2.機動警視正 ジード
夜の住宅地、大通りから出た1本の細い道で、
2台の車が向かい合って止まっている。
1つはイカツイ黒の高級車、もう1台は
庶民的な軽自動車だ。
辺りには先ほどから、男の大声が響いている。
趣味の悪い柄が詰め込まれたシャツを着た
小太りの中年男が、スーツ姿の青年の胸倉を掴み
ぐいぐいブロック塀に押し付けている。
「てめ、ナメてんのか、おおっ!?」
「いえ、ここは、一通ですから……」
「んあぁ!?」
一方通行の細い道を逆走してきた中年男が、
スーツの青年の車と鉢合わせした所、
何故か中年男の方が食って掛かって来たのだ。
スーツの青年も、車を降りてしまった事で、
襟元を強く掴まれ、めくり返されたワイシャツ
のボタンが1つブツっと千切れてしまった。
「あ、その……」
「言ぃてぇ事があんなら、ハッキリ言えゃ!」
「いや、道交法では、こちらが……」
「知らねーよ! そんなもん!」
「そんな、だって標識も……」
「っせーな! ここじゃ俺が法律なんだよっ!」
右拳がスーツの青年の顔面に放たれる。
中年男からすれば、本気のものではない、
すぐに手も出るんだぞと、ビビらせようと
突き出したその拳は、顔を背けそこなった
青年の鼻柱に真っ直ぐにぶち当たってしまい、
骨と骨がぶつかる嫌な音がした。
殴られた青年の目は恐怖に染まったものか、
状況が把握出来ていないのかもよく分からない
見開いた丸い目で、中年男の顔を見ている。
しびれる右手と入れ替えるように左手を、
今度は力を込めて振りかぶり……
「何だその目は! ぶち殺すぞ!」
「わ、分かった、分かったよ!
あんたの法律に従うよ、分かったよ」
「ったく、さっさと道開けろやこっ!!!?」
口汚い男の言葉を遮るようにして、
スーツの青年の右拳が中年男の顎に突き刺さり
左の下顎の骨と肉、歯が頬の皮膚を突き破って
血しぶきと共に飛び散った。
「あが、あだ、あばばがっ」
失ってしまった顔の下半分から滝のように
血が流れだし、血の水たまりがバチャバチャ
音をたてる。
「おい、さっさと道を開けろよ」
「あだだだだ、ばだがががががががああああ」
「お前が言ったんだ、お前の法律だろ?
俺も言ったよ? お前の法律に従うって!」
ぐしゃぐしゃになった顔を抑え体を丸める男に
容赦なく押し蹴りを食らわせ、地面に転がすと
頭を踏み付け、片足で頭の上に乗っかった。
細身の体からは想像出来ない重みがかかり、
靴とアスファルトにギリギリと押しつぶされる
頭蓋骨の軋む音と、男の呻き声が混ざり合う。
「暴力と恫喝で、自分の都合を通す……
これがお前の法なんだよな?」
「ばぶだがあどぶあええうえああああああ!!」
「ん? 言いたい事はハッキリ言えよ?」
トンと頭の上から飛び降りると、地面に転がる
その頭をサッカーをするように蹴り飛ばした。
跳ね飛んだ頭は、地面や塀にしこたま打ち付け
激しい傷みと苦しみ、大量の出血で体が痙攣し、
立ち上がれない男は地面に這い蹲る。
青年は、倒れる男の髪を雑に握り掴むと、
体重は倍はあろうかと見える中年男を
彼の車の方へと、軽々引きずって歩き、
冷たく語り始めた。
「お前のような奴を見ると、一番腹が立つ。
俺に何をしたかなど些細な事だ……だが、
お前みたいな腐った奴の都合の犠牲になった
善良な人達の姿が透けて見えてくる。
お前によって奪われた、多くの人達の
些細な幸せを、楽しみを、貴重な時間を……
踏み躙ってきた全ての人の人生全てを、
ここで清算しろ」
乱暴にドアを開け、シートへ男を投げつける。
そして叩き付けるように閉じられたドアに
一撃蹴りを入れると黒い高級車はねじ曲がり、
男の体を強烈に締め上げた。
青年の見開いた瞳が、機械的に収縮すると、
翳した手の平の中央に丸い穴が現れ、
中から銀色の筒のようなものが飛び出した。
その内部が明るく輝きだし、それは誰の目にも
殺傷能力を帯びたものである事が想像出来た。
「貴様に弁解の機会は与えられない」
「あっがあああああ、あええあえあお!!」
「もっと早く改めるべきだったな。
俺を小突いたとき、手に激痛が走った筈だ。
手首と中指の骨が折れているだろう」
「!?」
見れば、中年男の右手の手首と中指は、
紫に変色し、二回りほど太く膨れ上がっている。
「それを冷静に受け止める事が出来ず、
激昂して更なる暴挙に出る……最早、
人の世に放たれてて良い生物ではない」
「そこで何をしている!」
周辺住民の通報を受けて、2人の警察官が
駆けこんで来た。
しかし、その声に制止される事無く、
スーツの青年は、手の平の兵器を発動させた。
筒の先から眩しい光の筋が飛び出すと、
中年男を、乗る車ごと猛火に包み込み、
髪の毛1本チリ1つ残さず焼滅、蒸発させた。
一瞬辺りが真夏の昼間のような明るさと
熱に包まれ、警察官達も驚きに足と止め、
目を射す光に顔を歪めた。
「お、お前、一体何をっ……」
「田村待て! お疲れ様ですっ警視正!」
「ええっ!? お、お、お疲れ様です!」
1人の警察官はスーツの青年の顔を見て
何かに気付き、背筋を伸ばして敬礼した。
続けてもう一人も力一杯敬礼する。
「お疲れ様です!」
警視正と呼ばれたスーツの青年も敬礼を返す。
「これは……まさか」
「ええ、超常凶悪事件です。
しかし、貴方達が来てくれて良かった。
私はまだ追わねばならない者がいる、
ここの後始末は任せました」
「は、はい!」
ピンと勢いのある敬礼をする2人の警察官を
残し、スーツの青年は軽自動車に乗り込み、
その場を走り去って行った。
車を見送ると、1人が嬉しそうに話し出した。
「いや~オレ初めて見たわ、本物のヒーロー」
「へ? ヒーロー?」
「知らないのかお前! 機動警視正ジード!」
「えー!? 今の人が?
