45 西のスバルツ 北のイーガル
貴族街の家で、チェスターと私が会話している。ジェフリーは聞き役だ。
「その人物の名前はグンター・バールですか。偽名の可能性あり、と。現役時代のあなたが会っているのなら、これは調べる必要がありますね。特徴と、気になる点があれば教えていただけますか」
メモを書きながら質問するチェスター。その姿を眺めながら、私は記憶を探る。まずグンターから聞いたセドリック様と出会うきっかけになった乱闘事件を説明し、グンターの外見的特徴を伝えた。
「グンターは、年齢は三十代後半。身長百八十、体重はおよそ七十キロ、細身、髪はこげ茶、瞳の色も濃い目の茶色。顔、首、手にホクロなし。右手の甲に長さ二センチほどの細い傷あり。父親に剣術を習ったそうで、手のひらに剣だこがありました。子どもの頃はマス釣りが好きだったそうです。大物を何度も釣り上げたそうですが、幼少時の環境が本当かどうか」
「要確認ですね」
「ええ。アシュベリー語に問題なし。ランダル風の訛りもありません。歩き方にも特徴なし。右手の人差し指と中指にペンだこがありました。男性の従者が一人。従者は見ていません」
「わかりました。早速ランダルにいる者に調べさせましょう。情報をありがとうございました」
「どういたしまして」
私はお茶を飲もうとしたが、途中で動きを止めた。やはり残りひとつも言うべきだろう。
「差し出がましいのは承知していますが、公爵領でグンターに絡んできた男たちを調べた方がいいと思います。武術に強い関心があるセドリック様が視察に出た日の、ちょうど歩いている時間と場所で、都合よく乱闘が起きる確率はとても低い気がするのです」
「仕組まれた可能性がありますね」
「もし仕組まれたものなら、グンターはセドリック様に何の目的があって近寄ったのか」
「調べます。情報、助かりました」
お茶を一杯飲んで、私とジェフリーはチェスターの家を出た。
※・・・※・・・※
外まで見送りに出てから部屋に戻ったチェスターは、短く刈った赤毛を何度か後ろに撫でつけながらため息をついた。
「さすがだねえ。あの人、うちの教官になってくれたらいいのに。まあ、アッシャー子爵が許すはずない、いや、本人もこの世界に戻る気はないのか」
もう深夜に近い時間だったが、チェスターは馬でマイクの住む家へと急いだ。
ビクトリアに関しては極秘事項。知り得たことはチェスター、マイク、エドワードだけが管理している。他の団員はもちろん、王族と宰相もアンナ・ビクトリア・アッシャーの本当の正体を知らない。だから下手は打てない。
マイクの住まいは王都の平民街の中でも貴族街に近い場所にある。四階建ての石造りの建物。マイクは独身だ。
ドアを小さくノックすると、のぞき窓が開くがマイクの姿は見えない。おそらく通常の覗き窓の蓋を開きつつ、別の覗き窓からチェスターをチェックしているのだろう。
カチリと開錠する音がして、ドアが細く開かれた。
「マイクさん、夜中にすみません」
「いいよ。君が必要と判断したんだろ?」
チェスターはうなずいて、ビクトリアから聞いた話を正確に伝えた。
「なるほど、よくわかった。ランダルにいる者に調べるよう、使いを出して。ビクトリアのことは伏せてね」
「はっ」
翌朝、登城したマイクはエドワード・アッシャーに呼ばれた。エドワードは机の上で一枚の紙をマイクへと滑らせた。
「この情報の確認をさせるように」
紙にはすでに使者を送らせたグンターの内容が並んでいた。両者を比べれば、ビクトリアからの情報の方が細かく詳しい。
「昨夜のうちにこれを調べるようランダル王国に使者を出しました」
「そう。彼女から聞いたのか」
「はい。昨夜、夜会の帰りにチェスターのところに立ち寄って伝えてくれました」
「そうか。彼女が我が国に悪意を抱く人物ではないのが助かるよ」
「全くです」
「マイク、もしかして彼女からの情報の方が詳しかったかい?」
マイクがビクトリアからの情報を伝えるとエドワードは、
「ダンスをしながらそこまで。それはそれは」
と自分が差し出した資料にビクトリアが指摘した項目を書き込みつつ、満足そうな顔になった。
エドワードはマイクに「下がっていい」と身振りで示し、マイクが退室すると立ち上がって窓の外を眺めた。
「さて、セドリック様にこのことをお伝えすべきかどうか。いや、だめだな。あの方は嘘が下手だ。グンターに気取られる。調査結果が黒と出てから伝えればいい」
