虚弱王の溜息
「これでよし」
ひどく腰の悪そうな老人は、満足そうにそう言うと、テーブルの受け皿に筆を置きました。
豪華な装飾とは裏腹に、暖炉の温もりも行き渡らぬ冷えた石造りの一室。
そこで筆を振るっていた彼は冬の国の王。
四季の世界の番人であり、精霊の血を引く人ならざる者の末裔。
彼の書いた羊皮紙には、こう書かれています。
――――
四季の巡りを正すため、この御触れを書き示す
我が娘、冬姫の心に少しばかりでも揺らぎを与える者あれば、望む褒美を取らせよう
見事、姫の眉を動かした者には貴人としての地位、家名も与えるものとする
手段は自由
参加者の身分も問わぬ
体を傷つける行為以外は全てを認める
また、謁見時には如何なる狼藉も容認するものとする
全てはこの世界と我妻に安寧を与えんがため
冬の王
――――
冬の王は大臣と従者に御触れの羊皮紙を渡して、息を切らしながら暖かそうなベッドへと戻ります。
そしてヨモギの薬草茶を一口飲み、再び微睡みの中へと落ちて行きました。
王は長い間、重い病で寝たきりの状態でした。
冬の王は、今まさに死の淵を彷徨っているのです。
それほどの病魔に冒された王が、なぜこのような御触れを出したのでしょう。
それは愛する妻と娘のため。
その原因とは……。
季節の塔から冬の女王が出てこなくなってしまったからでした。
彼らが住む四季の国々は、春夏秋冬、それぞれの季節を司っています。
そして4つの国の中央にある塔へ、それぞれの季節の女王が住むことで世界に季節が訪れるようになっているのです。
それが精霊の加護と共に生きる、この世界のならわしでした。
しかし、今年の冬はいつまでも終わらず、女王は全く塔から出てくる気配がありません。
原因はまったく不明。
王女は塔の結界を解かず、誰も近寄らせません。
そして毎日、北側にある窓を眺めながら涙を流しているというのです。
唯一、女王の世話係である侍女だけは出入りを許されていたため、王はこの侍女から女王の様子を伝え聞きます。
侍女が言うには、一度だけ娘の心の病について気に病んでいるという話をしたというのです。
冬の王と女王との間には、冬姫なる娘がおりました。
母親の王女に似て、大変美しい姫なのですが、とても残念な欠点がありました。
彼女には……感情というものがありません。
生まれつきなのか感情が薄く、笑うことも泣くこともありませんでした。
そして成長するにつれてそれは、どんどん酷くなっていったのです。
今ではその心は凍てつき、完全に閉ざされてしまったかのよう。
民の中には眉一つ動かさないその表情を揶揄してか、【鉄眉姫】と呼ぶ者も出るほどです。
王も女王も、娘のその欠点をことあるごと心配していました。
王は侍女からその話を聞き、すぐにそれが原因だと思ったのです。
死を間近に感じていた王は、国のことや巡らない季節のことなどより、妻や娘のことが心配でなりません。
彼は身に残る最後の力を振り絞り、この御触れを書き示したのです。
斯くして冬の王の御触れは世界に広がり、氷に覆われたお城に謁見者が押し寄せてきます。
その列は毎日のように続き、3ヵ月もの間、途切れることはありませんでした。
しかし、その長きに渡って続く謁見は冬姫の閉ざされた心の現れ。
誰もその眉を動かせなかったということの証でもあったのです。
冬の王国の城には雪が降り積もり、窓を凍てつかせて閉ざします。
冬の季節は、もうすぐ1年になろうかというほどに続いていました。
今日も謁見は続きます。
しかし、いかなる者も姫を笑わせたり、怒らせたり、驚かせることはできません。
姫の心は終わらない厳冬と同じ。
凍てついてしまった窓のようにピクリとも動きません。
猛吹雪が吹き荒ぶ、あの日までは……。