48 ミアとデルフィーヌ様
その女性は王城の北棟の一室にいた。
顔を包帯でグルグル巻きにされ、片腕を三角巾で肩から吊っていた。
なんの連絡もなしに部屋を訪れた私たち三人を見て驚いた顔をした、ように見える。目と口を除いて顔が包帯で巻かれていたので細かい表情はわからなかった。
「ミア、突然訪問して悪いな。君の話を聞きたいという人を連れてきた」
「承知いたしました。この度は私のミスでご迷惑をおかけしています」
ミアと呼ばれた女性はベッドの上に上半身を起こした状態で、マイクさんに丁寧に頭を下げた。私とジェフリーはマイクさんに勧められて椅子に座った。マイクさんは立ったままだ。
四人が向かい合い、話が始まった。会話をするのは主に私とミアさん。
「初めまして。先ほどあなたの代役を依頼された者です。そこまで殴られた状況を聞いてから引き受けるかどうかを判断したいと思っています」
「殴られたときの状況、ですか」
「そうです。専門職であるあなたが、なぜそこまで殴られるままだったのでしょう」
「少々話が長くなりますが、ご説明いたします」
ミアさんは私たちの入室時に私とジェフリーをほんの一瞬だけ見た後は、一切顔を見ない。
私たち夫婦の胸の辺りに視線を向けている。『あなた方のことは見なかったことにします』という意思表示だろう。
「とある人物の動向を探るために配置されていた屋敷に、同郷の幼なじみが就職しました。彼女は私を見るなり本名を呼んで『結婚したと聞いていたのに、ここで働いていたのね!』と無邪気にしゃべりました」
ミアさんの説明によると、その日から潜入先で密かに監視されるようになったそうだ。三年も前から潜入していたミアさんは、潜入先の主の重要な秘密をつかみかけていた。
王都で重要な仕事があると連れて来られたとき、就職したばかりの幼なじみも連れて来られた。通常ではありえないことだ。
ミアさんは(主は幼なじみを私に対する人質に使うつもりだ)と思ったそうだ。
そんな状況のときに王太子妃の影の仕事が入り、ミアさんは潜入先を抜けようとした。
だが抜けようとしたところで縛られた幼なじみを見せられた。ミアさんは幼なじみの前で、潜入の目的とミアさんの真の雇い主を白状するよう暴力を振るわれたそうだ。
「そんなに殴られてまで、ミアさんは何を確かめたかったの?」
「幼なじみが本当に偶然私の前に現れたのか、私の正体を探るために呼ばれたのかを確かめたかったのです。もし前者なら彼女を置いて自分だけ抜け出すわけにはいかないと思いました」
「……そうですか」
「殴られている私を見ている彼女の様子で、彼女は本当に偶然、私の前に現れたのだと確信しました。なので反撃して男たちを倒し、二人で逃げ出しました」
「工作員としてはずいぶん甘い判断でしたね」
「はい。こうして王太子妃様の影を務められなくなった以上、申し開きは致しません」
私だったらどうしていただろうか。
私には身を挺してかばうような幼なじみはいない。けれど組織の後輩が危険にさらされるのを知っていたら、やはり同じ行動を取っていたように思う。
三人が私を見ている。私はジェフリーの目を見た。
「私は彼女の代わりを務めたい。きれいごとは言わないわ。私がやりたいの」
「……そうか」
「ごめんなさい、ジェフリー」
「マイク、俺から条件をつけさせてもらおう」
「条件とはどのような」
「俺が警備につく」
「それはダメよ。近衛ではないあなたが警備に就いたら、みんなが『なぜ?』と思うでしょう。私の正体がバレてしまうわ。あなたは変装のしようがないほど知られているのだもの、無理よ」
「だが!」
「必ずあなたのところに帰ります。私を信じて。ノンナを頼みます」
マイクさんは無表情ながら明らかにホッとした雰囲気になった。
一方ジェフリーからは不安と苦悩が強く漂ってくる。
「早速ですが、王太子妃デルフィーヌ様との面会の場を設けます」
マイクさんがそう言って私たちを促して部屋を出ようとしたとき、ミアさんが私を呼び止めた。
「奥様、私の甘い判断のせいで巻き込んでしまい、申し訳ございません」
「あら、気にしないでいいのよ。私は私のためにこの仕事を引き受けるの。ここで断ってデルフィーヌ様になにかあったら、一生寝覚めが悪そうじゃない?」
そう言って最後は笑顔で部屋を出た。
私たちは使用人が使う裏階段を上り、何度も曲がりくねったルートで豪華な部屋に通された。
部屋は広く、贅を尽くした調度品が並んでいる。王族の私的な部屋のようだ。マイクさんはいったん部屋を出た。
