24 ノンナのお茶会
ジェフリーが子爵になってからわずか十日後の今日。
我家の居間のテーブルの上に十数通の封筒が並べられている。私やノンナへのお茶会の招待状と、私たち夫婦への夜会の招待状だ。
「俺は夜会に行くつもりはないよ」
「じゃあ、夫婦の分と私個人の分はお断り、と。ノンナへの招待状が三通あるけど、どうする?」
「行くよ、じゃない。全部行きますわ、お母様」
「いきなり全部? お庭でのお茶会が一件あるから、クラーク様にエスコートをお願いしてみましょうか?」
「クラーク様と一緒に?クラーク様と会うなら二人で遊べる時がいいのに」
(ノンナ、もうクラーク様は木登りも石投げもしないと思うわよ)
と、私が困っていたらジェフリーが助け舟を出してくれた。
「ノンナがもう立派な淑女だってところをクラークに見せるいい機会だぞ」
「あっ、そうか。じゃあ、一緒に行く。任せてよ、お母さん。ヨラナ様に合格を貰った淑女の私を見たら、クラーク様は驚くと思う」
私が「クラーク様にエスコートを頼もう」と言ったのは外務大臣の父を持ち、かつ美形に成長したクラーク様が隣にいてくだされば、影では悪口を言われてもノンナにあからさまな意地悪をする令嬢は減るだろうと思っての提案だった。それをすかさずノンナのやる気に結びつけてくれるジェフの頭の良さにうっとりだ。
お茶会は四日後。クラーク様の仕事がお休みの日であることを確認して、ノンナのエスコートをお願いした。
◇ ◇ ◇
「いってらっしゃい、ノンナ。素敵な淑女だわ」
「行ってきます、お母さん、お父さん」
迎えに来てくれたクラーク様に寄り添って、ノンナが馬車に向かって歩き出した。
紺色のドレスには白いレースの繊細な飾り襟。ウエストに巻き付けられた幅広の共布は、後ろでリボンに結んである。初めてのお茶会だし子爵の立場を考慮して豪華なドレスではないが、金髪のノンナには濃い色が良く似合う。
そのノンナが馬車に乗る直前、突然顔の脇でシャッ! と手のひらを横に振った。実に鋭い手刀だ。
(え?)と見ていたらきまり悪そうな顔でノンナが振り返り
「コガネムシが飛んで来たから払っただけ! 殺してないから!」
と大きな声で叫んだ。
目をパチパチして固まっている私にジェフリーが「きっと人にはやらないよ、大丈夫だよ」と慰めを言う。
「当たり前なことを言わないでよ。逆に不安になるじゃないの」
「悪い悪い。でも、あの子は君をがっかりさせるようなことはしないと思うよ」
「そうね。ここで心配してもどうにもならないしね」
口ではそういったものの(ノンナ、事件を起こさずに帰って来るわよね?)と心配になった。ノンナが帰宅するのはおそらく夕方の六時くらいだろうか。
その間に修道院に行けば薬を購入した人の感想を聞けるかもしれない、と思いついて出かけた。
修道院に到着したら、質素な身なりの老婦人とすれ違った。泣いていたように老婦人の目が赤かった。
ここの信者さんなのだろう、修道院の院長と若い修道女が見送っていた。老婦人は私と目を合わせることなくぺこりと頭を下げてすれ違い、歩いて敷地から出て行った。
「いらっしゃいませ、アッシャー夫人」
「こんにちは院長様。今のご婦人、泣いていらっしゃったようですね」
「ええ、長年住み慣れた家を離れることになったのですよ。お別れを言いに来てくださったのです」
「そうですか」
あのお年だと子どもの家に引き取られて同居するのだろうかと思ったが、院長の表情が優れない。
「あの、何かございましたか?」
「いえ、気の毒なお話を聞いたものですから。今日はお薬のお話でしょうか?」
「はい。使った方の感想が聞けたらと思い、先触れも出さずに来てしまいました」
院長様がにっこりと微笑んだ。
「あの塗り薬を使った信者さんたちから感謝されましたよ。かぶれ、あかぎれ、湿疹にもよく効くと皆さん大喜びでした」
「そうですか。それなら良かったです。使い方も説明してくださったのですよね」
「ええ、いきなりすり込まず、最初はごく少量を使って様子を見るように伝えました」
「ありがとうございます。そうしなさいと、作り方を教えてくださった先生に繰り返し注意されたものですから」
接客用の部屋に通され、塗り薬の代金を渡された。
私はそこから原材料費を抜いた分の二割を院長様にお渡しし、互いに受け取りを書いて交換した。
「院長様、お手数ですが互いの安心のために毎回受け取りを書いてくださるよう、お願いいたします」
「ええ、もちろんですわ、アッシャー夫人」
そう言ってから院長様が遠い目になる。
「院長様?」
「失礼しました。今年に入って古い契約が原因で家を手放した方がもう四人いるのです。仕方ないとはいえ、長くここに通っていた方ばかりなので、つい」
それ、おかしいのでは。古い契約書がなぜ立て続けに顔を出したんだろう。
