第六話 深海にねむる悪魔の舌
1
ナオ・シーダースは知らない国の言葉で書かれた歴史図鑑を閉じると、それを枕にしてテーブルへ突っ伏した。
「いつまで待たせるつもりなんでしょうかね」
スモーキー一味は、とある大学図書館の片隅で長机を囲んでいた。約束では朝の開館時間くらいにということだったが、腹の虫はもう二度もないている。それだけならまだしも、見慣れぬオヤジや子供連れの一団に、来る人来る人が奇異の視線をなげかけてくることには耐えがたいものがあった。
「俺はかまわんよ。興味ねぇもんに囲まれてたほうが予想に集中できるとは、ちょっとした発見だったぜ」
ザルネル・ウレバスキンは、ローマ神話や三国志などの全集がならぶ書架にはさまれた場所で堂々と競馬新聞を広げていた。
ショコラ・ビーメイは古代の武器が載っている絵本をながめながらも、来たときからずっと貧乏ゆすりをつづけていた。館の入口にいた巨漢の女司書が、少女必携の小さなゲーム機をとりあげてしまったのだ。あの人の勤務時間にはパソコン一つ持ちこめないと、学生たちの迷惑がる声がちらほらと聞こえてくる。
そして我らが代表ヘイズ・スモーキーJrは、依頼人がやってくるまでの退屈な時間をどう過ごしているかというと……ナオは冷たく細めた目を、書架の縁のほうへ流した。
育ちのよさそうな黒髪の女が、何冊もの本をかかえて閲覧コーナーへやってくる。
白スーツの男はさりげなく言い寄った。
「あっ、どうりで探してもなかったわけだ」
女はどぎまぎして本の背表紙をたしかめた。
「ご、ごめんなさい。どの本でしたか? お急ぎなら先に……」
「そうじゃないんだ」
「えっ?」
「どうりでキャンパスを探してもなかったわけだ。僕の人生を薔薇色に変えてくれる、君という天啓の書がね」
ばささ!
女は真っ赤になって本を取り落とした。
まずい……ナオは顔をしかめた。朝から放ちつづけてきた下手な鉄砲も、一発くらいは当たりそうな気がしてきた。
こっちへ引きずり戻してやろうと席を立ったときだった。
学生の後ろにいた女が、分厚い本に目を通しながら言った。
「ウチの研究生に手ぇ出さないでくれる? 今はいてくれないと困るんだから」
「き、君はまさか……ずっとそこにいたのかい?」
「えっ? あ……」
四角いメガネをかけた年頃の女は、あわてて本を閉じると書棚に収めた。
「ごーめんごめん、開館前からいたんだけど、読みだしたら止まらなくなっちゃって……」
依頼人の名はロゼッタ・シャンポリオン。ヒエロ大学文学部で准教授をつとめる『自称』新進気鋭の考古学者だ。
ナオはため息をついた。
「ヘイズさんこそ、ナンパに夢中で気づかなかったようですけど?」
いたたまれない顔で立ち去る黒髪の女。
ヘイズは白メガネのブリッジに手をやった。
「ま、大事なことを忘れるほど夢中になれる『なにか』があるってのは、いいことさ」
「その大事なことが、あなたの生業だってことをお忘れなく」
ナオの厳しい言葉に、男はそそくさと席についた。
ロゼッタ准教授は革ベストのポケットから布きれを取りだすと、メガネをふいてまたかけ直した。
「で、依頼のことなんだけど……」
ロゼッタは宇宙に散らばるオーパーツ――その時代の文明では(あるいは現代においても)製造不可能とされる人工物――について研究していた。なかでも、証拠はちらほらあっても未だ発見されていない、『宇宙の七大オーパーツ』を追いかけていた。
カルカンという惑星全体が遺跡化した星がある。研究者たちの間では『悪魔の舌』と呼ばれる特級オーパーツがそこに埋まっているらしいということは、先人たちの努力のおかげですでに判っている。問題は遺物が惑星のどこに眠っているかだった。
独自に調査を進めていった結果、『悪魔の舌』は深海の底にあると、若き考古学者は誰よりも早くつきとめた。そこまではよかったのだが、お宝の反応がある海域のまっ暗な深みでは巨大海洋生物が幅をきかせていてどうにも近づけないため、ロゼッタは助っ人を求めていたのだった。
話を聞き終えたヘイズは素っ気なく言った。
「僕らは便利屋じゃあないんだけどね」
「もしかしたらその怪物たちの宝物なのかもしれない。そしたらお望み通り『盗んだり奪ったり』することになるわよ?」
「それじゃますます気乗りがしないね。誰かの宝を盗むなんてさ」
およそ強盗らしくないヘイズの言葉に、ナオは心を震わせた。彼は罪もない人から大事な金品を奪うという依頼だけは絶対に受けない男だった。のぞき常習のヘンタイだけど、かかげたポリシーからブレないところだけは気に入っていた。のぞき常習のヘンタイだけど!
