25 古い契約書
金鉱脈発見の褒美として大金が我が家に届けられた。
重厚な黒色に塗られたトランク風の木箱には豪華な金属の飾り鋲が打たれ、箱の内側には赤いビロードが敷かれている。その赤い布の中にピカピカの金貨がギッシリ詰め込まれていた。
「うわあ。いっぱい入ってるね、お父さん」
「これ、いきなり全額は不用心じゃない?分割の方がありがたいわよね」
「……アンナ、第一声がそれかい?」
ジェフリーが笑いたいのを堪えてるような顔で聞く。
「ん? 私、何か変なこと言った?」
と聞き返しても「いや、別に」と言いながら我慢できなくなったらしく、上下の唇を軽く噛んで顔を背けて笑っている。
こんなたくさんの金貨が家にあったら不用心でしょうに。間違ってないでしょうに。
同じ日の夜にバーナード様が我が家を訪問してくださった。
「自分の手柄ではないからジェフリーに全てを譲り渡す」
という言葉と共に箱を差し出すバーナード様。
結果、同じ飾り鋲の箱がもうひと箱増えた。ジェフリーが困り顔で事情を説明してくれる。
「俺はシェン国の商会からの収入もあるからと断ったんだが」
「老い先短い私が大金を貰っても使い道がないんだよ。それに、ジェフリーが作った商会は国のものだ。商会からお前に渡る収入なぞ、どう考えてもたいした額にはならんよ。これはノンナのために取っておきなさい」
「ノンナのため、ですか。バーナード様」
「そう言われると断りにくいですね、伯父上」
「ノンナは私の孫のようなものだからな」
ジェフリーも私も贅沢を楽しむタイプの人間ではないから、二箱分の金貨を前に無言になった。
「それとだね、文官を通してあの暗号文書を宰相に渡したよ。第三騎士団に解読してほしいと言伝た。あれは歴史学者の手に余る代物だった」
「そうでしたか。難しそうでしたものね」
「私は第三騎士団が解読してくれる日を楽しみに待つことにしたよ。なによりも私にはエルマーの未発表作を世に出す仕事もある。君たちのおかげで毎日が楽しくてたまらんのだ」
帰って行かれるバーナード様を見送っていたら、ジェフリーがそっと肩に手をまわして引き寄せてくれた。
「君の性格では伯父が解読に苦労しているのを見ているのは、つらかっただろう?」
「ええ、とても。でもこれで心が軽くなるわ。あの暗号はハグルのものだけど、使われたのは古い数式だから。きっと第三騎士団で読み解けると思う」
こうして我が家は、大変な額のお金を手に入れてしまった。
金貨の箱をとりあえずジェフリーの衣装戸棚の奥に置いて、上から騎士団長時代の装備などを山積みにして隠した。
金貨の箱を隠し終え、ノンナが自室に行ってから「あなたに話があるの」と切り出した。
「おう」とジェフリーが軽く応じてくれる。
二人でジェフの部屋の長椅子にくっついて座り、心の中のモヤモヤを順番に説明した。修道院で聞いたあの話だ。
「すごく古いけど、あり得ないほどではない程度に古い契約書が出て来ること、契約者の子どもにそこそこ財産があること、サインが本物に見えること。それ、文書偽造詐欺で昔からある手なの。古書店にも経年処理した高価な偽物の本があった。おそらくその手の一味が王都にいるのよ」
「文書偽造の専門家がいる、か。君はどうしたい?」
「年を取った人から住み慣れた家を取り上げるなんて、残酷なやり口よ。あの人たちに家を取り返してやりたい」
ジェフリーは「ふむ」と言って右手で顎に触れながら考えている。
「第二騎士団の連中にも手柄を立てさせてやりたいところだな」
「私が犯罪を暴くことに関わってもいいの?」
「君なら正体を知られずに手を打てるだろう?前にも言ったけれど、俺は君の翼を折る気はないよ」
「ジェフ」
思わずジェフリーに抱きついた。
「心から感謝するわ。絶対にあなたには迷惑をかけないようにするから」
「じゃあ、まずは計画があるなら聞かせてほしいんだが。それを聞いてから第二騎士団には俺が情報を入れるよ」
「それなら完璧ね」
その夜、私たちは仲良く作戦を練った。
◇ ◇ ◇
「ようこそアッシャー子爵様。夫人には塗り薬のことで大変お世話になっております」
「院長様、こちらこそ妻の薬の販売を担当してくれていること、感謝しています。」
「それで、本日はどのようなご用件でしょう」
私とジェフリーは今、修道院に来ている。
院長様はきっと「この前来たばかりなのに、また?」と思っていることだろう。それはちゃんと想定済みだ。
