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第五話 ブロウ・バイ・ワイアード

 1


「ちょっと早く来すぎたみたいですね」

 ナオ・シーダースは欄干に身を寄せた。

 ここは惑星国家ストラトの首都、フェンデル・キャスターのとある海浜公園。夜のとばりが下りて七色のネオンに彩られた街は、内海を鏡にして対となり、仕事が板についてきたメガネ女を幻想的な気分に(いざな)っていた。これであの旋律に満ちた対岸の喧噪がなければ、もっとムードに浸ることができたのだけれど……。

「フンフンフン……」

 左右の耳たぶに小さなシールを貼ったヘイズ・スモーキーJr(ジュニア)は、そこから聞こえてくる音楽に興じているようで、ナオが問いかけても生返事するばかりだった。

 ナオは鼻をならした。もう! どうせ、最近デビューしたセクシーアイドルの歌でも聴いてるんでしょ。あんなの顔と体だけで、音楽なんか成金プロデューサーの売れ筋パターンを使いまわしてるだけじゃないの。

 甘党少女のショコラ・ビーメイは、ストラト名物の『調べ(チューン)パイ』――かじると名曲がなる――に夢中で、今話しかけられそうなのは、珍しく競馬新聞以外の冊子を手にするザルネル・ウレバスキンだけだった。

 雑誌の表紙を飾るのは、エレキギターを手に両膝をついてのけぞる、ロン毛中年のライブカットだ。

「誰なんですか? この人」

 街灯の頼りない光で読むのを諦めたのか、ザルネルは目をこすって本を閉じた。

「なんだ、知らねぇのか。アンドロメダ『ギター四天王』の一人、ジミー・リーベック様をよ」

「ジェフ・クリプトン、という人なら知ってますけど……」

 音楽がどうというよりも、覚醒剤所持で何度もつかまってるから……。

「いいか嬢ちゃん、ジミーはな、この世に存在するすべての奏法を完璧に……」

 ザルネルがうんちくを語りだし、引くに引けなくなったナオがうんざりしはじめた頃、依頼人らしき男が腕時計を見ながら小走りにやってきた。

「ふぅ、遅れたかと思ったよ」

 後退しつつある前髪に、うっすら生やした無精ひげ。半袖のシャツからたくましい腕をだしている男はエリック・ホワイトモア。星間警察機構(ISPO)ストラト支部に属する中堅刑事(デカ)だ。

 男に気づいたヘイズは、耳たぶのイヤホンシールをはがすと言った。

「刑事さんからの依頼とは、穏やかじゃあないね」

 事を内密に進めたいということで、一味はまだ仕事内容を一切聞かされていなかった。

 エリックは物陰で愛を育んでいるカップル以外、深夜の公園に人気(ひとけ)がないのをたしかめると、さっそく本題に入った。

「ストラト星域周辺で起こった、集団自殺事件のことは知っているな?」

「ああ、ニュースで見たよ。コンマと小数点を打ち間違えたのかと、あのときは思ったんだけどね……」

 今から三ヶ月ほど前、この惑星周辺のいたるところで同時多発的に自殺事件があった。実行者は推定五百万人という、恐るべき数字が打ちだされた。事件の原因としては、社会不安説、ウィルス蔓延説、新興宗教の儀式説などが上がったが、決め手となる共通点は見つからなかった。

「手がかりがないといえばない。あるといえばありすぎる。惑星市民はいつやってくるとも知れない死の宣告を恐れ、眠れぬ夜をすごしている。だが……」

 エリックはハッとした顔で言葉を切った。いつの間にか声が大きくなっていたのだ。

「だが、みんなは大事なことを一つ見落としている。この惑星では当たり前すぎて、誰も疑わなかったことだ。なんだと思う?」

 男の問いかけに、スモーキー一味は顔を見合わせる。

 ザルネルは言った。

「当たり前っていやあ……ここの連中は誰しも、音楽をこよなく愛しているようだがな……」

 惑星ストラトは、楽曲ファイルの接続数がアンドロメダ銀河一を誇ることでよく知られていた。

「その通りだ。私はこの事件には音楽が関わっているとにらんだ。事件前後にあった音楽業界の出来事を洗っていると、一人のギタリストが浮かび上がった。犯人はおそらく……そいつだ」

