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第七話 ディープ・パープル・ヘイズ


 1


 まっさらなデスクの上。なにもない空間を、真夏のビーチの映像が占めていた。

 画面が暗転する。男は立ち上がり、窓壁のほうへ歩んだ。

 部屋がひとりでに暗くなる。頬のたれかけた男の顔は、瞬くことのない星々へと変わった。

 男は唇の左右に深い溝をつけ、笑った。

「やっと見つけたぞ、坊主(ボーイ)

 デスクにすわり直し、隣室に控えていた部下を呼び寄せる。

 髪を結い上げた軍服の女が敬礼し部屋に入った。

 男は組んだ手にアゴを乗せて言った。

「ヌジャンカ大佐と連絡をとりたい」

 タイトスカートの下にのびる白い脚がきゅっとひきしまった。

「司令……」

 軍服の男はシートをまわし、大きな星図を見上げて言った。

「たまには労ってやらんとな。万が一、あの男が寝返ったりでもしたら、この戦争はあと五十年は長びくぞ」

 女はほっと息をつくと、敬礼して部屋を出ていった。

 ドアが閉まり、自動でロックがかかると、男は口もとを緩めた。

「だが……坊主(ボーイ)、おまえの『ディープ・パープル』が発動すれば、五年どころか五日で終わるのだよ」



 2


 スモーキー一味は、とある惑星のリゾートビーチでバカンスを楽しんでいた。

「たまに休むとなんか、かえって疲れちゃいますよ」

 ビキニ姿のナオ・シーダースは大きなパラソルの下でゴロゴロしていた。

「売りだし時の女が、そんなことでどうするよ」

 ザルネル・ウレバスキンは、ビーチチェアの上でくつろぎながら競馬新聞をめくった。年中スタジャンを着ている彼でも、さすがにここでは暑いらしく、今はTシャツ姿。それでも『ベアトリックス』と刺繍された赤い帽子とおそろいの公式グッズという徹底ぶりだ。

 いったいどんなスポーツのサポーターなのか、ナオは未だによくわかっていない。

「別に、売りだしたいからこんな格好してるわけじゃないんですけど……」

 このビーチでは『ワンピース着用禁止』という、とんでもない条例があった。なんでも、競泳と区別するためだとか……。市長も市長だが、それを許した市民も市民だ。やせて胸のない異星の黄色人種のことなんか、これっぽっちも考えてないんだから……。

「そういや、あの極北の田舎もんはどうした?」

「ショコラさんはあっちです」

 ナオはうつぶせのまま(おか)を指した。

 ショコラ・ビーメイは老人用の避暑小屋で一人、トロピカル色のかき氷をはべらせ、満足そうにしていた。極寒の惑星に生まれた少女は、冷房の効いた部屋から一歩も動こうとしない。

 そして我らがリーダー、ヘイズ・スモーキーJr(ジュニア)はというと……。

「あれ? さっきまでそこで黒いビキニの()をナンパしてたのに……」

「物好きな雌魚を手網にかけて、その辺の生け簀に連れこんだんだろうよ」

 ザルネルは記事にそう書いてあるかのごとく、カサリとも音を立てずに言った。

「もう! みんな休みのときぐらい、違うことすればいいのに」

「嬢ちゃんに言われる筋合いはねぇな」

「うー」

 ナオは悔しそうにうなると、汗ばんだ体をゴロリをまわし、仰向けになった。気持ちは青い海で水しぶきをあげているのだけれど、体のほうがついていかない。

「ジムにでも通ったほうがいいんでしょうかね」

「いらんいらん。この仕事をつづけてりゃ嫌でもタフになる。あのヴィヴィアンって赤毛の賞金稼ぎみてぇにな」

「あんな海賊の頭目みたいな(ひと)と一緒にしないでください!」

「黙ってりゃ、いい女なんだがなァ」

 ザルネルは期待の牝馬の写真を見つめながら、そうつぶやいた。



 3


 ヘイズ・スモーキーJr(ジュニア)は、ビーチの外れにある岩場の陰で一人たたずんでいた。ナンパをしている最中、急に頭が痛くなり、喧噪をきらってここまで歩いてきたのだった。

「なにか思いだせそうな気がしたんだが……」

 ヘイズは暗い笑みを浮かべた。

 偏頭痛にも似た、目がくらむような痛みはもうなかった。無理をすれば、もしかすると思いだせるかもしれない。だが、そうしたところで得することなどあるだろうか。仲間が一人増えてから、男の自問は一層強くなっていた。

