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 ー10『潜入』

「中は……誰もいないようね」


 厳かな装飾のされた木のドアが学園長室の特徴だ。綺麗に施された、フクロウの羽をモチーフにした彫金が印象的である。


 その豪奢な扉を前に、耳をあてたり、念のためノックをしてみたりしたが、どうやら学園長は不在のようだ。


 タイミングよくクルトがやってきてくれたり、学園長がいなかったり。これもアリーの強運のおかげだろうか。


「絶対にリルの大事な情報を見つけだすからね」


 背負った我が子同然の少女に優しく微笑みかけ、私は改めて扉の前へと向かった。


「どうするのさ。学園長室の鍵もないだろう」

「まあ、任せなさい」


 扉の隣にある磨り硝子の窓に手をかける。その窓は内側に鍵があるものだ。その内側の鍵があるところに手を当て、そっと横に引っ張る。すると、かちん、という音がしたのを確認して私が窓に手をかけると、あっという間にすんなりと開いたのだった。


「すごい。どうしたのさ」と驚くレニアに、私は自慢げに鼻を高くして答える。


「新館は比較的新しくて複雑な錠をしてるけど、旧館はけっこう古いのよ。だからちょっと縦と横に動かすだけの閂型の鍵をした窓も少なくないわけ」


 だから旧館の一部の窓などは、私の『引き寄せる』魔法で開けられるのだ。わたしも最近気づいたことなのだが。もちろんそれを乱用して悪戯しようとは思ったことはないけれど、これが意外と便利である。


 特に寮や校舎のお手洗いの個室の鍵を開け閉めする時に手を使わずにできるというのは革命的新発見をしたかのように喜んだものだ。


「……あんまり大したことないことには変わりないのだけれど」とその時も結局すぐ正気に戻ったが。


 私の魔法はどうにも地味すぎる。

 風を巻き起こしたり、炎を出したり、水を湧き出させたり。私もそういった見ばえの良い魔法がどれだけ良かったものか。そればかりは遺伝と体質だからどうしようもない。


「さあ。誰かが来る前に探すわよ」

「あんだか手慣れているみたいな感じだね」

「してないわよ! 普段は!」


 まったく失礼な、と私は憤慨しながらも、窓をよじ登る。


 思ったより高い。

 私の腰以上の高さはあって、ぴょんと跳ねて上半身を放り込む。そのまま手で体を持ち上げてよじ登ろうとしたが、しかしあまりにも私は非力すぎた。


「――きゃっ?!」


 ぐっと力を入れた腕は枯れ枝のように簡単にひしゃげ、がくんと滑り落ちた両手ごと頭から中へ落下する。みっともなく、入り込まなかった足だけが窓に残り、まるで三点倒立でもしているかのように倒れこんでしまっていた。背中のリルは見事に無事だが、思いっきり顔を打ってしまって痛い。


 顎も少し赤くなっていてひどく情けないことこの上ない。

 しかしそれよりも最悪なことがある。


「……っ! 見た?!」


 私は急いで足を引っ込ませて中に入ると、後ろで順番待ちをしていたレニアへと振り返った。もしかするとスカートの中を見られたかもしれない。めくれていてもおかしくなかった体勢だ。


 焦りを浮かべて顔を赤くした私だが、


「いや、興味ないから見てないけど」


 レニアはまるで道端の蟻でも眺めているかのような無関心さで淡々と答えるだけだった。


 ――だから、それもそれで傷つくんだってば!


 私の意地っ張りな乙女心は複雑なのである。


「ま、まあいいわ。早く行きましょう」

「了解。学園長の机だっけ」

「窓は閉めててよ。不自然だから」

「わかってるさ」


 服についたほこりを払い、気を取り直して私は学園長室の中を物色し始めた。


 ローズマリー先生は机にあると言っていた。おそらく窓際にある、本棚に囲まれた高級そうな木の机のことだろう。机上にはインクと羽ペン、それと何かの書類の山が重なって詰まれていた。


 さすがに見えるところには鍵は置かれていない。ならばと机にある棚を上から片っ端に開けていく。しかしそこにあったのは筆記具や書類、それに個包装のチョコレートばかりだ。


