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2 帰国 

 あの三人が帰って参りました。

 

 続編ですので、前作『手札が多めのビクトリア〜元工作員は人生をやり直し中〜』をお読みいただいてからの方が三割増しでお楽しみいただけるかと思います。


⚫︎なお、本作には前作の重要なネタバレが含まれています。

 

 

 五年ぶりに帰国したアシュベリー王国は、雨だった。


 この国に住んでいたのは一年に満たない期間なのに、不思議と『帰って来た』という気持ちになる。

 隣に立っている娘のノンナはこの五年間でずいぶん背が高くなった。私に追いつくのもすぐだろう。 

 ノンナの身体は日々の鍛錬で引き締まり、長い金髪はゆるく三つ編みにして右肩の前に下ろしている。


「アンナ、タラップが雨で滑りやすい。俺の腕につかまって」

「ありがとうジェフ」


 ノンナが微かに苦笑している。

 きっと(またお父さんの過保護が始まった)と思っているのだろう。ジェフリーは大男にありがちな動作がもっさりした感じはなく、いつでも家族を守って動ける人だ。


 シェン国の商船から降りる客は少ない。私たちは最後に船を降りた。


「お父さん、あの人、私たちを迎えに来たのかな?」


 船着き場を見ると、中肉中背に茶色の髪の、見覚えのある男性が傘をさして私たちの方を見上げている。


 私たち三人が入国管理所で手続きを終えて外に出ると、黒塗りの馬車が目の前に止まっていた。さっきの男性が馬車の隣に傘をさして立っている。

 男性は五年前、私たちをシェン国に送り出す手続きをしてくれたマイクさんだった。彼はアシュベリー王国の工作員組織の人だ。


「おかえりなさいませ、アッシャー様。マイクです。お迎えに参りました」

「マイクさん、遠いところまで出迎えをありがとう」

「とんでもございませんアッシャー様。アンナさんもノンナさんもお元気そうで何よりです。ノンナさんはずいぶん大きくなりましたね」

「はい。もう少しでお母さんに追いつきます」

「そうですか。もうすっかり小さな淑女ですね」

「ありがとうございます」


 私とジェフリーがチラリと互いの目を見て笑いをこらえた。

 目下、私たち夫婦の一番の気がかりは、ノンナの淑女教育なのだ。当のノンナは私たちの表情に気づいているはずだが、涼しい顔をしている。


「このまま宿に泊まりながら王都を目指します。その道中で情報を共有したいと思います」


 しとしとと降る雨の中、上等な造りの馬車が滑らかに進む。

 雨のしずくが細い流れを作って馬車の窓ガラスを伝い落ちていく。窓ガラスの向こうにアシュベリー王国の家並みが見える。懐かしい景色に思わず表情が緩んだ。


「まず最初に、出国前と少々変更がありますのでお伝えします」

「はい」

「公的にはビクトリア・セラーズは強盗に殺されたことになっていますが、王都に戻れば以前の方々とのお付き合いも再開するでしょう。その際はアンナ・ビクトリア・アッシャーということにしてください」


 思い入れのあるビクトリアの名前がミドルネームだと聞いて私は驚いた。


「まあ。ビクトリアの名前を残してよろしいんですか?」

「今までと名前を変えてしまうと、ビクトリア時代を知っている人たちに不審がられてしまう、という上司の判断です。今後、ビクトリアの名前を知っている方々とのお付き合いを再開なさる際には、今まで通りビクトリアで結構です。もしアンナの名前について聞かれることがあったら『他国の権力者に気に入られてしまったので、ミドルネームを名乗って逃げていた。詳しいことは言えません。お察しください』これでお願いします」