「さて」

 ビーチに帰ろうと岩の段差に足をかけたときだった。

「あら、行ってしまうの?」

「!」

 半裸の男はさっと身を翻した。

 ブロンドの美しい女が、ビキニ姿で立っている。

 ヘイズは訝しんだ。ビーチから崖を上がってこの狭い入江までやってくるには、それなりに体力が要る。この女は息一つ切らさず気配もなく、背後から近づいてきた。

 長い髪の女は顔をしかめた。

「なによ、まるであたしがマフィアの刺客だ、みたいな顔して」

「どうやってここへ入った」

「地元の人間ならワケないわ。この入り江には、古代の兵隊たちが掘った抜け道があるのよ」

「そいつは気づかなかったな……」

 仕事でやってきたわけではないので、細かい地理までは調べていなかった。

「こんなところでなにしてるの?」

 女は腰に手を組むと、上目遣いで男を見つめた。

「い、いや別に……」

 ヘイズの視線は柔らかそうな谷間に釘付けだった。

「変なメガネしてるのね」

 女は近づき、男の顔に手をのばした。

 ヘイズは反射的に払いのける。

()った……」

 女は顔を歪めて手をさすった。

「すまない。これはちょっと外せないものなんだ」

「そんな真っ白でよく見えるわね」

「僕も不思議でしょうがないよ」

 女はため息をついた。かと思うと、くるっと背を向けた。

「ま、そのままでもいいわ」

 さざ波の音だけがしばらくあった。

「?」

 わけがわからず、男は眉をひそめる。

 女は肩越しにふり返った。

「なにしてるの? 背中が焼けてしまうでしょ?」

「え? あ、ああ……」

 ヘイズはあわてて駆け寄り、女を背中から抱いた。

 いつもと勝手が違うせいかペースがつかめない。ふと気づくと、なにもかも女のなすがままだった。

 唇を放すと、女は微笑んだ。

「楽しかったわ」

「……」

 ヘイズは女を見据えたまま動かない。

 女はあごの先に手をやり、顔の厚い皮をはぎとった。

「あ、あんたは……」

 男はそれ以上口がまわらず、岩の上にへたりこんだ。

「そう」

 女はその場にかがみ海水で髪を洗った。黄金の糸束は魔法が解けたかのように色あせていき、カールした赤いものへと変わっていった。

 ヘイズは薄れゆく意識のなかで、女の高笑いを聞いていた。

「悪いわね。懐が寂しかったから仕方なかったのよ」



 4


 ヘイズが姿を消してから三日。チェックアウトを済ませてホテルの玄関を出たナオたちは、宇宙港に戻るべきかどうか決めかねていた。

 各自の端末から発信される位置情報の履歴をたどっていくと、ヘイズはホテルの部屋に帰っていることになっているはずだが、ベッドの下をのぞいても、クローゼットを開けても、誰もいなかった。

 ザルネルは海岸線を見つめながらタバコをふかした。

「痴漢で逮捕(パク)られたか、テロリストに拉致されたか、でなければマフィアに()られちまったかだな」

「嫌なこといわないでください!」

 ナオの叫びに動じることなく、キャップの男はもう一つふかした。

「ま、手のこんだやり口を見た限りじゃあ、生かされてる可能性はあるな」

 殺しが目的で、ヘイズほどのやり手を倒す腕があるのなら、こうして時間を稼ぐ必要もない……か。

 ナオは顔を上げた。

「探しましょう!」

「どこを?」

「不自然な点が一つあります。ヘイズさんはなぜ、わざわざ入り江のほうまで足をのばしたんでしょうか」

「ダブルベッドより、青空の下のほうがいいんだろうよ」

「……」

 ナオはむっとしてザルネルを睨みつけた。

「な、なんだよ」

「別に」

 なんでこんなことに腹が立つんだか、自分でもよくわからない。

 ともかく、ナオたちはビーチの外れにある岩場へ向かった。息を切らして小高い崖をよじ登り、ぬるぬるした緑色の斜面を下って、黒っぽい貝がびっしりへばりついた岩棚に出た。手がかりになるものは何一つ落ちていなかった。

 ザルネルは狭い入り江を囲む岩壁を見上げた。

「こりゃあ、襲うにはもってこいの場所だなァ」

 ナオはすかさず言った。

「ふ、不潔な話はもうやめてください」

「ああ? なんのことだ?」

「で、ですから……」

 そこまで言ってナオはハッとした。

「ハハン」ザルネルはニヤと歯を見せた。「さては嬢ちゃん、ムッツリなほうのクチか?」

「ち、ちが……」

 そのとき、ナオの胸が激しく揺れた。

「……はんっ!」

 ナオは切ない顔で短くあえいだ。

「ほう? 言葉だけで感じるとは、なかなかいい筋してるじゃねえか」

「ちがいますっ!」

 ナオは真っ赤になって、シャツの胸ポケットで震えている端末を取りだした。そこまではよかったのだが、あまりに激しく暴れるので、両手で包まないと持っていられない。こんな設定にした覚えはないのに……。

「ど、どどどうなってててるんでしょうかかねねね?」

「かして!」

 ショコラはナオから端末を奪った。明滅するカラフルな光。その組み合わせからメッセージを読みとっている。

「今行くから」

 少女が言うと、端末の震えは止まった。

 宇宙船〈ヘリオドール〉で控える人工知能(AI)ファイからの緊急連絡だ。コミュニケーション能力に大きな障害を抱える彼女は、言葉を使って意思を伝えることができなかった。

「きっとヘイ(にい)の居所がわかるんだよ」

 ナオたちは入り江を後にして、宇宙港へ急行した。



 5


 宇宙船〈ヘリオドール〉を陰から支えるAIファイは、口がきけず姿も見せられない状態がつづいていたが、他のAIにはない不思議な能力(ちから)を持っていた。ファイは船主であるヘイズが宇宙空間のどこに飛ばされても見つけることができ、自動操縦で船を現場へ導いてくれるのだった。

 ヘイズとファイの関係は気になるところだが、今は恩人を見つけだすことが先決だ。彼がいなければナオは今頃、峡谷の底で白骨化していたことだろう。

 いつもなら『次元の架け橋』からワープアウトしてしばらくは、五感がおかしくなって席から動けないのだが、今日のナオはちがっていた。

 シートベルトを外して立ち上がると、窓の外の闇を指さした。

「あの船っ! 見たことありますよ!」

「んん……ああ、そうだったか?」

 ザルネルは気だるそうな顔で言った。

「なんだっけなぁ……」

 ショコラもぼんやしりた目でつぶやいた。

 さすがの二人も、跳躍後の何分かはまともに口がきけなかった。

「ほら……ペ……ペ……なんだっけ」

 草色の(やじり)のような姿をした船を前に、ナオは地団駄を踏んだ。

「ペ? ペ……ぺ・ドンヨル?」

 ショコラが答えると、ザルネルは鼻で笑った。

「そりゃ、アンタレス賞の映画俳優だろうが」

「ペリドットよ!」

 ナオが叫んだときだった。

 コクピットまわりの機械が小さくうなりをあげ、エアスクリーンが起動した。

 あ然とした顔でふり返ったばかりの男女が映った。

『な!? なんだと?』『どうしてここがわかったのよ!』

 銀髪を短くした強面の男と、カールした赤毛の女は同時に言った。

「それはこっちが聞きたいくらいなんだが……」ザルネルはうなじをかいた。「ともかくだ、そっちにヘイズ・スモーキーJr(ジュニア)っていう色男が世話になってるはずだぜ」

