-9 『修練所』
修練所にたどり着いた頃には日は傾き、遠くの山並みの向こうへと沈もうとしていた。
さすがに遅い時間ということもあって、修練所から帰ろうとしている生徒達と多くすれ違った。武道の名門の家系出身の少年。現在中等部でトップの成績を収め期待を集めている少女。見かける生徒はどれも、どこかに何かしらの功績を聞いたような人ばかりだ。
その誰もが本番直前の雰囲気にぴりぴりした険しい表情を浮かべている。
だがその中でも一番の注目株であるはずのクルトはというと、楽しそうにはしゃぐリルを背負い、まるで散歩にでもきたようなお気楽さを醸し出していた。
余裕、という訳ではないのだろう。クルトも少し前まではずっと修練所に通っていたくらいだ。けれど最近はリルのこともあって私の秘密基地に来ることも多い。
「別に魔法の練習だけが全てじゃない。それにあの本の解読も興味があるからな」とクルトは言ってくれていた。
「ここって誰でも入っていいんですか?」
「ああ、大丈夫。一応使用する際には届けを出さないといけないけど、見学する分には問題ないよ」
「そうなんですね」
興奮した様子で修練所に入っていくアリーを追うようにクルトも中へと続く。私は今すぐにでも反転して帰りたかったが、リルに袖を引っ張られ、逃げられない状況になってしまっていた。
「ママ?」
「……わかったわよ。行くわよ」
「うん!」
見上げてくる無邪気な瞳には勝てない。
観念した私はリルの手を繋ぎながら、クルト達を追って修練所へと入っていった。
事務員の受付がある入り口を通って中に入ると、そこは一見するとやや広い程度の個室がいくつかあるだけの場所だった。どの部屋も吹き抜けで天井が高く、廊下からも簡単に中が見えるほど開放的な作りになっている。入ってすぐの部屋の隅はカーペットが敷かれているが、奥側は人工的な芝生になっており、隣の部屋とも少ない仕切で区切られているだけで、まるで屋外のように広々とした印象だ。
廊下ともはっきりと壁などで区切られているわけではなく、入り口部分は腰ほどの高さまでしかない観音開きの扉になっていた。中の様子も簡単に窺うことができる。
「なんだかもっと汗くらいところだと思ってたわ」
「どんな偏見だ」
私の口からついこぼれ落ちた独り言にクルトが呆れた調子で返した。
私としては修練所というくらいだから、もっと汗水流して剣の稽古をしたり、取っ組み合ったり、そんな体力馬鹿の集まる運動系だと思っていた。
けれど実際にそこを利用する生徒がやっているのは、どちらかと言えば射的のようなものだった。本人はあまり動かず、部屋の奥まった場所にある標的に向かって魔法球を当てている。動いているものや小さなものなど、よほど当てづらいものでも、魔法球を巧みに操作して命中させていく。
先の授業で男子生徒が魔法球を暴発させていたように、魔法球の取り扱いは決して簡単ではない。方向を正確に、寸分無く撃ち出すとなればなおのことだ。
遠く、広々とした部屋の隅にある小さな的に当てるだけでも相当に難しい。
「特にすごいのが彼女だよ」
見とれるようにしていくつかの生徒達の部屋を見ていた私とアリーに、クルトが一番奥にある部屋を指さして言った。
そこにいたのは、褐色の肌とモデルのような細い体型が特徴的な、細縁の眼鏡をかけた女生徒だった。
彼女がスイッチを押した途端、部屋の奥にある複数の的が高速で動き出す。それにあわせるように女生徒は身を屈めると、自身の目の前に複数の魔法球が同時に現れた。
彼女の強かな腕がさらりとしなると、彼女のショートボブのエメラルドの髪が揺れ、同時に全ての魔法球が的へと向かって射出された。
それは目で追うのも大変なほど速く、それでいて動いている小さな的を正確に撃ち抜いていく。的は決してゆっくりではないのだが、逃げるそれを追いかけるように魔法球は角度を随時変え、どこまでも追いかけていく。
結果として、彼女のはなった魔法球は全ての的に命中した。その鮮やかさに、後ろの廊下から見ていた生徒達から感嘆の声があがる。
