4.秘密組織 スペクター
「ダークブランド様ぁ」
骸骨男が弱々しい乾いた声で、アイに向かい
頻りに呼び続ける。
汚れた衣類、腐った皮膚や肉や油が放つ悪臭が
鼻の良いアイの顔を強い嫌悪感で険しくさせる。
「一体、あんた誰よ」
「ご存じ無いのも無理は御座いません。
私奴は、嘗てあなた様が幹部を務められた
秘密組織スペクターの名も無き戦闘員です」
「スペクターの!?」
スペクターとは、S市に本拠地を構えていた
世界征服を目論む秘密組織だ。
各地より集められた超人や科学者を中心に、
武力による世界の統治を目論んでいた。
しかし結成1週間後、1人のヒーローによって
1夜にして完全壊滅させられたのである。
アイはその戦闘能力を見込まれ、発足時より
幹部として参加していた。
「まさか私の他にも、あの夜を生き延びた
方がいらっしゃったとは……そして
それが、ダークブランド様であったとは」
「私はあのとき、偶然日本を離れていたからね」
「そうで御座いましたか。いやぁ良かった……
良かった……本当に……」
骸骨男は露わになった頬の筋を震わせて、
安堵の言葉を噛み締めるように呟く。
反してアイは、この男の思惑を察して眉間に
力が篭り、険しさを増す。
「あんたは、どうやって生き延びたわけ?」
「私は……死ねぬのですよ。
スペクターの科学力によって生み出された
不死身の戦闘員の唯一の成功例……いえ、
私如きでは、まだ失敗作でしょう。
昼間の太陽の下では、このような不完全な
肉体でしか活動出来ず、醜態を晒してしまう。
いやはや、情けない事です。
今となっては、完成品がどのような物か、
不死身の戦闘員とは、どういったものを
目指して研究がなされていたのか、
最早知る術も御座いませんがね」
「確かに、とんだ醜態ね」
「これはこれは、申し訳御座いません。
それでは少々失礼致しまして……」
骸骨男は、だらりとした猫背をスっと伸ばすと
ぶるぶると体をゆすり始めた。
すると、彼の体を辛うじて覆っている腐肉が
ぼたぼたと地面に流れ落ち、すっかり全てが
剥がれ、真っ白な白骨のみの姿となった。
学校ホラーものの動く骨格模型のようだ。
不思議と骨だけの姿の方がスッキリしていて
視覚的な嫌悪感が少なく感じる。
「どういう事?」
「何事も中途半端は良く御座いません」
「まぁ、キモさのベクトルは、そっちの方が
まだマシね」
「気に入って頂き、光栄で御座います」
「気に入っては無いからね」
動く度にコキコキと間接を鳴らしながら、
どことなくコミカルな動きをする男に
少々苛立ちながら溜息を洩らすと、アイは
右肩に担いだ刀を下ろし、左手で鞘を掴むと
そのまま左腰に沿えるように持ち替えた。
「さぁ! ダークブランド様、今こそ我らで
今は無きスペクター総帥の意思を継ぎ、
偽善に満ちたこの世界をっ……ううぅ……
な、何をっ」
話しを遮るようにして、アイは腰から刀を
抜き放ち真上へ切り上げた。
その切っ先が描いた筋が、光る線として留まり
空中にキラキラと漂っている。
「悪いけど、もう無くなった組織も、
その理念にも、全く興味無いから」
「ダ……ダークブランド様ぁ……」
「礼真魔破剣、未だアンタを突き動かすものの
正体は、コレね」
空中に漂う光る筋を押し広げて、炎のように
真っ赤に輝く丸い塊が迫り出してくる。
「ケイオス……推定レベル110、回収。
って、こんな小物が、これ程のレベル?」
「あ、あなた様の力と、私奴の能力があれば
この世界も……」
「だから興味無いの……もう、そういうのは」
「あ……だ……っ」
ケイオスと呼ばれた輝石をアイが掴み取ると、
骸骨男はガラガラと音をたてて崩れ落ち、
動かない唯の骨となって辺りに散らばり、
一部は何処かへと転がっていってしまった。
「今日も、お疲れ様です」
突然背後から、ジードが声をかけてきた。