 エリックはザルネルが手にしている雑誌に向けてあごをしゃくった。

「ジミー・リーベックだって!?」

 ザルネルは本の表紙をまじまじと見つめた。

「ギターの神様がなんだってそんなことを……」

 ヘイズの問いに、広い額の男は顔をしかめた。

「たしかな証拠はないし、私だって信じたくはない。だが、彼の新しいアルバムが発表されたその日から、この惑星(ほし)の自殺者は急増した」

「偶然じゃないんですか? それなら、同じ発売日の他のアーチストにだって容疑が……」

 ナオが言い終わる前に、男は答えた。

「自殺者は例外なく、ジミーのニューアルバムを買っていた。気づいたのは私だけだったがな」

「じゃあ、彼のところへ行ってギターを調べれば……」

「事件後に私はジミーのライブを見にいった。新曲も聴いた。だが、その日はなにも起こらなかった」

「それでもジミーが犯人だと?」

 ヘイズが言うと、エリックはうなずいた。

「少々危険だが、一つ実験をしてみよう」

 男は懐からコードのついた旧式のイヤホンを取りだすと、ヘイズに手渡した。

 ヘイズはイヤホンを耳にする。

 エリックは小さな音楽プレーヤーの再生ボタンを押した。

「フンフン……聴いたことないな。これがジミーの新曲ってやつかい?」

 ヘイズはリズムに乗って頭を揺すっていた……かと思うと、さっと顔が青ざめ、自分を全否定するような言葉を口にしながら、内海と公園を仕切る欄干めがけてずんずん歩きだした。

 ナオたち三人はあわてて男を取り押さえ、事なきを得た。我に返ったヘイズは、生きているのがなんだか急に罪なことに思えたと、新曲の魔性を訴えた。

 エリックは言った。

「安物でしかも年代物ときてるから音質が悪くてね。それに、暴れた拍子にイヤホンが外れてくれたんで、私も助かったんだよ」

 ジミーのギターの魔性は生音では不活発で、デジタルメディアを通したときにはじめて発動する。ただし、音質が悪ければ悪いほどリスナーの自殺願望発作は軽い。エリックは自ら体を張ったおかげで、魔のスイッチが入る条件を解き明かすことに、誰よりも迫っていたのだった。

 ダークな気分からまだ立ち直っていないのか、ヘイズは青い顔で言った。

「そ、それで、刑事さんの依頼というのは?」

「ジミー・リーベックのギターを直接手にとって調べたい。気づかれないように、()ってきてくれないか」

「で、終わったら、またこっそり返してこいと?」

「話が早いな」

「この頃のお客様は難しいことばかりおっしゃる」

 ヘイズはため息をついた。

「ところで、払うべきもんは払ってもらえんだろうな?」

 ザルネルは男を睨んだ。

「申し訳ないが、私の給料では即金というわけにはいかない」

「チッ……また分割かよ」

「完済まで私が無事でいられたらな」

「む……」

 ISPOの刑事は、凶悪な宇宙海賊や国際マフィアを相手にすることが多く、他の仕事に比べて殉職率が高かった。

 エリックは一つ提案した。

「じゃあ、こういうのはどうだ。もしジミーがシロだったら、ISPOの極秘ファイルを可能な限り流してやろう。はした金では買えない、貴重な資料だぞ?」

「クロだったら?」とヘイズ。

「報酬は三分の一、即金で出せる限度額だ。悪くない勝負だと思うが、どうかな?」

 勝負と聞いて血が騒いだのか、ザルネルは笑った。

「あんた、それでも刑事(デカ)かよ」

「どんなに決め事に忠実でもな、市民の安全を守れなければ、刑事(デカ)とは言わんのさ」

 男は連絡先が書かれた紙切れをヘイズに手渡すと、内海沿いの小道を歩いて街明かりのほうへ消えていった。

「いつの間にか依頼、受けることになってたよ」

 ヘイズは呆然と言った。

「いいじゃん。たまには『らしい』ことしないと腕がなまっちゃうよ」

 珍しく話を聞いていたショコラは、バキボキと指をならした。

 一方、ナオは罪悪感にうちひしがれていた。ギターの神様から商売道具を盗むなんて……ついに私もホンモノの悪党の仲間入りをするのね。一味に入りたての頃だったら、盗みを働くくらいならいっそジミーのギターを聴いて私も……と思ったかもしれない。でも、今は……。



 2


 ジミー・リーベックは、あるギターを気に入るとその一本だけを肌身離さず使いまくるという話は、ファンなら誰でも知っていることだった。現在、ジミーが使っているのは『ボブソン・エスポール2488』という何世代も前の骨董モデルで、先日発売されたアルバムのレコーディング中に手に入れたものだった。ジミーがそのギターを使ったのは締め切り間際に一発録りした『ブロウ・バイ・ワイアード』だけだったが、アルバムの全十曲中それが最も人気だった。四十を過ぎたというのに未だ精力の衰えを知らないジミーは、アルバムが発売されてまもなく、ワールドコンサートツアーに旅立っていった。