そんな賛美に溢れる視線に、女生徒は優雅に髪を払って振り返る。そんなギャラリーの中に彼女はクルトのことを見つけ、タオルで額の汗を拭いながら私達の方へと近寄ってきた。
「あら、クルトくん。いまさら練習にきたの? 残念だけど、ご愛用のルームは今日は私が使わせてもらってるわよ」
その女生徒は、クルトに向けていじわるそうにはにかむ。クルトも合わせるように頬骨を持ち上げた。
「ははっ。さすがにこんな時間からはやらないよ。それに、別のここは僕専用ってわけじゃない。いつも一番に来てるだけさ。ここは一番奥だから集中できて好きでね」
「わかるわ。今日はじめて使ってみたけど確かにいい感じ。それに的もよく整備されてるしね」
二人だけの会話に花が咲く。
そんな光景を私が退屈そうに眺めているのに気づいたのか、クルトが私とアリーに向き直った。
「この子はルーラ・ルー。隣の学級の子だよ」
「あー。見たことある気がするわ。確か学級委員長やってたっけ」
「そう。リズでも知ってるくらいには有名人だね」
クルトの癪に障る言い方に苛っとしたが、ルーラと呼ばれた女生徒の手前、その怒りはひとまず収めておく。
ルーラ・ルー。私達と同じ学年だが学級が違う、とても真面目で品行方正と名高い学級委員長。魔法の実力もそれなりだとか。私は興味がないから詳しくはわからないけれど。
「有名なんて。貴方ほどじゃないわよ」
「そうかな。結構知られてると思うけど」
「――も、もしかして! ルーラさんも選抜に?」
たいして興味がない私に代わってアリーが食いついた。前屈みに詰め寄って目を輝かせている。
「あら貴女。この前話題になっていた転入生ね」
「え、話題ですか?」
「なんだか可愛らしい子が入ってきたって。私の学級の生徒が羨ましがってたわ。なんでこっちじゃないんだって」
言われてアリーは照れたのか、気恥ずかしそうに顔を赤くしていた。そんなアリーにルーラは優しいお姉さんのように微笑みを向ける。
「ルーラは魔法球の扱いにおいてすごく優秀なんだ」
「へえ、そうなんですか」
クルトがアリーに向かってそう説明をしてくれる。私はまったく気がないとわかっているのだろう。こっちには視線すら向けない。すっかり三人で輪ができあがっていた。
――どうせ私はのけものですよーだ。
くだらない卑屈をふつふつ沸かせて内心で口をとがらせる。そもそも私はリルの付き添いでなければ今にでも帰っていたのだ。
そのリルはというと、いつの間にかルーラの使っていた部屋の中に入り、物珍しそうに辺りを見回していた。
「リル、勝手にイジっちゃだめよ」
「はーい」
変なことをしないように監督役として私も部屋に入る。本当は使用者以外勝手に入ってはいけないのだが、ルーラは「構わないよ」と快く通してくれた。
部屋には魔法球の標的を操作する道具の他に、水分補給用の飲料水や着替えができる更衣場所、更には筋トレなどに使える様々な器具なども備えられている。なかなかの充実ぶりだ。
修練所を利用する生徒からすれば至れり尽くせりなのだろうが、私としてはまったく関心が沸かない。しかし物珍しさのせいなのかリルは楽しそうだ。
「リールー。あんまり触らないようにね……きゃっ」
ふと、リルを追って部屋の中を歩いていると、何かに蹴躓いてしまった。布に包まれた何かを思いっきりつま先で何かを蹴飛ばしてしまったようだ。それがころりと転がる。
「まずっ。何か大事な物だったらどうしよう」
焦ろを覚えながら、私はその蹴ってしまった何かを拾い上げる。その瞬間、
「――っ?」
――なに、いまの。
まるでその拾った何かに引っ張られるかのような不思議な感覚が私の手を襲った。咄嗟に気を強く持ってその何かを強く握ると引っ張られる感覚は消え失せたが、突然のことにびっくりしてしまった。
こんなことは初めてだ。