ロゼッタは微笑んだ。
「さっきのコ、紹介してあげてもいいんだけどなァ」
「えっ?」
ヘイズの鉄の誇りは、いともあっさりチリ紙と化した。
ザルネルには数学部のギャンブル理論第一人者による個人授業を、そしてショコラには家政学部の試作菓子食べ放題を確約して、ロゼッタは一味の心の牙城を次々と切り崩していった。
「ナオさん。我が考古学研究室は今、調査助手を若干名募集してるんだけど、どう? お給料はそれなりだけど、誰かに注目されたり、恥をかいたり、危険な目に遭ったりってことは滅多にないわよ?」
「い、いえ、その、私……」
調査と甘言の達人を前に、ナオはたじろいだ。この人、メンバー一人一人の弱みを完全に把握してる。
ヘイズたちの視線が痛い。ああ、そんなオモチャを取り上げられて悲しんでる子供みたいな目をしないで……。
調査助手のポストは、宇宙の荒波にもまれてきたナオにとって、砂漠に現れたオアシスだった。
だけど……そのオアシスに、彼らはいない……。
「私は代表の決定に従います。ですから、そのような特典は必要ありません」
「そ、そう? じゃあ決まりね」
ロゼッタは一目置いたような顔をした。
前のめりになっていたヘイズとショコラはどっと背もたれに崩れた。ザルネルは新しいタバコを口にくわえたものの、ここがどういう場所か途中で気づいてさっと箱に戻した。
砂漠をさまよう暮らしも悪くはない。彼らと一緒なら……ナオはひとり微笑んだ。
「ところで」ヘイズは准教授に訊いた。「宇宙の七大オーパーツというのは、他にどんなものがあるんだい?」
ロゼッタは得意げに語った。
「まず『過去へ行くタイムマシン』でしょ、それから『未来を写すカメラ』に『変身用コンパクト』に『超能力養成ギプス』……んで『蘇生の秘薬エリクサー』に『不老不死の妙薬』と。えーとそれから……『一定時間無敵キノコ』とか『天使の翼』とか『矛盾の矛盾セット』とか『動物語大辞典全百万巻』ってのもあったわね」
ザルネルは言った。
「七つ以上あるじゃねえか」
「そ、そうだった?」
ロゼッタはぶつぶつ言いながら指折り数えた。
今度はいったいどんな災難に巻きこまれることやら……ナオは知らない国の言葉で書かれた歴史図鑑を枕にテーブルへ突っ伏した。
2
惑星カルカンは地表の九十五パーセントが海という、宝石アクアマリンのような美しい星だ。以前はもっと陸地が多かったのだが、ある時期に気温が急激に上がって極地にあった大量の氷雪がすべて溶け、海面が五百メートルも上昇、オーパーツといわれる『悪魔の舌』を創りだした地球系外高度文明のほとんどは、数日のうちに水没してしまったのだという。宇宙各地の考古学者は小さな陸地に残されたわずかな遺物から、今のところ有力とされるこれらの説を導きだしたのだった。
果たして『悪魔の舌』とはいったいなんなのか。古代カルカン人は劣化しない特殊な紙に記録を残していたようだが、肝心なページは何者かが破り去ったのか、失われていた。専門家はその地に伝わっていた神話や詩から、それは現代科学を超えた恐ろしい武器である、なかに悪魔が住んでいて黒い舌のようなものが飛びだす、最後に保管されていたのは海沿いの尖塔である、ということを読み解くのがやっとだった。
場所については諸説あったが、新進気鋭(自称)のロゼッタ・シャンポリオン准教授はそのどれにも同調せず、独自の根拠を頼りに海洋調査をくり返していった。そして、ある日ある沖で、探知器の奇妙な反応に気づいた。船の真下はるか海底に、生物とも金属ともいえない数値を打ちだす『なにか』があった。ロゼッタはそれが『悪魔の舌』であると確信して潜水艇を下ろそうとしたが、思わぬ障害にぶつかった。お宝が眠っている深海域は、全長五十メートルから百メートルはあろうかという、海獣たちのなわばりのど真ん中にあったのだ。