 バリス・アズーリは強ばった顔のまま答えた。

『奴はもうここにはいない』

『気前のいい軍服さんたちが連れていったわ』

 ヴィヴィアン・ローズはふっと笑った。

 ザルネルは舌打ちした。

「賞金稼ぎめ!」

撃墜()っちゃおうか?」

 ショコラはアーケードゲーム風の画面を起ち上げ、ジョイスティックを握った。

『まぁ、待てよ』バリスは両手を見せた。『今、あんたらとやり合う気はないね』

 ヴィヴィアンは腕組みして言った。

『彼がどこへ連れていかれたのか、あたしらは知ってる』

「あいにくだが、ウチにはやけに鼻のきく御犬様がついてるんでね」

 ザルネルの言葉に、バリスは顔をしかめる。

 一方、ヴィヴィアンは落ちついていた。

『なら、そのワン公はなぜ、こんなところでぐずぐずしてるのよ』

「そういえば……そうですね」

 ナオたちは顔を見合わせた。

〈ペリドット〉の背後をよく見ると、もやっとした半透明の壁がどこまでも広がっている。ナオはヘイズの席に移り、透けた天球儀の縮尺を変えていった。中心の〈ヘリオドール〉がどんどん小さくなっていき、やがて薄い雲のようなものが一つの星系を包みこんでいる様子が映った。あれが川の役目をしてヘイズの手がかりを吸いとってしまった、ということも考えられる。AIファイの鼻は――もしあればだが――なにもない宇宙空間でしか力を発揮しないのかもしれない。

『今後の態度によっては、教えてあげなくもないけど?』

 ヴィヴィアンは微笑んだ。

 要するに彼らの沙汰は金次第というわけだ。 

「残念だが、払うもん払った後なんでね。ない袖は振れねぇな」

 ザルネルはトラック風のステアリングに手をかけた。

「あの船、スクラップにしてもそこそこの値段で売れそうだね」

 ショコラは主砲の発射ボタンに手をかけた。

 バリスは苦笑する。

『おいおい、『雲』の向こうに惑星がいくつあるか知ってるのか?』

 ナオは手もとの星系データを黙読した。数にして太陽系の十倍。ずいぶんと子だくさんな土地だ。

「知らんな」「しらなーい」

 ひげオヤジと丸顔少女は笑顔で仕事にかかった。



 6


 ふと目が覚めると、天井のまん中に裸電球のうす暗い光があった。男は仰向けのまま左右に目をやる。小麦粉の大きな袋、肉や果物の缶詰、ミネラルウォーターの箱などが、スチール製の棚に所狭しと積んである。

「スーパーの倉庫にしちゃあ、狭すぎるかな」

 男は上半身を起こした。背中の凝りに小さくうめく。

 こんな固い床に寝かされたのは、久しぶりのような気もするが……ヘイズは寂しげに笑った。

 立ち上がった男は、棚につまった食料の輸送用ラベルに目をやる。

「やーれやれ、とんだ場所に連れてこられたもんだ」

 倉庫の鉄扉がすっと開き、モスグリーンの軍服を着た男が一人入ってきた。白髪混じりの縮れ毛をした黒人は、後ろ手にドアを閉めると言った。

「あいにく、ここには専用の監房というものがなくてね」

「一軍のお偉いさんが、僕のようなケチな盗賊になんの用かな?」

 軍人は暗がりで光らせたヘッドライトのような目で男を見据えた。

「ヘイズ・スモーキーJr(ジュニア)……だったな。おまえに一つ任務を与える。それが終わったらどこへでも消えるがいい」

「依頼なら話は聞くけど、任務とはねぇ」

「おまえはこれからしばらくの間、私の命令に従うしかない」

 軍服の男は自分の腹を二度叩いて微笑んだ。

「ちぇっ、カプセル爆弾か。古い手を……」

「その古い手にかかったおまえはどうなんだ?」

「……」

 ヘイズは声をつまらせ赤くなった。ヴィヴィアン・ローズめ……。

 この頃のカプセルは、胃壁にくっついて長く滞留させることができるらしく、下剤や催吐剤で無理やり外に出すことは難しかった。最低でも七日間はこの黒人男の奴隷になるしかないと悟ったヘイズは、投げやりに言った。

「で、僕になにをやれと?」

「私の部屋で話そう」

 軍人は出口に向けてあごをしゃくった。

 ヘイズはドアを開けて狭い通路に出ると、男の前を言われるがままに歩いていった。


 男の名はローラン・ヌジャンカ。階級は大佐。惑星国家セレスティンの宇宙軍に属しているという。

 大佐の私室に通されたヘイズは、客用ソファにかけるなり言った。

「ここはあんたたちの故国じゃないようだけど?」

 ヌジャンカはデスクにかけると小さく笑った。

「フン、輸送用ラベルの隠語を読み解くとはさすがだな。その通り、ここは惑星国家ジャスパーの首都。我々は敵国のまっただ中にあるというわけさ」

 セレスティン国とジャスパー国は、その星系では二大国と呼ばれ、何十年も前から戦争をくり返していた。

「スパイの手伝いなんて、まっぴらだね」

 ヘイズは三人掛けの長イスに移って、ごろんと横になった。

「なぁに、仕事は簡単さ。五日後、この間の選挙で圧勝した新大統領の就任式がある。おまえは最高裁長官に化けて就任宣誓をやってくれればいい」

「変装は無理だと思うよ。僕はこの白メガネをかけていないと、まともに歩くこともできないんだ」

 ヘイズはハッタリをかました。

「そのままでかまわんよ。現長官の目は光過敏症でね、サングラスをかけることを公認されている。そのメガネは黒いフィルターで被うとして、背格好はほぼ同じ、特殊メイクも変声器もある。なにも問題はない」