拾った物はとても軽い。黒い布に包まれていて中身はわからないが、手のひらに乗るくらいの四角いものだ。だが今の感覚とは大違いに、ずしりと沈み込んで引っ張られるように一瞬だけ重たかった。それは私の勘違いではないはず。
だが一度落ち着いて手に持ってみると、何も感じないただの包みでしかなかった。
「気のせいだったのかしら」
ただの立ちくらみだったのかもしれない。そういえばお腹も空いてきたし、今日のメニューがグラタンシチューだと知っていたから、昼食はわざと少な目にしていたのだ。エネルギーが足りていないのかも。
落ちていた包みは不思議に思ったが、もしかするとルーラの持ち物かもしれない。そっと元の場所に戻しておこう。
「勝手に動かしてなくしちゃったら悪いものね」
リルに粗相をしないよう注意した手前、自分がやらかしていたら洒落にならない。
それから私はリルと一緒に適当に部屋の様子を見ていった。その間もクルト達は楽しそうに談笑を続けている。
「ルーラの固有魔法は『目標に狙いを定める』魔法なんだ」
「へえ、そうなんですね」
クルトの説明にアリーが関心深く頷いている。
「そう。まあ、私のそれはあまり派手ではないけれどね」
「いや、十分すごいよルーラ。キミが狙いを定めさせると、魔法球は必ずそこに向かって飛んでいく。それに、その魔法球も複数出せるんだから」
「一つずつの威力は弱いけれどね」
それがさっきの芸当の種だ。
魔法球を一つ作り出すだけでもそれなりの力が必要だ。それを複数。更には的確にコントロールして追尾させる魔法は、見栄えはやや地味ながらもとても凄い。その特色だけで言えばクルトの固有魔法すらも上回っているかもしれない。
クルトが一つ褒める度にルーラは謙遜してはにかんでいた。どうやら照れくさいようだ。
「今度の選抜競技。俺の一番の難敵になるかもしれないな」
「あはは。もう、言い過ぎだってば」
「それだけ凄いんですねー、ルーラさんって」
本当に楽しそうに話してばかりだこと。
私は退屈すぎてあくびまででる始末だというのに。
ふわあ、と大きく口を開き、目尻に涙がたまったの同時に、盛大にお腹の音が大きくなってしまった。
まずい。
あまりにもグラタンシチューが食べたすぎて体の欲求が抑えられない。
恥ずかしさに顔が熱くなった。明らかに他のみんなにも聞こえていただろう。
案の定、クルト達の視線が一斉に私へと向けられる。
「リズさん、はらぺこさんなんですか?」
「う、うるさいわねアリー。別にいいでしょ」
「悪いな、リズ。長話をするつもりはなかったんだ」
クルトもそう言って輪を崩し、ルーラの使っていた部屋の奥へ進む。
「昨日、鞄を忘れてたんだ。着替えとかが入ってたのをうっかり置き忘れてね」
「ああ、それを取りに来たのね。どうせクルトのだとは思ってたけど。ここを使うのはいつも貴方だし」
クルトは隅にあった荷物鞄を担ぎ上げると、ルーラに会釈をして廊下へと出た。
これでクルトの用事は終わりだろう。
私もリルを抱き上げると、さっさと部屋の外へと出て行った。
ようやく帰れる。
「ルーラさん、ありがとうございました」とアリーも丁寧にお辞儀をする。
「別に大丈夫よ。まだもうちょっとここに残って連取するつもりだったからいい息抜きになったし」
「頑張ってくださいー。応援してますね!」
「ありがとう」
「あ、クルトさんも応援してますよー!」と申し訳程度に付け加えながら、アリーも私たちに続いて外に出たのだった。
結局今日は予定外にいろいろと歩いて回ったせいで疲労困憊だった。おまけに修練所から寮はちょっと遠い。
「さっさと帰るわよ」
早くしないとグラタンシチューがなくなっちゃう。
用事を済ませたクルトとは男子寮との分かれ道で別れ、私はアリーを置いていく勢いで寮へと戻っていった。
もう今日は一歩も歩けなくなっていい。そんなつもりで体力を振り絞って走った私だったが、
「悪いねえ。グラタンシチューはさっき出し切っちゃったんだよ」
食堂のおばちゃんの無慈悲なその一言によって、私は燃え尽きた灰のようにその場に崩れ落ちたのだった。