天地海万能型宇宙船〈ヘリオドール〉をもってしても、行くことができない場所がある。その一つが水圧のかかる深海だ。
別の惑星に寄って借りてきた黄色い潜水艇〈サンダースIV世〉は、三人乗りだった。航海長は当然ザルネルで、兵装とロボットアーム操作はショコラ、あと一人を誰にするかでヘイズとナオがもめた。
結局、ヘイズと依頼人のロゼッタが、海上に浮かぶ黄金のクジラ〈ヘリオドール〉で指揮をとることになった。依頼人は危険に遭わせるわけにはいかないからいいとして、「実は閉所恐怖症なんだ」というヘイズの言い訳が、ナオは気に入らなかった。どうせロゼッタにちょっかいを出すに決まってる。でも、まあいいか。彼女が愛しているのはきっと、土や石や青銅でできた男だろうから……。
そういうわけでナオは今、〈サンダースIV世〉の一席に収まっている。球形をした耐圧殻のなかは、計器類や酸素タンクや食料庫などがスペースの半分を占め、三人は互いに背を向けるかたちで、バスの補助席のようなシートにすわっている。居心地はとても快適とはいえないが、これでもイスがそろっている分、昔に比べたらマシなのだそうだ。今から数百年も前に革命的な宇宙航法を生んだ地球人類は、次元の架け橋を渡して何千万光年の深宇宙さえ旅するようになったというのに、なぜか深海への興味は未だ薄いようで、技術が進歩せず、謎も多いままだった。
航海長ザルネルは、深度計の赤いデジタル数字やCGによる海底断面図を確認しながら、操縦桿を動かしていた。
現在の深度は二〇三メートル、大陸棚の底をちょうど真横から見るかたちになっている。海底はそこから一気に数千メートルも落ちこみ、その先の海溝へとつながっていた。
ロゼッタが見つけたオーパーツらしきものは、海底崖の中腹、深度約四千メートルのところで反応を示している。通信係のナオは『悪魔の舌』が発見時と同じ場所にあることを海上に伝えた。
ナオの手元にある小さなモニターには、ヘイズとロゼッタが並んですわる姿が映っている。ヘイズはこちらに生返事をしただけで、白メガネ越しの視線はロゼッタに釘づけだった。
『そのメガネ、取ってみてくれないか?』
『え? これ?』
ロゼッタは言われた通りにした。
『やっぱりだ。僕の目に狂いはなかった』
『なにがよ』
『せっかくのいい素顔を隠してしまうなんて、もったいないと思ってね』
女は上目遣いで男を見つめた。
『もしかしてあたし、口説かれてる?』
『そんな……僕はただ本当のことを言っただけさ』
海の底にいる三人はこの様子を、深夜のB級恋愛ドラマを見るような、しらけた目で見守っていた。
『遺跡に入り浸ってるあたしと一緒にいたって、ちっとも楽しくないと思うけど?』
ヘイズはロゼッタの手を取り、言った。
『もう充分に楽しんでるさ』
『ふーん。じゃ、いいわよ』
『は?』
『聞こえなかった? あなたとつきあってあげてもいいと言ったの』
「えーっ!?」「ウソぉ?」「マジかよ!」
小さなモニターを前にひしめく三人は叫んだ。
あまりの呆気なさに、ヘイズ本人もどう言葉を継いでいいかわからないようだ。
ロゼッタはメガネをかけ直すとつづけた。
『ただ、条件が一つあるわ』
『殺し以外なら、なんなりと』
『あなたのその白いメガネ、さっきからずっと気になってたのよね。それを外して調べさせてくれたら、あたしを好きにしてもいいわ』
謎を解くためなら、大して好きでもない男にさえ身を捧げるなんて、なんという研究者根性だろうとナオは思った。
『そ、それだけは……』
ヘイズはうめいた。好みの女が手に入る幸運と、秘中の秘を明かさねばならない不運との間で揺れているようだ。
『あたしのこと、欲しくないの?』
今度はロゼッタがヘイズの手を握った。
『ほ、ほし……いや、でも……』
たじろぐヘイズ。