 ヘイズは口をつぐんで顔をしかめた。

 できすぎている……。

「で、僕が長官のニセモノをつとめることに、どんな意味があるのかな?」

「さぁな。私にもよくわからん。そうせよと、上からの指示だ」

 食えない男だ……ヘイズは思った。この男、なにもかも知っているとしたら、天地がひっくり返るようなことをしでかすかもしれない。そのときは……覚悟が必要だ。

 ヘイズは大きく息を吸い、そして吐いた。

「遺書を書かせてくれないか?」

 ヌジャンカの眉がぴくっと跳ねた。

「怖がることはない。おまえの命は私が保証する」

「どのみちなにか騒ぎを起こすつもりなんだろう? あんたが優秀な工作員だとしても、万が一ってことはある」

「好きにしろ」

 大佐はデスクの引き出しを開けると、紙とペン、そして光沢のある丈夫そうな封筒をヘイズに手渡した。

 奇妙な強盗団のリーダーは、遺産の分配について短くしたためると、紙の縁で指の皮を切って血判した。

「ヘリオドール宛だ」

 ヌジャンカは封筒を受け取る。

「思っていたより気の小さい男だな」

「だからこれまで生きのびてこられたのさ」

「フフ……おまえなら、私より優れた指揮官になれる」

「軍事国家に生まれなくてラッキーだったよ」

 自由人の言葉に、ヌジャンカの笑顔が陰った。

「そうか……本当に覚えていないんだな」

「えっ?」

 ドアをノックする音。

「もうそんな時間か」と大佐は立ち上がる。「作戦会議だ。ジョージ・ミラー長官、君にも出席してもらうぞ」



 7


 三百天文単位(AU)(一AU=地球から太陽までの平均距離)もある星系一つをまるごと包んでいる『雲』を抜けた〈ヘリオドール〉は、大きな恒星をとりまく百余の惑星を前に途方に暮れることなく、ある目標に向けて直進していた。

 狂気じみた迫撃戦の末に白旗をあげた賞金稼ぎは、ヘイズを連れていった軍人たちは、セレスティン星の者だと自白した。バリスとヴィヴィアンは、軍の機密に関わったとして消されることを恐れ、ヘイズの髪の毛に極小の盗聴器をしかけていた。

 量子信号をたどっていったその先には、『二大国』の一端である惑星ジャスパーがあった。ナオたちは今、六つある衛星のさらに外側を漂う、大豆のような形をした岩石の陰に隠れ、様子をうかがっているところだ。

 ヘイズは惑星国家ジャスパーの首都のどこかにいる。おそらくは地下に。そこまではわかったのだが、宇宙軍がばらまいた『ラマヌジャン粒子』の影響でノイズがひどく、それ以上のことは聞きとれなかった。

 なにしろジャスパー星のまわりには、戦争に明け暮れた精鋭艦隊がうろうろしている。切り札を一枚しか持っていないナオたちは、じっとして、通信妨害粒子が薄まる一瞬を待つしかなかった。


 衛星とはいえない岩塊の裏側に潜んでからまる二日、ジャスパー標準時で五十時間後のことだった。

 コクピットから緊急呼びだしがかかった。シャワーを浴びていたナオは、髪もろくに拭かず、バスタオルを体に巻いただけで通路を駆けていった。

 とぎれとぎれではあるが、音声が聞きとれるようになった。

『……戦をいま一度、確認する。君は最高裁……ジョージ……ラーとして青の……場で行われる……統領就任……で宣誓を……。原稿は暗……たかね?』

『命……かかれば……だってできるさ』

『結構。次に我々……部隊は……衆に……れて……を……』

 ノイズの波がひどくなり、なにを言っているのかわからなくなってきた。

「ヘイズさん! こちらヘリオドール、応答してください!」

 ナオは声のするほうに向かって叫んだ。

ザルネルは機械の素人に悲しげな視線を送った。

「嬢ちゃん、そもそも盗聴器ってのはよ……」

「それ以前の問題だと思うけど」

 ショコラは首を横にふった。

 ナオは『スピーカー』に向かって叫んでいた。

「ヘイズさん! 応答してください! ヘイズさん!」



 8


 ジョージ・ミラー最高裁長官に扮したヘイズ・スモーキーJr(ジュニア)は、『黒メガネ』のブリッジに手をやり、これから起こることに思いを馳せていた。

『青の広場』のはるか彼方まで広がる人の海原。演壇の向こう側で控えるヘリデル新大統領。落ちくぼんだ瞳の奧にたたえる暗い光。前任の男は彼の父親だそうだが、写真で見た限り、血は争えないものだと感じた。この特別なセレモニーには、ジャスパー国民だけでなく、軍の要人も多く参列している。事件を起こして敵の戦意をくじくには絶好の機会だった。それにしてもヌジャンカという男は大したものだ。彼はセレスティン軍の大佐であると同時に、ジャスパー軍の大佐でもあった。就任式会場の警備を取り仕切っているのは彼であり、要所に配置された兵士たちの多くは大佐の部下、つまりセレスティン軍の工作員だった。

 近くの教会で、正午の鐘がなった。

 それまで楽隊の演奏や国民的歌手の熱唱に沸いていた『青の広場』は、津波の前触れのように静まりかえった。

 ミラー長官が短い階段を上がると、反対側のヘリデル新大統領も歩きだした。二人は壇上で向きあい、右手を胸にあてた。

 最高裁長官は言った。

「宣誓の準備はできていますか? ヘリデル議員」

 額を光らせた男は小さくうなずいた。

「わたくし、ハンス=ピーター・ヘリデルは厳粛に誓います」

 そのとき、長官(ヘイズ)は遠くでなにかが鈍く光るのを感じた。あれは……ライフルの銃口? 青空の就任式が血の葬儀に変わるのを見届けなければならないと思うと、吐き気がしてきた。

 ヘリデルが次の句を口にしようとしたとき、予感したヘイズはくっと目を伏せた。後頭部に一発……か。

 そう思った瞬間、頭に激震が走った。

 黒メガネは砕けて飛び散り、こめかみの辺りから赤いものが噴きだす。

 なにが起きたのかわからなかった。

 近くの聴衆から悲鳴があがり、ヘイズはようやく、ミラー長官である自分が撃たれたのだと気づいた。

 軍事に関係のない長官がなぜ?

