10 焚火で料理
私たちは四頭の馬に乗り、緩やかな傾斜を登り続ける。広葉樹と針葉樹が混ざる中を進んでいた。
もう整備された道はない。あるのは獣道だけだ。
日が暮れかけて、急に肌寒くなってきた頃、雑木林が切り拓かれていて、そこに石積みの小さな家があった。
「先生、これが次の道標ですか?」
「あの石碑からほぼ十キロくらいだから、おそらくは」
「ちょうどいいな、ビクトリア、この家に今夜は泊まろう」
「お母さん、井戸があるよ。でも、井戸からどんどん水が溢れてるんだけど!」
「あら本当ね。それ、きっと自噴井戸だわ。水が豊かな土地なのね」
馬から荷物を下ろし、家の中に入った。馬たちは辺りの草を食べ始め、ゴクゴクと冷たい水を飲んでいる馬もいた。
この家にいつまで人が住んでいたのかはわからないが、家の中は思ったほど荒れてはいない。ほこりだらけだが、それでも外で寝るよりはずっと過ごしやすそうだ。
スレートの屋根がしっかりしていたのか、家の傷みは所々雨漏りしているくらいのようだ。
「こんな森の奥で暮らすのは楽ではなかったでしょうに。なぜここなのかしら」
「ビクトリアはこの家が作家と王女の家だと思うのか?」
「暗号の通りに進んで来たらあったのだから、そうだと思う。暗号に書いてあった王女が本当の王女なのか違うのかは材料が足りなくてなんとも言えないけれど。でもまずは今夜の食事を作りましょうか。慌てる必要はないんだし」
「ああ、俺も手伝うよ」
家の中にかまどがあったけれど、ジェフリーと相談して外で焚火をして料理することにした。ノンナとクラーク様はこの手の経験がないから、野外の食事を楽しんでもらおうと思ったのだ。
ジェフリーは焚火を焚くのに慣れていて、杉の枯枝や松ぼっくりを種火にしてあっという間に大きな火を燃え上がらせてくれた。
近くの木の枝を小型の鉈で叩き切り、細く割って串にしてから肉を刺した。塩をすり込んだ肉の串は焚火の周囲の地面に斜めに刺す。大きな広葉樹の葉をまな板にしてパンを薄く切る。携帯用の鍋にお湯を沸かして刻んだ野菜と塩、香草、腸詰めの薄切りを入れて火の近くに置いた。
「お母さん、いい匂い!」
「先生、僕こういう食事は初めてです。嬉しいなあ」
ノンナとクラーク様が喜んでくれて私とジェフリーの顔もほころぶ。
腸詰め入りのスープがグツグツと煮立ち、肉からぽたぽたと脂が滴り落ちてきた。
「そろそろ頃合いよ。さあ、スープを取り分けるわね」
「お父さん、もう肉を食べてもいいの?」
「ああ、いいぞ」
ノンナとクラーク様が串刺しの肉にかぶりつき、「んんー!美味しい!」と笑う。
その夕食を半分も食べていない時だった。私はジェフリーの目を見た。ジェフリーも私を見ていた。ジェフがみんなに声をかけた。
「ノンナ、クラーク、リード。そのまま食べながら聞け。周りに不審な人間がいる。人数は四か五人。体重の重い、大柄な男たちだ。おそらく武器も持っているはずだ」
クラーク様とリードは顔を強張らせたけれど、ノンナは火を見たまま小さくうなずき、モグモグと肉を噛んでいる。
「俺とビクトリアが相手をする。君たちは家の中に避難しろ。動かせるものがあったら動かして、ドアを中から塞げ。ノンナ、クラークとリードを頼む」
「わかった」
「そんな。僕も戦います」
「クラーク、だめだ。お前は戦闘経験がない。お前が相手に捕まることが一番困る。わかったな」
「……はい」
「じゃあ、掛け声をかけるから、一斉に動くぞ。三、二、一、今!」
クラーク様、ノンナ、リードは弾けるように立ち上がって家の中に駆け込んだ。ノンナは肉の串をだいじに持ったままだった。
私とジェフリーは手元に置いておいた剣を持ち、焚火を背にして左右に分かれて立った。ジェフリーが森に向かって大声を出した。
「出て来い。大人しく投降するなら大目に見るが、襲って来るなら命はない」
野盗だろうか。今後はこの家を起点にして動きたいのに。殺してしまって死体がゴロゴロしているのは厄介だし、警備隊に事情を聞かれるのも面倒だ。投降してほしいものだけど。
