-8 『私の子供』
「ミス・ワズヘイト。ここの問題の答えは?」
「えっと、すみません。聞いてませんでした」
「……はあ。貴女はまったく」
リルのことがバレてしまった大事件をどうにか乗り越えてからも、私の波乱の学園生活は変わらずのままだった。いや、むしろ悪化したかもしれない。
ローズマリー先生達にリルのことが知られた以上、適当に彼女をほっぽりだすことができなくなったのだ。自分が世話をしていると見得を切った以上、他の人に預けることも、どこかに置いてくることもできない。もしそうでもしたら大問題だ。この歳で留置所送りなんて勘弁である、
「ミス・ワズヘイト。授業はちゃんと聞くように」
「はい」
無茶を聞いたのだからわかっていますね、と言いたげなローズマリー先生は呆れ顔を浮かべながら私に説教してくる。
確かにいつも授業は話半分に聞き流しているが、しかし今日はいつものように退屈でただサボっている訳ではない。
「ママ……ママ……」
「ちょっとリル、静かに」
「ミス・ワズヘイト。そのようにリルを強く抱いては可哀想ですよ」
あれからというもの、基本的にはリルを私の秘密基地に残してきているのだが、時折抜け出しては、教室までやって来てしまうのだった。そうなれば私が世話をしなくてはならず、かといって授業を抜け出すこともできず、仕方なく私の膝の上で抱きかかえながら勉強する羽目になったのだった。
けれどリルはまだまだ赤ん坊みたいなものだ。
大人しくしてと言ってもまともに我慢などしてくれるはずもなく、暴れたり声を出そうとするのを、私はどうにか押さえ込むのに必死で授業どころではない状況だった。私が傍にさえいれば泣き出す事はないようで、それだけは不幸中の幸いか。
「リル。授業中はしーっ。いい?」
「うん」
育児じみたことを始めて、かれこれ数日。
リルのことについてはまだまだ謎だらけだ。だが少しずつわかってきたこともあった。
リルは基本的に、私の言う事はちゃんと聞いてくれる。さすがに文字は書けないが、私の言ったことなどはしっかりと理解し、守ってくれる。
しかしそれは私が傍にいる時に限るようで、一度私が離れると、リルは私を探すように自由気ままに動き回ってしまうのだった。だから秘密基地で大人しくていてと言っても、私がいなくなった途端に私を探して徘徊し始める。不安げに涙を浮かべて歩き回るようだ。
行方も知れずリルは好き勝手に歩き回るが、しかし決して学園の敷地外には出る事はなかった。拙い足取りで、いつも私の元へとたどり着く。さすがに毎度のように教室に侵入してくるものだから、ローズマリー先生も、
「ミス・ワズヘイト。もう最初から貴女が世話をしていなさい」と言って、登下校までリルの世話をする羽目になってしまったのだった。
幼い子とは可愛いものだ。
無邪気に笑った顔など、直視すればついこちらも笑顔になってしまう。とりわけリルは私が傍にさえいれば割と静かに賢く収まってくれていて、駄々をこねたりといった面倒くささはまったくなかった。
それもあって、リルは学級中の注目の的になっていた。
「かわいー」
「あ、こっちみた」
「手、ちっちゃいなー」
休み時間になると女子生徒たちが私を囲むようにして群がったりする。
ひどく落ちこぼれ陰口を叩かれるような日陰者であった私は、誰かに囲まれるという不慣れな状況に緊張と息苦しさを感じて憔悴していた。
「リズさんいいなー。私もこんな可愛い子ほしいー」と話しかけてくる子までいる始末である。
これまで距離を置かれ続けていた私に、彼らが急にぐっと近づいてきた。
「ねえねえ。リルちゃんってどんなものを食べるの?」
「え、そ、そうね。生ものは控えて、柔らかく茹でた野菜とか、栄養のある物を……」
「リズさんが作ってるの?」
「いや、食堂で用意してくれてて」
ぐいぐいと詰問され、私は今にも逃げ出したくなりながら必死に答えた。声が上擦ったりしていないだろうか。
こんなにいっぱいの人に求められるのはあまりに不慣れすぎてたじろいでいる私を、クルトは面白おかしそうに眺めて笑っていた。
――人の気も知らないで!
