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 -2 『この子誰の子』

   1



 私だって年頃の乙女だ。

 子供がどんな風にできるのかももちろん知っている。


 いつかは理想的な男性と結ばれて、愛し合って、そうして子を紡いでいくんだと妄想していた時期も確かにあった。けれど今はすっかり落ちぶれてクルトとも大きくかけ離れ、そんな想像はすっかり忘れ去っていたほどだった。


 恋愛なんてもう全然縁がない。

 そんな私に、突然子供ができたと言って信じる馬鹿はどれくらいいるだろうか。


「ん……ママ。お腹すいた」

「だから、私はママじゃないって言ってるでしょ!」


 布団に横になりながら私が突き放すようにそう言うと、白髪の幼子は不思議そうに首を傾げるばかりだった。


 もう何度もこのようなやりとりを繰り返している。私がどれだけ無視しても離れようとしないし、何度も話しかけてくるし、私の顔をじっと見つめてくる。


 せっかくの私の秘密基地が台無しだ。


 いったいどこからやって来た子なのかはわからない。格好も薄汚れた布切れ一枚だし、まるで浮浪者のようだ。しかしそれにしては髪艶や肌は白雪のように綺麗で、まったく不潔な感じはない。


 その子は布団に倒れ込む私を真似して、向かい合うように寝転がってきていた。


 円らな黄色い瞳と目が合う。

 整った可愛らしい顔は、女の私でも間近で見つめるのは躊躇うくらいだった。


「ママ……」

「だからママじゃないってば!」

「……?」


 不思議そうな顔を浮かべながら、その子は布団に顔を埋める。私がそのまま無視を続けていると、やがて小さな寝息を立てて眠りに落ちていた。


「……いったい何なのよ、この子は。クルトはさっさと帰っちゃうし」


 クルトもこの子にパパと呼ばれていたが、


「今度は子供使って俺をからかうつもりか」と一蹴され、さっさと帰っていってしまった。


 いや、私も今度ばかりは私の些細な悪戯であってほしいとどれだけ願ったことか。けれど実際はまったくわからず、この子が誰なのか、どこから来たのか、そもそも名前すらわからない始末だった。