海底のナオたちは生唾を飲みこんだ。これまであえて触れないようにしてきたけれど、本当はヘイズの不思議なメガネのことを知りたくてたまらなかった。心の隅っこに妙な引っかかりを感じながらも、ナオはヘイズが誘惑に負けることを期待した。
『すまない。それだけは、どうしてもできない』
男は女の手をそっと外す。
ロゼッタは微笑んだ。
『それは残念。でも、その気になったらいつでも声かけてね』
「はぁーあ」
海底の三人はため息をつくと、のろのろ持ち場へ戻っていった。
恋が叶わなかったばかりだというのに、気軽に仕事の話を進めていく二人。それをモニターでながめながら、ナオはあることを思いだしていた。チャンピオンベルトを奪ってほしいという依頼で、宇宙最強の格闘家と闘ったとき、ヘイズは腹をがら空きにしてでも顔を打たせなかった。
まさかとは思うけど、瞳に強い光が入ると自爆する仕掛けになっている……とか?
ドガーン!
「ひっ!」
ナオは頭を抱えた。
どこかでなにかが爆発したようだ。
「ごめんごめん、ボリュームのとこ触っちった」
ショコラは、もはや考古学の域に入ろうかという携帯ゲーム機『DSF』で『ボンバーさん』という、爆弾で敵を追いはらうゲームに興じていた。
「海上に出るまで預からせていただきます」
ナオがゲーム機を取り上げると、少女は泣きついた。
「だって武器係、やることなくてヒマなんだもん!」
「いや、そうでもなさそうだぜ」
ザルネルはうめくように言った。
3
深度計は二五〇〇メートルを示していた。
〈サンダースIV世〉は、異様に首の長い海竜のような生物の群れに取り囲まれていた。その様子を三次元グラフィックレーダーが俯瞰的に映しだしている。自分のことなのに他人事のように見えてしまうそれは、誰にとってもあまり気持ちのいいものではなかった。
全長十五メートルの潜水艇の五倍はあろうかという首長海獣の群れは、ナオたちを囲んだきり沈黙を保っていた。
ショコラは耐水圧魚雷のレバースイッチに手をかけると、艇の真正面にいるボスらしき大きな一頭に狙いを絞り、いつでも迎撃できるかまえでいた。
ナオは不安でならなかった。深海の水圧をものともしない体をもった異端の怪物たちのことだ。これまでに知られている生き物の常識が、果たしてこの場面で通用するだろうか。
両者のにらみ合いが十分ほどつづいた頃、正面の巨塊が大きな口を開けた。
どんな吼え方で威嚇してくるのかと思いきや、出てきたのはモールス信号を甲高くかすれさせたような、可愛い音ばかりだった。
ナオたちはそろって席からすべり落ちそうになった。海の生き物の鳴き声としてはまともな部類に入るのだろうけど、あの巨体にあの声はどうなのか。
「奴は怒ってんのか? それとも笑ってんのか?」
ザルネルが首をかしげるのも無理はなかった。ほとんど信号を聞いているようなものなので、音の調子だけでは感情が読みとれないのだ。
「どっちかっていうと、お説教してるように見えるけど?」
ショコラが言うと、ナオもそんなような気がしてきた。激しく怒りちらすというよりは、くどくど小言をたれているような口の動きをしている。
『ウソ……信じられない』
小さなモニターのなかで、ロゼッタは言った。
艇の内外の様子は、そのまま〈ヘリオドール〉のコクピットにも反映されるようになっている。
ロゼッタは鼻息を荒くして、ボロボロの手帳をめくりはじめた。
「ど、どうしたんですか? 急に」
『わかる……わかるのよ! 彼らの言ってることが! ああ、それもわかる!』
考古学者のくせに動物の言葉がわかるというのか……ナオは眉をひそめずにはいられない。
ともかく、ロゼッタは海獣の言わんとしていることを標準語でまとめた。
