34 教会の修繕
「エルマー・アーチボルトの子孫の行方は、第三騎士団の力を使ってもわかりませんでした。七十年前に彼の小説を世に出したのも彼の子どもではなく、エルマーの死後、彼が住んでいた家の始末を任された人でした」
後日、マイクさんが残念そうに報告してくれた。
「身分証明書をたどっても、エルマーの息子は行方がわかりませんでした。開拓地から出て行ったあと、どこに行ったのかが不明なのです。全ての領地管理者が流入してくる者の身分証を確認して記録を残しているとは限りませんから。入って来た者の身分証を確認して終わり、の場合も少なくないんです。出る領民には厳しく、入る者には甘いのが常ですよ」
「でも、王家にしてみれば他国の工作員との間にできた子孫が見つかっても困るでしょうから、これでちょうどいいのかもしれませんね」
マイクさんが複雑な顔でうなずいている。
「王家はカロライナ王女の件は公にせず、あの二つの墓がある丘を王家の私有地にして管理するそうです」
「そうですか。私は、カロライナ王女とエルマーのお墓が守られればそれで十分です」
「そうですね。私もそう思います」
◇ ◇ ◇
ジェフリーが大金の使い道を提案してくれた。
「アンナ、褒美の金貨の使い道で提案がある。羊牧場を持つのはどうだい? 土地を買って羊を育てて毛糸を紡ぐのは? 君はそういう暮らしがしたいと言ってただろう? ずいぶん回り道をしたけど、やっと君の願いが実現できるな、と思ったんだが」
「羊牧場! 私の夢が現実になるのね」
羊牧場の真ん中に立つ自分を想像して、しばし呆然と、そしてうっとりとしてしまう。
「私、ハグルを出てビクトリアと名前を変えたあの日から、老人になるまで暮らせるような場所を手に入れられるとは思っていなかったわ。シェン国に渡る前、『羊を飼って暮らしたい』ってジェフに話した時も、心の中では叶わぬ夢だと思っていたの」
「俺は一度も忘れていなかったよ」
「それを覚えてくれていただけでも驚いているわ、ジェフ。夢のようよ。ありがとう。それと、実は私からも提案があるの」
私からは修道院の修繕の話を提案した。
「過去を投げ捨てた私が、同じく過去を投げ捨てたエルマーのおかげで大金を手に入れたでしょう? ならば、今現在、過去を投げ捨てて生きなければならない女性たちのために、褒美のお金を役立てるのは生きた使い道だと思うの」
ジェフリーは笑顔で同意してくれた。お金に執着のない人だとは思っていたが、かなりの金額が必要な提案を聞いても「それが君の望みなら」とすぐに同意してくれた。
そして翌日から精力的に動いて修道院の修繕の手はずをつけてくれた。
◇ ◇ ◇
「アッシャー様、こんなに良くしていただいて感謝いたします。雨漏りを直し、壁の修繕をし、ベッドをいい物に交換できました。冬の寒さに備えて大量の薪を買い、薪を保存する小屋も建てました。これで皆が安心して冬を迎えられます」
「これは妻の提案でして」
「いえ、夫がぜひそうしようと賛成してくれましたの」
院長様は眩しい物を見るように目を細めて微笑んだ。
「アッシャー夫妻のように仲睦まじいご夫婦からは神のご加護を感じますわ」
「ありがとうございます」
夫婦で同時に声を揃えて礼を述べてしまい、夫婦で共に苦笑した。
「それと、これは提案なのですが、修道院で寝起きしている女性たちは私が軟膏を作る工房を立ち上げたら、働いてくれるでしょうか。もちろん賃金は支払います」
「まあ」
私が提示した賃金を聞いて、院長が驚いた顔になった。
「今の彼女たちが受け取っているどの仕事場の賃金より、よほど多いです」
「そうですか。住む場所が必要な女性は、きっとまだまだたくさんいるでしょう。今修道院にいる女性たちがここから独立して部屋を借りられるようになれば、他の女性がここに来られます。順次独立してもらえるのがいいかと思うのです」
院長は両手を組んで短く祈りを捧げた。
「ありがとうございます、アッシャー夫人」
「それと、もうひとつ提案があります。夫が城壁の外に広い土地を買ってくれました。今はただの荒れ地ですが、井戸を掘り、牧草の種を蒔くところから始めて、いずれは羊牧場にする予定です。そこで羊を育て、毛を刈り、染めて、紡ぐ工房も立ち上げる予定です。こちらは牧草を育てるところからですので、気の長い話になります」
「夫人が毛糸を紡ぐのですか?」
「ええ、私、少しは経験があるんですよ」
ジェフリーが話を引き継いだ。
「妻の夢なんです。本当は今頃そういう暮らしをしているはずだったのです。しかしいろんな事情でその夢が一旦遠のいたんですよ。やっと形にしてやれます」
「そういう作業に興味のある人がいるといいのですけどね。牧場は体力が必要な仕事ですから」
「おりますとも。すっかり人間嫌いになって『人と顔を合わせずに暮らしたい』と願う女性も少なくありません。ここに来る女性は、夫や身内から酷い扱いを受けてきた人が多いのです」
そうだろうと思っていた。
何もかも投げ捨てて修道院に逃げ込み、束の間の安息を手に入れようとしたのなら、投げ捨てたい過去があるはずだ、と。
その後は実務に話が移り、ジェフが中心になって計画が話し合われた。夕方になって帰宅すると、バーサが「クラーク様がいらっしゃってます」と笑顔で教えてくれた。
二階のノンナの部屋は独身の若い男女がいる、ということでドアが全開になっていた。おそらくバーサの気遣いだろう。
「クラーク様、いらっしゃいませ」
「お留守中にお邪魔しております」
「お母さん、クラーク様にもアシュとベリーが懐いたよ」
「そう? よかったわね。きっとノンナがクラーク様に心を許しているから猫にもそれが伝わるのね」
「なーるほど」と納得しているノンナ。猫を抱きながら急に顔を赤くするクラーク様。
子どもと大人の間に立っているクラーク様が、ノンナをどう見ているのかいまひとつわからないまま部屋を離れた。バーサが「私が小まめにお部屋に出入りしますので」と言うのを聞いて(そんな心配、いる?)と思っていたのだが。
帰り際にクラーク様が私に声をかけてきた。
「先生、今度ノンナを歌劇に誘ってもいいでしょうか」
「はい、もちろんですよクラーク様。ノンナをよろしくお願いしますね」
クラーク様を見送って、さてノンナと二人でお茶でもと用意していたら、ノンナが『ふと思いついた』ような言い方で話しかけてきた。
「昔、クラーク様の家でランダル語の勉強をしていた頃にね」
「ええ」
「クラーク様が『大人になったら僕と結婚してくれる?』って言ったことがあってさ」
「……」
「お母さん? お母さん! お茶がテーブルに注がれてるけど?」
「ああっ! ちょっと、ノンナ、拭くものを取ってよ」
カップにお茶を注いでいるつもりが、ノンナを見ながら何もないところに注いでいた。テーブルの上にお茶の池ができていた。






