43 夜会の始まり
このお城に足を踏み入れるのは二度目だ。
私はジェフリーの腕に自分の手を添えて夜会の会場に入った。初めて来た時と同じように庭にはかがり火とランタン。会場の入り口付近では着飾った貴族たちが会話に花を咲かせている。
「大丈夫か」
「ええ、大丈夫よジェフ」
「何かあったら俺がなんとかするから安心してくれ」
「とても心強いわ」
ジェフリーと私が会場に入ると、あちこちからジェフリーに視線が向けられる。
第一王子のお気に入りで近衛騎士から第二騎士団長になった人。シェン国からの薬の安定輸入の仕組みを作り上げた功労で次男の立場でありつつ子爵の爵位を賜った人。
それだけでもジェフリーは日の出の勢いなのに、金鉱脈の発見者にもなった。
「アッシャー卿、お久しぶりですな。シェン国の件、さすがです」
「家族旅行で金鉱脈を発見するとは驚きましたよ。勢いがついている人はやることが違う」
「奥様が効果の高い軟膏の工房を立ち上げたそうですね」
私とジェフリーはたちまち何人もの貴族たちに囲まれてしまう。ジェフリーはゆったりとした笑顔で称賛を聞いている。私は『控え目に、記憶に残らぬように』を心掛けて印象の薄い人に徹する。伏し目がちに曖昧な微笑みを浮かべ、誰にでも愛想良く。それをひたすら繰り返す。忍耐強さには自信がある。
私は(何時間だって続けてみせる。やり遂げてみせる)と変な闘争心をかき立てながら微笑んでいたが、先に音を上げたのはジェフリーだった。
「庭に出ないか? 俺はもう疲れた」
「はい、そうしましょう」
互いの耳に顔を近づけてささやきかわし、ゆっくりと場所を移動する。移動の途中にも声をかけられ引き留められ、わずかな距離の移動にだいぶ時間を費やしてしまう。やっと庭に出られた瞬間に、ジェフリーが「ああ、長かったな」と本音を漏らした。
「まだ夜会が始まったばかりなのに」
「俺、近衛騎士のときは最初から最後まであの会場にいたけど、近衛騎士は愛想笑いも相手に気を使う会話も必要ないからね」
「お疲れ様と言いたいけど、王家の方々が参加される前に戻らないと」
ジェフリーが両肩をグルグル回し始めた。
「ジェフったら、どうしたの?」
「すっかり肩が凝った」
「早すぎるわ。ふふふ」
二人で笑い合っていると、聞き覚えのある声がかけられた。エドワード・アッシャー様だ。
「ジェフ、早々と姿を消すのは感心しないな。みんなお前の話を聞きたがっているんだぞ?」
「兄さん。もうたっぷり話をしましたよ」
「子供みたいなことを言うものじゃないよ。帰るまできっちりみんなの相手をするのも金貨の分、爵位の分と思いなさい。これも仕事だと思えば踏ん張れるよ」
「爵位も金貨も俺が望んだわけじゃありませんけどね」
「駄々をこねるな。さ、行って来い。私はアンナさんと少し話がしたい」
「いってらっしゃい、ジェフ」
「仕方ない。行ってくるよ。兄さん、アンナを頼みます」
二度も私を振り返りながら会場に戻るジェフリーを見送っていたら、エドワード様が真面目な顔で話しかけてきた。
「大丈夫かい? 気疲れするだろうね」
「いえ。私の方こそ、ご心配をおかけします」
「なかなかあなたと二人でゆっくり話す時間が持てなかった。すまないね。だが、あなたと出会ってからのジェフリーは生き生きしている。兄として深く感謝しているよ」
「ありがとうございます」
エドワード様は諸制度維持管理部や資料管理部の部長をなさっているのに、腰が低くて柔らかな雰囲気の方だ。私が他国の要人に執着されているという情報はマイクさんから伝えられているだろうに、それを嫌がる素振りを見せない。
「ジェフはあの通りだから他から聞いた話なんだが、あなたの作る軟膏は素晴らしい効き目だそうだね。妻が夫人たちの集まりで褒めちぎられたと嬉しそうにしていたよ」
「まあ。あれは平民の皆様の役に立てればと思って作った物ですが、貴族のご婦人方もご存じなんですね」
「薬は効き目が最大の宣伝だよ。一度使って満足した人は、報酬もなしに広めてくれるものさ」
「そうなんですね。ありがたいことです」
「あっ、王族のご入場だよ。さあ私たちも会場に戻ろう。ブライズもきっと私たちを待っている」
「はい、エドワード様」
促されて会場に戻ると、参加者たちが皆正面を向いて姿勢を正している。そこに国王陛下を先頭にして王妃、王太子、王太子妃が入って来た。
(さあ、戦闘開始ね。あっ、戦闘じゃなかった。私は公爵領の平民出身で男爵家の養女になったアンナ・ビクトリア・アッシャー。少しビクビクしてるくらいが丁度いい)
ジェフリーが私の隣に立った。自信なさげな笑みを浮かべて話しかけた。
「平民出身のにわか貴族ですので、よろしくお願いしますね、ジェフリー様」
「了解だ。事前確認をありがとう、アンナ」
「どういたしまして、ジェフ」
気弱そうな表情のままそう言うと、ジェフリーは私の耳に顔を近づけてささやいた。