 そしてジミーは今、首都フェンデル・キャスターより千キロ北にある地方都市ヤハマで、三日間のライブを行っている。

 さすがに神様といわれるだけあって、ライブの最中は人目が多く、また警備も厳重だった。スモーキー一味は、ジミーが一人きりになる時間を狙うことにした。


 三日目のライブが終わった夜遅く。

 ジミーはホテル最上階を独占するロイヤルスイートで、疲れ切った体をベッドに埋めていることだろう。事前の調べで、八十八階のエレベーター前や廊下には十人以上のボディガードがつくとわかっている。騒ぎを起こすわけにはいかないヘイズたちは、ホテル屋上から外壁を伝って侵入する計画を立てていた。

 旅客を装った四人は、八十七階でエレベーターを下りると長い廊下を歩き、湿った海風が吹きさらす非常階段にそっと出た。そこまではよかったのだが、上の階の非常口前にも一人見張りがついている――そこだけ調査と食い違っていた――ことが大きな障害となった。屋上に出るためには、どうしてもそこを通らなければならないのだ。

「じゃ、一芝居打ってくるとしますか」

 ヘイズは白スーツの懐から小さなワイングラスを取りだすと、千鳥足で階段を上っていった。こんなこともあるかと用意していたらしい。他の三人は途中までついていって、踊り場の手前の壁に身を寄せ、息を凝らした。

「どうしました? ここはロイヤルスイート以外、部屋はありませんよ」

 ボディガードの男は落ちついた声で言った。

「ああ、すまない。風に当たろ……思って上り下り……たら、かえって酔いがまわってしまったようで……おえっ!」

「あ、ちょっ! しょうがないな……」

 がさごそ音がして、男の口調が事務的なものに変わった。

「酔って迷いこんだ客を一人トイレに連れていく。交代を頼む」

 男は館内にいる同僚の了解を得たようだ。非常口のドアが閉まる音がした。

 手はず通り、ナオたちは非常階段を駆け上がっていき、忌々しき奇才セルジオ博士特製の誤作動装置をドア横の保安機器にかざして最後の障害を切り抜け、屋上に躍りでた。

 ヘリポートの中心でなぜかバンザイをするショコラを、「まだ終わってねぇだろうが!」とザルネルが引きずっていく。一方のナオは、高みから望む美しい夜景に一瞬声をもらしたものの、すぐにここが地上三百メートルの崖上であることを思いだし、すがるように二人を追いかけた。

 気を抜くと高いところでは仕事にならない……ナオは置物扱いされないためにも、いつの日かこの恐怖を克服してやろうと心に誓った。いつの日かきっと……たぶん……気が向いたら……。


 ナオとザルネルが見守るなか、ショコラは身長の三倍もある金網を一息で乗り越えると、ロープも命綱も使わずに階下のベランダへ飛び降りていった。

 十分たった。なんの連絡も入ってこない。もしや捕まったのではとこちらから発信すると、しっかり応答があった。

「大丈夫なんですか? ショコラさん」

 ナオは小さな通信機を握りしめた。

『ん、あ、もうちょっと待ってて』

 くちゃくちゃと柔らかいものをかみしめる音がした。

 風で飛ばされぬよう赤いキャップを後ろ向きにしていた男のこめかみに青筋が立った。

「バッキャロー! 菓子なんか漁ってる場合か!」

『だってさ、こんなにおいしいの初めてなんだもん』

 ロイヤルスイートのプレミアムスイーツとはまた、思わぬトラップがあったものだ。

 なかなか説得に応じないのでナオがやきもきしていると、ザルネルが「もっとうまいもんおごってやるから早く上がってこい」と叫んで、ようやく事が進んだ。

「絶対だよ、絶対!」

 ギターケースをかついだ少女はひょいと金網を飛び越え、二人のもとへ帰ってきた。

 ショコラの恐るべき運動能力を改めて目にしたナオは言葉がなかった。彼女の惑星(ふるさと)の人々ってみんなこんな感じなのだろうか……。

「後でな、後で」

 ザルネルは『大人の常套句』で小さな戦乙女をあしらった。

 ナオは天に向かって手をふった。すると、上空からISPOのヘリが『扇風機並み』の静かな音で下りてきた。さすがは国際警察、高価なノイズキャンセラーを使っているようだ。彼らは定められたコース以外の飛行を許されてはいるが、用もないのに何度も同じところをうろつきまわっていればさすがに怪しまれる。ヘリを使えるチャンスはこの一度きりだった。