しばらくしてマイクさんが戻り、やがてドアが開いて侍女と共にデルフィーヌ様が現れた。
輝く金髪、青い瞳。体格は私とほぼ同じ。目の色をどうしたものか、と考えながら私は淑女のお辞儀をした。侍女はすぐに退室し、部屋には私、ジェフリー、マイクさん、デルフィーヌ様の四人。
「あなたが影を務めてくれるのですか」
「はい」
「楽にして。目が茶色なのね。そこはどうするの?」
「恐縮でございますが、デルフィーヌ様に今後しばらくはネットの付いた帽子を被っていただければ、祭りの際に私がネット付き帽子を被っていても疑われないかと存じます」
「そう。そうするしかないでしょうね」
そこで私はマイクさんに視線を向けた。
「マイクさん、この四人以外の人は遠ざけてもらえませんか? そちらの壁の裏から覗いている人がいますよね?」
「すみません。私は人払いをお願いしておきましたが」
マイクさんが申し訳なさそうに私を見てからデルフィーヌ様を見た。
「離れなさい」
デルフィーヌ様が壁に向かってそうおっしゃると、視線が感じられなくなった。
「あの視線に気づかないようでは影をお願いすることはできないと思っていました。合格です。早速ですが、今日から私の近くにいて、私のしゃべり方、歩き方などを観察してもらいます。王城勤務の者を、いえ、王太子殿下や陛下も欺けないようでは、影は務まりません」
「かしこまりました」
「悪いわね、ジェフリー。シェン国から帰って来たばかりだというのに」
「本人の希望ですので」
「そう。アッシャー子爵夫人はこういう仕事を務められる人だったのね」
「……デルフィーヌ様、どうか、」
「わかっています、アッシャー子爵。余計なことは言いませんから安心を。陛下と殿下には『影を使う』とだけ伝えます」
「ありがとうございます」
デルフィーヌ様は胆が据わった女性のようだ。夫と義父にも私の正体を黙っていてくれるという。それがどこまで通用するかは、私次第だろう。
「では、アッシャー夫人には本日から私付きの侍女を務めてもらいます。部屋も私の部屋の控えを使いなさい」
「かしこまりました」
「では、マイクとアッシャー子爵はここまでにしてもらいます」
マイクさんとジェフリーは一礼して部屋を出て行った。ジェフリーは私を見なかった。私も視野の端で見送ったものの、ジェフリーと視線を交わらせることはしなかった。私はもう、王太子妃付きの侍女であり影だ。私情には蓋をした。
リン! とデルフィーヌ様がガラスのベルを鳴らすと、侍女が一人入って来た。
「この者に侍女服の用意を」
「はい」
私を一瞥してから侍女は下がった。そしてすぐに侍女服と靴を手に戻って来た。
きっと一瞬で侍女服のサイズを判断したのだろう、服は私にぴったりだった。
部屋には再び私とデルフィーヌ様の二人だけになる。
「私の食事に二度、毒が仕込まれました。毒への慣らしは?」
「ひと通り済んでおります」
「武術は?」
「体術、短剣が得意です」
「言葉は?」
「ハグル語、ランダル語、イーガル語、アシュベリー語はその国に生まれた者と同様に。スバルツ語は日常会話程度なら」
「私の母国のイーガル語も?」
「はい」
デルフィーヌ様はフッと笑った。
「そんなあなたが、なぜ王太子殿下お気に入りのアッシャー子爵の妻なのか、そのうち聞かせてくれるかしら」
「はい、そのうちに」
「では、これから聖フローレン祭まで、よろしく頼みます」
「お任せください」
一度家に戻れるかな、ノンナの顔を見たかったな、という考えは即座に捨てた。
六年ぶりにこの手の仕事に戻るのだ。
私の行動を許してくれたジェフリーのためにも、愛するノンナのためにも、甘いことはもう考えない。ハグルの特殊任務部隊でエースだった頃の私に戻らなければ、命を落とすかもしれないのだから。
二か月後の聖フローレン祭の日まで、この仕事を無事に成し遂げることに専念しよう。
生きてあの二人のところに帰るのだ。
家族への罪悪感を感じてもなお、私はこの仕事を完遂したいと思った。
※・・・※・・・※
マイクはエドワードの元に向かいながら胸の中でつぶやく。
(とっさに名前をミアと呼んだが、ミアは事情を察してくれたな。協力者とはいえ、ビクトリアさんに彼女の工作員名は教えるわけにはいかないからな)
階段を登りながらまた考える。
(それにしても、今までビクトリアさんの事情をひた隠しにしていた部長が、なぜ彼女を使おうとしたのか、そろそろ教えてもらえないかな)