群れで一番大きな、ボスにして長老の『ピークック・キュッピー・ピクピー』――訳すと小海老原さんといったところか――が言うには「人間よ、いい加減に文明を捨てて、あるがままに暮らしたらどうか」とのこと。
古代カルカン人による遺伝子研究の果てに、彼らの先祖は生まれた。ある嵐の夜に生け簀から逃げだした実験海獣たちは、海の底でひっそりと暮らしながら世代を重ね、地上の盛衰を見守ってきたのだった。
海獣たちは人間によって人間並みの知能を手にしたが、愚かな創造主を悪い手本として生きる道を選び、決して消費社会を築こうなどとは考えなかった。考えなかったというよりは、先祖から受け継いできた遺伝子に刻まれた『なにか』がそれを許さなかった、と言うべきかもしれない。
ロゼッタが海獣の言葉を解したのは、考古学研究のたまものだった。彼らは創造主である、古代カルカン人の言葉を母語としていたのだ。
『文明を捨てたいのはやまやまなんだけど、今のあたしはそれどころじゃないの。大事な落とし物を拾うだけだし、なわばりを荒らしたりしないから、そのずんぐりした黄色いやつを通してあげてくれない?』
ロゼッタはカルカン語で言った。その音を受信した潜水艇は、円盤形の水中スピーカーからそのまま海へ伝えた。
長老の目もとがぴくっと跳ねた。
「なんだ、話せる者がまだいたのか。無駄と思えることも一度はやってみるものだな」
『えっへん』
ロゼッタは偉そうに腕を組んだ。それこそ無駄なのだが……。
「愚か者のなれの果てを拾って、どうしようというのだ」
『どうってことないわ。それがなんなのか、知りたいだけよ』
「ほんとうに変わった生き物だな、人間というやつは。この世にもし神とやらが存在するのなら、とんだ見落としがあったものだ」
『見落としかどうかは、もっとうんと先になってみないとわからないわ』
「まあよい。勝手に持っていくがいい。ネズミの子は所詮、ネズミか」
『それをいうなら蛙よ』
「皮肉の通じない娘だ」
シュリンプフィールド長老はそう言い残し、向こうへ去っていった。他の海獣たちもそれぞれの居場所へ散っていった。
〈サンダースIV世〉は『悪魔の舌』が待つさらなる深みをめざし、潜行をはじめた。
4
「深度四〇一八メートルか。そろそろ見えてくるはずだが……」
海底崖に向けられた船外カメラの映像を、ザルネルは食い入るように見つめていた。
海草一つ生えていない絶壁のわずかなでっぱりに、へばりつくようにしてうごめく白い生き物がいる。カニの仲間だ。他にも、ウニやエビやヒトデに似たものがうようよいる。こんな暗黒の荒野で、彼らはいったいなにを食べて生きているのだろう。ナオは小さな丸窓に顔を寄せ、夏休みの子供のように海中を観察していた。
ふとした瞬間、サーチライトの光にキラリとなにかが反射したような気がした。
「あそこになにかあります!」
ナオは窓の向こうを指さしながらふり返った。
目標がカメラの正面にくるよう、ザルネルは艇を進めた。
石斧のようでもあり、壊れたブーメランのようでもあるが、それにしては小さすぎる。ともかく、白っぽい石灰質のようなものがこびりついていて、ここからではよくわからない。
「むむ……これは銃だね」
モニターを見ていたショコラは、白石のベールの欠けた部分をさして言った。
映像を拡大してみると、たしかに銃口の先端とおぼしきものがわずかに見えていた。
銃と知って急にはりきりだしたショコラは、苦手なコンピューター画面をどうにかやっつけてロボットアームを動かすと、石の皮をかぶった遺物を崖からきれいに引きはがしてみせた。
「ようし、今度の仕事も一丁あがりだ」
ザルネルはロボットアーム下の採取物用バスケットに獲物を入れるよう、ショコラに命じた。
「ちょっとまって」
ショコラは言うと、アームの手先を細かく動かし、化石の不要物を取り除いていった。
「そんなのは後にしろ!」