「あれ。ローズマリー先生は机にあるって確かに言ってたと思ったのに」


 聞き間違いだろうか。

 レニアは念のために他の書棚などを見ているが、そっちにもなさそうだ。


 さすがにここまでやって何も成果がなかったなんて悲しすぎる。せめて鍵の手がかりだけでも得ないと。


 焦燥がこみ上げながらも捜索を続けていると、机の下に不自然なふくらみがあることに気付いた。足がローラーになっている革椅子を引き下げると、机の裏の身を屈めてやっとわかる高さに小さな引き出しを見つけた。


「これだわ。……でもダメ、鍵がかかってるみたい」


 その引き出しを開けようとしてみても、まるでがっしりと溶接されたみたいに少しも開こうとしてくれなかった。


 鍵を得るために鍵が必要なのか。


 だが引き出しの鍵まで探している余裕はあまりない


「どうしようかしら、レニ……っ!」


 顔を持ち上げてレニアへと声をかけた瞬間、廊下の扉の前から足音が聞こえてきた。


 まずい。

 学園長か誰かが来たのだろうか。


「レニアっ!」


 声を潜めて彼を呼ぶと、レニアも気付いたのか大急ぎで私へと駆け寄る。二人して机の下に潜り込んだのと同時に、学園長室の扉が開かれた。


 やって来たのは白髭の目立つ、ローブを羽織った老人だった。

 この学園の学園長レグニスだ。


 齢八十を過ぎているとされているが、背も曲がらずに機敏に動き、誰もその実年齢はわからないという。この学校ができる前よりも生きていると噂されるくらい不思議な人物である。


 学園長レグニスは部屋に入ると、ふと立ち止まって何か思いふけるようにじっと固まり、かと思えばおもむろに壁にある本棚へと歩み寄る。分厚い本が並ぶその中の一つを引き抜こうとして、しかし途中でやめ、また整列させて戻すということを繰り返している。


 本を探しているのだろうか。本棚の至る所でそれを繰り返している。


 こちらとしては早く終わらせてほしいものだ。とはいえ、それで机の方まで来られたらすぐにバレてしまうのだが。


 ――こっちにこないでしょうだい!


 そう祈りながら私が様子を窺っているうちに、

やがて学園長レグニスはついに一冊の本を抜き取り、何かを確かめたように頷いて、そのまま机とは反対の扉の方へと歩き出したのだった。


 どうやらこっちまではこないらしい。見つからずに済みそうだ。


 緊張が解け、私とレニアが同時に深く息を漏らす。


 ――ああ、よかった。


 そう安堵した瞬間、ふと、机に収まるために胸元に抱いていたリルの眉間が寄る。


「……ふぁ」

「え?」

「……っくしゅん!」


 リルの小さなくしゃみが飛び出し、それと同時に、リルの口元から小さな炎が吐き出された。


 それはすぐに消えて霧散したが、無灯の部屋は一瞬だけ明るくなり、微かな熱風までが巻き起こった。


 まずい。


 不思議と直接さわってもほとんど熱さの感じないその炎を、リルの口を咄嗟にふさいで押さえ込める。


 気づかれただろうか。


 学園長レグニスもさすがに振り返り、私達の方を様子見た。


 私とレニアはさっき以上に息を潜める。リルが鼻をむずむずさせているが、指で摘んで我慢させた。


 ――ごめんね、我慢しててちょうだい。


 じたばたと暴れようとするリルをどうにか押さえつけながら息を潜めていると、


「……ふむ。気のせいじゃろうかの」


 学園長レグニスは口元をゆるめた朗らかな調子でそう呟くと、そのまま学園長室を出ていったのだった。


「…………はあ、助かったぁ」


 目一杯の安堵と一緒に深く息を漏らしながら、私とレニアは崩れるように机の下から出た。


 よく気づかれなかったものだ。学園長が老齢で助かった。


「……あれ?」


 ふと、レニアが何かに気づく。


「この引き出し、鍵が開いてるみたいだ」

「ほんとに?」

「ちゃんと見ていたのかい?」

「み、見てたわよ!」


 てっきり鍵がかかっているものと思っていたが、私の勘違いだったのだろうか。レニアが机の下の隠された引き出しを引っ張ると、それは思いの外簡単に開いたのだった。


 いや、でも確かにさっきは開かなかったと思ったのに。


 とにかく引き出しを開けてみる。

 中にあったのは古そうなさび付いた鍵だった。


「きっとこれだわ」


 重要なものとは思えないほど無造作に置かれているが、他にそれらしいものはない。間違いないだろう。


 私たちはそれを持ち出し、また学園長が戻ってこないうちに部屋を抜け出したのだった。




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