-7 『竜の子』
◆
「リズ。空がおかしい」
何かの爆発する轟音に気づいた直後、レニアが星待ちの塔の外を見て私にそう言った。
力を奪われて倒れるラクストを膝に乗せながら、私も促されるように窓の向こうをみやる。
「なによ、これ」
思わず目を疑いたくなるような光景だった。
まだ昼下がりの時間なのに、曇天が広がったように暗い。そして学園の周囲を包み込むように、薄い黒霧がそこかしこに立ち込めていた。
「明らかに何かが起こったんだ」
焦りながらも、レニアは冷静に自分のポケットから小さな水晶を取り出す。
「学園長から預かってたんだ。これを使えば、会場に映されてる映像と同じものが見れる」
「何が起こってるのかわかるのね」
「見てみよう」
レニアがその水晶に魔法の力を込めると、水晶の中から光があふれるようにこぼれだし、やがてその光が映像へと変わっていった。
そこに映し出されていたのは、尖塔へと続く階段から屋上へと落下した直後のクルトの姿だった。どうにか落下の衝撃は和らげたものの、すぐに立ち上がれずにいる。
「クルト!」
声など届くはずもないが、つい私は叫んでしまっていた。
いったい何が起こったのか。
戸惑いながらも様子をうかがっている中、そこに一緒に現れたのはバーゼンだった。
「バーゼン!」
私とレニアは思わず食いつくように映し出される映像を見やった。
「本当に彼なのね」
ラクストが声を絞り出して教えてくれていた。彼をここに呼び出したのはバーゼンであると。
つまり彼がラクストの魔法を奪い取った張本人ということだ。
映像の向こうでクルトを前に佇むバーゼンは、不適な笑みを浮かべながら、見覚えのある小さな箱を取り出した。
「あれよ。封印の箱だわ」
「持ってるってことは、彼が間違いなく黒だね」
「もはや隠す気はゼロってことね」
学園中の生徒の魔法力を奪うつもりなら、ラクストのようにもっと水面下で動いてもいいだろうに。
「わざわざ姿を現すなんて。それも選抜競技の最中、クルトの目の前で」
その魂胆は用意に想像がついた。
「クルトに勝とうとしているのね」
バーゼンはかつて神童とまで言われた優等生だ。しかしそれもクルトがやって来てからは陰に隠れるようになっていた。
バーゼンがクルトを目の敵にしているのは明確だった。目の上のたんこぶ。彼が華々しくいるためには明らかに目障りだったことだろう。
その劣等感から、彼のクルトに対する敵対心は目に見えていた。
わざわざ二人が競いあえる舞台で勝敗を決しようとでもいうのか。
レニアが不満そうに顔をしかめる。
「そのためにイビルの力を使うなんて」
「そうね、卑怯だわ。クルトは自分の努力であそこまでいったのに」
及ばないから、悪魔の力を借りてでも勝つ。狡猾で、それでいてなんと惨めなことだろう。
――だからクルトに勝てないのよ。
とはいえ、イビルの力を使っているとなるとクルトが不利だ。なにしろイビルはこれまで吸い取ったルーラやラクストの力も得ている。クルトが優秀とはいえたった一人の力には限度があるだろう。
それになにより。
「このままじゃクルトがやられちゃうわ」
「そうだね。まずいな……」
「急いで向かわないと。クルトの魔法まで奪われちゃう」
「でも……」
レニアの表情が渋る。
「ここはあそこから遠すぎる。今から向かって間に合うかどうか」
そうだ。
レニアと一緒に走ってきたのだ。その遠さは身に沁みてわかっている。
ラクストを襲うためにこんな離れた場所に――いや。
「まさか私達を引き離すためにここに?」
可能性はあり得る。
隠された書庫に忍び込んだときに現れた外套の人物がバーゼンなのだとしたら、私達があそこにいたのを知っていても不思議じゃない。むしろ私達が中に入ろうとしているのを利用された可能性立ってある。
――そういえば、書庫を探してる時にバーゼンに会ったわ。
彼はあの時、家業の手伝いで館内を見回っていると言っていた。
それがもし、本当は私達と同じように隠された書庫を探していたのだとしたら。
『イビルは力を欲する者を引きつける力がある』
学園長レグニスが以前にそう言っていたのを思い出した。
私が封印をといてリルを解放させてから、もしかすると、バーゼンもそこから解き放たれたイビルにかどかわされていたのかもしれない。
クルトに勝ちたいという執念から悪魔を呼んでしまったのだ。
「クルトを助けないと! いくらクルトでもあんなのを相手にするなんて無理よ」
すでに多くの力を取り入れている。
イビルをどうにかするためには私が封印するしかない。
できるかどうか不安しかない。けれどやるしかない。
「学園が……」
やがて映像の中の学園が黒い霧のようなものに包まれ始めた。
私達はそれを直接見るため、急いで塔の外に出る。森の木々が阻むやや向こう。暗雲漂うように暗くなったその空の下で、不気味なほどの黒い霧が立ちこめていくのが見えた。
「どうにか……どうにかして間に合わないかしら」
私が行かなくてはならない。
イビルを止められるのは私だけなのだから。
それなのに、私はクルトからずっと遠い場所にいる。
「行ける方法はある。たぶんだけど」
レニアがじっと私をみた。
いや、正確には、私の後ろにずっとくっついているリルだ。
私も釣られるようにリルへと視線を移す。