 まだ舌足らずで足元もおぼつかない。どう見てもこの学園の生徒ではない。


 名前を尋ねてもわからない。

 どこから来たのかを尋ねてもわからない。


 どうにも要領を得ないまま、幼子は私の隣でいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。


「……どうしたらいいのよ」


 困惑にため息が漏れた。


 この学園の関係者なのか部外者なのかすらわからない。

 もしかすると誰かに捨てられたのだろうか。となると面倒事だ。


「ねえ、起きてちょうだい」

「んん……ママぁ」


 か細い声を漏らし、細い指で、体を揺さぶった私の手を握ってくる。綿のように柔らかい感触で、ドキリとするくらい可愛らしい。


 無理矢理起こすことすら罪悪感を覚える可愛さだが、ずっとこのままでもいられない。


「ねえ、ちょっと。貴方は誰なの」

「ん……?」


 どうにか瞼を持ち上げて答えるその子を、私は無理矢理引っ張って立ち上がらせた。小柄なせいかとても軽い。


 伸びた猫のように上半身を持ち上げられたその子は、私に頬をぺちぺちと軽くたたかれ、ようやくはっきりと目を見開かせていた。


「どうして私をママと呼ぶの」

「ママらから」


 舌足らずに即答である。

 しかし産んだ覚えなどあるはずがない。


「なんでママなの」

「ママらから」

「ママじゃないわ」

「ママなのに?」


 頭が痛くなりそうだ。

 とはいえこの子も決してふざけている風ではなく、いたって真面目に答えているのだとはわかる。


「そろそろ日も暮れるわ。私は寮に帰るけど、貴方はどこに帰るの?」


 首を傾げてくる。


「……帰る場所はあるの?」


 やはり首を傾げられた。


「…………貴方、家は?」

「ここ……?」


 自信なげにそう言ったその子に、私は呆れたため息をもらしていた。


 急に現れて、どこにも行く場所がない。

 まるで、本当に私がこの子を今ここで産んだみたいだ。


 しまいには、「ママ?」と寂しげな顔をして言ってくる始末。どこに行くの、と不安になっているのだろう。ただ自分の寮に帰るだけのことすら変な罪悪感がこみ上げてくる。


 顔は今にも泣きそうだ。


「……寂しいの? よしよししてあげるから」


 嘆息まじりに私がその子の頭をなでてやると、その子は少しだけ安心したように目許を緩めていた。決して離さないといった風に、小さな手で私の指をぎゅっと懸命に握っている。


 ――こうして見ると本当にただの子供ね。


 誰の子なのか、どこの子なのかもわからない。

 けれど今、この子が頼れるのは私だけなのだ。


 そう思うと、なんだか急にほうっておけなくなってしまった。


「――わかったわ。じゃあ今日は一緒にいてあげる」

「わあ!」


 そう言うと途端に笑顔に変わったその子に私はくだびれた顔を浮かべながらも、この秘密基地で一晩を明かすことにしたのだった。


 さすがに二、三歳ほどの幼子をここに一人で残すのはいくら私でも気が引ける。


 幸いにも、寮の食堂からくすねてきたお菓子がこの秘密基地には常備されている。寮で用意されている夕食の代わりにそれを食べ、一夜を過ごした。


 その子はお腹がすくとすぐに泣き出し、私が厠に離れてもすぐに泣き出し、どうにも常に胸元で抱いていないと大人しくなってくれなかった、


 ――子供の世話ってこんなに面倒なの?!


 私の都合なんて考えてくれるはずもない。小さい子は自分のことで精一杯なのだ。だからちょっと機嫌が悪くなると泣くし、でも数秒後にはけろりと笑ったりもするし。


 子育てってこういうものなのかな、なんて歳柄でもなく漠然と思いながら、長い一夜を過ごしていった。


 結局、その子の世話ばかりでその子自身についてはあまりわからなかった。わかったことといえば、帰る場所もなく、名前も家族も何もわからないという、相変わらずの情報だけ。


「……どこから来たのよ、この子。どうにかして調べることはできないかしら」


 朝が来て、今日も学園の授業に出向くために鞄を整理する。教科書などを取りに途中で寮に寄らないと駄目だ。無駄に面倒だが、この子を放って一晩過ごすのも心配だったから仕方がない。


「ママ?」


 布団に丸まって眠っていた子は、制服をただして出かけようとしていた私に気づいたのか、寝ぼけ眼をこすりながら起きあがってきた。


 やっぱり寂しそうな顔をしている。


「これから学校よ」

「がっこう?」

「そう、お勉強するところ。貴方はここで待ってなさい」

「もどって、くる?」


 やはりまた心配そうな顔で尋ねてくる。

 なんというか、その顔は裏切れなるからずるい。


 でも今回ばかりは学園にまで連れて行くわけにはいかない。

 子連れで出席なんてしたら大問題だ。


「終わったら戻ってくるわ。ご飯はお菓子がまだちょっと残ってるからそれを食べてなさい」

「うん、ママ!」


 えへへ、と可愛らしく笑って手を振りながら見送ってくれたその子に、私はなんだか不思議な感覚を味わいつつ、にっと笑って外へと出たのだった。


 そういえば、こうやって誰かに送り出されたのっていつ以来だろう。最近はずっと寮で一人暮らしだったし、もう長いこと実家にも戻ってない。


 ――家族、か。


 私がママだというのはまだ納得していないけれど、不思議と悪い気分ではなかった。


 急に私の前に現れたあの子。


「そういえばまだ名前がないわね」


 決めなければ呼ぶときに不便だ。

 何か簡単なあだ名でもいいからつけてあげよう。


 そう思いながら、私は学園へと足を運んでいったのだった。


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