 ナオたちを乗せたヘリは一路、郊外のとあるモーテルへ向かった。



 3


 工場建設予定の空き地に客を下ろすと、パイロットは迷惑そうな顔を残して上空へ去っていった。同乗していたエリックという男、仕事はできても人望のあるタイプではないようだ。

 人気(ひとけ)のない空き地を横切り、薄暗い街道を少し歩くと、太古のアメリカ映画に出てきそうな平屋のモーテルが見えてきた。駐車スペースにはエアカーと四駆車がそれぞれ一台あるだけだ。

 エリックは三人を部屋に通すと、さっそく手袋をはめてギターケースを開け、小さな端末を使って部品の一つ一つを調べ上げていった。しばらくして、ボディガードを罠にかけたヘイズがエアタクシーで乗りつけ、そろった一味は刑事の結論を静かに待った。

 一通り調べきると、男はうめいた。

「バカな……」

「ジミー・リーベックはシロだった。賭けは僕らの勝ちのようだね」

 ヘイズは口もとをむずむずさせながら、エリックの落ちた肩に手をやった。ISPOの極秘ファイル見放題……慎むべき場面でも思わず顔に出てしまうほど、手にした魚は大きいということだ。

「そうと決まりゃ、さっさと返してこようぜ。神様が目覚めちまう前によ」

 ザルネルは暇つぶしに手にしていた音楽雑誌――エリックが集めた資料の山の一つ――をベッドに放り投げた。

 たまたま開いたページに、エリックは虚ろな目を向けた。

「うん? ちょっと待てよ!」

 男はオモチャを目にした子猫のように雑誌に飛びついた。

 それはジミーのギター『ボブソン・エスポール2488』が少数しか生産されなかった謎について論じた記事だった。

「かー、なんてこった!」

 無精ひげの男は汗ばんだ額に手をやった。

 資料を集めるだけ集めておきながら、この刑事は細かい記事のチェックを怠っていたようだ。

 エリックは興奮が抑えきれないのか、途中から口に出して読みはじめた。

「……このモデルは部品に使われた素材の相性が悪かったためか、時間が経つとチューニングがうまくいかなくなる気難し屋で、メーカー側は失敗作だったと発表、早々に販売を中止した。特にシリアルナンバーの若い初期ロット品は、関わった者が次々と不審な死を遂げたために、ほとんどのプレイヤーは気味悪がってこのモデルを処分してしまったということだ」

「ま、まさか……」ナオは一つの憶測を口にした。「初期ロット品のうち、処分されなかったギターが一本だけ残っていた……とか?」

 ヘイズは手にしたギターをおそるおそる裏返した。『つまみ』のあるヘッドの部分にシリアルナンバー『BS24880003』とある。

「若いな」

 エリックはニヤリと笑った。

「わ、若いね」

 ヘイズはギターをそっとケースにしまった。

「明日、この記事の内容をふまえてジミーに話を聞く。彼がモーニングコーヒーを噴きだす前に、ちゃんとギターを返しておいてくれよ」

「へいへい」

 ヘイズはうらめしそうに横目を流す。

 ザルネルは火のないタバコをくわえながら言った。

「知らなかったのか? 俺は生まれたときから正義の味方なのさ」

「ザルネル……フィルターに火をつけると危ないぞ」

「えっ?」ザルネルはあわててタバコをくわえ直した。「ハハハ……ま、ともかく、ブツを返してくるまでが仕事だ。稼ぎは三分の一になっちまったが、放棄(ギブアップ)するよりはマシだろ?」

「仕方ない。九分の一ずつ『三人』で分けることにしよう」

 ザルネルはむせながらつぶやいた。

「あんた、鬼だ……」


 スモーキー一味は、持ちだした時と同じ手口でジミーのもとへギターを返した。ボディガードたちは夜明け前の交代時間ですっかり入れ替わっていたので、企みに気づいた者はいなかった。ただ一つ違っていたのは、ヘリが使えないためにナオとザルネルは作戦に加わらず、仕事を終えたショコラが一人、リュックにつめこんできたパラグライダーを開いて脱出したことだった。

 少女が空へ舞い上がったところまで、作戦は完璧だった。だが、その日のショコラはツイていなかった。この地域は一年を通して偏東の海風が吹いているのだが、年に数日だけ、夜明けに陸から海へ逆風になることがあった。とある小学校のグラウンドで薄暗い空を見上げていたナオとザルネルはあわてて桟橋まで走り、『拝借した』モーターボートを沖へ飛ばした。