「だって、早く見たいんだもん!」
少女が怒鳴り返したとき、よそ見をしたせいで手元が狂った。
「あーっ!」
機械の手からこぼれた拳銃らしき遺物は、海のさらに深いところへ沈んでいった。
「クソ! 潜行する!」
ザルネルはバラストタンクの注水レバーを引いた。
謎の銃は比重が大きいのか、どんなに潜ってもなかなか追いつかなかった。
もどかしい時間がしばらくつづいた。
やがてナオは、小さなモニターのなかで緊張する二人に告げた。
「深度七五〇〇です」
ヘイズは言った。
『急いでくれザルネル。その潜水艇の限界深度は八〇〇〇メートルなんだ』
「んなこたぁわかってら! だから安もんは借りたくなかったんだ!」
白メガネの男は眉尻を下げた。
『払うべきものを払った後じゃ、それで精一杯だよ』
「……悪かったよ」
ザルネルはぶすっとして、それきり大人しくなった。
ナオ以外の三人は、返済やら支援やらで多額の資金を必要としていた。それについては互いに干渉しないことになっているらしく、詳しいことはナオにもよくわからない。
それはともかく、〈サンダースIV世〉には圧壊の危機が迫っていた。
「深度七八五〇……七八七五……」
ナオのコールは、発するたびに小刻みになっていった。
「深度七八八七・五……」
5
ザルネルは口笛をならした。
「嬢ちゃんよ、俺はやっぱあんたが幸運の女神だってことを信じるね」
ナオは海底断面図が映ったモニターを見つめた。
大陸棚から落ちこんできた海底崖は、ちょうど深度八〇〇〇メートルのあたりでいったん緩やかになり、その先の海溝につながっている。『悪魔の舌』らしき謎の銃は、艇の限界深度のほんの少し先にある、幅三メートルほどの岩棚の縁に引っかかっていた。
「し、深度七九九八・二七五……」
圧壊を恐れるナオは、いつしかミリ単位まで口にするようになっていた。
ザルネルもショコラもそのことに気づいておらず、ロゼッタが海上からツッコんでくれなければ、さらに細かくなるところだった。下手くそなチェロのような艇のきしる音に囲まれた三人は、生きのびるため、自分のやるべきことに全神経を傾けていた。
「深度八〇〇四、限界深度を超えました」
〈サンダースIV世〉は『悪魔の舌』の正面、手をのばせば届くところにいた。
「わかってるな?」
ザルネルが低く言うと、ショコラはうなずいた。
わがままもおふざけも、今回ばかりはフォルダにしまっておくしかないようだ。
サーチライトを浴びて青光りする古代の遺物。ショコラは左右のスロットルレバーを動かしてそれを拾い上げた。あとはロボットアーム下のバスケットに入れるだけだ。
アームを引こうと、少女がスロットルを手前に倒したときだった。
『悪魔の舌』は機械の手をするりと抜け落ちた。
「あっ! バカ! ちょっ!」
ショコラはレバーをがちゃがちゃいわせて遺物をお手玉する。
お宝は狭く切れこんだ海溝へ沈んでいった。
間髪入れず、ザルネルは予備のバラストタンクに海水を入れた。
『なにしてる! 引っ返せ!』
モニターのなかでヘイズが叫ぶ。
ザルネルは笑った。
「へへ……こういう艇のスペックには遊びがあるもんなのさ」
『それはもう諦めるから、無茶はダメ!』
さすがのロゼッタも動揺を隠しきれない。
「深度八〇五〇! 海溝の幅が二十メートルを切ってます!」
ナオは叫んだ。
手元にあるランプの多くが、緑から赤へと変わってしまった。それがなにを意味するのか、素人にはわからない。わからないだけに、かえって恐ろしい。
遺物は海溝の岩壁にあたって回転、沈むスピードが一瞬遅くなった。
「きたっ!」
ショコラは『悪魔の舌』をつかまえ、今度こそバスケットに収めた。
「よっしゃ! 上昇るぜ!」
ザルネルはレバーを引き、船体下の重り(ウエイト)を一つ切り離した。
轟音。
