42 ブライズ様とダフネさん
軟膏の工房が動き始めた。
「何か良い名称をつけてください」と修道院の院長先生に言われ、私は「軟膏工房では?」と提案したけれど、一緒にいたノンナとエリザベス嬢に即、却下された。
「あまりに説明が足りませんわ」
「お母さん、私もそう思う」
「アッシャー軟膏工房はいかがですの?」
「あ、エリザベス、それいいかも。うちがやってるって、わかりやすい」
「でしょう?」
少女二人の会話であっさりアッシャー軟膏工房と名前が決まった。薬は名前より効能が大切だと思っていたので私はそれでいい。
「我が家が使っている看板職人に看板を作らせますわ。父が出資している靴店とカバン店の看板、評判がよろしいんですのよ」
「へえ、エリザベスのお父さんはそういうこともしてるんだね」
「ええ、父は手広く出資してますの」
子供の話だからと聞き流していたら、エリザベス嬢の父親のマグレイ伯爵から手紙が届けられた。『娘の親友の家が始めた工房なら、看板はぜひ自分にプレゼントさせてほしい』という話だった。
「ねえジェフ、娘の友達の親が工房を始めたからって、普通贈り物なんてするもの?」
「おそらくマグレイ伯爵は軟膏の評判を知ってるんだよ。商売上手な人らしいから、関わりを持ちたいのかも。俺も王城で何人かに言われたよ。『評判の軟膏をいよいよたくさん作るそうですね、これで自分たちも軟膏を簡単に手に入れられますね』って」
「騎士さんたちが?」
「ああ、あかぎれや肌荒れだけじゃなく、切り傷も早くきれいに治ると評判だ」
「エンローカム家の薬は本当に効果抜群ですものね」
「あの国の薬、いや、あの家の薬は確かに素晴らしいよ」
「よく作り方を私に教えてくれたと思うわ。門外不出と言われたら諦めるしかなかったのに」
「我が国が買い入れている薬はどれも目の玉が飛び出るくらい高価だから。大量に買う我が国のためなら基本的な軟膏の作り方を教えるぐらい、どうってことないと判断したんだろう」
アッシャー軟膏工房に看板が届いたのは、工房が稼働する前日だった。薬を意味する薬草と壺の図柄が浮き彫りになっている。『アッシャー軟膏工房』の文字は金色の箔押しだ。
見るからにお金と手間がかけられている看板。
その看板を見上げながら、ここで働く女性たちが嬉しそうだ。
「ここが私たちの新しい職場ですね、アッシャー夫人」
「皆さん、どうぞよろしくお願いしますね」
私の前にはお揃いの白いエプロンを身につけた女性が十人。全員のお顔がやる気に満ちている。
私は(ここまで来たのね)と感慨深い。
自分がこうして他の人の役に立つことをするようになるなんて。命じられたことを完璧にこなすことが自分の存在意義だと思っていたハグル時代には想像もしなかった。
「奥様、そろそろ屋敷に戻りませんと」
「そうだったわね。ドレスショップの皆さんが来る前に帰らないとね」
王家主催の夜会にどんなドレスを着たらいいのか迷っていたら、ジェフリーがエドワード様の奥様のブライズ様に相談してくれた。
今日はブライズ様が普段利用しているドレスショップを紹介してくれたのだ。
「いらっしゃいませ、ブライズ様」
「お邪魔するわ、アンナさん。今日はとても楽しみにしていたのよ。娘が嫁いでからはこういう楽しみがなくなってしまったんですもの」
ブライズ様はつやつやの黒髪を上品にひとつに結い上げ、襟元の詰まった濃い緑色のドレスを着ていた。目の色と同じ色のドレス。勉強になる。
普段あまり交流がないブライズ様がいらっしゃるからと、ノンナも一緒だ。なぜかエリザベス嬢も。
ドレスショップの経営者は五十歳くらいの圧を感じる女性、ダフネ。金髪、青い目、グラマラスな身体。口元のホクロさえもダフネさんの魅力を後押ししている。声も少し低く、迫力がある。
「アッシャー夫人、まずはデザイン画をご覧くださいませ」
「たくさんありますね」
「アッシャー夫人は羨ましいくらい華奢でいらっしゃいます。まずはその華奢な感じを強調するか、他の方が着られないくらいボリュームがあるデザインにするか、ですわね」
「目立たないのはどちらでしょう?」
ブライズ様もダフネさんも「え?」という顔をした。
しまった。目立ちたくない、注目されたくないという気持ちが強いあまりに答えるのが早すぎた。
「私、夜会自体が不慣れなのに王家主催だなんて、荷が重すぎて。最初の夜会参加ですので、失敗がないよう、失敗しても気づかれないよう、地味にしたいのです」
「いけません!」
ダフネさんが大罪を告白した人を見るような目で私を見ている。
「ドレスは着る女性の魅力を最大限に引き出すものです。そしていかに存在感を打ち出すかに意味があるのでございますよ」
「そうよ、アンナさん。その細い腰を強調したらいいのではないかしら」
「そういうものですか」
「そういうものです、アッシャー夫人。最初が肝心です。なめられてはいけません」
うわぁ。
『目立たぬよう、記憶に残らぬよう』をモットーに生きてきたのに。しかもアッシャー夫人としてこの先ずっと生きていくのに。目立て、威圧しろというのか。
「で、ではこれなどはどうかしら」
「拝見します。はいはい、そうですね、これで、お色は目の覚めるような赤などがいいかもしれません」
「目の覚めるような赤……」
ちょっと遠くを眺める目になったのは許してほしい。
ブライズ様が放心している私を見かねたらしく、折衷案として暗いえんじ色を提案してくださった。デザインは腰までぴったりと身体に張り付き、腿の付け根から豪華に膨らむデザインだった。
「お母さんがそんな派手なドレス着たところ、見たことがない」
「まだお若いんですもの、わたくしはいいと思いますわ。アッシャー夫人は地味好みですけど、何と言っても王家主催の夜会ですもの!」
驚いているノンナ。うっとりするエリザベス嬢。満足気なダフネさん。私を見て苦笑するブライズ様。ブライズ様が帰り際にそっと近寄って声をかけてくださった。
「私と夫も参加しますので、ご安心なさって」
「ありがとうございます。心強いです」
夜会は来週。既に私は精神的にへとへとだ。
無事に夜会を、いや、王族の視線を乗り切れるのか、私。