 船のデッキに引き上げられた新種の生き物を、おだやかな朝日が照らした。

 ナオが手当をしている間じゅう、ザルネルは「どれがホンモノの乳だかわかんねえや」と腹筋を痛めるまで笑い転げていた。

 全身をクラゲに刺されたショコラは、まるで醜い深海魚のようだった。ふくれた白い魚は口をぱくぱくさせながらなにか口走った。

「約束……忘れてないよね?」

「あぁ? なんのことだ?」

 ザルネルはボートのステアリングをまわしながら言った。

「あの部屋にあったお菓子より……おいしいものおごるって……」

「わかったわかった」

 ショコラは安らかな顔で気を失った。

 運が悪ければ中毒死だったかもしれないという時に、なにを言いだすかと思えば……ロイヤルスイートのプレミアムスイーツって、そんなにすごいんだろうか。庶民上がりのナオには想像すらできなかった。



 4


 ジミー・リーベックはヤハマ市での公演を終えると、そのまま地元のホテルに留まり、つかの間のオフに入っていた。

 ホテルへ足を運んだエリックは、マネージャーをロビーに呼びだして事情を話した。二人はエレベーターに乗ると最上階まで行き、スーツを着た厳つい男たちの間を進んでいった。

 刑事の話を聞き終えたジミーは、信じられないという顔で首を横にふった。チューニングが難しい繊細なギターであることは知っていたが、初期ロット品にそんな恐ろしい催眠効果があるなど聞いたこともないと彼は言う。

 エリックは「一つ試したいことがある」といって耳栓をすると、音楽プレーヤーの再生ボタンを押した。音質の悪い内蔵スピーカーから流れてくるジミーの新曲。ジミー本人やマネージャーの顔からさっと血の気が引いていったかと思うと、二人は自分の首をしめるような真似をした。苦しみから解放されたジミーは、その事実にひどくショックを受けたようだった。

 彼はシロだ。エリックは確信した。それさえわかれば証拠の話などどうでもよかった。目の前の二人が芝居を打っているかどうかなどは疑うまでもない。彼は断じてシロだ。三日間ライブに通いつめたかつてのギター少年にはそれが『わかる』のだった。

 刑事は質問を変えた。そのギターは人から買ったものだそうだが、いったい誰から手に入れたのかと。

 それは先日発売されたアルバムのレコーディングをしている最中のことだった。音楽雑誌の記者を名乗る男が訪ねてきてこう言った。

「知り合いに貸した金のカタに、珍しいギターを手に入れたんですが、どうも素人にはもったいない代物らしいと判りましてね。できれば優れた弾き手に譲りたいと思っているんですよ」

 ジミーは手にしたギターを一度かき鳴らしただけですっかり惚れこんでしまい、それを男の言い値で買い取ったのだった。

 男の名はアラン・シェクター。特徴について刑事が訊くと、多少の絵心があるとジミーは言って似顔絵を描いてみせた。たとえ彼が道ばたにすわる無名の絵売りだとしても、金貨の二三枚は出してもいいと思える出来ばえに、エリックは満足した。

 ジミーにはそのギターを二度と使わないよう、そしてマネージャーには楽曲の配信中止とデータ削除を管理会社に呼びかけるよう、刑事は指示した。最後にエリックは、かつて神と崇めた男と固く握手を交わし「犯人は必ず捕まえてみせます。これにめげず、またいい曲を聴かせてください」と笑顔を残してロイヤルスイートを後にした。