 なるほど。

 お察しくださいと言えば相手はそれぞれ好きなように想像してくれるだろう。上手い言い訳だ。

 私はジェフリーの家族にさえ納得してもらえればそれでいい。


 大人たちの会話を聞きながら窓の外を眺めている娘のノンナは、シェン国では武術の鍛錬にのめり込んでいた。

 アシュベリーにいた頃のノンナは、一日中私と一緒だったが、シェン国でのノンナは滞在先の息子さんや使用人たちと過ごすことが多かった。


 ノンナは最初の頃こそ広い敷地を探検するのを楽しんでいたが、広い敷地を調べ尽くしてしまうと、次は護衛の人たちと一緒に武術を学び始めた。

 その家の護衛の面々は金髪美少女が練習に付いてこられることを驚き喜んで、熱心に教えてくれていた。


 滞在期間の五年はあっという間に過ぎ、いよいよ帰国という頃には、私たち三人はシェン国語を不自由なく話せるようになっていて、ノンナは武術の腕前をとんでもなく上げていた。そう、『とんでもなく』だ。


「お母さん、クラーク様に早くシェン国の言葉を教えてあげたい」

「そうね、クラーク様はきっとお喜びになるわね。ノンナ、わかってると思うけど……」

「わかってるったら。もうクラーク様に膝蹴りはしないって。正拳突きも回し蹴りもしないから安心して」


 ジェフリーと話をしていたマイクさんが驚いた顔になり、ジェフリーは苦笑している。


「アンナさん、今の話はどういう意味ですか?」

「ノンナはシェン国にいる間はずっと武術に夢中だったんです。五年間で相当腕を上げたものですから、つい心配になってしまって」

「武術はある程度腕前に自信が付いた頃が無茶をしやすいが、ノンナはその段階はもう超えてるから大丈夫ですよ」


 マイクさんは私とジェフリーの言葉を聞いて「いや、心配すべきはそこではなく」と小声でつぶやいた。彼が言いたいことはわかっている。『これから子爵令嬢になるのに、貴族のご令嬢としての教育は大丈夫ですか?』と心配しているのだろう。


 私がそれなりには令嬢としての嗜みを教えていたし、『淑女教育は帰ってからでも学べるが、シェンの武術はシェンにいる時しか学べない。だからノンナは武術の習得を優先していい』という夫婦の結論になったのだ。


 ノンナには彼女が十歳になった日に、『私が逃げていた相手というのは実はハグル王国の工作員組織で、もう大丈夫とは思うけれど油断してはいけない、あなたも自分の身を守る術は身に付けておいた方がいい』と正直に伝えてあった。ジェフとも相談の上での判断だ。


 私たちとマイクさんの話を聞いていたノンナが澄ました顔で言葉を挟んだ。


「マイクさん、大丈夫です。私、武術の先生に『自分より弱い者に技を使ったらその瞬間に破門だと思いなさい』と言われていますから」

「そうですか。なるほど」

 

 マイクさんは、頬の内側の肉を噛んで笑うのを我慢していた。うちの娘が規格外で申し訳ない。

 外見だけ見ればうちのノンナはどこに出しても問題ない貴族の美少女だ。

 長く伸ばした金髪は艶々だし、やや日に焼けてるものの肌はきめ細かく、青灰色の瞳は理知的だ。姿勢もいい。

 ただ、身のこなしが若干キビキビしすぎているが、それも淑女の動き方を学習すれば隠せるから大丈夫だと思う。たぶん。


 一家を乗せた馬車は雨の中を順調に進み、途中の宿屋に泊まりながら王都に向かっていた。


 帰途、元気を持て余していたノンナは、ホテルの人目につきにくい裏庭などでシェン武術の練習をしていた。私やジェフと体術の鍛錬も。

 マイクさんは最初の頃は見学していたが、途中から我慢できなくなったようだった。


「あのぉ、私もお仲間に入れてもらえませんか。ビクトリアさんの体術とノンナさんのシェン国武術、どちらも我が国の体術とはひと味違うので」

「試してみたくなりましたか?」

「はい」


 断る理由がないので、私とマイクさん、ノンナとマイクさんの順に組んで鍛錬をすることになった。 

 いざ鍛錬開始、となる前にマイクさんがノンナに聞こえないように気を使って小声で質問してきた。なので私も小声で答える。


「ビクトリアさんが得意な武器は」

「短剣です。ほとんど実践では使うことはありませんでしたが」

「わかります。優秀であればあるほど、工作員は武器を使うところまで追い込まれることはありませんからね。では、鞘に入れた状態で短剣も使ってください。ぜひ一度お手合わせ願いたいと思っていたんです。他国のエースと手合わせなんて、そうそう経験できませんからね」


