44 その人とダンス
感想を楽しみに(むしろ感想を読みたくて)小説を書いてきたのですが、都合によりしばらくは感想欄を閉じます。が、いずれは開きます。申し訳ありません。
剣の話に興じていたはずのグンターがいきなりセドリック様に話しかけた。
「セドリック閣下、アッシャー夫人が退屈なさってますよ」
「おお、そうか。つい剣の話に夢中になってしまった」
「いえ、私は大変興味深く拝聴しておりました」
するとコンラッド王子が美しい顔に微笑を浮かべて私に話しかけてきた。
「ダンスはどうだい、アッシャー夫人。グンターと一曲踊ってやってくれないか。セドリックはベアトリーチェと仲良く踊っただけで、グンターのことは知らん顔をしていたんだよ。招いておいて酷いだろう? アッシャー夫人はダンスが上手だった。しっかり見せてもらったよ。グンター、君、ダンスは?」
「そこそこでございます」
「じゃあ決まりだ。アッシャー夫人、他国から来たグンターと踊ってやっておくれ」
「はい、殿下」
コンラッド王子が気を利かせた。皆に気を遣うところがさすが長男。でも、今その配慮は不要でしたよ。私は「はい」と笑顔で返事をしながらもオロオロと困った顔という表情筋総動員で立ち上がった。
「ダンスは付け焼刃のお恥ずかしいレベルですが、どうぞよろしくお願いいたします、バール卿」
「私もこのような華やかな場は不慣れですよ。ではよろしく」
私とグンターは二人で歩き出したのだが、部屋を出る時に顔だけで振り返った。ジェフリーは顔に「心配」と大書きされたような表情をしている。本当に心配しているのは別のことだろうが、妻に惚れている夫の表情という視点で見れば合格だろうか。
私とグンターは会場まで無言で歩く。その間に私はグンターの歩き方に癖がないかを確認した。癖はなし。
グンター・バールの名前に聞き覚えはない。昔に会ったということは工作員時代に会っているということだが、私は対象者の名前を忘れることはない。だからグンターという名前は対象者にはない。
彼が名前を変えているか、単に私が接触した人間の近くにいたかだ。
だが、対象者のごく身近な人間のことなら、私はまず忘れない。
だったらこの男、いったい何者だ。
「アンナさんはどちらのご出身ですか」
「公爵領ですわ。ご存じかもしれませんが、結婚前は平民でした」
「ほぅ。アッシャー子爵に惚れられて貴族と養子縁組ということですね」
私は「そうです」とは言わずに恥ずかしそうに下を向いて微笑むにとどめた。
やがて会場に着き、華やかな制服を着た係の男性が大きな扉を開けてくれた。楽団の奏でる音楽と笑いさざめく招待客たちの声が一気に押し寄せてくる。
「アッシャー夫人、ではお願いいたします」
「はい、よろしくお願いいたします」
グンターは自分でダンスが下手とは言わなかっただけあって、上手に私をリードしてくれた。私は、『平民上がりのダンスに不慣れな田舎育ちの女』をイメージして踊った。
やがてもうすぐ曲が終わるが収穫なし。私の演技が見破られなかっただけでもよしとしよう。
「もう一曲お願いします。夫人はとても踊りやすい」
「え? あっ、はい」
もう始まっている次の曲に合わせて手を取り合い、私とグンターは踊る。その途中でグンターが複雑なステップを入れた。入れた上で私に「ん?」と微笑みかける。「あなたもできる?」ということか。できるけど、やりませんよ。田舎育ちの平民出身の女性なら、こんな高位貴族が集まっている場所で難しいステップなんて、普通は披露しないしできないからね。
「私にはそのような難しいステップを踏むことはできませんわ。申し訳ございません」
「いいよ。気にしないでください。夫人は実に踊りやすい。ダンス講師が習い始めの頃の私に合わせてくれていたのを思い出しました」
「ほめ過ぎですわ、バール卿」
「はっはっは」
腹を探られるような会話。手に汗をかかないよう、リラックス。深呼吸。平和な野原の景色、寝ているノンナ、笑っているジェフリーを想像しよう。
