がお城に忍び込んだりしないといいのですが」
マイクさんの目が少しだけ泳いだ。無表情なマイクさんにしては珍しい。もしやノンナは既に城に忍び込んだ後なのか。だが伯爵家にいるのなら捕まってはいないということだ。
「ノンナに手紙を書きます。ノンナに渡してもらえますか? 私が無事とわかれば無茶なことはしなくなるでしょう」
「わかりました」
すかさずマイクさんがメモ用の紙とペンを差し出したので、テーブルの上で急いで短いメッセージを書いた。
『ノンナへ 私は安全な場所で働いています。家に帰ったらあの空き家の近くで一緒に鍛錬をしましょう。それまで必ず大人しくして待っていてね。 母より』
「それだけですか」
「ええ。これだけできっと伝わります。大丈夫。では私はそろそろ」
「くれぐれも気をつけて。これ、頼まれていたものです」
「助かります」
マイクさんと別れ、渡された下級侍女の制服に着替えた。
下級侍女の憩いの場である食堂へ足早に向かう。この時間が侍女たちの夕食の時間であることは、衛兵から聞き出してある。
食堂は混雑していた。大きな笑い声、おしゃべりの声、食器のぶつかる音。普段は無言で働いている女性たちが、リラックスして本音を丸出しにしていた。
私はうつむきがちに進み、スープとパン、ゆで鶏の薄切りに茶色いソースがかけられている皿を受け取った。
「塩と酢はテーブルにあるよ。自分でかけて。新入りかい?」
「はい。よろしくお願いします」
賑やかな集団の近くに腰を下ろした。
「最近さあ、警備兵の数が多くないかい? どこで仕事をしていてもジロッと見られるから落ち着かないよ」
「ほんとほんと。何も悪いことしてなくてもドキドキしちゃう」
「ちょっと、そこのあんた、塩を取って」
私は少し背中を丸め、緊張したような表情でそちらを見た。
「は、はい。どうぞ」
「ありがとね。あんた、新入り?」
「はい。よろしくお願いします」
「ん? 南部の出身かい? 訛りがあるね」
「はい。公爵領の出身です」
「そう。がんばりな」
「はい。ありがとうございます」
この日から私は夕食を毎晩下級侍女たちの食堂で食べた。上級侍女は数が少ないから紛れ込みにくいし、こんなに開けっ広げにしゃべらない。
下級侍女は王太子妃との接点はないが、噂は思いがけないところまで広がるものだ。有用な情報が一見どうでもいい話として語られることもある。
毎日手ごたえがないまま私は食堂に通った。
その話を聞いたのは、下級侍女たちと夕食を食べ始めてから二週間以上過ぎたある夜のこと。
「そういやマリン、おしゃれな化粧品を持ってたね。買ったの?」
「ああ、あれは空き瓶を拾って中身を入れ替えただけ。中身はただの馬油だよ。でも、あんな高級な化粧品の瓶、捨てる人がいるんだから、やっぱりお城はすごいところよね」
「なぁんだ馬油か。だけどいいもの拾ったね。どこで?」
「ゴミ捨て場。落ち葉を集めて捨てに行ったら、あの瓶が落ち葉から顔を出してたんだよね。風で上にあった落ち葉が飛ばされたみたい」
「へえ。いいわね。今度見つけたら私にもちょうだいよ」
「いいわよ。次があったらあんたにあげる」
私は空き瓶を見つけた下級侍女の顔を覚え、その夜は自分の部屋に帰った。
翌日の休憩時間。夕食前の時間に彼女たちの寝起きする階のランプに油を足しながら彼女が部屋から出てくるのを待った。脚立に乗って作業をしている私に、誰も注意を向けない。
本来は昼間に行う作業だが、『脚立に乗ってランプの油を足している人』は景色の一部として見逃されがちだ。
空き瓶の侍女が出てきた。部屋の場所を確認し、侍女たちが全員いなくなるのを待った。彼女たちは時間をずらして食事をするはずだから、モタモタしていれば別の部屋の侍女たちが戻ってきてしまう。
素早く彼女の部屋の鍵を開けて部屋に入り、引き出しを漁る。
すぐに探していたガラス瓶が見つかった。透明度が高く薄いガラスの小瓶だった。安いガラスは気泡が入っているし、ここまで薄くない。蓋を開けて匂いを嗅ぐと、確かに中身は馬油。蓋の内側の匂いも確認してからガラス瓶を元に戻した。
部屋を出ようとしたら足音とドアの鍵を回す音。戻ってくるのが早すぎる!