 5


 スモーキー一味と依頼人は、首都フェンデル・キャスターの夜の海浜公園で再び落ち合った。

 エリックは内海沿いの欄干にもたれてタバコを吹かしながら、真犯人の手がかりをつかんだことを話すと、偉そうに言った。

「と、いうわけで、後のことは我々ISPOに任せてくれたまえ。ご苦労だった」

「……」

 四人は無言で互いの顔色をうかがっている。

 ザルネルが沈黙を破った。

「なーんかな、こう、すっきりしねぇ終わり方なんだよな」

「余計な感情は起こさないほうがいい。自分の仕事に徹するのがプロってもんだろう」

 刑事は短くなったタバコを海へ捨てる。

 ヘイズは言った。

「一応、見せてもらえないかな。ジミーが描いたというその似顔絵」

 エリックは難しい顔をしたものの、懐から紙切れを取りだした。

「ま、君らの協力あってのお宝だからな」

 栗色の縮れ毛をした、歳は四十代といったところの細面の男……どこかで見たような顔だった。腕利きの三人はすぐには思いだせなかったようだが、ナオはちがった。

「こ、この人、人型機動兵器(アームドモビール)で私たちを襲った……」

「アームドモビールだって!?」

 エリックの顔がこわばる。

 ヘイズはハッとした顔をして取り繕った。

「あ、ああ、そうそう! 模型屋の店長にそっくりだね!」

「模型屋?」

 すかさずザルネルが話を合わせる。

「も、模型……そうよ、あそこの店長に『アームドモビール』のプラモのウンチクを語らせたら、そりゃもう災害が『襲ってきた』ようなもんだぜ」 

「なんだよ、脅かすなよ」

 エリックはほっと息をついて懐に絵をしまう。

 ヘイズもほっと息をついて、そばにいたナオの懐に右手をしまおうとしたのだが……さっと引いた手には見事な爪痕が走っていた。

「ッツツ……もう長らく宇宙軍事協定で禁止されてるんだ。今じゃもう趣味の領域さ」

「そりゃそうだ。おっと」

 ぶるっと震えた腕時計を、刑事は見つめた。

「支部からの呼びだしだ。君らの報酬についてはまた後で連絡する。すまんな」

 エリックは街明かりの方へ走っていった。

 四人は顔を見合わせると同時に叫んだ。

「ジャン・ジャック・ジャブイーユ!」



 6


 首都の郊外に広がる宇宙港。さまざまな色形の星船がずらりと並ぶ駐船場の一角に〈ヘリオドール〉がたたずんでいる。そのコクピットでは、スモーキー一味が渋い顔を突きあわせていた。

 自然の調和を乱そうとする人間は、惑星生物圏(ガイア)という肉体を侵す悪質な病巣にして、進化上の失敗作であるとする『人類失敗作説』の提唱者、ジャブイーユ元教授。この一級の科学者は以前、呪われた古札の力によってある星の人々を滅ぼそうと企んだのだが、依頼を受けたヘイズたちが命がけでこれを奪還し、男の犯行を阻止したのだった。逃げた男は、それからしばらく行方をくらませていた。

「やはり、奴を捕まえそこなったのはマズかったね」

 ヘイズが言うと、ザルネルはシートに深くかけた。

「ま、ISPOが動いたってんなら、俺たちゃポップコーンでも頬張りながら見守るしかねぇさ」

「でも、あのもじゃ頭のオジサン、敵にまわすと手こずると思うよ」

 ショコラの意見に、ナオもうなずいた。

 衛星のクレーターを一つ埋めつくすほどの基地を作り上げ、禁断の兵器アームドモビールまで手配した、あの男の手腕は決してあなどれない。


 翌朝、ベッドでまどろんでいたナオは、代表(ヘイズ)の呼びだしにもぞもぞと起き上がり、はれぼったいまぶたをこすりながら自分の部屋を後にした。コクピットの自動ドアが開くと、エアスクリーンに映った朝のトップニュースに食いつく男たちの姿が目に入った。テレビ画面はすぐに天気予報に切り替わってしまい、ナオは小さくうめいた。

「あの、なにかあったんですか?」

 ヘイズは固くした横顔で言った。

「エリックが、撃たれた」

 録画してあったニュースによると、昨晩遅く、例の海浜公園近くでISPOの刑事が何者かに銃撃され病院に運ばれたが、意識不明で重体とのことだった。

「そんな……私たちと別れた後、すぐじゃないですか」

 頭から血の気が引いたナオは、ふらふらと自席の背もたれに身を寄せた。

「ジャブイーユの野郎、俺たちの動きをどっかで見張ってやがったな」

 ザルネルは肘掛けを平手で打った。

「もし、エリックが帰らぬ人となってしまったら、お次は僕らなんだろうね」

 ヘイズが言うと、ナオは叫んだ。

「不吉なこと言わないでください!」

「ともかく今はエリックの回復を祈ろう。僕らの身の安全のためにもね」

 宇宙規模のネットワークを誇る国際警察、ISPOを敵にまわす。それは犯罪者にとって運命の広がりを失ったも同然のことだった。逃げるか捕まるか二つに一つ、安住の地などないに等しい。エリックが回復し、組織が動きだせば、敵は孤狼のようなスモーキー一味にかまっている暇などないだろう。