だがそんなこちらの事情が通じるはずもない。二人の大柄な男が鉈と大型ナイフを振りかぶってそれぞれジェフリーと私に突進して来た。
ジェフリーがひらりと身をかわしてから男の右わき腹、肝臓がある辺りを抜刀しないまま鞘で突いた。私にもナイフを持った男が飛び掛かって来たのでサッと避けてみぞおちに拳を入れ、背側の肋骨を蹴った。本人はミシリという体内の音を聞いたはず。
それでも男たちは二度三度と起き上がった。分厚い筋肉が衝撃を和らげてくれるのか。だけどもう動きが遅くなっていて、私とジェフリーの相手ではない。
相手の動きを止めるために足元に滑り込みながら私は男の利き足である左の膝の上の筋肉をナイフで切った。物凄い悲鳴をあげられたが、仕方ない。事前に注意は促したのだ。
ジェフリーは背後から自分が相手していた男の首に腕を回して失神させた。
体格と戦闘の腕前はあまり関係ないことを、ノンナが見て学んでくれたかしら、とチラリと思った。
服装から見ると、男たちは野盗でも山賊でもなさそうだった。
少なくともあと二人はいるはず、と暗い森の中を凝視していたら、鉈を片手に持ったまま腕を高く上げて二人の若い男たちが姿を現した。彼らも体格はいい。
「すみませんでした! 許してください!」
「俺たちは先輩たちに命令されて仕方なく付いて来ただけなんです」
「言い訳をする前に、まずは鉈を地面に放って膝をつけ。両手は頭の後ろだ」
ジェフリーの声が低く怖い。
男たちはポン、と鉈を放り、言われたとおりの姿勢を取った。ジェフリーが剣を抜いて見張る中、私が次々に男たちを縛り上げる。できるだけ短い縄で絶対に緩まないように縛るのは私の得意とするところだ。
「さて、子どもたちに楽しく野営を経験させていたのに、なんで襲ったんだ? 金か?」
「野営? 俺たちはトニーに言われて、畑を守ろうとしただけです」
「マック! べらべらしゃべるな!」
私を襲ってきた男が、縛られて横倒しになったまま怒鳴った。私はみぞおちを蹴って男を黙らせた。私たちを殺す気満々で襲ってきた男に情けは無用だ。私は投降してきた男に話しかけた。
「あなた、林業組合にいたわよね。その赤毛、覚えてるわ」
お尻に大きく継ぎを当てたズボンと燃えるような赤毛。見間違いじゃない。地面に転がされていた男が気まずそうに視線を逸らした。
「どうする、ビクトリア。鉈を持って襲い掛かって来たんだ。『自分の身を守るために仕方なく殺しました』と言えばシビルの警備隊は納得すると思うが」
「そうね。第二騎士団長だったあなたがそう言えば絶対に信用してくれるわね。こいつらをご丁寧に町まで運ぶのも面倒よ」
私とジェフリーは阿吽の呼吸でわざと男たちを怯えさせた。
「許してください! 俺たちは赤菱草の畑を守りたかっただけなんです!」
「やめて。殺さないで。俺の母ちゃんは俺しか頼る人間がいないんです!」
若い男たちが怯えた顔で命乞いを始めた。
「勝手なことを。俺たちが戦えない人間だったら殺してその辺に埋めるつもりだったくせに」
「ほんとよね。そうだわ、逃げられないように一本ずつ脚を切り落としましょうか。きつく縛って止血してからなら切り落としても死なないわよ」
「やめろぉぉぉ!」
「助けてください!」
ま、このぐらい脅せばいいかな。ジェフリーは
「じゃあ俺はこの男に案内させて畑とやらを確認してくる」
と言って上半身を縛り上げた若い男を引っ立てて奥へと歩いて行った。私は家に向かって「もういいわよ」と声をかけた。
緊張で顔を真っ白にしたクラーク様とリード、わくわくした顔のノンナが出てきた。ノンナの手には串だけが握られている。両親が戦闘の最中も肉を食べていたのか。
「お母さんもお父さんも強かったね! 窓から見てたよ」
「ありがとう。ノンナ、口の周りが肉汁で汚れてるわよ」
「あっ、うん」
手の甲でグイッと口をこするノンナ。結果、肉汁の汚れが広がった。
やはり淑女教育をもう少しちゃんとしなければ、と思った。