二人の視線を急に浴びて、リルは驚いたように目を見開いていた。
レニアは言う。
「リルは竜だ。イビルと共に封印されていた。イビルがそれなりの力を取り戻してきているのなら、リルだって力を取り戻してきているはず。それが体現していないのはおそらく、リルが自分のことを知らないせいだと思う」
確かにリルは自分が何者かを知らない。
私と出会ってから、それまでの記憶などまったくなく、ただただ私の子供として育ってきた。
「リル、思い出してみるんだ」
クルトがリルへと詰め寄り、肩を揺さぶった。
突然のことにリルは困惑していた。彼女は自分のことをまったく理解していないのだから当然だろう。
「レニア、ちょっと待ってちょうだい」
しまいには困り切って涙すら浮かべそうになっていたリルを見かねて私はレニアを制止した。
リルをそっと私の方へ抱き寄せ、安心させるように頭を優しく撫でてやる。
「リル。ちょっとびっくりするかもしれないけれど、落ち着いて聞いてね」
「……ママ?」
「リルはね。パパを助けるために、リルにしかできないことがあるの」
「リルに?」
「そうよ。それは凄いこと。貴女は私達とは違う、竜という生き物なの」
「りゅう?」
わからない、といった風にリルは首を傾げる。
だがその言葉を租借するように何度も呟くと、やがて何かを納得した風にゆっくりと目を見開いていた。
記憶はない。
けれど、本能的というか、直感的に自分がそういうものであるとは理解したのかもしれない。
今の見た目は私達とまったく同じ人間のよう。けれど本当は違う。その違和感を、一つの生物として認識しているのだ。
「リル……ママの子供じゃないの? 人間じゃ、ないの?」
不安そうにリルは私の顔を見上げてくる。
リルは何も知らない。何の記憶もなく、まっさらになって生まれたのだ。
私の、子供として。
「――大丈夫よ」
私はリルをあやすように優しく言って、そっと彼女の体を抱きしめた。
そして耳元で優しく囁く。
「貴女がどんな存在であっても、間違いなく私の子供だから」
私の言葉にリルは目を細め、私に体を預けるように力を抜いた。
途端、リルの体から淡い光が放たれる。かと思った直後には、それは眩いほどの輝きとなって私の視界を真っ白に奪った。
腕の中で抱きしめていたリルの感触が消える。
そうして、やがて光が収まって私が目を見開くと、そこには私の倍以上はあるほどの巨大な竜が佇んでいたのだった。
まるで神々しいような白い体躯をしているその竜は、大きな翼を壮観に広げ、地鳴りを響かせるような低い鳴き声を唸らせた。鋭い牙に切れ長の目。トカゲのようだが、鱗というよりは白銀の薄毛に包まれた体。鋭い爪を持った腕はすらりと細く、しかし足は肉厚でたくましい。
「……これが、リルの本当の姿」
まさに圧巻の一言だった。
獰猛な目許には人間など一捻りにする怪物のような凄みがある。その力強さに、つい先ほどまで私の腕の中にいたあの幼女の面影などあるはずもなかった。
だが不思議と私は、その似ても似つかぬ竜の姿にリルを感じとっていた。
「リルなのね」
そっと顔に手を伸ばす。
とても高い位置で私の身長では届かない。けれどその竜はまるで求めるように自分から顔を下げ、私の手を迎え入れたのだった。
ざらりとした肌を撫でてやる。
すると竜は目を細め、心地よさそうに喉を鳴らす。
間違いなくリルだ。
この子は私の知っているリルだ。
直感が、私にそう告げている。
傍らで様子を見守っていたレニアも、興味深そうに目の前の竜の姿を見やっていた。
「これが……竜……」
息をのんで巨躯を見上げるが、畏怖するような威圧感はない。
「リル。お願いしてもいいかしら」
私の穏やかな優しい声に、応えるようにリルが円らな瞳を瞬かせる。
「クルトのところに行きたいの。私の――貴方のパパを助けてちょうだい」
――クォォォォ。
竜のリルは長い首を持ち上げ、まるでフルートのような綺麗な甲高い声をあげた。それが意気込んだ肯定なのだと、竜の言葉などわからずとも簡単に理解できた。
「ありがとう、リル」
リルが地面に低く伏せる。
それを、私は前肢を踏み台にして彼女の背中へと飛び乗った。
「リズ、気を付けてくれ。イビルは既にいくらかの力を貯めこんでる。君の力だけで封印できるかどうか」
「わからないわね。でも、そもそもわからないことだらけよ。私はレニアやクルトみたいに考えることは苦手。だから、いま私にできるかもしれないことを、やれる限りやってみるだけよ」
「……そうか。いい意味で、君は能天気だ」
「どういうことよ」
むすっと私が怒ると、レニアは肩をすくめて苦笑を漏らしていた。
「行ってくるわ」
心とともに表情を引き締める。
リルの首元をそっと優しく叩いてやると、彼女の首が持ち上がり、短く嘶く。そうして真っ白く巨大な両翼を広げると、一度の羽ばたきで一瞬にして上空へと飛び立ったのだった。
冷たい風と体が重くなったような一瞬の衝撃が襲ってきた。リルの体に必死にしがみついて耐えながら、遥か下になった大地を見下ろす。
ずっと遠くに見えた学園の校舎が、上からだと少し近く見える。
「行くわよ、リル」
――クォォォォ。
イビルが、クルトがいるところへ。
先まっすぐ見据えた瞳を掲げながら、私達は空を裂いて突き進んだ。