そこからはランダル王国からの報告を待つだけだ。エドワードはセドリック公爵が城に滞在している間、グンターはどこにいるのかを調べさせた。
しばらくして届いた情報によると、グンターは本人の希望で南区のフルードホテルに滞在していることがわかった。すぐにホテルに従業員として若手を送り込むことにした。
「おい、そこの君、ライリーをここへ呼んでくれ」
「はっ」
すぐにライリーという若者がやって来た。緊張の面持ちでエドワードの前に立っている。
「フルードホテルに潜入だ。そこでグンター・バールという男の部屋を担当してほしい。その男の担当になるように、こちらで手を打っておく。グンターの行動全てを調べるように」
「はっ」
ライリーはすぐに諸制度維持管理部を出て行った。エドワードにはグンターの件の他にも急いでやるべきことがある。ひとりで宰相の部屋に向かった。
宰相スタンレーは執務机に向かって書き物をしていた。侍女にエドワードの訪れを知らされると、顔を上げてメガネを外した。
「どうした。君がわざわざ来るのは珍しいな」
「ちょっと気になることがありまして」
「ほう?」
「スバルツ王国にいる者からの報告によれば、どうもスバルツ王国で一部の貴族の動きが不穏です。そのうち、軍事に影響力を持つ複数の貴族の動きが活発になってきています。軍隊が西の森から二十キロの地点で演習を繰り返しているそうです」
宰相はしばらく机の上のペーパーウエイトを眺めていたが、その視線をエドワードに動かした。
「スバルツ王国の狙いは我が国の金鉱脈か」
「おそらく。それと、もうひとつ懸念材料があります。最近、デルフィーヌ王太子妃の食べ物に二度毒が仕込まれました」
「ああ、聞いている。毒味役が倒れたそうだな。犯人はまだ見つからないのか? いや、すまない。本来は城内の不審事は私の担当だったな」
「どうぞお気になさらず。毒殺を狙った者は現在捜索中です。もう少々お待ちを」
スタンレーは壁に飾られているコンラッド王太子の成婚時の絵を見た。
「我が国が戦争に巻き込まれずにいられるのは、上手く商売に絡めて相手と付き合ってきたのもあるが、周辺国から順番に王太子妃を迎え入れてるのもある。コンラッド殿下の時は北のイーガル王国の順番だった」
「次の順番はスバルツ王国ですね。スバルツが順番を早めようとした可能性もありますね」
宰相がしばし考え込む。
「しかし、デルフィーヌ様に何かあればイーガル王国は黙ってはいないだろう。次の王妃はイーガル出身の王妃でなければと言い出すだろう。金の鉱脈が見つかった今、それは間違いない。それに、あれほど仲睦まじい夫婦だ。なんとしてもデルフィーヌ様を守りたいんだよ。年をとると自分より若い人間の死は堪える。しかも他殺となれば私の責任だ。先が短い身で、そんな苦しみは抱えたくないものだ」
スタンレーは目を閉じ、疲れた顔で目頭を揉む。
「エドワード、毒殺未遂はスバルツの仕業だと思うか?」
「普通ならしないでしょう。ですが金鉱脈が絡んでいる今、なんとも言えませんね。聖なる森のこともありますし」
「スバルツの仕業だという証拠が何かあるのか?」
宰相はエドワードを見上げたまま視線を動かさない。エドワードも宰相を見下ろしたまま視線を動かさなかった。
「何も」
「しかしこの城内で王太子妃を暗殺するのはもう無理だろう。王妃の食事は最初から最後まで護衛たちの監視をつけた」
「もうすぐ聖フローレン祭りがあります」
「……ああ、そうだった」
聖フローレン祭りは二ヶ月後。王太子妃にはその開催を広場で告げる役目がある。もう百五十年も続いている伝統ある役目だ。
「何千人と言う民衆の前でデルフィーヌ様を殺すのはまず無理だとは思いますが、それを成し遂げるのが暗殺部隊ですから備えは必要です」
「待て待て。全てはまだ仮定の段階だ。まずは聖フローレン祭りだな。すまないがエドワード、祭りのときのデルフィーヌ様の保護は、騎士団とは別系統で君が指揮をとってくれるか」
「承知いたしました。スタンレー様はお身体の回復を最優先してください」
「ああ。だが、そろそろ私は職を退く潮時かもしれん」
そこまで言って宰相は声をよくよく小さくした。
「暗殺の可能性があるなら影武者を使わねばなるまい。部下にいただろう、デルフィーヌ様に似ている者が」
「はい。ルナにやらせます」
「たまたま似ている者がいてよかった」
「本当に」
エドワードは一礼して宰相の部屋を出た。