いつも丁度良いタイミングで登場する依頼人に
驚き振り返ると、機械とは思えないほど
明るい笑顔を浮かべ、そこに立っていた。
「あんた、遠くにいて来れないって!」
「あなたよりは遠くだったんですよ」
「ったく!」
「そんな事より、生放送は良いんですか?」
「え? あ!」
生放送を途中で抜け出していた事を思い出し、
持っていた輝石をジードの方へ放り投げると
アイは自分の会社へ翔ぶように駆けていった。
石を受け止め、それを見送りながらジードは
取り出したスマートフォンで、今回の依頼の
報酬を振り込み操作を始める。
街頭モニターから流れるテレビに掻き消される
ように、地面に転がる骸骨男の骨の1つが
コロコロ風に吹かれて転がり小さな乾いた音を
たてている。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「そう言えば、見ましたよ~お昼のテレビ、
また凄い反響だったんじゃないですか?」
「実質、ただ食べてただけだけどね~」
「そりゃまぁ、美容の効果を生放送ではね。
でも、美味しい美味しいって」
「それはもう~勿論、有り難い話しよ。
でも美味しいのだったら、このコーヒーも」
「そりゃ、どうも」
行き付けの喫茶店で、カウンター席に座り
昼間の番組の話しでマスターと盛り上がるアイ。
お気に入りのコーヒーも、今夜はやけに進む。
既に2杯目の注文も済ませ、サイフォンが
ヒーターで照らされ赤く染まり、コポコポと
良い音をたてている。
例の輝石の受け渡しが無くても、仕事帰りに
この店でマスター拘りのコーヒーを飲むのが
疲れた日のアイの決まりになっている。
モカが配合されない酸味の無い優しい味に、
身も心も癒されてゆく気がするのだ。
途中退場してしまった番組は、今やあらゆる
メディアに引く手数多の時代の寵児だからと
上手く纏められ、エンディング間際に
笑顔で手を振る姿が映る事も、良い解釈で
世間には捉えられているようだった。
住宅地の奥まった位置にあるこの喫茶店、
しかも夜ともなると、全くと言って良い程
他の客など来ないのだが、その日は珍しく
見知らぬ男が入って来た。
歳は20代半ば頃、髪型も服装も清潔感のある
爽やかな好青年といった感じだ。
「おゃ、いらっしゃいませ」
マスターが意外そうに声をかけるも、男は
全くの無視でアイの傍に歩み寄ると、
深々とお辞儀をしキラキラ純粋な目で
アイを見詰めると……
「ダークブランド様、こちらで御座いましたか
昼間は大変失礼いたしました」
「は、はぁ!?」
「いや、分からぬのも無理は御座いません。
私奴は、夜の闇の下であれば、このように
完璧な姿で蘇る事が出来るので御座います」
「あ、あの骸骨の!」
「はい、左様で御座います」
「でも、アンタあのときバラバラに……」
「ですから、私奴は死ねぬので御座います。
しかし、ダークブランド様のあの御言葉で
……私奴は目が覚めました!
いえ、元より今は無き組織の理念など、
本当は、どうでも良かったのです!
あのとき、テレビで御姿を見付けたとき
私の中にビビビっと走ったあの感覚は、
何もかもを失った私奴にとっての希望!
生きる意味との再開!
私奴の在るべき場所は幻想の中の無き古巣
ではなく、貴女様の下であると……
そう知らせていたのです!
そして、直にお会いし、その御力に触れ
予感は確信となったのです!!」
「ふぁ……ファンの方ですか?」
「いやぁ~そういうわけでは……」
「どうか!私奴を貴女様の忠実なる下部に!」
「イヤよ、何であんたみたいなのを」
「あの災厄を生き延びたたった1人の希望
私奴の仕える場所は、他に御座いません!」
「なんで、そうなんのよ!」
「どうかっ、ダークブランド様!」
「その名前で呼ばないで!」
閑静な町を、男とアイの問答がいつまでも響き、
騒がしい夜は更けてゆくのだった。
つづく