38 観劇のあとで
歌劇が終わり、満場の拍手が鳴り続けている。
ノンナがクラークを振り返った。
「面白かったね。あんなに声が出る人、初めて見た」
「あ、ああ。そうだね」
歌劇は外国へ行ってしまった女性を追いかけた男性が、恋のライバルにも負けず恋人の危機では活躍して彼女を救い出し、見事元恋人と結ばれる、という内容だ。
クラークとノンナは混雑が落ち着くのを待って、並んで階段を下りているところだ。
「内容は? 面白かった?」
「ん-、うん」
「本当は?」
「誘ってもらったお芝居や歌劇に本音の感想を言うのは淑女じゃないって、マナーの先生が言ってた」
「いいよ、僕には本音を言ってごらん」
「じゃあ言うけど、怒らない?」
「もちろん」
「あの女の人さ、困った時に役立たずだったよね。悪い男に手首掴まれただけで動けなくなって、なのに自分を好きな男の人には言いたい放題でさ。気が強いんだか弱いんだかわかんない」
(そりゃそうだけど)とクラークは苦笑する。
「主人公がノンナだったら違ってたね」
「私なら……」
「ノンナなら?」
「自分を好きだって言ってくれる人に、あんな酷い言葉は使わない、かな。歌劇を観てる時、ずっと思ってた。私なら自分を好きだって言ってくれる人に威張ったりしない。私を好きになってくれてありがとうって思う。だけどあの女の人、男の人が自分を好きだって言った瞬間から、まるで自分が偉くなったみたいな態度を取ってた」
「そうだね。先に好きになったほうが立場は弱いからね」
これは本音。クラークはノンナへの恋心ゆえにノンナにはとても寛大だという自覚がある。
「うちのお父さんとお母さんをずっと見てるけど、先に好きになったのはお父さんだと思う。だけどお母さんは一度だってお父さんに威張ったりしてないよ。いつもお父さんに『ありがとう』って言う。あと、『今が一番幸せ。あなたのおかげね』ってしょっちゅう言ってる」
「そうなんだ?」
「うん。私もお母さんみたいな人になりたいの。お母さんはいつだって美しいよ。考え方が美しい。美しい、じゃないかな。ぴったりの言葉を見つけるのが難しいけど」
「言いたいことはわかるよ。先生はかっこいい。そうか。ノンナならきっとなれるよ、先生みたいな人に」
ニッと淑女らしくない笑顔になって、ノンナがクラークを見上げた。
それから二人で階段を下り切ったところで、右手から朗らかな声がかけられた。
「ノンナじゃないか。奇遇だね。歌劇が好きなの?」
「こんにちは、メイナード様。今日は誘っていただいたんです」
話しかけてきたのはクラークも知っている若者で、グローヴ侯爵家の嫡男だ。
頭脳明晰で乗馬を好み、馬術大会では連続優勝をしている。令嬢たちの人気を独り占めしているのは有名な話だ。茶会でもノンナに何度か近寄って来た。クラークも侯爵家の嫡男に氷の眼差しを向けるわけにいかず、悔しい思いをした。
(たしか自分より二つ年下だったな)と思い出す。
「やあ、クラーク。君はノンナの幼なじみだったね。羨ましいよ。僕もこんな魅力的な幼なじみが欲しかった」
うまく切り返せずに苦笑しているクラークは、視界の端でノンナがよそ行きの笑顔を作っているのを見た。心を許していない相手に向かい合うと、いつもノンナは同じ表情をする。それに気づいてクラークは胸をなで下ろす思いだ。
「メイナード様、お連れの方をお待たせしては申し訳ありませんわ」
「ああ、そうだった。ではノンナ、いつか僕とも歌劇を観に来てもらいたいな。では、失礼するよ」
ノンナはメイナードの連れと思われる少女に上品に頭を下げたが、少女はきつい眼差しでこちらを見ているだけ。メイナードが自分のところに戻ると、少女はとろけるような笑顔になって二人は立ち去った。
「さ、行こうかノンナ」
「うん。クラーク様、帰る前にあのお店に行かない? ずっと昔、アップルパイを食べたお店。覚えてる?」
「もちろんだよ。行こう。僕も久しぶりにアップルパイが食べたい」
当然のようにノンナがクラークの腕に手をかけてきて、ざわざわしていた胸が温かくなる。
菓子店に着いて二人ともアップルパイとお茶を注文し、少し間が開いた。
「メイナード様って、父親が財務大臣だって、二回も言ってたんだよ」
「この前の茶会の時かい?」
「うん。私、もうちょっとで『だからなに?』って言いそうになった。歯を噛み締めて我慢した。それ、メイナード様のお父様の手柄だけど、あの人は何も関係ないでしょう? あの時、『クラーク様は一度も外務大臣の息子だって言ったことないな』って思った」
「うん」
自慢しないのは、父に比べたら自慢できるほど勉学や語学に優れているわけではないからなのだが。
「クラーク様の方がかっこいい。お母さんはよく『自分の手札を自分から他人に見せるのは愚かなこと』って言う」
「なるほど」
アップルパイは甘く美味しく、クラークは(次はノンナを何に誘おうか)と考えながら食べた。
「クラーク様、また一緒に出掛けられる?」
「もちろんだよ。どこに行くか、二人で一緒に考えようか」
「うん!」
※・・・※・・・※
「お帰り、クラーク。どう? 歌劇は楽しめた?」
「はい。楽しめましたよ、母上」
「お茶を一緒にどうかしら?」
「いえ、ランダル王国で最近施行された法律のことを調べたいんです。また今度にします」
クラークは忙しい。
将来宰相になるために乗り越えるべき壁は山ほどあるのだ。身分、実力、人脈。
ノンナを守るためなら喜んで努力しよう、と思った。