アラートが鳴り響く。
「ああっ!」
ナオは両手で顔を覆った。
「なんだ? どうした!」
「浸水多数。バラスト用の圧搾空気が漏れてます。重り(ウェイト)の連結器も……破損しました」
〈サンダースIV世〉は限界深度のなかで浮力を失った。
6
「こんな海の底が、俺たちの墓場になっちまうなんてなァ」
艇のあちこちがきしり、潰れる音がするなか、ザルネルはタバコを一つふかした。
「けほ、けほっ!」
ナオはタバコを取り上げると、壁ぎわに収まる酸素タンクの丸みにおしつけた。
「マニュアル、ちゃんと読んでなかったんですか?」
「読書はやるが、あいにくそういうのは苦手でね」
「読書って……」
競馬新聞しか読まないクセに……。
「で、なんかいいこと書いてあったのか?」
「この潜水艇は耐圧殻やロボットアームのある『コントロールパーツ』から、バラストや推進機のある『パワーパーツ』を解離できるそうです」
「浮力はどうする」
「コントロールパーツには、非常用のバラストと圧搾空気が付いてます。そこの赤いボタンを押すと、隠し扉が開いて操作できるようになってます」
「そ……そんなところに凝ってんじゃねえよ!」
ザルネルは艇の設計者を罵ると、あわててボタンを押した。
コントロールパーツは小さいダメージを負っていたものの、どうにか潰れずに安全深度まで上昇してくれた。パージしたパワーパーツはあっという間に小さくなって、永遠の闇のなかへ沈んでいった。
あと数分、マニュアルの存在に気づくのが遅れていたら、今頃どうなっていたことか。そう考えるとナオはめまいがした。
7
〈ヘリオドール〉は潜水艇の前部を回収すると、水しぶきをあげて空へ、そして宇宙へと飛び立った。
惑星カルカンの深く青い光をバックに、コクピットの小さな広場では、クリーニングしてきれいになった『悪魔の舌』のお披露目会が行われていた。
ロゼッタが手にするトレーの上にあるものを見つめながら、ヘイズは首をかしげた。
「これが悪魔の舌、ねぇ」
ナオは苦笑いした。
「なんか可愛いですね」
それは恐ろしげな名前とは似ても似つかないものだった。見かけの形はスパイが好む小型拳銃のようでもあるが、よく見ると細部は省かれていて、実弾などはどこにも入りそうになく、まるで駄菓子屋に売っているオモチャだった。その毒々しいメタリックブルーの輝きがまた、大量生産のニセモノっぷりを遺憾なく主張している。
青い銃を見つめるロゼッタの目に、落胆の色はない。見た目の迫力と考古学的価値は別物ということか。
「で、これのどこがオーパーツなんだ?」
ザルネルの問いに、ロゼッタは答えた。
「文献によると、武器のなかには悪魔が住んでいて、そいつの舌は持ち主の意思に反応して飛びだすらしいのよ」
「それだけか?」
「現時点でわかってることはね」
ザルネルは興味が失せたらしく、自分の席に戻っていつもの競馬新聞を広げた。
「しかし、それが本当なら、じゅうぶん科学の域を超えてるんじゃないかな」
ヘイズの言葉に、ナオも賛成だった。
「そうですね。持ち主の意思に反応するなんて……悪者の手に渡ったらどうなることか」
ロゼッタは言った。
「その心配はなさそうよ。これはある意味、失敗作なの」
「?」
ヘイズとナオは顔を見合わせる。
考古学者はボロの手帳をぺらぺらめくった。
「『悪魔の舌』について語ったであろう神話を読み解くとね、それを扱える者は純真な子供に限られていた、ということがわかるの」
「た、たしかに失敗作のようですね」
ナオは脱力した。
「どうやって創ったのかは知らないけど、ま、天使と悪魔は紙一重ってことなのね」
「変にまとめないでください!」
『悪魔の舌』の真相はともかく、スモーキー一味は契約を果たした。話が報酬のことに移ると、ロゼッタは急にもじもじして筋の通らないことばかり言いはじめた。