「殿下たちはまだ剣の談議に夢中なのでしょうね。どうです、夫人、ダンスの後で一杯飲みながら待ちませんか?」
「はい。私の方からあの部屋に戻ることはできませんもの。助かります」
「よかった。私は今夜、壁の花ならぬ壁の葉っぱを覚悟していたのですよ」
「まあ、バール卿ならそんなことは」
そこからグンターは公爵領のことをあれこれ尋ねてきた。私が公爵領にいた期間はごくわずか。細かいことを聞かれてボロを出さないうちに、打ち込まれた玉を打ち返すことにした。
「グンター様はランダル王国のどの辺りでお育ちに?」「子供時代はどんなことをして遊びましたの?」「ご実家の領地の特産品を教えてくださいな」などと興味津々です、という表情で質問を重ねる。
グンターは詰まることなく即答する。そして二曲目が終わったところですかさず声がかけられる。
「アンナ、話が盛り上がっているようだね」
「エドワード様。ジェフリーは殿下と公爵様との歓談中なんです」
「そうらしいね。きっとまた剣の話だろう」
そこで私はグンターにエドワード様とその後ろに立っているブライズ夫人を紹介した。エドワード様はにこやかにグンターと話を始める。
私は初めてエドワード様の社交術の凄さを目の当たりにした。エドワード様は穏やかな笑顔で淀みなく会話を進めている。
「セドリック殿下は武術全般に強いご興味がおありですが、バール卿も武術に造詣が深いのでしょうか? そうですか、お父上に鍛えられたのですか。いつごろアシュベリーに? いい季節に来ましたね。どの辺りに宿を? ほう、公爵家に滞在ですか。それはまた気に入られましたね。あなたのお人柄でしょうか。おや、そんなことが?」
エドワード様はにこやかに会話を続け、あっという間にグンターがいつアシュベリー王国に来たのか、どこに宿を取ったのか、一人で来たのか従者はいるのか、セドリック殿下とはどこで出会ったのかを聞き出してしまった。その聞き方がごく自然で、根掘り葉掘りという嫌な感じがしない。
それによるとグンターは街中で輩に絡まれ、その辺にあった棒きれ一本で三人を倒し、それを視察で街に出ていた公爵様に見られ、気に入られたらしい。ちなみに従者を一人連れて来ているそうな。
「兄は社交上手なんだよ」とジェフリーから聞いてはいたが、素晴らしい話術だ。身分も年齢もグンターよりずっと上なのに、それを全く匂わせず、威圧感を与えない。この会話だけで頭脳明晰なのがよくわかる。
感心して聞いていると、背後からジェフリーの声。
「アンナ、待たせたね。あちらに出されている菓子は、王城料理人の新作らしいよ。食べてみないか?」
「ええ、あなた。楽しみです」
「では兄上、アンナは連れて行きますよ」
「ああ、わかった」
手を引かれるようにして会場の端にずらりと並べられている軽食のコーナーに歩み寄ると、ジェフリーは「これとこれ、それとこれも」と指さす。「そんなに食べられませんよ」と抗議したくなるくらい給仕係の人に盛りつけさせた。
二枚のお皿にたっぷりと料理と菓子を盛り付けて近くの椅子に腰を下ろす。
「で、大丈夫だったか。あのグンターって男、怪しいんだろう?」
「ジェフ、どうしてそう思うの?」
「六年近くも君と暮らしているんだよ? 君が用心しているときの雰囲気ぐらい、わからないでどうする」
こういうところだ。無骨そうで繊細。そういうところがジェフリーの魅力。じゃない。今はそれどころじゃなかったわ。
「私、あの人に見覚えがあるの。でも名前はグンター・バールではなかったわ。会ったのはかなり昔。だから現役時代のはず。でも対象者ではないの。これ、マイクさんに連絡すべきよね」
「ああ、そうだな。帰りに一緒にチェスターの家に行こうか」
「ええ。そうしてくれると助かるわ」
私たちは王城の料理を堪能し、話しかけてくる貴族たちの相手をし、やっと城から出ることができた。
ジェフリーが御者に指示したのは、以前、マイルズさんが住んでいたあの家。夜遅くとも問題はないだろう。今の住民のチェスターは、第三騎士団と私をつなぐ連絡係をしているのだから。






