-2 『ひたすらのお願い』
私はクルトを連れてもう一度学園の図書館へと出向いた。目的は、多くの知識を持っているであろうレニアだ。
見上げるのも首が痛くなるほど遠くに続く吹き抜けの場所。その外周の壁の本棚にびしりと引き詰められた本のほとんどを読んだとレニアは噂されている。リルのことについて何か知っているかもしれない。
少なくとも、授業に使う参考書すらまともに読破していない私よりはずっと有益な知識を持っていることだろう。
――いつまでもただリルの世話をしてるだけって訳にもいかないものね。
リルのことを知るためにも、なんとかして絶対に協力を勝ち取ろう。
そう意気込んだのが数分前。
「……はあ、はあ。もうやだ、やめたい」
私の決意した心は、途方もなく続く階段を前にガラスよりも簡単に砕けようとしていた。
「あのレニアって子、実は相当な体力バカなんじゃないの。毎日上まであがってるのかしら。……はあ、はあ」
図書館は、一階は多くの生徒が利用する学問の本、二階は料理や裁縫といった日常生活の本、三階からは各階ごとに専門的な参考書などと、分野によって別れていた。よく使われるものは下層にあり、上に行くごとにマニアックなものへとなっていく。
そしてレニアのいる六階は、ずっと昔から保管されている歴史書や哲学書など、年季の入った書物が多く置かれている場所だった。
そこへたどり着くためにひたすら一階から階段を上っていった私だったが、レニアが待つ最上階にたどり着く頃にはすっかり肩で息をしているほど憔悴していた。
「……はあ、はあ。疲れたわ」
「だからリルを預かるって言ったのに。リズは体力がないんだ。背負ってても大変だろう」
「できたら最初からそうしてるわよ。でもリルが離れてくれないから」
私の背中におぶられて、リルは夢見心地に眠っている。けれど寝ながらもしっかり私の腕と横腹を手で掴み、がっちりと振り放されないようにしている。
リルのせいで余計な負荷もかかり、私は以前に上った時よりもずっと疲労困憊だった。
「ちょっと足を止めてみろ」
クルトに言われ、リルを背負った体をうなだらせながら立ち止まる。クルトが私の足元へと手を差し伸べて呪文のような物を呟くと、途端に私の足の裏の感覚が柔らかくなった。
いや、柔らかくなったのは靴底だ。
「靴底の素材を変えて衝撃をより吸収してくれるようにした。あんまり変わりはないかもしれないが、少しはマシになるだろ」
「……便利ね、ほんと。最初からやってくれたらいいのに」
「魔法の使役は疲れるんだ、無茶を言うな」
クルトの『物質の変化』は上級の魔法であり、消耗も殊更なのだろう。気軽に使える私の『引っ張る』魔法とは大違いだ。有用性もずっと。
クルトの魔法のおかげで階段を上るのは幾分か楽になった。といっても疲労が大変なことには変わりないが。
「リズはちょっと休んでれば良い。俺がレニアっていう生徒と話をするさ」
「そ、そうね。よろしく頼んだわ」
どうにか息を整えつつ、私達は最上階の一角、本が以上に積み上げられた机へとようやくたどり着いた。
そこには前に来たときと同じように、大量の本に囲まれてひたすら本を読み耽っているレニアの姿があった。クルトが視線だけで「彼かい」と尋ねてくるので頷き返す。
「ちょっといいかな」とクルトは何の躊躇いもなしにレニアへと声をかけた。
これがみんなから持て囃される人望厚い生徒のコミュニケーション力か。私のような陰に生きる者とは大違いだ。私が声をかけるときは、実はかなり内心でドキドキしていたのに。
クルトに声をかけられ、レニアは重たそうに顔を持ち上げた。
「あれ、優等生だ」
珍しいものでも見たと言わんばかりにぽつりと呟く。さすがにクルトは顔も知られているか。
最初こそレニアはクルトに気付いて顔を向けていたが、しかしすぐに視線を手元の本へと戻そうとする。それを遮るようにクルトは急ぎ足気味に話を持ちかけていた。
「少し聞きたいことがあるんだ」
「あんたもか」
レニアの視線が、クルトの後ろに控えていた私に移る。目が合い、やっぱりかお前もいるのか、とでも言いたげな苦悶の表情を浮かべられた。
「僕の返答はもう決まってる」
「どうにか手助けしてくれないか。キミの知識が必要なんだ」
「さしもの優等生様に言われても僕はさして興味がないんだよね」
相変わらずの門前払い。
それでもクルトは「少しだけでも時間を貸してくれないか」などと食い下がっては断られるを繰り返し、変わり映えのない問答ばかりが続いていた。
――ああ、どうせまた無理なのかな。
そう私の中で諦めの気持ちが生まれ始めていた中、私の後ろに背負われていたリルが退屈そうに欠伸をする。
「ママ……おなかすいた」
「ああ、ごめんねリル。ちょっと待ってちょうだい」
「リル?」
レニアもこんなところに幼子がいることに気付き、驚いた風に目を丸める。そうして彼の視線を集めた中、リルはより一層の大きな欠伸をしてみせた。
その瞬間だった。
大きく開けられたリルの口から欠伸の深い息が吐き出されると共に、まるで松明に油を吹きかけたような丸い炎がぼっと噴出した。
「……え?」
急に頭の後ろが少し熱くなって明るくなったと思った瞬間のその炎に、私はただただ素っ頓狂な声を出すことしかできなかった。
しかし私の代わりに大声を上げたのはレニアだった。
「ああっ! 本がっ!」と席を立つ。
たった一瞬で消えたが、その突然現れた火球のような炎は火の粉となってちりぎりになり、すぐ傍にあった本棚へ降りかかっていた。
「ここにあるのは貴重なものなんだ!」と大慌てでその本棚へと駆け寄ったレニアだが、しかしそこにある本を一つ手に取ると、途端にじっと固まったまま動かなくなった。
「あれ……焦げてない。確かに火があたってたのに」
レニアが言うとおり、本棚にある本すべてが煤けることすらなく無事だった。そのことにひどく驚いていた様子だったが、私とクルトは、リルが炎を口から出したことになにより驚いていた。
「リル、貴女どうしたの?!」
「今のはいったい」
今のは見るからに魔法だ。
だが通常なら、リルのような幼い子供はまだ魔法を使えるはずはない。本来ならば六歳くらいから固有魔法が発現し、少しずつ扱えるようになっていくものだ。
「その子はいったい何者なんだい!」
不意にレニアが私へと詰め寄ってくる。いや、正確には私ではなく背中のリルだ。つい数秒前まで私達にまったく無関心だったとは思えないほどの興奮した声だった。
「こんな小さな子が魔法を使えるだなんて、そんなの今まで読んだ書物にもなかったことだ。それに炎が間違いなく本を焼いたはずなのに焦げ目一つついていない。確かに光と多少の熱さはあったはずなのに。いったいどういう仕組みなのか。そういう魔法なのか。気になって仕方がないよ」
てっきり冷静で寡黙な青年かと思っていたレニアが豹変したように饒舌に、矢継ぎ早に言ってくるものだから、私は詰め寄ってきた彼に引きつった顔で答えた。
「わ、私達もそれを知りたくてここにきたのよ」と。
そんな私とレニアを見て、クルトは顎に手を当てて考えるような仕草をすると、
「やっぱりリルはただの子供じゃないのかもしれない。それを探るためにも、レニア、ぜひともキミの豊富な知識を貸してくれないか」
再三の懇願に、しかし今度ばかりはレニアも首を横には振らず、ひたすら興味深げにリルを見やっていたのだった。