 普段ほとんど感情を表に出さないマイクさんの目が輝いている。


「では行きます」

 そう言ってマイクさんに向かってナイフを構えて走り寄った。

 まず利き手と利き足を攻撃することにした。視線を右脚に向けて蹴りを入れるが、それは罠。マイクさんが私の視線に反応して右脚を守るための動作に移ろうとした瞬間を狙うのだ。


 この手の訓練に慣れている人ほど無意識に相手の視線に反応する。考える前に身体が反応するのは当たり前で、そうでなければ工作員はすぐに命を失う。


 私は組織での鍛錬の時は、その「ベテランだからこそ反応してしまう」ことをよく利用していた。

 相手は私の視線に反応して動こうとした時にはもう、ナイフで別の場所をザックリ切られている、ということになる。久しぶりにそれを試してみた。案の定、マイクさんも無意識に私の視線に反応して動いた。


「はい、利き腕がもう使えません」

「あれ?」


 ポカンとするマイクさん。鞘に入れたままの短剣で強く右肩を薙ぎ払われたことに驚いている。


「あれ? あれ?」

「ふふふ」

「お母さんの勝ちぃ!」

「私は動きが速いのだけが取り柄ですので」

「ビクトリアさん、すみませんがもう一度お願いしてもいいですか」

「ええー、今度は私がマイクさんと組みたい」

「いいわよ。じゃあ、交代ね」


 マイクさんはもっと私と組みたそうだったが、今使った方法は二度三度と繰り返すと見抜かれる。一度しか使わない方がいいのだ。この先マイクさんと戦うことはないだろうが、私はノンナとマイクさんの鍛錬を見る側に回った。

 一度客観的にノンナの動きを見てみたかったのだ。


 ノンナの技量を測りかねているマイクさんは、やや及び腰だった。そんなことではノンナに負けちゃうのに。

 マイクさんの体重はおよそ六十八キロ、ノンナは四十キロ前後。体重差があるから、ノンナの蹴りや打撃は効果が薄いように見える。


 が、これが実戦だったら今頃マイクさんは全身をナイフで切り裂かれているだろう。


「ノンナには武器の使用は一切教えていませんが、小さなナイフでも使えば、まあ、ね」

 と、シェン武術の先生は語尾を濁した言い方をなさった。優しそうな笑顔でかなり恐ろしいことを言う先生の、武勇伝を伺いたいと思ったものだ。

 物思いにふけっていたら、勝負がついていた。マイクさんが愕然としていた。


「待った、ちょっと待った」

「あら、それは降参ということでいいのですね、マイクさん」

「やったー。マイクさんに勝ったぁ」


 ノンナに負けてがっくりと下を向くマイクさんは、ゼイゼイと息が荒い。

 ずっと動き続け攻撃し続けていたノンナは、楽し気に笑っている。

 ノンナは、助走無しで高く跳ねたり、半円を描くように壁を駆け上がって相手の頭上から攻撃したりする。ノンナの相手は恐ろしく疲れるのだ。そして疲れで動きが鈍った時には負けている。

 この細い身体のどこにそんなに持続力があるのかと、私も毎度驚かされている。

 ノンナは「マイクさんに勝ったからご褒美ちょうだい」とおねだりして、赤い球のような物を貰っていた。きれいな赤い球をポケットから出したマイクさんは、笑顔でノンナとおしゃべりをしている。二人とも楽しそうだ。


 王都への移動の旅は私にとってもなかなかに楽しかった。



 

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