こちとら誰かに注目されることに慣れていないというのに、普段から脚光を浴びている優等生は高みの見物か。良いご身分だ。
私の『引き寄せる』魔法でちょっかいでもかけようかと思ったが、人混みが邪魔でやりづらい。そこでは私はリルの耳元で囁いた。
「リル。パパが遊んでくれるって。いってらっしゃい」
「ほんとぉ?!」
ぱっと目を輝かせたリルを床に下ろすと、短い足をとことこ動かし、リルは一目散にクルトの元へと駆け寄っていった。そうしてリルはクルトの足にしがみつくと、円らな瞳を浮かべて「パパぁ!」抱っこをねだっていた。
「え、いや……」
さすがの成績優秀文武両道な優等生でも幼子の相手は不慣れなのだろう。たちまち困った顔を浮かべると、私に助けを求めるような視線を送ってきていた。
「クルトくんのあんな顔初めて見た」なんて、他の女子達は良い物を見たとばかりにはしゃいでいる。イケメンはうろたえる姿すら映えるというのか。納得いかない。
教室の中でとりわけリルに興味を示していたのは転入生のアリーだった。
「リズちゃん……でしたっけ。あの子は二人の本当のお子さんなんですか?」
「そんなわけないでしょ!」
無垢にそう尋ねてきたアリーに私はすぐさま言葉を返す。
まあ確かに年齢を除けば、リルの懐き具合や「ママ」と何の疑いも無しに呼ぶ様子からしてそう思うのも不思議ではないだろう。断じて私は否定するが。
「そうですよね! よかったです!」とアリーは安堵したように頷くと、パパに相手されずに戻ってきたリルを笑顔で迎え入れていた。
「ママー。パパが遊んでくれなかった」
「あ、じゃあリルちゃん。私と遊びましょうか」
「おねえちゃんと?」
「はい!」
リルはすっかりこの教室のマスコットのようだ。
学び舎にこんな幼子がいることを疑問に抱き続ける人がいてもいいものだろうに。
「でもこの子。本当のお母さんでも不思議じゃないくらいそっくりなところもありますよねー、リゼさんに」
「えっ?!」
余計な疑惑を生みかねない発言はやめて欲しい。
いや、そもそも私の子ではないのだ。似ているはずがない。
「ど、どこがよ」と私が声を上擦らせて聞き返すと、アリーの視線はそっと私の胸元へと下ろされ――。
「慎ましやかなお胸とか」
ぺたんと平たい胸を覗き込んできたアリーに、私は凄んだ形相ですぐさま詰め寄った。
「ああ? 何か言ったかしら?」
「い、いえ~」
おっといけない。
つい柄の悪いところがでてしまった。
だから級友からは素行が悪いと言われるのに。
しかし詰め寄られた当のアリーはまったく怯む様子はなく、むしろ嬉しそうに笑いながら「えへへ、ごめんなさい~」とへらへらしていた。
この子もこの子で剛胆だ。マイペースというか、いまいち掴めない所がある。
それにしてもまったく失礼だ。
確かに私はまだまだ育ち盛りで何故か胸だけ成長期をなかなか迎えられていないが、まだまだ子供であるリルと同じであるはずがない。さすがにまだリルは二歳くらいの大きさなのだから。
もちろん私の方が大きいとも。
そうよね。そうだと言ってよ。
「……ママ、おっぱい小さい」
自分と私の胸に手を当てて比べてきたリルに、私の心はとどめの一撃を刺されたのだった。
1章目が終わりました。いかがでしょうか。
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次回からは隔日更新を予定しています。