27 エリザベス嬢の訪問
夜になってエドワード様が我が家にいらっしゃった。
「お手柄だったね、ジェフリー。あの連中は南区の平民を皮切りに、下級貴族にも手を出していたようだ。グッドウィル貸金商会の屋根裏部屋には、作りかけの偽造契約書がたくさんあったそうだよ。第二騎士団長の話では、南区の平民の家も極力取り返してやる方針だそうだ」
「そうですか。契約書が偽造だと資料管理部の方に判断していただいて助かりました。お役に立ててよかったです」
「きっかけはビクトリアの塗り薬からだったそうだね」
「はい、エドワード様。ジェフリーに話をしたら『それは怪しい』ってすぐに動いてくれました」
「そうか。いや、本当にお手柄だった」
エドワード様は契約書を偽造と見破った人の上司だからだろうか、ご機嫌でお帰りになった。
私はグッドウィル商会の捕り物以降、ノンナを連れてオーリの面会に何度か通った。
オーリは刑期が決定し、主犯ではないのと初犯ということを考慮されて三年の禁固刑だった。私たちは差し入れを持って面会の申し込みをしたけれど、差し入れだけは受け取ってくれるものの、面会の希望は叶わなかった。
帰りにしょんぼりしているノンナを励ますのも毎度のことだ。
「でもさ、オーリは『自分は騙されてた』って言ってるんでしょう?きっと仕方なく仲間になってたんじゃないかな。うちを逃げ出して、食べる物にも困って、仕方なくだよ」
私は黙っていた。
「お母さん?」
「オーリの言い分を信じようとするのはオーリのため?裏切られたことを受け入れられない自分のため?オーリの言い訳を信じることが、オーリのためになるって本当に思ってる?」
「自分を受け入れられないってどういう意味?」
「明らかな嘘をかばう時って、たいていは自分が騙されていたことを認めたくない時なのよ」
自分でもきつい言い方をした自覚はあった。二人でこのまま家に帰る気になれず、いつかの貸本と古書の店に向かった。リードが操る馬車には家紋が付いている。ノンナは「大げさ」と言うけれど、家紋付き馬車には家紋付きの意味がちゃんとあるのだ。我慢してもらおう。
ザカリー古書・貸本店のドアには「営業中」の札が掛けられていた。
「懐かしい! ヨラナ様の離れにいる時、貸本店によく通ったよね」
「そうね。あのお店、なくなってたわ。でもここに通えばいいわよね」
「うん!」
「いらっしゃい。どうぞゆっくり見ていってください」
店主のウィル・ザカリーさんは穏やかな笑顔で出迎えてくれた。
声掛けした後はカウンターの中で自分も本を読んでいる。私は高価な古書が収めてある扉付き書棚を眺めた。今日は怪しい気配の古書は収められていない。あの偽物、売れたってことだろうか。
ノンナは興奮してせわしなく早足で店内を見て回り、三冊の本を抱えて戻って来た。
「お母さん、これ借りたいけどいい?」
「あ、これは貸本ではなくて売っている本ね。いいわよ」
「買ってもいいの? 嬉しい!」
ノンナが持って来たのは三冊ともシリーズもので「地獄からの使者デル・ドルガー」という冒険活劇小説だった。男の子が好みそうな、とは思ったが口には出さず、カウンターに持って行って支払いを済ませた。
「お嬢さんは冒険活劇小説がお好きなんですか?」
「はい! 大好きです。いつもは貸りていて、買ってもらったのは初めてだから嬉しいです」
「そうですか。今後ともどうぞご贔屓によろしくお願いします」
ウィルさんは笑うと目が三日月型の線になる。思わずつられてこちらも微笑んでしまうようないい笑顔だった。
ノンナは帰りの馬車からずっと本に夢中だ。
「馬車の中で本を読んでいると酔うわよ」
と注意しても聞こえないようだった。夜も食事を終えるとさっさと自室に入り、遅くまで読んでいる気配がする。
「読書に親しむのはいいことね」
「そうだな。だが、地獄からの使者って……ぷっ」
「あの子の前で笑わないでね。どうやらデル・ドルガーはノンナの憧れの人物らしいから」
「地獄からの使者が? 憧れ?」
首をかしげるジェフは女の子の気持ちがいま一つ理解できないようだ。
実を言うと私も組織の訓練生だった時、冒険活劇小説の主人公に初恋をした過去がある。
「生身の人間にはない魅力が小説の主人公にはあるのよ」
「そんなものなのか。それにしたって地獄からの使者って。くっくっく」
私の初恋の話は墓場まで持って行こうと思った。
数日後、我が家に意外なお客様が訪れた。馬車で乗り付け、御者に手を取られて降りてきたのは濃いピンクのドレスを着たノンナと同年代の少女。クルクル巻き毛の美人さんだった。
「エリザベス・マグレイです。ノンナさんはいらっしゃる?」
気の強そうな赤毛の御令嬢がツンとした立ち姿で玄関の前に立っている。
たまたま私が玄関ホールの花瓶の花を手直ししていたから私が出たのだが、私を侍女だと思ったようだった。
「ノンナは部屋にいますから、今呼びますね。応接室へどうぞ」
「もしかしてノンナさんのお母様でいらっしゃるのかしら」