「まさか、今頃になって払えないっていうんじゃ……」
ヘイズが迫ると、女は下を向いた。
「キャッシュでは……その……ちょっと……」
「星域一の名門大学だから、予算は潤沢にあるって……」
ヘイズとロゼッタは図書館を出る前に、契約料の話をつけていた。
「それは理系学部の話。あたしら文系はずっと後にできたから、まだ名前に追いついてないのよ。考古学科の研究室は特に、ね」
雀の涙よりは少々マシな程度の予算しかまわってこない上に、ロゼッタがあちこち出かけて一人で使いこんでいるため、彼女の研究室はいつも赤字だった。
「どうしてくれる? 体で払うか、あ?」
シートをまわして競馬新聞を傾けると、そこにザルネルの血走った目があった。
「ぼ、僕としてはそっちのほうが……げふ!?」
鼻の下を緩ませるヘイズに、ナオは尖った肘を食らわせた。
ロゼッタは青い武器の銃身を持ち、ショコラに手渡した。
「ボクに?」
「あげるわ。それを扱えるのはきっと、あなただけだと思う」
果たして『悪魔の舌』が報酬に見合うものかどうか、今の時点では誰にもわからなかった。
「世も末だな、研究中の発掘品を売っちまう考古学者とはよ!」
ザルネルの厳しい言葉にもめげず、ロゼッタは話を進めた。
「研究はつづけたいの。だから、データを送ってくれたり、どうしても必要になったときにちょっと貸してくれたりすると、うれしいんだけど。もちろんお礼はするわ」
「ふざけんなよ。そんなもん闇市かなんかで売っ払うまでだぜ」
「考古学的に、いや科学史においてさえも、それがどんなに貴重なものか、ぜんぜんわかってない……」
ロゼッタの目尻に光るものがあった。
「こうして会ったのもなにかの縁ですし、レンタル制にしてあげるってことでいいじゃないですか」
ナオがなだめようとすると、ザルネルは新聞を放りだして怒鳴った。
「嬢ちゃんは黙ってな! こっちも生活がかかってんだよ!」
「大人げないぞ、ヒゲジイ!」
珍しくショコラはしかめ面をしている。
そう思った瞬間、ショコラの手もとからどろっと黒いものがのびていって、ザルネルの顔をぐるぐる巻きにしてしまった。
「ん! んん!」
ザルネルは息ができずに悶えている。
「ん? なにこれ?」
ショコラは手にしていた『悪魔の舌』を見た。
すると黒いものは、あっという間に銃口の奥へ引っこんでしまった。
「ハァハァ……今のが……舌ってやつなのか?」
ザルネルは真っ赤な顔で肩を上下させている。
ショコラは微笑んだ。
「ハハン、なるほどね」
「な、なんだよ」
「ヒゲジイをやっつけたいなァ」
ショコラはつぶやいた。
すると青い銃身から黒い棒のようなものが飛びだしてきて、にゅっと太くなると、ひげ男の額を激しく突き飛ばした。
どうやら報酬に見合う品のようだ――ザルネルだけは断固反対したが――ということで、スモーキー一味はロゼッタを許すことにした。
以後、『悪魔の舌』は『ブラックエンジェル』と名を変え、ショコラの主力武装として活躍することになる。
8
スモーキー一味はロゼッタを大学まで送った後、宇宙空間へ戻り、次の依頼が入るまでの退屈な時間をコクピットですごしていた。
「ったくよ、死ぬような思いまでして手に入れたのか、そんなオモチャだったとな」
ザルネルはあれからずっとご機嫌斜めだった。
「でもまあ、なかなか面白そうな飛び道具じゃないか」
ヘイズは言った。
「弾丸をぶちまけるよりはマシでしょうけど、武器は武器ですよ」
平和主義のナオとしては、あまり首を突っこみたくない話だった。
「おいおい、二人ともなんでそんなに落ちついてられんだよ。レンタルした潜水艇を潰しちまったんだぜ?」
ショコラの『ブラックエンジェル』が黒いものを噴いた。
「すんだことをグチグチいわない!」
「ん! んん!」