「妻から聞いたのですが、こちらに通っている信者さんが親の世代の借金の返済を迫られて困っているそうですね」
「はい。この半年で四人の方が家を手放すことになって。胸を痛めています。幸いなことに皆さんはお子さんのところに身を寄せることができましたが、こんなことが続くと、そのうち路頭に迷う人も出て来るのではないかと心配でなりません」
ジェフリーがわずかに眉を寄せてうなずきながら聞いている。
「私は最近までシェン国で商会を立ち上げる仕事をしていました。契約もたくさん結び、契約書の扱いにも慣れています。その契約書に不備がないか、見せてもらうことはできませんか?不備があれば、家を取り上げられずに済むかもしれませんよ」
「そうなれば本当に助かります。お待ちください、今、当人に人を送って契約書を持ってきてもらいますので」
「いや、私たちが行った方が早い。院長様、ご同行願えますか?」
「ええ、もちろんですわ」
すぐに馬車に乗り、私たちはこの前すれ違った老婦人の家を目指した。
老婦人は家紋入りの馬車が家の前に乗り付けられたのに驚いて目を丸くしていたが、院長様から説明を聞いて表情を明るくした。
「さあどうぞお入りくださいませ。狭くて申し訳ありませんが、人数分の椅子はございますので」
「拝見します」
狭い居間に四人が腰を下ろし、老女が箱から取り出した契約書をジェフリーが手に取って眺めた。契約書は古く日焼けした感じの紙だった。
ジェフリーは文言に不備がないかを確認し、確認し終えると私に契約書を渡してくれた。
じっくりと文章を読む。言葉遣いと文字に不備はなかった。
次に顔を近づけて契約書の匂いを嗅いだ。
「あの、アッシャー夫人? それは何をなさっていらっしゃるのでしょうか」
「少々お待ちくださいませ、院長様」
間違いない。ごくわずかだけれど杉のおがくずの香りがした。紅茶の香りもわずかにする。
私は老婦人に希望を持たせてからがっかりさせるのだけは嫌だったから、慎重な表現を使うことにした。
「私、趣味で羊皮紙の本作りをしたことがあるのです。その時の先生に教わった手法で、新品の羊皮紙を紅茶や杉のおがくずを煮た汁に漬けるという方法があります。そうすると新しい羊皮紙が古く見えるのです。これ、その古く見せる処理をした羊皮紙と同じ匂いがするような」
「え?」
院長様も老婦人も「意味がわからない」という表情だ。ジェフリーが老婦人に質問した。
「この契約書に書いてあるグッドウィル貸金商会というのは?」
「南区にある古い商会です。確かに父は何度かそこでお金を借りているのです。でもそれは全部短期間に返済を済ませていました。ですから今回の件は、四十年も催促無しで放置されていたのがおかしいと抗議しましたが、経営者が代わったので事情はわからない。借金は借金だから返してほしいの一点張りでした」
「なるほど」
「私は、父が亡くなった時にもっとしっかり書類の確認をしていればよかったのだと諦めておりました」
「私と夫でその商会のことを調べてみます。もしかしたら、ですけど少しはお役に立てるかもしれません」
期待と不安に満ちた表情の老婦人から羊皮紙を預かり、馬車に乗った。行き先は王城だ。私はそのまま馬車に残り、ジェフリーだけがお城に入って行った。そしてしばらくすると見知らぬ男性がジェフリーと一緒に馬車に乗って来た。
「アンナ、こちらは王城の資料管理部で偽造書類の鑑定を専門にしているデールさんだ。兄に頼んで来てもらった」
「デールです。先ほど見せてもらった契約書は、間違いなく経年風の処理がされてます。その商会に今すぐ案内してもらいたい。第二騎士団も同行してもらうよう、部長が話をつけてあります」
デールさんは四十代後半の中肉中背の男性で、眼鏡をかけ、生真面目な雰囲気の人だった。気が付くと窓の外に騎士団の制服を着た人たちが騎乗して続々と集まってきている。
「許せませんな。そんな捏造した契約書でまっとうな王国民から家を取り上げるなど」
「ではデールさん、騎士団が集まりましたのでそろそろ向かいましょう」
ジェフリーの声で馬車が動き出した。
アッシャー家の馬車が先頭かと思いきや、第二騎士団の皆さんは行き先を知っているらしく、さっさと馬車を追い越して行ってしまった。
冷静に考えれば私とジェフリーがやる気満々で先頭切って乗り込もうと思ってたのがおかしいのだと気づいて苦笑した。