 思わぬ狙撃に我を忘れていたヘイズは、騒いでいる人々のほうへ本能的に素顔を向けた。

 ハッとした。

 そうか! セレスティン軍が僕を必要とした真の目的はこれだったのか!

 新大統領ファミリーのそばにいたヌジャンカは、広場に背を向けると母国語でつぶやいた。

「コードネーム『ディープ・パープル』……か。ゴルゴンの末娘でもこんな手は思いつかなかったろうよ」



 9


「準備はいい?」

 ガスマスク姿のショコラは言った。

「ど、どっちのですか?」

 同じくマスクをつけたナオは、船倉に下りたときからずっと足を震わせていた。

「もち、こっちのほう」

 少女は貧しい胸を両手で寄せ上げた。

「片方で充分ですっ」

 心の準備など永久にできるはずがなかった。開いたハッチのはるか下界には、ジャスパー国の首都が同心円状に広がっているのだ。

 ラマヌジャン粒子のわずかな晴れ間をついて、スパイたちの企みを知ったナオたちは、大統領就任式にあわせてヘイズ奪還作戦を実行に移そうとしていた。

 大軍のなかへまともに突っこんでいっても多勢に無勢。〈ヘリオドール〉は『マジックマント』を身にまとって宇宙艦隊の脇をすり抜け、大気圏で赤い玉となり、ここまで降下してきたのだった。

「早くしないとバレちゃうよ」

 ショコラが腕を引っぱって急かす。

 ナオはその場で踏んばり、小さな手をふりほどいた。

「わ、わかってます」

〈ヘリオドール〉の高機能シールド『マジックマント』は、レーダーからも目視からも身を隠すことのできる優れものだが、まだまだ未完の品で、透明でいられるのはわずか十分間だった。次のバージョンへ上げるためには、ある忌まわしき発明家が贔屓にしている『インテル・ガラクシア』というサッカークラブが、オフシーズンに入るのを待たねばならなかった。

 しびれを切らしたショコラは、天井カメラに向かって手をふった。

 すると〈ヘリオドール〉は別のハッチを開いて、爆弾を一つ投下した。

「ああ、もう行かなきゃいけないの?」

 この奇妙な強盗団に入るきっかけとなった『あの時』と逆の立場になるとは、夢にも思っていなかった。

 ナオとショコラは、小さくなっていく黒い塊を追うように、青の広場めがけてダイブした。



 10


 男は懐に手をのばした。スパイ団の武器庫からひそかに盗みだした拳銃。ヘイズは長官に扮したまま、銃口をこめかみに当てた。

 二十二歳より前の記憶はほとんどなかった。自分がどこで生まれ誰に育てられたのか、なにも覚えていない。ただ一つだけ、強烈な戒めの言葉だけが、なにかの拍子に何度も再生された。「そのメガネを外してはならない」と。その後に襲ってくるイメージは恐ろしいものだった。自分を取り囲む大勢の者たちを見まわした瞬間、人々はまるで波にのまれた砂の城のように崩れていくのだ。

 狙撃され、騒ぐ聴衆を見たとき、それまで頭の隅でもやもや渦巻いていた疑問が一つに重なった。

 僕は改造されたんだ、決戦兵器として。

 会場につめかけたのは、血に飢えた獣たちではない。一握りの野心や悪徳におどらされた犠牲者なのだ。なんの罪もない、数百万の市民を巻きこんでしまった……。

 ヘイズはトリガーにかけた指先に力をこめた。ナオ……すまない。橋から飛び降りた君を無理やり生かしておきながら僕は……。

 空から黒い塊が降ってきて、広場の噴水のなかで爆発した。

 辺りは一面、真っ白な煙に包まれた。

 人々の叫び声が飛び交うなか、ヘイズは体が浮き上がる感じを覚えた。気づくと、両脇の下からサイズの違う手が二組にゅっとのびて、体を支えていた。

「ナオ!? ショコラ!?」

 男は叫ぶと特殊メイクを引っぺがし、ヘイズ自身に戻った。

「えへへ、なんか『あの時』と逆ですね」

 逆さづりの女はガスマスクの下でぎこちなく微笑んだ。

 煙で視界はほとんどないものの、みしみしとうなる特製ゴムの音を耳にして、二人がなにをしでかしたのかすぐに想像がついた。

 敵地のまっただ中めがけてバンジーとは……彼女もずいぶん変わったものだ。ヘイズは苦笑した。

「うわ、変な色の目。メガネの下ってそんなだったんだー」

 ショコラの言葉に、ヘイズはハッと顔を固くした。

「二人とも、僕の目を見るな!」

「えっ?」

 ショコラが聞き返す間はなかった。

 ゴムが一気に縮んで、三人は空高く舞い上がった。



 11


 男と女と少女は、船倉のあちこちでのびていた。

 帰還の様子をコクピットのモニターで見守っていたザルネルは、ため息をついた。

「バカがほったらかしにしてった体育マットが、こんな時に役立つとはな……」

 ショコラは女たちをつるすゴムの長さをまちがえていたようだ。ナオの握力が最後までもたず、三人が変な回転をしながら空中分解したせいで逆に助かったのだが……。となると、少女が設定をまちがえなかったら、どうだったのか。