 その日の午後、警察の同僚を装って入院先に問い合わせてみると、エリックはまだ手術中とのことだった。

 次の日の午後、再び電話すると、手術は無事に終わったが意識は混濁しており、面会不能だと言われた。

 そして三日目の朝、依然として重体であると回答を受けたヘイズたちは、強行面会を企んだ。それほど容態が悪いのなら、せめて死ぬ前に撃った者の特徴を聞きだして、エリックの仇を取ってやろうというわけだ。

「これは依頼の仕事じゃねえし、俺たちの身を守るためでもある。敵になにかあっても目をつぶってくれよ」

 ザルネルが言うと、ナオは男たちに冷たい視線を送った。

「なぜ私に断る必要があるんですか? 今までだってそうしてきたんでしょ? 個人的な果たし合いなんか私は知りません。でも今後いっさい、あなたたちと口をきくことはないでしょうね」

 コクピットを出ていく女の背中を見送った男二人は、そろってため息をついた。


 スモーキー一味は宇宙港を後にすると、エリックの入院先へ向かうべく、車輪のない『地下鉄』を乗り継いでいった。

 風を切るかすかな音しかしない閑散とした昼時の車内で、ショコラは声もひそめずに言った。

「ねぇ、ナオちんってなんであんなに怒ってるの?」

「るせぇ! 寝坊したてめぇが嫌われ役になりやがれ」

 ザルネルの怒声も、となりの車両の奥に一人すわるナオには聞こえないようだった。

「だいじょうぶだよ。ちゃんと急所ははずすから」

 ショコラは背中の可愛いリュックから自動拳銃(オートマチック)を取りだした。

「わーっ!」

 すぐ横にすわっていたヘイズは、ショコラの体めがけてダイブした。

 幸い、まわりにいた乗客の目には、『白昼堂々、いたいけな妹を襲った変態お兄ちゃん』に映っただけですんだようだ。

 探るような視線に気づいて、三人がとなりの車両に目をやると、ナオはぷいっとあっちを向いてしまった。


 駅の階段を上がって出口を抜けると、そこは大きな都市公園の西口だった。エリックが入院している病院は、公園をはさんで向こう側、東口を出てすぐのところにある。公園のど真ん中を横切る大きな砂利道の左右には、背の高い木々がすき間なく茂っており、ちょっとした森林浴コースになっていた。天気予報ではこれから大雨が降るということで、人通りは疎らだ。

 横断する道も半ばにさしかかった頃には、ナオは心の整理がついて機嫌を直していた。エリックはまだ生きているのだ。いつの間にか悪いほうの予想に浸って腹を立てている自分が、ひどく身勝手な人間に思えてきて、熱が冷めてしまったのだった。

