16 エルマーの遺言と薬の効果
浮かび上がって来る文字をどんどん書き取る。
冒険小説家のエルマー・アーチボルトは、羊皮紙の文章の中にたっぷりと暗号文を隠していた。それを書き出していくと、こんな内容になった。
◇ ◇ ◇
私エルマー・アーチボルトは潜入工作員としてアシュベリーで商人をしていた。
王城に出入りしていた私は、第五王女カロライナのお気に入りだった。
ある日、王女カロライナに願い事をされた。
「私はランダルの王子に嫁ぐことが決まっている。だが、その王子の妃は三人も亡くなっていて、四番目の妃に私が選ばれた。三人の妃は皆、王子に暴力を振るわれて死んだらしい。私は殴り殺されるのが恐ろしい。私をこの城から逃がしてくれたら、私が持っている宝石全部をお前に渡そう」
以前から王女カロライナに心惹かれていた私は悩んだ末にその願いを引き受けた。二人は城から脱走し、シビルの森の開拓団の中にまぎれ込んだ。開拓団の集落で理髪店兼雑貨店を開いた。
王女は不慣れな生活にも弱音を吐かず、厳しい生活にも耐えた。休みのたびに私たちは森に出かけ、未開の森の探索を楽しんでいた。森の奥に石積みの小さな家も建てた。
ある日、火口に至るあの裂け目を通り、火口の中で金鉱石も見つけた。
金鉱石をいくつか持ち帰り、寝室に飾った。人目を引くことを恐れ、私たちは金に頼らず働いた。
ある日、私は組織の人間に見つかってしまった。
彼らが家に押し入り、寝室の金鉱石を見られた。金鉱石の場所を教えれば私を見逃すと言う。
五人の男を案内した帰り、襲われたので返り討ちにした。私も大怪我をしたが妻の看病でどうにか回復した。私は老後に自分の経験を基に小説を書いた。妻は天寿を全うして神の庭に旅立った。
妻の最後の願いは『自分は国のために何の役にも立たなかった。せめてものお詫びに、金鉱の存在をアシュベリー王家に伝えてほしい』だった。
だがアシュベリー王家は妻が殴り殺される危険を知りつつ嫁がせようとしていた。簡単に金鉱の存在を知らせる気になれない。だから私はアシュベリー語の小説にハグル式の暗号を仕込んだ。
解読し、王冠に到達した者が金の鉱脈を手に入れればよい。我が子には自分と妻の正体も、金鉱脈のことも、知らせていない。我が子には平穏な人生を歩んでほしい。小説の表題は『失われた王冠』。この暗号文書はエルマー・アーチボルトからの遺言である』
◇ ◇◇
「あなた、工作員だったの……」
私は本に向かって話しかけた。
『失われた王冠』の作者エルマー・アーチボルトは私がいたハグル王国の特務隊の先輩で、組織脱走の先輩でもあったのだ。
「ふぅぅぅぅ」
長いため息を吐き出した私。
ジェフリーがそわそわしているので、暗号を解読して書き取った紙を渡した。それをじっくり読んだジェフリーが驚いた顔で私を見る。
「つまりエルマーはハグルの工作員ということか?」
「そのようね。驚いたわ」
「しかも第五王女を城から連れ出し、夫婦として暮らしていたって?」
「そうらしいわ」
「驚いたな。こんな冒険小説みたいなことが実際に起きていたなんて」
ジェフリーが私の顔をじっと見ている。
「なあに?」
「やっぱり君は凄腕だな」
「ふふ。ありがとう。久しぶりに興奮したし、楽しかったわ」
「それにしてもこれだけの文章の中にこんなにたくさんの暗号文章が隠せるものなのか?」
「それがこの暗号の優れたところなの。文章の最後まで行ったら数字の指示に従ったまま逆に戻っていけばいいの。ただ、それをするにはとんでもなく語彙が豊富じゃないとこの方法は使えないけど」
エルマーは全てを秘密にして我が子を守ろうとした。
百年前の工作員エルマーと私は共通することが多いけれど、そこが決定的に違う。
私はノンナに工作員だった過去を知らせ、彼女に身を守る術を持たせた。何も知らないことが安全なのか、知った上で守りを固めさせるのが安全なのか。
どちらが正しいのか私にはわからない。
ただ、私は『できる備えはしておく』種類の人間なのだ。
私はノンナを守って育て上げたい。ジェフリーと共に人生を歩みたい。
願いはその二つだけ。金鉱石はいらない。
私の願いは金では叶えられないものばかりだから。
翌日、土の中に埋めておいた壺を掘り出し、羊皮紙の束を鞄に入れた。皆で馬に乗り、王都への帰途に就いた。思っていたよりも短い休暇だった。
「もう帰っちゃうの?」
「ノンナの石好きがとても役に立ったおかげよ」
「もう少し森の中の野営を楽しみたかった。お母さん、シビーはいつ返してくれるの?」
「おうちに帰ってからよ」
「バーナード様に早くお土産を渡したいな」
私とノンナの会話を聞いていたクラーク様が微笑んでいる。