「幸運の女神はやはり健在か」

 ザルネルは一人笑うと、宇宙へ向けてアクセルを踏んだ。


 最初に目覚めたのはショコラだった。少女はぬっと立ち上がり、ふらふらマットの上を歩き、柔らかいものを踏んづけたところで、「あっ」と目を開いた。

「うぐっ!」

 腹を踏まれたナオは不愉快そうな目でガスマスクをとった。

「ヘイズさんは?」

「あっち」

 ショコラが指さした先に、男は大の字になっていた。 

 二人が左右から揺すっても、ヘイズはただ呼吸をくり返すだけで、深い眠りからは覚めそうになかった。催眠ガスを吸ってしまったのだ。無理に起こすと体に触るだろうと、少し待つことにした。

 ショコラは言った。

「ねぇ、さっきの見た?」

「え、ええ。深い紫色……でしたね。瞳全体が」

「もっかい見てみようよ」

 少女はヘイズの閉じたまぶたに手をのばした。

 ナオはとっさに引きとめる。

「だ、だめですよ! 見るなって、すごい顔で言ってたし……」

「もろに目ぇ合ったけど、なんにも起きなかったよ?」

「で、でも……」

 ナオが言ったときにはもう、少女は男のまぶたをべろんと剥いていた。

「ほぇー、宝石みたいだ」

 神々しいというべきか、禍々しいというべきか、紫水晶(アメシスト)の色合いを深くしていったような目玉が二つ。白目の部分がないだけに、恐い話にでてくる魔猫(まびょう)のような感じが、ちょっと不気味ではあった。

 彼はムキになってその目を守りつづけてきたようだけど……ナオは首をかしげた。単に変な色をしているから恥ずかしかった、というだけのこと?

 しばらくして、ヘイズはゆっくりと目を開けた。瞳の色が一様で、どこを見ているかよくわからない。

「大丈夫ですか?」

 ナオが声をかけると、男はさっと腕をだして目を隠した。

「あっち向いて、早く!」

 ショコラは笑った。

「さっきまぶたひん剥いて、さんざん観察したし」

 ナオは言った。

「なーんにも起きませんでしたよ? 例の『大変なこと』っていうのは」

 ヘイズはおそるおそる腕を下ろし、身を起こすと、顔を背けた。

「じゃあ、なんだったんだ……あの戒めは」

「あの……よくわからないんですけど、セレスティン軍は、ヘイズさんをどう利用しようとしていたんでしょうか?」

「……」

「知っているなら、聞かせてくれませんか?」

「……」

「今後の仕事に関わる情報なら、共有すべきだと思いますけど?」

 ヘイズはふっと口もとを緩め、自分のことを少し語った。

 話を聞き終えたナオは眉をひそめた。

「決戦兵器……ですか」

「おそらく僕はもう何年も前に洗脳されていて、前大統領の就任式の日、あの広場へ行き、作戦を実行しているはずだった。だが、それを望まない誰かが僕の記憶を奪い、軍の手の届かない辺境の惑星へ逃がした……と、何分か前にひらめいて、そう違いないと信じていたんだけどね」

「ブランクの間に、兵器としての魔力がすでに失われていた、とか?」

「可能性としては無視できないし、そうあってほしいものだね」

「それとも、開発者は大量殺人兵器の乱用を望んでいなくて、できたフリをしていただけ、とか?」

「研究組織には必ず一人や二人、裏切り者がいるものさ。フリだけではすぐにバレてしまうよ」

「じゃあ……」

「もういいじゃないか。とにかく……」

 ヘイズは両手で女たちを抱き寄せた。

「君たちは最高だ」

 それからしばらく、ナオはぽーっと上の空でなにも覚えていなかった。



 12


〈ヘリオドール〉に帰ってきたヘイズは、ジャスパー星での事件の後も、いつもと変わらぬ仕事ぶりであり、発情ぶりでもあった。ただ、その見慣れない瞳の色のせいで、若い女性からの依頼はめっきり減ってしまい、そういう意味では大きな打撃を受けていた。

 今日も、青い髪の美女から「キモい」と仕事を断られ、ヘイズはコクピットの自席でしょんぼりしていた。

 ナオは隣席の男にぎこちない笑みを送った。

「こ、この頃の男性は気前がいいですから、そっちの線でいきましょう。世の中、やっぱりお金です」

「……」

 ヘイズは窓の外に広がる巨星の残骸に向かって、ぶつぶつ語りかけている。

「ややっ! あの美人はいったいどこからやってきたのかしら?」

 ナオは叫ぶと、コクピットの入口を指した。

「……」

 ヘイズは動じない。

 これは重症だとナオは思った。

 新しいメガネを買おうとしたこともあったが、彼はどれも気に入らないと言って、三百万ドラ(一ドラ=約一円)もしたオーダーメイドの品さえ、手に入れたその日にネットオークションで売ってしまった。例の白メガネと同じものをどうやって手に入れたものか、ヘイズ本人でさえわからなかった。

