17 バーナード様への報告
ジェフリーはエルマーの遺言に関して、とても慎重だった。
「伯父は学者だ。真実を知れば学会に発表するだろう。名声のためじゃない。伯父にとって、歴史の中に埋もれた真実を探り出し、広く世に知らせることは学者の使命なんだ。だが、あの遺言が隠されていた文書の存在が公になれば、暗号を解いたのは誰だ、という話に絶対になる。それはまずい」
「そうね」
「長年真実を追い求めていた伯父には申し訳ないが、君にたどり着く人間が出て来たら困る」
「ええ」
あの遺言の内容を知らせ、それが公になれば、それを解読した私にたどり着く人が出て来る可能性が生まれる。そうなれば偽造された私の経歴を調べる人も出てくるかもしれない。
私は男爵家の養子になった平民ということになっているが、その平民アンナの生まれ故郷で私のことを調べる人がいたら、そんな女性は存在していなかったことがばれてしまう。
黙り込んだ私の手を、ノンナがギュッと握ってきた。心配しているのだろう。私もノンナの手をギュッと握り返した。大丈夫よ、の意味だ。
しばらく歩いてバーナード様のお屋敷に到着した。
「おや、どうした?もう帰ってきたのかい?二か月は帰って来ないと思っていたんだが。やはりあれだけの材料で王冠にたどり着くのは難しかったか」
バーナード様は私たちを迎え入れてくださるなり、そうおっしゃった。
出発からひと月もかからずに帰ってきたのだから、バーナード様が勘違いなさるのも無理はない。私が事情を説明する前に、ノンナが手提げバッグから素早く石を取り出してバーナード様に手渡した。
「はい! お約束していたお土産です。シビルで拾ってきました!」
「ほお、石か。私がシビルに行くことはもうないから、うれし……」
バーナード様の言葉が途切れる。くわっと目を見開き、老眼鏡を掛けたり外したりし、顔を近づけて何度も石を眺めていらっしゃる。
ノンナがお土産に持ち帰った石の大きさは、縦十センチ横六センチくらいの細長い石だ。ノンナのシビー同様たっぷりと金が混ざり込み、まだら模様になっている。
「きれいでしょう?バーナード様」
「ああ、とてもきれいだよノンナ。ありがとう。それでビクトリア、これをどこで?」
「シビルです。すべての事柄を、順を追ってお話しいたしますわ、バーナード様。ジェフも足りないところは補ってね。それとバーナード様、これから私が話すことは、もしかしたら国によって箝口令が敷かれるかもしれません。その前にお話ししておこうと思ってまいりました」
いつも真面目なお顔ばかりであまり表情を変えないバーナード様が、少々悪い笑みを浮かべた。
「ビクトリア、国が隠したがるような歴史的な秘密が自分の目の前にあるのなら、それを聞きたがらないような歴史学者はこの世にはおらんよ。ぜひとも聞かせてもらいたいね。いや、ちょっと待ってくれ、道具を揃えよう。よし、ペン、紙、インク、全部揃えた。さあ頼むよビクトリア」
私はシビル林業組合を訪れたところから順番に旅の話を語った。
バーナード様は一切質問をせず、猛烈な速さでメモを取っていらっしゃる。うなずいたり驚いたり感心したりしながら話の腰を折ることなく聞いてくださった。
途中のエルマー・アーチボルトの新作を見つけたくだりで、ジェフリーが羊皮紙の束が入っている壺を布袋から出してテーブルに置くと、バーナード様はサッと壺の蓋を開けて羊皮紙の束を手に取った。
だが今は読んでる場合ではないと判断なさったらしい。小さく頭を振って束をテーブルに戻してまたペンを手に取った。
火口を見つけたこと、骸骨があったこと、金鉱石を見つけたこと。オーリを保護したことも。
あの遺言のことだけを省き、長い話を最後まで話し終えた。
バーナード様が落ち着くまでお茶を飲むことにして、私とノンナがお茶の準備をした。ジェフリーは黙ってバーナード様を眺めている。私たちはお茶を飲んだが、バーナード様はお茶どころではないようだ。