「ええ、そうですわ」
「大変失礼をいたしました。わたくし、ローデリック・マグレイ伯爵が長女、エリザベス・マグレイと申します。どうぞお見知りおきを」
「ご丁寧にありがとう存じます。アンナ・アッシャーでございます。さあ、こちらへどうぞ」
完璧な淑女の礼に私も完璧な貴婦人の礼で返す。
エリザベス嬢は一瞬私の所作に驚いた顔をしたが、気を取り直したらしくて再びツンとした表情で私の後からついて来る。
応接室のドアを開けると、なぜかそこのソファーに寝転がってノンナが本を読んでいた。
「ノンナ、起きなさい。エリザベスさんがいらっしゃったわ」
「へえ。いらっしゃい」
「ノンナ! 失礼よ。起きなさい」
「ノンナさん、わたくし、あなたにお伝えしたいことがございますの。起き上がってくださいませ」
ノンナは舌打ちこそしなかったものの、嫌そうな顔で起き上がり、「なあに?」と無表情に問いかける。
「わたくし、あなたに皆さんの前で無礼なことを尋ねました。悪かったと思っております。申し訳ございませんでした。どこからか私の行いが父の耳に入ったらしく、きつく叱られましたの。父も子供の頃に祖母の生まれ育ちのことで嫌な思いをしたそうで、私がノンナさんにしたことは父に対する無礼と同じだと言われました」
「ふうん」
「それに、ノンナさんはわたくしのお祖母様のことを小声でおっしゃる配慮を見せてくださいましたでしょう?」
「だから?」
「わたくし、ノンナさんに借りができましたわ。今後、その借りをお返しすべく、ノンナさんがお困りの時はお力になります。わたくし、こう見えても社交界ではそこそ……」
「いらない」
「は?」
「あなたの力は借りません。どうぞお気になさらずに、あなたはお好きなように振舞ってくださいませ。おーほっほっほ」
その笑い方はやめなさいと言ってるのに。
「あ、あなた、失礼だわ。このわたくしがこうして謝罪に参りましたのに。わたくしの助力を断るなんて」
「あのさ、悪いけど、あなたの助力なんて蟻の涙みたいなものよ。あってもなくても私には影響ないから。私、デル・ドルガーを読むのに忙しいから。帰って」
するとエリザベス嬢、キッとノンナを睨んでツカツカと近寄る。面白いので私は黙って見守ることにした。
「デル・ドルガーがお好きですの? 我が家にはそれ、全巻揃ってましてよ」
「え。ほんとに?」
無表情だったノンナの顔に一瞬でわくわくした表情が生まれる。あまりに正直で、笑ってしまう。
「嘘なんて申しませんわ。わたくしの兄がいっとき夢中になって読んでおりましたの。よかったら読みにいらっしゃる?」
「行く! 今から行ってもいい? 買った本は全部三回ずつ読んじゃったの」
「ええ。今からでも結構ですわ。我が家のシェフ自慢のケーキでおもてなしいたしますわよ」
「やったー! 行く行く。いい? お母さん」
これ、許すべき? 淑女教育のおさらいをさせてから出すべき?
「お母さん!」
「アッシャー夫人、わたくしからもお願いいたします。わたくしがノンナさんを連れて帰ったら、きっと母が喜びますので」
「あー、エリザベスって、友達いなさそうだもんね」
「いますわ! いますわよ!」
「お茶会の時に周りにいたのは友達じゃないでしょ? あれ、家来でしょ? 家来と友達は全然違うものだからね?」
「ぐっ」
「いいよ、私は家来にはならないけど、友達にならなってあげる。お母さん、今から行ってもいいよね?」
二人の美少女に見つめられて、断り切れず。
「いいけど……」
「やった! いいって。行こう!」
なぜかエリザベス嬢は嬉しそうにノンナを連れて馬車に乗り込んで行った。
(大丈夫なの? あのまま出してよかったの?)と遅ればせながら猛烈に不安になった。するとそんな私に背後からバーサが話しかけてきた。
「奥様、ノンナ様はなかなかの人たらしでございますね。あの手の気位の高いご令嬢に、あそこまで一気に距離を詰められるなんて。やろうと思ってもなかなかできることではございませんよ。ノンナ様の手腕に、わたくし感服いたしました」
そうなの?あれで大丈夫だったの?
夕食の前に、ノンナはたいそうなご機嫌で帰って来た。
「エリザベスのおうちのお菓子、とっても美味しかったよ。デル・ドルガーも本当に全巻揃ってた」
と言いながら籐の籠に山盛りのお土産をテーブルに載せた。
「楽しかったのならなによりだけど、その大量のお菓子はいったい」
「エリザベスのお母様が全部持っていきなさいって、持たせてくれた」
「そ、そうなのね」
ノンナが楽しかったのなら、よかったのよね? と自分に言い聞かせた。
ジェフリーにノンナとエリザベス嬢の会話を伝えたら、
「シェン国でイル君にだいぶ鍛えられたみたいだからね。その手のことに強くなったんだろう。それにしてもノンナって、面白いねえ」
ジェフリーはクックックと笑い続けて、最後は涙を拭っていた。ジェフリーがこんなに笑い上戸だったなんて、最近まで知らなかったわ。