 彼にとっての『色』は、普通の人の糖質や脂質やタンパク質に匹敵するものらしく、欠乏したとたんに元気がなくなってしまうのだった。

 かくなる上は……ナオはすくと立ち上がり、言った。

「次の仕事が終わったら、デートしてあげます」

「!」

 ヘイズのつぶやきがぴたりと止んだ。

 ナオは内心ぞっとした。でも、うるさい二人が仮眠中で助かった。

「二言はナシだよ?」

 ヘイズはぼそと言った。

「なにしろケチな盗賊の子分ですから、どうでしょうかね」

 ヘイズはシートをまわすと、ひざまずき、ナオの手にキスした。

「どんなわがままでも聞きますから、どうか」

「さて、どうしましょう」

 ナオはじらした。

「どうか!」

 姫の気分にのぼせたナオは、さらにじらした末、偉そうに言った。

「ま、いいでしょう」

 これで少しは元気になるだろう。ナオはそう思っていたが、ヘイズはうつむいたまま喜ばなかった。

 むっとした姫は笑顔をひきつらせた。

「なにか不満でも?」

「……」

 ヘイズは動かない。

 ちょっとやりすぎたかも……ナオは不安になってきた。

「怒っちゃいました?」

「……」

「ちょっと偉そうに言ってみただけですよぅ」

 ナオはひざまずく男の肩に手をやる。

 男は横向きに崩れた。

「ヘイズさん?」

 ナオは男の腕を揺すった。返事はない。

 顔を見ると、瞳と同じ深紫色をしていた。

「ヘイズさん!? ヘイズさん!」



 13


 突然意識を失ったヘイズ。どうすればいいのかわからず、ナオが助けを呼ぼうとしたときだった。

 血相を変えたザルネルとショコラが、コクピットに駆けこんできた。

 まだなにも言ってないのに、誰が仮眠中の二人を起こしたんだろう……ナオは訝しんだ。声も姿もないけど、この船にはもう一人クルーが存在する。たぶん彼女の仕業だ。

 三人は男を抱き起こしてシートにすわらせると、誰に助けを請うべきか話し合った。

「こういうときは医者だろ?」

 ザルネルは言った。

「でも、医療分析器(メディカルアナライザー)の数値は正常の範囲でしたよ?」

 ナオは小さな端末を掲げてみせる。

「なんか苦しそうだよ?」

 ショコラはうなされる男の手を握りながら言った。

「やっぱ医者だろ」とザルネル。

「医者は専門には強いですが、そこから外れるとただの人ですよ」

「そりゃ言い過ぎだ」

「いいえ。検査で異常がないと、なんでもストレスとか歳のせいにしますから」

 ナオはOL時代、そういった裏話を給湯室でよく耳にしていた。

 二人の熱い議論はしばらくつづいた。

「ねぇ、苦しそうだよ?」

 ショコラが大きな声をだし、ハッとした二人は口を閉じた。

「とりあえず、博識で通ったドクターに診せましょうか」

 ナオは折れた。

 ザルネルは虚空に声を張る。

「ファイ、頼むぜ」

 そのとき、船体がぶるっと揺れた。誰かから通信が入ったようだ。

 エアスクリーンが起動し、黒い長髪をおさげにした少女が映った。

「ティーコ……さん?」

 ナオはすぐに思いだした。忘れもしない。忌まわしき発明家の孫にして自称天才助手の……。才能はあるのだが、お調子者のところが玉にきずの……。

『こんちわ。ショコラさんのDSF(ディーエスファイト)治ったよ』

 ショコラは調子の悪くなった骨董ゲーム機を修理に出していた。

「サンキュー! い、いや、そんなことより、ヘイ(にい)が大変なの!」

『うわー、でっかい宝石。なんのコスプレ?』

 ティーコは深紫色の光に包まれたヘイズの顔に見とれている。

 ナオは声を荒げた。

「病気なんですっ! たぶん……」

『なんだなんだ、騒々しい』

 部屋の奥でサッカー中継を見ている青い頭巾に黄色い胴衣の男は、画面から目を離すことなく言った。

 セルジオ・サントス・ゴメス・アル=ジャベル博士。珍奇な機械を生みだすこともそうだが、サッカー中毒(バカ)として特に有名な、稀代の発明家だ。

「ヘイズさんの具合が変なんです! こっちへ来て診てもらえませんか?」

『まぁ、待ちたまえ。ロスタイムはあと四分だから』

「その間に彼が死んでしまったら……」ナオはうつむき、やがて顔を上げた。「私はあなたを殺します!」

 セルジオはテレビを消し、カメラの前にすっ飛んできた。博士はヘイズの顔を見るや「あっ」と声を上げた。

『こ、これは……』

「なにか知ってるんですか?」

『すぐにそっちへ行く。患者も船も動かしてはいかんぞ、いいね?』

 ナオは息を荒くして何度もうなずいた。

 セルジオの姿が消えると、ナオはよたよた後ろへさがった。いや違う。背中を引っぱられたという感じだった。いったい誰に?

 ショコラとザルネルは離れたところで話をしている。ヘイズはシートでぐったりしたままだ。近いのはヘイズのほうだけれど……変な病気にかかったせいで念動力でも備わったんだろうか?

 ナオは男の様子を観察しようと、前屈みになって顔を突きだした。

 男は女を胸に抱き寄せた。

「え?」

 予想外の反応に、ナオは為す術なく顔を埋めていた。

「ちょっと、やめてくだ……?」

 よく見ると、ヘイズの両腕はだらりと下がったままだ。

「そういうことは治ってからにしろよ」

 ザルネルが近寄ってきた。

「ちっ、ちがいますっ! わわ私はただ、脈を診ていただけですっ!」

「わかったわかった。ともかくそれは専門家の仕事だ。そっとしときな」

 ナオは男から離れようと両手を突きだす。二の腕の筋肉がふるふるいった。

「ふん!」

 両足で踏んばり、気合いもろとも体を引いてやっと離れ、勢いあまって尻もちをついた。

「一人でなにやってんだ?」

 ザルネルはメガネの女を見下ろした。

「ハァハァ……そっとしておくどころか、近づくことさえしない方がいいと思います」

 なぜだと訊かれても、ナオは上手く答えられなかった。



 14


 宇宙船〈ターコイズ〉がワープアウトしてきて、黄金色のクジラの横につけた。サッカーシューズのような形をした船。その中腹から飛びだしたボール型の輸送艇(ランチ)が近づいてくる。〈ヘリオドール〉は下のハッチを開いて、丸いエサをぱくっと飲みこんだ。