「それで、ジェフリー。これは国に報告するんだろう?」
「いえ、兄の依頼でクラークが記録係として同行したんですよ。国にはクラークが正式な報告書を出すはずです」
「クラークが同行?」
「ええ、兄が資料管理部からの要望という形で依頼したのです」
「ああ、なるほど。だがビクトリア、ひとつ腑に落ちないことがあるな」
「なんでしょう」
「君に聞いた話はどうもすっきりしない部分がある。ううむ、ええと、ああ、今はまだ上手く言葉で説明できないな。次に会うまでに頭を整理しておくよ」
バーナード様の家に通いのハウスメイドが訪問してきたのを潮に、私たちは帰ることにした。バーナード様は見送りの時もそわそわしていて、一刻も早く未発表作を読みたそうだった。
「ジェフ、馬車だとあっという間に家に着いてしまうわ。ちょっと寄り道したいのだけど」
「ああ、いいぞ。行きたい場所はあるのか?」
「アップルパイの美味しいお店はどうかしら」
「やった!あのお店のアップルパイ、大好き!」
ヨラナ様の家の離れに住んでいたころは何度も通っていた南区のお菓子屋さん。店は今日も客で賑わっていた。私たちは隅の飲食コーナーに座り、それぞれが好きなケーキを注文した。ノンナはいつものアップルパイ、ジェフリーはグラスに流し込まれたチーズのケーキ、私はブルーベリーとラズベリーのタルトにした。
「美味いな。人気の店はほとんど知っているつもりだったが、この店のことは見逃していたよ」
「そう?第二騎士団長さんは、美味しいお店なら全部ご存じなのかと思ってたわ」
「このお店はお菓子の好きなおじさんに教わったんだよね、お母さん」
「そうね」
ジェフリーの顔が一秒の半分くらい引きつったような気がした。
「あの、ジェフ? その人が酒場のオーナーなのよ。たまたま市場で出会って、」
「お父さんはお母さんが大好きだから心配になるの?」
「ノンナ、お父さんは心配なんてしてないぞ」
「大丈夫だよ、お父さん。お母さんが甘えん坊の顔になるのはお父さんといる時だけだもの。そのおじさんといる時のお母さんは、バーナード様やヨラナ様と一緒にいる時と同じ顔なの。お母さんが甘えん坊の顔になるのは、お父さんといる時だけだから」
ノンナよ。いい仕事をしてくれてありがとう。
ジェフリーの顔がはっきりと嬉しそうになった。なんて可愛い人だろうか。
「わあ、美味しそう!」
運ばれてきたアップルパイを見るなりノンナはフォークを手にしてパクパクと食べた。私が選んだベリーのタルトは甘酸っぱくてクリームが濃厚で、幸せになる味だった。
「ジェフ、クラーク様には遺書の内容を教えていないけれど、国は私にたどり着くかしら」
「クラークが同行していなければ話はとても簡単だったんだがな」
「なんでクラーク様が同行することになったのかしら」
「俺たちが失われた王冠を探しに行くことを、伯父が兄に話したからだろう?」
「そうだろうけど、ねえジェフ、エドワード様は以前から歴史に興味がおありだったの?」
ジェフリーが考え込む。
「いや。そんな話は聞いたことはないな。資料管理部の部長になったからじゃないか?」
「あ、そうね。それにクラーク様がいたからこそ、オーリを助けることができたんだし、結果は全てよし、ね」
そう言って微笑んだが、本当はなんとなく落ち着かなかった。
バーナード様に説明した挿絵の暗号の鍵は、とても簡単でわかりやすい。誤字の罠にひっかかりさえしなければ、組織の人間じゃなくても暗号解読が趣味の人なら知っているであろう古くて定番の鍵だ。
そんな趣味の平民の女性がどれだけいるのかは少々疑問だが。
(大丈夫、大丈夫)
そう何度も自分に言い聞かせたが、過去にそうやって自分を納得させようとしたときは、たいてい大丈夫じゃなかったから、私は落ち着かない。