「差し支えなければ、どんなお話か伺ってもよろしいでしょうか?信者様の実名は伏せたままで結構ですので」
院長先生がかいつまんで説明してくれた話によると、先ほどの老婦人は彼女の親が四十年も前に借金をして返済していなかったおかげで利子が膨れ上がって返すことができず、家と土地を手放すのだそうだ。
「四十年間、返済しなかった、ということですか?」
「それが、借金の存在すら知らなかったようです。突然小金貨三万枚と言われたら、どうすることもできませんよ」
「さっ、三万枚?」
「正確には二万九千数百枚、だったかしら」
「いえ、そこではなく。最初にいくら借りたらそんな額になるんです?」
「最初は小金貨二十枚だそうです。それが年利二割で四十年。複利で計算するとそういうことになるそうです。新居を用意するための資金だったのだろうって」
新人の文官の月の賃金が小金貨二枚と言われているから、小金貨二十枚は確かに新婚さんが家具を買ったり家を借りたりする額かもしれないが。
「それを全く返さないなんてこと、あるのかしら。途中で返せなくなる人はいるでしょうけど、最初の何回かは返すのが普通ではありませんか?」
「ご家族に病弱な方がいたそうですから。薬代や治療費を優先したんだろうとおっしゃってました。何よりも父親のサインがある契約書を提示されたら……」
「相手も相手じゃないですか。もっと早くに督促すべきでは?」
私がそう言ったら院長様が困った顔になった。院長様に詰め寄る話ではなかった。ごめんなさいと謝って、釈然としないまま修道院を離れた。
◇ ◇ ◇
居間のソファーでぼんやりしている私にノンナが声をかけてきた。
「ただいま帰りました、お母さん」
ノンナが私の背後でクスクス笑っている。
「もう、気配を消して近づくのはやめなさいって。初めてのお茶会はどうだったの?」
「無事に決まってるじゃありませんか、お母様。おっほっほっほ」
「その笑い方はやめなさい。ノンナ、本当は?」
「本当に無事に終わったってば。 クラーク様も『頑張ったね』って褒めてくれたもん」
なんだろう、このザリザリする感じ。
私を安心させようとするノンナの言葉を聞けば聞くほど不安になるのですが。
その夜、私の寝室にノンナが枕を抱えてやって来た。私のベッドの掛け布団をめくり、スルン、と入って来た。
「お母さんが心配してると思って、詳しく報告に来た」
「ありがとう。ぜひ聞かせて」
「今日ね、お茶会に十五人も参加者がいた。参加者の中の一人の女の子がすごく威張ってて、私のことを嫌な目でジーッと見てた。だから真っ先に挨拶に行ったの」
「うん。そしたら?」
「その子はエリザベス・マグレイ伯爵令嬢って言うの。みんなの前で『子爵の娘になる前、あなたは何だったの?』って言われた。だから『平民でした、エリザベス様』って答えたの」
やっぱりそういう目に遭ったか。
「お母さん、ヨラナ様はさすがだった。『あなたが今後顔を合わせるだろう貴族令嬢のうち、注意すべき人』っていうのを二十人くらい教えてくれていたの。身分のことで何か言われたらどう言い返せばいいかも」
「もしかしてその中にその令嬢が?」
「うん。私ね、エリザベスが油断してる時にそっと近寄って『あなたのお祖母様がお祖父様に愛されて幸せになったお話、素敵ですわね』って言ったら、赤くなってそれ以上何も言わなかった」
「それってどういう意味?」
「その子のおばあ様は平民の歌姫だったらしいよ。有名人じゃなかったからあまり知られてないんだって。養子縁組で貴族になってから結婚したんだって。私にはどうでもいいことだから、エリザベスが私に意地悪言わなければ言うつもりはなかったけど」
ヨラナ様……。いきなりそんな情報をノンナに与えましたか。
「後味悪いね、仕返しって。だから次からはなるべく無視することにした」
私はそっとノンナの金髪を撫でた。
「お母さん、淑女になるって、面倒くさいね」
「ノンナ……」
「私、お母さんの子どもでよかった。ほんとによかったと思ってる。私ね、あんな嫌な人にはならない。お母さんみたいな人になるよ」
少女らしい甘い匂いのノンナが私の胸にグリグリとこすりつけて、すぐに眠ってしまった。きっと神経を使って疲れたんだろう。
ノンナはこれからたくさんの他人と関わって生きていく。もう私が守っていればいいという年齢じゃないのだ。
ノンナが十歳を超えたあたりから、(この子がこの先の人生で受けるであろう心の痛みを、私が全部代わってあげられたらいいのに)と願ってしまう。正しいことでもないし、無理なことなのもわかっているのに。
「愚かな母親の世迷言ね」
私はノンナをそっと抱きしめて眠ることにした。
雨降らし姫がいよいよ全国的に発売になりました。いまだにどうも実感が湧かないのが我ながら不思議です。実物も手元にあるのに。なんで実感が湧かないんですかね。信じられなさすぎると実感湧かないのかな。