 コクピットの自動ドアが開き、ひげがちな頭巾男が現れた。男は顔を歪め、額をおさえている。

「相変わらず、手荒い歓迎だな」

 ザルネルは言った。

「あんたのイカレた発明品ほどじゃないさ」

 彼をはじめとする三人は、部屋の出口にかたまっていた。

 セルジオ博士はそれを気にかける様子もなく、シートでぐったりするヘイズのほうへ歩んでいった。

「やはりな」

 言ったきり、男は黙ってしまった。

 博士はどうして平気で近づけるんだろう……不思議でならないナオは訊いた。

「あ、あの……強く引っぱられる感じとか、ないですか?」

「そんなことはいいから、このままにしておくんだぞ。ちょっと行ってくる」

 セルジオは出口へ向かう。

 ナオは道をさえぎった。

「悪い……んですか?」

 頭巾男は血の気のない顔で言った。

「来るのがあと一日遅れていたら、なにもかも手遅れだった。二百年つづいた銀河チャンピオンズリーグが明日で終わってしまうところだったよ」

 不思議なセリフを残し、セルジオはいったん〈ターコイズ〉へ戻った。

 気になって調べてみると、博士のごひいきクラブ『インテル・ガラクシア』も順当に勝ち残っているその大会は、窓の外に小さく見えている赤い惑星で行われていた。ヘイズの症状とサッカー大会の終焉、いったいどんな関係があるというのか。

「ったく、戦争ってやつは……」

 ザルネルはいつになく恐い顔をしていた。


 ナオは体育座りの格好で目覚めた。いつの間に眠ってしまったんだろう。頭をもたげ、床に落ちていた伊達メガネを拾ってかけると、あたりを見まわした。

 ショコラはナオと同じようにして、こっくりしながら眠っていた。

 壁を背にして地べたにすわるザルネル。まわりには吸い殻の山ができあがっていた。

 不安になったナオは、なにか訊かずにいられなくなった。

「あ、あの……」

「噂で聞いたことあるんだけどよ」ザルネルは最後の一本をもみ消し、つづけた。「あのジジイ、昔はセレスティン軍の兵器開発に携わってたって話だぜ」

「じゃあ今回の事件にもなにか関わりが?」

「さぁな。あくまでも噂だ」

「セレスティン軍は、捕まえたヘイズさんを決戦兵器として敵国へ送りこんだ。一方、セルジオ博士は彼の変な引力に弄ばれることもなく、症状を一目で見抜いた」

「クサいな……」

 ザルネルは口ひげをさすった。

「ボク、してないよぉ?」

 ショコラは首をもたげ、虚ろな目で言った。

「なにをだ!」

「オナラの話じゃないの?」

「てめぇはイモ畑の夢でも見てろ!」

 コクピットのドアがさっと開いた。

 セルジオ博士ともう一人、修理した携帯ゲーム機を手にするティーコだ。

 セルジオは急ぎ足でシートに近づくと、手にしていた白メガネをヘイズにかけてやった。なくしたものと瓜二つのやつだ。

「ふぅ」博士は額の汗をぬぐった。「これで大丈夫。あの世で後悔せずにすんだよ」

「そんな……サッカー大会が一つ終わってしまうくらいで大げさな……」

 ナオは言ってすぐ、失言だったと身を固くした。

 頭巾男は小さな笑顔をこちらに向けただけだった。

 あれ? 怒ってない?

 ザルネルは笑いをこらえていた。

 ナオは口を尖らせる。えーえー、どうせ私はなにもわかってませんよ。

「二日くらい安静にしていれば、動けるようになるはずだよ。じゃ、私はこれで」

 博士はさっさと行ってしまった。

 置いていかれた黒髪の少女はぽかんとしていた。ハッと我に返って修理品をショコラに手渡すと、苦笑いを残し、祖父を追いかけていった。

「クサいぜ……」

 ザルネルは口ひげをさすった。

「ほんとだ」

 いつの間にか男のすぐ後ろにいたショコラは、顔を歪めて手をふった。

 それからしばらく、コクピットではいろんなものが飛び交った。



 15


 体調が戻ったヘイズは、その日の朝から落ち着かなかった。手鏡を取りだしては髪の形を気にしたり、スーツや靴が汚れていないかチェックしたり、マウスウォッシュを噴いたり、目薬を差したり……。

 騒がしさに目を覚ましたナオは、パジャマ姿のまま自室の入口に立ち、通路を行ったり来たりする男を一本線の目で追っていた。

 なんだろうと思いながらよたよた洗面所へ向かい、歯ブラシを動かしていると、浮かない顔のヘイズが入ってきた。

「僕のリップクリーム知らないかい?」

「さぁ?」

 ナオはブラシをしゃこしゃこいわせながら答えた。

「おっかしいなぁ」

 白スーツの男は腕組みする。

「合コンでもやるんですか?」

 男は両手を広げた。

「なに言ってるんだよ。約束したじゃないか」

「?」

 ナオは大きな鏡を見つめたまま首をかしげる。

「次の仕事が終わったら、デートしてあげます。君は確かにそう言った」

 カラン!

 ナオは歯ブラシを取り落とした。

 ヘイズが安静にしている間に小さな依頼が一つ入り、ナオたちは彼抜きでどうにか仕事を片づけたのだった。

「病人の僕をひざまずかせておいて、それはないと思うなァ」

「はぅ……」

 やっぱりあの時、調子に乗りすぎていた。元気づけるための方便のつもりだったのに……。

 ナオは口をゆすごうとして、何度もむせてしまった。

「で、どこへ行きたい? 天の川が見える公園? 無重力遊園地? ダイエット中華街? それとも……」

 ナオはため息をついた。

「二人きりにならないところなら、どこでもいいです」

「ええっ? 人目があったら恥ずかしくないかい?」

「……」

 ナオは男を睨め上げた。あくまでも『そういう』筋書きへ持っていくつもりなのね……。

「普通に、お散歩がいいです」

「お散歩ね」

 ヘイズは微笑んだ。


 数時間後……。

 人目もはばからず、ナオはヘイズの腕のなかにいた。

「く、空中散歩なんて、ズルいですよ!」

 双子の超高層ビルをつなぐ長い渡り廊下は、どこまでも透き通っていた。

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