 ナオは怒りのあまり耳が疎かになっていて、強行面会の段取りについてよく聞いていなかった。それをヘイズに訊こうとしたとき……。

 不意にショコラが股間をおさえた。少女は前のほうへあごをしゃくった。

「あのでっかい木の向こうに、誰かいる」

 彼女が尿意をもよおすのはピンチのサインだ。ナオは身を固くした。

「伏せろ!」

 ヘイズが叫ぶ。

 百戦錬磨のショコラとザルネルはすでにそうしていたが、素人同然のナオは反応できなかった。優男はナオを押し倒してかばった。

 無数の光線が四人のすぐ上を走り、木々の皮を焼いた。

 ザッザッ……レーザー小銃をかまえた黒ずくめの男は、砂利を踏みしめ進み行く。

「教授じゃない! 殺し屋を雇ったか」

 ヘイズはナオを抱えて木陰に逃げこんだ。一瞬はためいた男の白スーツは、裾が穴だらけになっていた。

 フェイスガードをした殺し屋が若い男女に気を取られている隙に、ショコラとザルネルは道をはさんで反対側の木陰に隠れていた。

「パルサーL16か。やっかいだな」

 ザルネルは一目で敵の武装を言い当てた。

「あれって散弾モードにも切り替わるんだっけ?」

「てめぇ、よくそんなんで陸軍なんかにいられたな」

「大事なのは、ボクより速くて正確かどうかだからね!」

 ショコラは言うと、道の真ん中に躍りでた。

 反射的に銃口がそこを向く。

 まんまる顔の少女の微笑みに、黒ずくめは目を細めた。

 幼顔の奥になにを見たのか、男は息を荒くしてき、かっと目を開いた瞬間、指先に力をこめた。

 カラスが三羽、どさりと道に落ちた。

 男は小銃を取り落とし、砕けた右手の指を押さえてうなっている。

 あまりの早業にナオは目がついていかなかった。銃声は二度、あったような気がした。

「いつもながら大した腕だよ」

 ヘイズは拳銃をかまえつつ、傷ついた男に近づいていく。

「さて、誰に頼まれたのかな? 聞くまでもないけど」

 黒ずくめはフェイスガードのなかから口ごもった。

「じ、人類は宇宙の……ゴミである。わ、我々が神に代わって、掃除を行うのだ」

「なんだって?」

 ヘイズが聞き返したとき、ショコラが叫んだ。

「さがって!」

 男は爆発した。

 後ろに跳んだヘイズは間一髪、砂利で顔を擦りむいただけで難を逃れた。

 黒い煙はいつまでも燻っていたが、男の肉片や骨はどこにも落ちていなかった。

「けっこうやるじゃない、教授」

 ヘイズはうっすら笑みを浮かべて立ち上がった。しかし拳は固く握られ、ナオが声をかけるまで、落とした拳銃のことに気づかなかった。

「頼まれたっていうより、ありゃあ、『教え』に従っていたって感じだったな」

 ザルネルの言葉に、ナオはうなずいた。

「私もそう思いました。なにかカルトじみた匂いがしますね」

 そのとき、ヘイズの小さな端末が懐でふるえた。取りだしてエアスクリーンを開くと、ジミー・リーベックの名曲に乗ってエアカーを運転する、エリック・ホワイトモアが映った。

「ど、どうなってるんだ!?」

『なんだ転送か。まあいい、そこで聞いてくれ』

 エリックは事のカラクリを語った。

 スモーキー一味と別れた後、真夜中の海浜公園を出口に向かって歩いていると、暗がりから男が現れていきなり銃撃を受けた。二発目のトリガーを引く前に、その男は自殺事件をほのめかす思想的なことを口走った。エリックは防弾ベストを着ていたが、無傷というわけにはいかず、反撃は難しいと見るや欄干を越えて海へ逃げた。殺し屋は泳ぎが不得手なのか、追ってこなかった。対岸に逃れたエリックはそのまま行きつけの警察病院へ向かい、無線で同僚に応援を頼むと、重体で入院したことにしてほしいと院長を説得した。あの殺し屋はなにか得体の知れない力で操られている。命を惜しむことなく、必ずトドメを差しにやってくるだろう。そう悟っていたエリックは、玄関や中庭に人員を配して敵の追撃を待ちかまえた。やがて『ISPO刑事が重体』の報が世に流れると、狙撃隊はいよいよ緊張したが、反撃を警戒したのか殺し屋はなかなか現れなかった。そうしているうち、支部からアラン・シェクターらしき似顔絵似の男を発見したと応援要請がかかり、現在エリックは宇宙港へ向かっている、というわけだった。

 病院を砦にするなんて無茶苦茶な人たちだとナオは思ったが、その警察病院に限って入院患者は、上司の命令を無視して怪我をした突貫野郎ばかりが送られているのだと知って、少しだけ納得がいった。

『殺し屋を逃したのは悔しいが、黒幕を捕まえちまえば後は……』

 エリックはそこまで言って、エアカーの無線に耳を傾けた。

『なにぃ? 宇宙へ逃げられた? 馬鹿野郎! なんで宇宙港(みなと)を閉鎖しなかった!』

 刑事は横のドアガラスを叩いた。

 ヘイズはさりげなく言った。

「その、ジミーはシロだったということで、報酬の極秘ファイルのことなんだけど……」

『ああ、すまん。これからすぐ奴を追って、宇宙へ出なければならなくなった。その話はまた今度な』

「あ、ちょっ……」

 その後いくら呼びだしても、エリックは電話に出なかった。


 刑事たちが宇宙へ飛び立ってから十数日後、アラン・シェクターことジャン・ジャック・ジャブイーユの追跡は、別の惑星支部へ引き継がれることになったと、雇った情報屋から連絡が入った。エリックのほうは相変わらず音信不通で、ヘイズたちはあれこれと手をつくしてみたが、彼の足取りをつかむことはどうしてもできなかった。

 エリック・ホワイトモア恐るべし……コクピットの窓に広がる赤い星雲を眺めていたナオは、紅茶をすすりながら心の中でそうつぶやいた。

 連日のただ働きにどっと疲れたのか、ヘイズとザルネルは自室でふて寝しているようだ。ショコラだけが一人大きな声をだして張りきっていた。少女はザルネルの部屋の前にすわりこみ、この間の約束を果たせと今もドアを叩きつづけている。

 食べ物の恨みもまた恐るべし……ナオはカップを置くと、クスと笑った。

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