「さすがだね。純朴な田舎育ちの雰囲気が出てる。そんな君も魅力的だ」
「ジェフ、からかわないで。今夜の私はお城を出て無事に屋敷に帰るまでが夜会なの」
「了解」
今夜は全神経を使ってボロが出ないようにしなくてはならない。
すぐに国王の挨拶があり、金鉱脈の話も出た。その瞬間にあちこちからジェフリーに視線が向けられる。私は困ったような笑顔で前にいる人の背中を見ていた。
挨拶に続いて王族二組の華麗なダンスが披露され、その後は他の貴族たちと一緒に私とジェフリーも踊る。私はおっとりした表情を保ち、キリキリしている心を隠す。
「アンナ、今はリラックスしてる? それとも緊張してる? どっちだろう」
「あなたにわからないなら大成功ね。今、キリキリと神経を張り詰めているわ」
ジェフリーが少し身体を離し、のけ反るようにして私の顔をしげしげと見る。
「なぁに?」
「俺の妻は凄腕だと感心している。不慣れな場所でおどおどしてるようにしか見えない」
「不慣れではあるけれど」
「いや、完璧な演技だ。そこまで演技が上手いと、ちょっと怖いものがあるね」
「もう」
リラックスしていたら笑うところだが、私は眉を下げ、少しすねたような顔をするだけに留めておいた。どこで誰が見ているかわからないのだ。
一曲終わるという頃、私の背後からの視線を感じた。
「ジェフ、私の背後から私たちを見つめている人がいないかしら?」
「いる。王太子殿下だ。早速だね」
「今夜最大の試練ね。二人の出会いの設定を忘れないで」
「ああ、任せろ」
曲が終わり、ジェフリーと私は王太子に向かって目礼した。王太子はほんのわずか視線を会場の奥へと動かしてから背中を向けて歩き出す。私たちに「ついて来い」ということだ。私とジェフリーは互いの手の甲をスッと触れ合わせる。「さあ、行くぞ」の合図。
歩き出してからまた別の視線を感じたので、横目で確認。エドワード様とブライズ様が心配そうに見ていた。
「座りたまえ。こうして私的な場所で話をするのは久しぶりだね、ジェフ」
「はい、殿下」
「君がまた城に通ってくるようになって、私は嬉しいよ」
「光栄です」
「金の採掘は、きわめて順調だ。スバルツ王国からの邪魔も、今のところは入っていない。商業王国である我が国にとって、あの金鉱脈の価値は計り知れない。本当にありがとう」
「わたくしこそ、多大な褒賞をありがとうございました」
「アンナ夫人、はじめまして。王都の暮らしはどうだい? 公爵領やシェン国とはだいぶ勝手が違うから戸惑っていないかな」
私は両手をギュッと握りしめ、淑女のマナーを忘れたように硬い笑みを浮かべながら返事をした。
「王都の賑やかさには驚くばかりでございます、殿下」
「そうだろうね。ジェフには大切にしてもらっているかな?」
「はっ、はい。それはもう」
うつむいて恥ずかしそうに答える。
「今度、私とデルフィーヌ、それと君たち夫婦の四人で非公式な食事会をしようじゃないか」
「光栄でございます殿下」
「そんなに緊張しなくてもいいんだよ。あ、そうそう、今夜は君たちに是非会いたいという人物が来ているんだ。セドリックと話をしているようだが、今呼ぶよ」
「アンナ、私は長年にわたってセドリック閣下の剣の指南役だったんだ」
「まあ。そうでしたか」
ジェフリーが優しい顔で私に話しかける。残念、優しい表情が少しだけ大げさよ、ジェフ。演技っぽいわ。私のほうは、言葉は最小限に、表情は少し驚きを込めて。さあいらっしゃい、セドリック様。先日の約束、どう守ってくださるのかしら。
カッカッカッカという軽快な足音がしていきなりドアが開く。
「やあ!ジェフ!いつ以来かな、公爵領で別れて以来だから、五年ぶり以上だね!」
「セドリック閣下、お久しぶりでございますね。お元気そうで何よりです」
この前ジェフがお城でセドリック閣下にお会いしていることは、調べたらすぐわかることなのに、なぜ余計な説明セリフを言うかな。
ジェフとセドリック様の演技が下手で思わず目をつぶりたくなったが、グッと堪える。
「閣下、妻のアンナです」
「アンナ・アッシャーでございます」
「やあ、アンナ。初めまして、それからこれが僕の友人のグンター。剣の達人でね。僕の相手をしてもらっているんだ」
背後に誰か控えているな、とは思っていたが。
「初めましてアッシャー卿。それに夫人。グンター・バールと申します。ランダル王国のバール男爵家、次男です。旅の途中でたまたま公爵様とご一緒する機会があり、今は剣のお相手をさせていただいてます」
「はじめまして、ジェフリー・アッシャーです」
「アンナ・アッシャーです」
そこからは男性四人が剣の話で楽しそうに盛り上がっていた。私はひたすら気配を消しながら頭を猛烈に働かせていた。
グンター・バールと名乗った三十代後半のその男を、過去にどこかで見た覚えがあったからだ。かなり昔だ。
(どこだっけ。それとも私の気のせい? 他人の空似かしら)