見た目、全然普通の人間じゃないっすか」
「そりゃそうだろ、何たって凄い予算割いて
日本のロボット技術の粋を尽くしたんだ。
漫画やオモチャみたいな見た目なわけ
ねえじゃねえか」
「成程ね~、いやはや恐れいったっすねぇ。
しかし、ヒーロー法かぁ~。
えらい世の中になったもんっすねぇ」
「何でもかんでも警察に任されるよか良い。
超常凶悪事件だなんて、ゾっとするぜ。
俺達は、さっさと言われた後始末を……」
「でも後始末ったって、コレ……」
「……あぁ、何も残ってないよな」
◆ ◇ ◆ ◇
【対超常凶悪事件 及び 災害時緊急救助法】
通称、ヒーロー法
”政府によって認められたヒーローの資格を
有する者は、超常凶悪事件及び災害発生時、
自らの判断でその力を行使する事が出来る”
2014年、とある超人ヒーローの登場に
呼応するように、全国の悪の組織が沈黙した。
人々はその功績を大きく称えたが、
そのヒーローは姿を公に晒す事は無かった。
日本は、超人の存在を正式に認め、
彼らの正義の活動を後押ししたいという
多くの民意に応える形で、法案が提出された。
その後、異例のスピード決議で事は進み、
現在は犯罪発生件数が高過ぎず、さりとて
低過ぎない、このN市で試験施行されている。
◆ ◇ ◆ ◇
ジードは住宅地の中程で車を止めると、
1件の喫茶店の中に入って行った。
駅からも遠く、人通りも少ない場所に建つ
繁盛店には見えない、小さな小さな店だ。
店内のカウンターには女性が1人座っており、
コーヒーを楽しんでいる。
ジードはその隣の席に着くと、女は明らかに
嫌な顔をし、ジードを睨みつける。
「ちょっと……何て臭いさせてるのよ!
折角のコーヒーの味が台無しじゃない」
「おっと、すみません。ちゃんと消臭した
つもりだったんだけどなぁ」
「もういい、はいっコレ」
女は背もたれに掛けたバッグから小箱を
取り出すと、隣のジードの方へ滑らせた。
ジードがその箱の蓋を開くと、中には
焼拳ヤマトファイヤーの心から斬り離した
コスモスと呼ばれる輝石が入っている。
その女は、フォーマルなスーツに、
メガネといった全く印象の違う出で立ちだが
斬り取った張本人、ダークブランドだ。
受け取ったジードは、瞳を大小させ、
その輝く物体を確認すると、蓋を閉じ、
取り出したスマートフォンを操作し始めた。
「はい、入金完了。今回もご苦労様でした。
もう随分をヒーローやるのも、
板に付いて来たんじゃないですか?」
「どうだろう? 相手もヒーローなんだし、
やってる事は、前と変わらないわ」
「そっか。でも残念だな~ヤマトファイヤー。
憧れのヒーローだったんだけどなぁ」
「そっですか。じゃあ私はこれで。
マスターご馳走様、今日も最高だった」
会釈する店のマスターに、ダークブランドは
笑顔で返し、代金の小銭をカウンターに置くと
バッグを肩にかけ、店を後にしようとした。
「えっ、ちょっと待ってっ
マスターごめんなさい、また来ますっ」
ジードは、苦笑いを浮かべペコペコ頭を下げ、
店を出ていくダークブランドを、小走りで
追いかけて引き留めた。
「待って待って、送っていきますよ~」
「イヤよ、あんた自分がどんな臭いさせてるか
分かってないの?」
「あ~、さっき、ちょっとあって」
「どうせ、ろくでもない……ん?」
「どうしました?」
「あれって……」
ダークブランドの目線の先には、マントや
覆面、ガスマスク、スカルマスク等
特異な出で立ちの集団が、歩いていた。
それぞれ大きな袋や火ばさみを手にしている。
「あ~あれは、リアルライフヒーローですよ。
今、結構話題ですよ、知らないですか?」
「知らないけど」
「ああいう思い思いのコスチュームを着て、
街の清掃と、美化を訴えてるんです。
ヤマトファイヤーはいなくなっても、
同じ思いを持つ人達が、ああやって
皆の為、街の為に活動している……って
あれ? いない?」
ジードが辺りを見回すも、さっきまでいた
ダークブランドの姿はどこにも無かった。
つづく