「今夜は気忙しかったわね」
「混んでたわね」
ドアが開けられる前にベッドの下に潜りこんだ。さて困った。ここで見つかって泥棒扱いされたら騒ぎになる。仕方なくベッドの下で息をひそめ続けた。
二人の侍女は「ゆっくり味わいたかったわね」「立って待っている人がたくさんいるんだもの。私、大急ぎで食べたわ」と言いながらベッドに腰かけておしゃべりしている。
彼女たちが眠りに就いて軽くいびきをかき始めるまで、二時間ほど待ってから部屋を出た。
さっさと部屋に戻って眠らねば。
※・・・※・・・※
「わ! お母さんの字! ありがとうございます、マイクさん」
「ビクトリアさんがノンナさんのことを心配してましたよ」
「ええー。私はちゃんといい子にしてるのに」
「そうですか」
マイクはノンナがヨラナ元伯爵夫人を頼って城に潜入しようとしたことを聞いている。マイクは(どの口が言うのやら)と苦笑したくなるのを我慢して無表情にうなずいた。
「マイクさん、暇?」
「暇ではありませんが、なんでしょう」
「私とおばあ様の遊び、見てよ。面白いから」
「ほう。拝見しましょう」
常に仕事に追われているマイクだが、(この子の様子を知るのも仕事のうちか)とノンナに案内されてコートニーがいるサンルームに移動した。
ソファーに座っていたコートニーは、入って来たノンナとマイクを見て上品に微笑んだ。
「あらノンナ、お客様?」
「はい。私のお友達です」
ノンナに友達と言われ、マイクは一瞬ノンナを見た。ノンナは楽しそうな顔でコートニーを見ている。(まあ、いいけど)とマイクはにこやかに挨拶をした。
「初めまして。ノンナさんの友人のマイクと申します」
上司のエドワードからは『母は記憶が現在と過去を行ったり来たりしている』と聞いていたが、今のコートニーはそんなふうには見えない。
「おばあ様、マイクさんに私たちの遊びを見てもらおうと思って連れてきました!」
「ふふふ。いいわよ」
「じゃあ、始めますよ」
「ええ、どうぞ」
ノンナはボールを持ってきた。羽根枕を細紐でグルグル巻きにして丸くしたもので、大人の頭より二回りほど大きい。
「行きますよ! じゃあ最初は猫!」
羽枕ボールを両手で持つと、ノンナがコートニーに向かって下から上へと山なりに投げた。(あっ)と慌てるマイクだったが、コートニーは椅子に座ったまま危なげなくボールを受け取り、少し考えてからそれをノンナに向かって投げ返した。しかも、ノンナから結構離れた場所に。
「いくわよノンナ、ウサギ!」
「うーん、うーん、カエル!」
「そうねえ、ではバッタ!」
「キュウリ!」
「ほうれん草」
「どう? マイクさん。ルールがわかりますか?」
「共通点があるものを返すのですね?」
「さっすがぁ。これ、小さい頃にお母さんとよくやってた遊びなの! そのとき使ったのはこれくらいのボールだったけどね」
これくらい、とはリンゴくらいの大きさらしい。
コートニーはわざと毎回ノンナから離れた場所に放っているのだが、ノンナはそれに横っ飛びに飛びついたり、床に落ちる前に足の甲で蹴り上げてから手で受け止めたりしている。時には受け取ってからコロンと床で回転してからスチャッと立ち上がる。
(なるほど、ハグルの元エース工作員はそんな遊びをしながら子育てをしていたのか)とマイクは興味深い。そのマイクにコートニーが優しい声で話しかけてきた。
「ノンナが来るまではあまり動くことも頭を働かせることもない生活でしたけど、こうして元気の塊みたいなノンナと遊ぶのはいい刺激になります。今は昼間こうしてノンナと遊んで夜はよく眠れます」
「それは何よりです。ノンナさん、コートニー様、私は仕事がありますので、そろそろ失礼いたします」
城まで歩きながらマイクが微笑んでいた。
「やっぱりビクトリアさんには教官を務めてもらいたいなあ。だめかなあ」