(ああ、クラーク様はそんな大人の微笑みができるようになったのですね)と、離れていた五年の月日の長さをその微笑で実感した。
私たちはオーリを連れ、王都を目指して進んだ。森の中に置きっぱなしにしていた馬車は無事だった。
馬車の中でも、オーリは怯える小鹿のようだった。ずっとクラーク様にくっついていた。
ノンナもオーリとクラーク様の会話の仲間に入ろうとして、身振り手振りで何度も語り掛けたのだけど、オーリは全く反応しない。途中から諦めてしまったノンナがしょんぼりしていた。もう少しオーリが落ち着けばノンナを受け入れてくれるかもしれない、とノンナを慰めた。
馬車に乗る前、私とジェフリーは綿密に打ち合わせをした。
その結果、暗号文書のうち、エルマーの遺言についてはクラーク様に伝えないことにした。それはジェフリーの強い意思だった。
「第五王女カロライナはエルマーと添い遂げて、幸せに人生の幕を閉じたんだ。今更、他国の工作員と結婚していましたと報告しても、誰も喜ばないよ。彼女の子孫は王族にはいないんだし、彼女の親兄弟は全員神の庭の住人なんだ」
「今まで不明だったこの国の歴史の真実がわかったのに、私のために秘密にするのね。なんだか申し訳ないような。せめてバーナード様に真実を伝えるいい方法があるといいのにね」
ジェフリーはゆるゆると首を振った。
「暗号の内容を知らせれば、国はあの難解な暗号を誰が解読したかも知りたがる。それでは君が名を変え五年も国から姿を消した意味がなくなるよ」
「ええ、それは確かにそう」
結果、クラーク様にはエルマーの遺言は知らせないことにした。
同行して見聞きしたことのうち、我が家のことは極力省いてもらうことを再度お願いした。同行の条件を出発前に出しておいたジェフリーは本当に先が見通せる人だ。
クラーク様は私たちに関することは割愛して以下のことだけを報告する、と約束してくれた。
『旅行先で偶然見つけた道標の指示に従ったら、深い森の中で家を発見した』
『その空き家で壺に入った羊皮紙を見つけた』
『羊皮紙の指示で崖の裂け目を発見した』
『裂け目は火口に続いており、火口の中で金鉱石を見つけた』
「よし、これでいい」
「清々しいほどに私たちのことは省かれてるわね」
「ジェフおじさん、僕はこれで大満足です。同行させていただいたこと、感謝してます。こんなにわくわくしたのは生まれて初めてでした」
「俺も楽しかったよ」
「私もですわ、クラーク様」
全員が満足。これでいい。
帰りも往路と同じだけの日数を使い、私たちは王都の屋敷に到着した。
急いで帰宅しようとするクラーク様を見てオーリは離れるのを嫌がった。だけど彼女を連れ帰ると決めたのは私とジェフリーだ。
この先、他国民を無断で連れ帰ったことで国から何らかのお咎めの可能性がある。それなら、我が家が罰を受けるべきだ、とジェフリーが決めた。そもそもジェフリーは私のことがあるから叙爵をそれほど喜んでいなかった。『叙爵する前なら、罰は叙爵の取り消しと引っ越しだな』とジェフリーは笑う。
クラーク様は「記録を正式な報告書にしてエドワード伯父様に提出しなくては」とやる気に満ちたお顔で帰って行かれた。
残されたオーリはクラーク様以外には心を開いていないから、私も一刻も早くスバルツ語を学ばなければ。
「あなたは、ここで暮らす。わかった?」
「はい」
「もう誰もあなたを捕まえない。乱暴もしない」
「はい」
クラーク様に教わったスバルツ語で話しかけたら返事だけはしてくれた。
オーリは雇い主にどんな扱いを受けていたのか。十六歳の心身の傷はどれほどなのかと、その怯え方に胸が痛んだ。バーサも話を聞いて眉をひそめた。
「なんて気の毒な。奥様、オーリさんの扱いはどのように?」
「本人と話し合って決めるまでは、我が家の客人扱いでお願い。彼女に合いそうな服をひと通り揃えてくれる?家の中の設備の使い方も教えてあげて。あなたが判断に迷うことがあったら、小さなことでも必ず私に聞いてね」
「かしこまりました。それと奥様にご報告がございます。お預かりしたお薬なんですが」
「どうしたの?」
「手荒れの軟膏と痛み止めの飲み薬、あれは大層効果がございました」
「そうでしょう? 効いてよかったわ」
「それで、私がうっかり出入りの八百屋さんに薬の自慢をしてしまったら、分けてほしいと頼まれてしまいまして。ただと言うわけにはまいりませんので、お値段を決めていただけませんか」
「いいわよ。明日までには値段を決めて書いて渡すわね」
「勝手しまして、申し訳ございません」
「いいのよ。多くの人に使ってもらってこその薬だわ」
バーサにオーリのことを頼んで、まずは私はバーナード様のお屋敷を訪問することにした。






